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5月某日(9)

 茜は隣を歩く蘇芳を横目でこっそり見た。

 公園へ行く途中には菫と会い、今はこうして好意を寄せている蘇芳と歩いている。嬉しいことが立て続けに起こり、なんだか得した気分だ。だが、今日はあの喫茶店で蘇芳を待つ時間が無いのかと思うとそれはそれで少し寂しく感じる。

「そういえば、今日、公園に行く前に菫が茜ちゃんに会ったって聞いたよ」

 どうしてその事を蘇芳が知っているのだろうかという驚きもあるが、彼が菫のことを名前で呼んでいる事に茜は衝撃を受けた。下の名前で呼ぶほど、彼女と親しいのか、と胸が痛んだが、蘇芳は茜のことも下の名で呼んでいる。もしかしたら彼は知り合いをあまり名字で呼ばないのかもしれない。

「だから、今日は公園で絵を描いてから喫茶店に行くのかなと思って」

 日差しが強くなってから、茜は週末の日中に外で絵を描く時間が減った。まだ寒い時期は毎週公園で3,4時間平気で絵を描いていたが、暖かくなってからは公園に行くのは不定期になり、絵を描く時間も2,3時間ほどに変わった。公園に行かない日は、喫茶店にあるものを黙々と描いている。そのことを蘇芳も知っているため、菫からの連絡で茜が今日は公園で絵を描いているのだと彼は予想した。

「最近無機物ばかり描いていたせいか、なんだか無性に植物が描きたくなったんです。まさか、蘇芳さんとこうして一緒にマスターの所に行けるとは思いませんでした」

 嬉しさで茜の顔がほころぶ。

「あそこの公園は少し広いから会えるか少し心配だったけど、、無事に見つけられてよかった」

「携帯電話に連絡をもらえれば、入り口まで行きますよ?」

 蘇芳は今気付いたといった表情を浮かべるが、直ぐに難しい顔つきになる。

「でもそうすると、茜ちゃんの邪魔をしてしまうから。やっぱり自力で探して良かった」

 それに、と蘇芳は何やら呟いたが、その声が小さすぎて茜には聞き取れなかった。

 何を言ったのだろうかと首を傾げて蘇芳を見るが、彼は問いかける彼女の表情を見ても誤魔化すように笑顔を作るだけで、何も言わない。

 茜も蘇芳を追求することなく、そのことについては何も聞かないことにした。尋ねても彼は答えてくれないだろうし、何より茜自身が問い詰めてまで彼が何を言ったのかを知りたいとは思わなかった。

「今日は何を描いていたの?」

 蘇芳が茜に話題を振る。

「蒲公英や土筆と、書いているうちに蒲公英に蝶蝶が止まったので、それも簡単に描いてみました」

 蒲公英を描いているとひらりひらりと一匹の蝶が蒲公英に止まった。それを見た茜は描いていたページを捲り、新しく真っさらなページに変えて蒲公英に止まった蝶を描き始めた。

 しばらくすると蝶はゆっくりと蒲公英から飛び立って行ったが、茜は絵を描くのを止めずに脳裏に残っている景色を頼りに、蒲公英に止まっていた蝶を描き上げた。

「蒲公英か。小さい頃はよく見かけていたけれど、年をとると段々とそういう道端の植物に目を向ける事がなくなったな」

 蘇芳が少し寂しそうに言う。

 子供の頃は多くの物に意識を向けていたが、年を重ねていくごとに目を向ける世界が限定されていく。それに茜が気付いた時、彼女もほんの少しの寂しさを覚えた。

「でも、茜ちゃんの絵を見せてもらう様になってからは植物とかが視界に入ると、茜ちゃんが描いたものに似ている。あれはあんな色をしていたのかなとかあれを描いたのかなとか思う様になって、少し周りの見方の幅が広がったんだ」

 先程まで寂しさを含んでいた声音が、今度は嬉しそうなものに変わった様に茜は感じた。

「茜ちゃんのおかげだ。ありがとう」

 蘇芳から突然礼を言われ、茜は焦った。自分は好きな物を好きな様に描いているだけだ。それで礼を言われることに彼女は後ろめたさを覚えた。

「そんな、お礼を言われるような事を私はしていませんよ」

 茜は慌てて自分は何もしていないと手を振りつつ主張する。

「たまたま私の絵がきっかけになったのだとしても、それに気付くことが出来たのは蘇芳さんが周囲に意識を向けることの出来る人だったからですよ」

 きっかけはどこにでもあるものだ。それに気付くか気付かないかはその人次第だ。

 だから自分は何もしていない、と茜は笑って主張する。

 そんな謙虚な茜の反応に蘇芳は苦笑を浮かべる。これ以上自分の感謝の思いを告げても彼女を困らせてしまうだけだと蘇芳は思った。

「喫茶店に着いたら、また描いた絵を見せてもらっても良いかな」

 拒否されるだろうかと頭の隅で考えながら、蘇芳は茜に問う。

 茜は直ぐに満面の笑みを浮かべつつも少し恥ずかしそうに頷いた。

「はい。喜んで」

 茜と蘇芳は見えてきた到着地へ向かって、のんびりと2人で歩いた。

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