13.なみだの魔法
広間は漏れ出た溶岩の海に沈んでいる。怪鳥は取り残された柱の残骸を魔法で集め、宙に浮かぶ足場を作り、そこに博士を置いた。ドリーは崩れ落ちるように降りた。
博士は自分で患部に薬を打ちながら、火山の悪魔に苦い視線を注ぎ続ける。
「アレ、どういうことよ。悪魔の死体は、灰になるんじゃないの?」
「……おそらく、“火山の悪魔”は単なる通称で、私のような悪魔では無い。火山の悪魔とは、ドラゴンのことだったのでしょう」
頭蓋に開いた二つの穴に瞳は無い。流動する溶岩の塊は、異形の形で蘇った肉体に振り回されるように咆哮を上げ、錯乱するように広間を暴れた。
その様子にドリーの理性が、失った言葉をとっさに吐き出す。
「――いけない。このままでは、マトンが死骸と共に崩れてしまう――」
一度、灼光に照らされる黒い翼が大きく広がった。
「あんた……」
「私は傲慢な悪魔なんです。身の程に合わないことばかり求めてしまう」
羽ばたいた怪鳥はドラゴンの前へ飛び、対峙した。
「悪魔は、破壊とか支配とか、そんなことしかできませんから」
怪鳥が放ったのは、溶岩よりもまばゆい光の筋。暴れ回るドラゴンを一時的に捕えるための魔法。
彼を本当に救える者が立つまでの、時間稼ぎだった。
しかしそれもドラゴンの首の一振りでたやすく壊される。興奮したドラゴンは怪鳥目がけて溶岩の身体で突撃する。
ドリーはその光景を呆然と捉えながら、己の無力感にさいなまれていた。
「……これなら、マトンを救えると、思ったのに……」
勝手に肩が震えてしまう。
「私の行いは、全て、悪化させてしまうことばかり……っ」
奥歯が噛み合わない。眼球が現実の直視に耐え切れず、世界を滲ませる。
ドラゴンの頭蓋から火球が吐き出された。博士が跳ね起きて腕を伸ばし、防御壁を張った。
直撃した火球は蒸発するように白い煙に代わり、博士の身体を黒く汚した。そのままの体勢で彼は叫ぶ。
「ネガティブの海で溺れてんじゃねぇっ! お前がやりたいことはなんだ!」
父の声が、真っ白な頭の中に響いた。
(私が、やりたいことは)
やりたいことなど、探しても見つからない。
手段なんてなんでもいいのだ。
(私が、欲しいものは)
草花の香りに包まれ、あたたかな陽光に包まれる世界。
ただ、ドリーがマトンのためにハーブティーをいれる。ただ、マトンがドリーの作ったドーナツを美味しそうに頬張る。
その光景は、とてもあたたかく、満ち足りていた。
ドリーが欲しいものは、それだけだった。
赤い翼が怪鳥を岩壁に叩きつけた。埋まった怪鳥は動かない。傷口から赤い血が流れ、黒い煙を上げていた。
「まずいっ、灰に――」
空を切った尾が、防御壁ごと博士を叩き払った。
そのまま溶岩へ落ちて行く。
――そのはずが、空気の抜ける音が切れ間なく続き、身体が岩壁に縫い止められた。
博士が一瞬吹っ飛んでいた意識を取り戻すと、自分の服を針で縫い止めてあるのがわかった。魔力を乗せて強度を増した、ドリーの針だ。
ドリーは針の射出機を構えた姿勢を解き、ドラゴンへ向き直る。
ドラゴンは一度距離を取り、翼をはためかせながら目標をドリーに定めた。
ドリーはこの状況を打破する力など持たない。
だから、その力を持つ者の言葉を、借りる。
「マトン、聞こえていますね。あなたは私を知っているでしょう?」
ドラゴンがドリーへ滑空する。
「私はあなたを助けます。私は逃げません。見捨てません。再びあなたが庭いじりをして、私があなたにドーナツを作れる日々を取り戻します」
骨の口を開き、溶岩の大穴を覗かせた。
「だから、あなたは大丈夫です!」
ドリーを飲み込むその時。
ドリーを中心に巻き起こった暴風が赤い身体をはじき返し、苦痛の鳴き声を上げさせた。
暴風から腕で目をかばうドリーは気づく。
「この風は……魔法」
ドリーを守ったのは、奇跡の力。
――マトンの風だった。
赤い身体は体勢を立て直す。しかしそこに、もう狂おしい感情は無い。
心の落ち着きと共に身体も冷えていく。流動していた溶岩の肉は固まり、岩の鱗におおわれていく。
頭蓋に開いた眼穴から、最後に一筋、溶岩がこぼれ落ちた。
「――マトン……」
ドリーの頬がゆるんだその時、空間が突き上げるように震えた。
「噴火よドリー! 逃げろ!」
ドラゴンの死骸を吐き出したことで火山が刺激されたのか、広間の底に漂う溶岩が活発になっている。
復活した怪鳥が壁から自身を引きはがし、危なげな飛行で博士のもとへ向かおうとする。
「脱出と言ったって……!」
唯一の出入り口はもう溶岩の海に沈んでいる。
途端、首の後ろを引っぱられ、宙へ放り出された。
そのまま重力に従って落ちていくドリーを受け止めたのは、固い岩の鱗に包まれた巨躯。
「――しっ、かり――つかま――って」
口に当たる、頭部の裂け目から漏れ出た声に息を飲んだ。
そして言葉を発する前に翼が力強く羽ばたき、さらに上昇した。
もっと上へ。ずっと上へ。その勢いのまま天井を突き破り、岩壁を突き進んでいく。
やがて青い空が広がった。翼を広げて反転すれば、火口から紅い霧をまとった怪鳥が博士を背に乗せて出て来たところだった。
噴火は直後。怪鳥を先導するように岩の巨躯は青空を飛んで行く。
ドリーはその背にしがみつきながら、語りかける。
「……私が、わかるのですね」
「ずっと、また、ドリーと一緒に――ドーナツ、食べたいって、思ってたから」
風が枯れ木色の髪を舞い上がらせる。きっとマトンも同じ風を感じている。
そんななんでもないことが、なぜだか、泣きたくなるくらいに、うれしかった。
(――そうか。これが、人が、命を守りたくなる気持ち)
巨躯が力が抜けるように揺れる。マトンが身体の制御に力尽きようとしているのだ。
風に花の香りが混じってきた。一年中慣れ親しんだ、故郷の風だ。
「大丈夫。助けてあげますから」




