8.告解室の向こうへ
ドリーたちが馬車で連行されたのは、皇都の城にある清潔な部屋だった。壁には魔法を通さない装飾が施され、簡素なテーブルが一つに、イスとベッドが二つずつ置かれている。
ドリーはイスに座って唯一の出入り口である扉を見つめ、博士はベッドの上をごろごろ転がることで退屈という主張を全身で表現していた。
「あー、牢にぶち込まれるサラマンダー家なんて、聞いたことないわ。完全に勘当もんだわね」
「もう勘当されているでしょう、あなた」
不毛な会話だが、博士なりにドリーの気を滅入らせないためにしているのだろう。性格はお気楽だが、過去に天才と呼ばれた頭脳の持ち主なのだ。
「それに、一応“牢屋”ではなさそうですよ。特別客室だと言っていたでしょう。おそらく、牢に入れるには問題がある、わけありの貴族などを収容しておく部屋。城はあくまで、私たちを自由にさせたくないだけのようですし」
「それよ、あたしが納得できないのは」
がばりと身を起こしてドリーをまっすぐ射抜く視線は、憤りと知性を宿していた。
「マトンがなにか大事な役目を負ってるってのは、迎えに来た奴らの反応からわかる。でもなんで事情を知らないあたしたちを、その役目が終わるまで閉じ込めなきゃいけないわけよ?」
「考えられるのは二つ。一つ目はマトンの主張を信じておらず、全ての事情を知っているのにとぼけている、と勘違いしている。二つ目は、間違ってその役目の内容を知れば、例え一週間程度の知り合いであっても妨害したくなるような内容。一つ目だったらそれで構いませんが、二つ目だった場合は、早めになんらかの行動を起こしたい」
「あたしも賛成。でも情報集めるにしても骨が折れるわよ? ここ魔法皇国グラスパートの中心だもの。警備用にいったいどんな魔法使ってることか」
「それは問題ありません。私は九年前までここに勤めていたので、罠の回避方法は知っています。しかも年々魔力は枯渇しているから、あれ以上強力な魔法が開発されるとは思えません」
「じゃああとはここから脱出する方法だけ?」
「それは見張りの兵士を呼び出して、私の睡眠薬で眠らせれば可能です。ただ問題なのは、マトンに会いに行けるかどうか」
「え? なんでマトン……ああ、マトンについての情報は、直接本人に聞くのが確実だからか」
「ええ。普段公の場に出ないと言っても、部屋は皇族の居住区にあるでしょう。ただそこは警備が固い。果たして私の薬と魔法だけで、騒ぎを起こさず通過できるかどうか……」
「……え、もしかしてあたし、人数に入って無い?」
「もちろん。この部屋に誰もいなかったら騒ぎになるでしょう。幸い部屋の中なら魔法は使えるようですし、私の幻影を作って待っていてください」
慌てる博士の声はノック音にさえぎられた。
ドリーは立ち上がり、扉に近づく。場合によっては、脱出の契機かもしれない。
「面会です」
予想外の用件に面食らい、思わず博士と顔を突き合わせた。
二人がここにいることを知っている人間はごくわずかなのに、いったい誰が。
「あっ、もしかしてマトン坊や――」
「魔道士の方です」
「不特定多数過ぎてわかんないわよ」
「その……いつも薬を買わせてもらっている者、と言えば伝わると――」
「わかりました、私が会います」
特別客室を出てすぐの部屋は、中央が壁で仕切られている。壁の前にはイスが置かれ、そこに座ると壁の中央に開いた窓と向き合う形になる。窓には細い網が張られており、さながら教会の告解室を思わせた。
その窓の向こうに待つのは、告解室にふさわしい、まるで聖職者のような清らかな微笑みを浮かべている青年。
黒いローブを着た、例の魔道士だった。
彼はドリーがイスに腰かけると軽く会釈し、穏やかそうな口を開く。
「こんばんは。今日も薬をもらいに行ったらお留守でしたので、驚きましたよ」
「私からすれば、皇族の馬車に追いつき、かつ私の居場所も特定したあなたのほうが驚きですよ」
「魔法には色々ありますから」
それはこの世界に広くはびこる文句だ。主な使い時は、深く探られては困る話題を打ち切らせる時。つまりドリーから彼への胡散臭さが増した。
「……まあ、ひとまずお詫びをしておきます。私はてっきり、城の監視者かと疑っていましたので」
「私が城の人間」
いつくしみの表情で反芻する男から、遥か北の大地でしかお目にかかれないと言われるブリザードが吹き放たれたように錯覚した。肌を刺すような寒気。間違いなく地雷を踏んだ。ドリーは本心の見えない男だと思っていたが、踏み込めば案外わかりやすい性格なのかもしれない、と認識を改めた。
「あの、あなたがそうでないことはわかりましたので、ご用件をどうぞ」
ブリザードを止めた男は、何事もなかったかのように、こほん、と軽い咳払いをした。
「はい、私はあなたが第三皇太子殿下のもとへ行くための、手伝いをしに来たのです」
ドリーは彼の背後で直立している兵士を見やる。
「ご心配なく。意識は眠っています。私の魔法なら、彼は自分が眠っていたことにすら気づかない。あなたの薬では、そうはいかないかもしれませんが」
「……ご名答です。眠る前の記憶は残ってしまう」
「そんな不備な状態でも行く覚悟があるのでしょう? ならば私の助力を受けてくださいませんか?」
覚悟、と呼べるほどのものを持てているのか、ドリーは自分でも疑わしく思っている。
ただ、このままじっとしているのは最良の選択ではない。そんな愚かな真似はしたくない。だからドリーは動くと決めたのだ。
「なぜ、私をマトンに会わせたいのですか?」
問い詰めれば、彼は答えにくそうに苦笑して視線を逸らした。
「うーん……まあ、色々ありまして。とにかく、あなたでなければダメなのですよ」
はっきりしない声音。しかしそれゆえに本心が込められているようだった。
「あなたを信用するための証拠はありますか?」
「普段の私の態度くらいですかねぇ」
普段の彼は、ただマトンの居場所を確認していた。直接手は出さず、しかし見守ると言うには離れ過ぎた位置で、ただそこにいた。
あと少しで彼が何者かつかめそうだった。しかし自分と同年代の若々しい顔を見ていると、あと一歩でごまかされてしまう。
ドリーはため息を一つ吐き、彼についての詮索をひとまず棚に上げた。なんにせよ、彼がマトンに害をなす存在には思えないなら、それで充分なのだ。
「わかりました、信用します。内密にマトンに会うための協力をお願いします」
彼は目を細め、穏やかに口角を上げた。
「皇族には脱出用の隠し通路がありましてね。そこを通れば彼の部屋に直接行けるんです」
「この期におよんでまだ胡散臭さを高められるとは、そろそろ笑えてきました」
彼は立ち上がり、二人の間に立つ壁の端にある扉を開く。
そこから覗かせた顔は、見る者全てを安心させるような聖人染みた微笑みだった。
「大丈夫、安心してください。私は手抜かりの無い魔道士なので、あなたを必ずお連れすることができますよ」
これ以上、不安を煽らせる方法を学ばせないでほしかった。