7.花は運命を開いた
エンペラーズ・ウィーク、七日目。
祭りは終わりを迎え、皇族は最後の昼食をとってから出発する。
つまりマトンとの別れの日だった。
「ドリー、来たぞ」
しかしそんな雰囲気は微塵も見せず、マトンは変わらぬ様子で庭をおとずれた。
「いらっしゃい。今日は花木の剪定をお願いします」
そんな彼の態度につられたせいか、ドリーも普段通りの態度ではさみを手渡した。
お互いなにも言わないのは、昨日、不安だと告げた顔をしないためだろうか。
それでもドリーは、今まで手伝ってくれた礼などを与えたほうがいいのだろうかと考える。
礼をするなら本人が喜ぶものを与えるべきだ。今まで蓄積したマトンの情報から、幸せそうな顔をした時を思い出す。ドーナツを食べている時だ。
そういうわけでドリーはドーナツを揚げ始めた。
「え、なに? 大食い大会出場者のお客さんでも来るの?」
テーブルの大皿に山と積み上げられたドーナツを見つけ、呆然とした博士は素で質問した。
だがドリーに答えられるわけもない。ドリーだって気分としてはそちら側なのだ。
(いったいどうしてこんなことに)
自分の行動がまるで理解できない。ただマトンがドーナツを食べている光景を脳裏に描きながら作っていただけなのに。むせ返るほどの甘く香ばしい香りを放つドーナツの山を見つめ、途方に暮れていた。
「……食べられるだけ食べといてください」
それだけ言い残して、逃げるように庭へ出た。
そんな無茶苦茶な行動をとったあとで、ドリーはまるで自分がわけのわからない生き物になってしまったようで、衝動に見舞われた。苦い紅茶を飲んで大地の匂いに包まれて眠れるベッドに入ってしまいたくなるような。自分をそんな目にあわせたくなるなんて、これが初めてだった。
徹夜明けの如く、頭はさえているのに身体は永眠を望んでいるような、ふらふらと危なげな足取りで、なんとかマトンのいる花木園へ辿り着く。静かに動揺していた気分を、見慣れたタンポポ色の頭と花の香りが落ち着かせてくれた。
「あ、ドリー! これ、夏に咲くって言ってなかったか?」
「……ええ。……狂ってますね」
おかしいのはドリーだけではないと知り、ようやく普段の冷静さを取り戻せた。
脚立に腰かけたマトンが、花木の細い枝をつかんで見せる花。フリルのドレススカートのような花弁は、外側に行くにつれて白くなる朱色。それは春に咲くべき花ではなかった。
「最近、花の開花時期が狂っているんです。考えられる原因は、世界から魔力が枯渇しているから、なのかもしれません」
「え? 魔力って花と関係あるのか?」
「花に限らず、この世界の全ては魔力の海に浸かっているようなものなんです。手を叩くと音が聞こえるのが当然のように、魔力も世界の一部として存在している。だから魔法が使えるのだと考えられていますね。その魔力が自然界にどう影響しているのかは、まだわかりませんが」
「……その世界の一部が枯渇しているって、かなりすごいことなんじゃないか?」
「そういう言い方をすれば。しかも枯渇を止める方法は見つかっていない。このままいけば魔法は使えなくなるでしょうが、しかしただ生きていくだけなら問題ないかと」
人間が水と酸素と栄養さえあれば生きていけることは、科学者が証明済みだ。魔力は生命活動になんら関わっていないのだし、ドリーは魔法が使えなくなっても構わないと考えている。
魔法技術で繁栄しているグラスパートは、下手をすれば衰退するかもしれないが、それだけだ。
ただ、自分で言いながら、いささか楽観的過ぎるのが、少し落ち着かなかった。
「手元がお留守ですよ」
「あ、ああ。えっと、これ……の名前なんだっけ」
なにかごまかすような言い方だったので、気になって集中を欠いた。
「それは博士です」
「は?」
どうやらまだ絶賛動揺中らしい。
ドリーは自分の失態をごまかすように前髪を払う。
「いえ、言葉を欠きました。博士の名前はザクロと言って、その花と同じ名前なんですよ」
「……お前たち、名前交換したほうがしっくりするんじゃないか?」
「んですってぇ!?」
どこから聞きとめたのか、口の周りに黄色い食べカスをつけたザクロ博士がスライディングしながら現れる。そしてかつてドーナツを乗せていた大皿を振りかぶり、マトンの頭に直撃させた。
(全部食べろとは言ってない)
ドリーは一瞬、博士に対して理不尽な殺意がわいた。
「ザクロほどあたしにふさわしい名は無いのよ! あんた花言葉って知ってる!?」
「お前は手加減を知れ! 花についてる意味だろ!」
「先人たちが適当に与えた概念ですね」
「そうそれ! ザクロの花言葉は子孫の守護よ!」
「むしろ子孫途絶えてるじゃないか」
「花言葉は与えた当人の主観が影響されますし、深く考える必要はないかと。例えばそこの花」
花木園の側に作られた花畑に咲く、サクラの花弁を一回り大きくしたような薄紅色の花を見やる。
「これはプリムラ。与えられた花言葉は、うぬぼれ、運命を開く、永遠の愛」
「うわ、めちゃくちゃだ……。ん、じゃあドリーも花言葉を考えて付けたのか?」
返事はすぐに返ってこなかった。二人の双眸に見つめられる先の男は、逃げるように目線を泳がせ、言葉を探すように口を開く。
「……いや、ダンドリオンは……」
「見つけましたぞ! マトン・サクリファイス・グラスパート殿下!」
その声を皮切りに、黒いマントのフードで顔を隠した者たちが周りを取り囲んだ。
博士はとっさに彼らを撃退するために魔力を集中させたが、ドリーは彼らのマントの止め具にグラスパートの紋章を見てしまった。舌打ちして博士の腕を押さえる。
「っ、ドリー!?」
「彼らはグラスパートの人間です。抵抗しないほうがいい」
取り囲む集団から、リーダー格であろう一人が進み出た。
マトンは彼に向かって焦るように叫ぶ。
「二人は関係ない! 俺が勝手に来ていただけだ。事情はなにも知らない」
「信用しましょう。しかし今後、障害となる可能性が無いとは言えません。手荒な真似はしないので、事が済むまではお二人の身柄を監視下に置かせて頂きます」
「あたしらに拒否権無しかーい!」
マトンは悔しげに歯噛みするが、「そのほうが二人の安全は保障されます」と続けられれば、渋々首肯するしかなかった。
「ごめん、迷惑かけた」
以前のドリーなら、その謝罪にも全くです、と冷たい視線を浴びせかけただろう。
しかし今のドリーの口から出たのは。
「いえ」
即座の否定だった。
受け取ってしかるべき謝罪をいらないなんて、きっと天変地異の前触れに違いないと、ドリーは自分でも予感していた。




