12.グラスパート火山
グラスパート火山は魔法の祖が現れた神聖なる場所とされ、代々グラスパート皇国が管理してきた。
ふもとには内部へ入るための洞穴が掘られている。格調高い装飾の施された門は大きく、人の背丈の三倍はある。そこを、巨大な翼を持つ怪鳥がわざわざ派手に破壊しながら突入した。
明かりとなる魔法の光球をいくつもまとわせたそれは、全身が漆黒だ。鷹のように曲がったくちばしと翼を持つ上半身に、毛の薄い猫を思わせる下半身。そんな異形の姿であるが、紅い霧をまとっていれば、それは悪魔でしかありえなかった。
「明かりもうちょっと後ろに下げて!」
その背には、ひたすら手元の紙束に計算式を刻んでいる、ドリーと博士が一列に乗っていた。マトンを救う方法を解いているのだ。
悪魔は二人の作業がしやすいようにとこの姿に変化した。確かに座り心地は悪くないし、風も透明に張られた防御壁のおかげで邪魔しない。たまに前方から後方へ異形の者の断末魔が流れていくが、邪魔しようとする敵の悪魔が光の魔法で倒されていっているのだろう。ドリーは状況を詳しく知ろうとは思わない。そんな瑣末事より目の前の筆算だ。
「ねえ、なんか息苦しくなってる気がするんだけど、洞窟の中だから?」
「いえ、これはおそらく祖の魔法が消えかかっているせいでしょう。本当は私たち、常に焼かれているそうですし」
「大丈夫、安心してください。私は手抜かりの無い悪魔なので、自力で炎から身を守っています」
「手抜かりが無いならあたしらも守ってよ!」
「博士、式」
「終わった!」
博士から受け取った紙束の数字と専門用語を自分のものと照らし合わせ、別の紙に整理する。
「洞窟を抜けます」
「できました。これなら……!」
広間に抜け出たのと書類の完成は同時だった。
そこはまさしく、生贄の祭壇のようであった。折れた柱の間に立つ兵士たち、ひび割れた石舞台。そこに皇帝の側で鎮座するのは、逆十字を思わせる巨大な魔機。
その中央に組み込まれている少年は。
「マトン!」
思わず声を上げたドリーに、怪鳥が翼を広げて勢いを殺した。
悪魔の意識がマトンに集中し、防御壁が解かれたその一瞬。
爆竹のような渇いた音が鳴ったのと、ドリーの身体が傾くのは、ほぼ同時だった。
「ドリー!」
血相を変えた博士に支えられ、脇腹の辺りから信じられない激痛が訴え、思考が真っ白になる。
音のした方向へ視線を向けると、グラスパートの兵士が、黒光りする細い筒のような魔機を握っていた。おそらくドリーの脇腹を貫いた弾丸は、そこから放たれた。
それはドリーが兵器開発をしていた頃、思考錯誤を繰り返す過程で生まれた兵器の一つだった。
(また、私が造ったもの)
だとしたら、この焼きごてを押しつけられるような痛みは、自分への裁きなのか。
「放て!」
皇帝の一声で魔機の集中砲火が注がれる。悪魔はそれを防ぐ防御壁を展開した。
(裁き、だとしても。いや、だからこそ)
ここで倒れるわけにはいかないのだ。
震える腕で手の中の紙束を持ち上げる。
「まだ、間に合いますっ……! これの通りに、魔機、を、ゴッ……!」
「――任せろ!」
博士が吐血するドリーから紙束をもぎ取る。自分に防御壁を張り、悪魔の背から飛び降りた。
防御壁越しの硝煙にまみれ、その行方は見えない。
――その時、澄んだ音が広がった。
火山から外へ。大地から海へ。世界にぬくもりが伝わっていく。
魔力が濃くなったのだ。
世界に、魔力が行き渡った音だ。
集中砲火と共に、悪魔の防御壁も解けた。
翼が羽ばたきを止め、ゆっくりと地面へ降り立った。
「……私が、あなたを守る必要、なくなりましたね」
呆然と、淡々とした声が事実を告げる。
「そう、ですね」
懐から取り出した痛み止めの注射を患部近くに打ち、白衣の裾を破って腹に巻き、止血する。
「マトンを助けるという目的は、達しましたし」
鳥の丸い目玉がこちらへ振り返った。
「マトンの魔力を注ぐことをやめるなど、できません。だからマトンの魂だけを残したんです。あの魔機は、私というホムンクルスを造った魔機と似た構造でした。だから私のように、あとでホムンクルスの身体を造り、中に入れることが可能だと考えた。それは、助けたことになるでしょう?」
それは、身体にこだわりの無いドリーだからこそ生まれた発想だった。
鳥の瞳が呆れたように細められる。
「……あなたという人は。良い意味で人でなしですよ」
「はい、ホムンクルスですから」
硝煙が晴れていく。
魔機を操作しに行った博士の姿はまだ見えない。
「……博士?」
見えたのは魔機の筒を握った皇帝。
その足下に倒れているのは――博士。
皇帝は壊れた魔機のように、勝手に独白を始めた。
「……皇帝は世界のために愛する息子を犠牲にした。皇帝は世界を守り、息子の死を悲しんで生きる。そうすれば私はマトンの父、リリスの夫になれる」
涙を流す瞳は、幻想の世界を映していた。
沈黙を守り、ただじっと彼を見つめる悪魔の上でドリーが叫ぶ。
「博士!」
その強い呼びかけに、博士は歯を食い縛りながら苦痛に満ちた顔を上げていく。
「――安心しな、操作は完璧。魂は切り離した。――でも、こいつが邪魔したせいで、魂がなにかに入った」
魔機の中にマトンの身体はもう無い。
ならば、なにに。
「――ドリーさん、しっかり捕まって」
言うや否や悪魔は駆け、博士をくちばしで捕えて宙へ舞い上がった。
途端、大地が震える。
魔機の置かれた祭壇に亀裂が走り、赤い閃光が漏れる。
直後、溶岩の滝が爆発した。噴火ではない。中から“なにか”を吐き出したのだ。
悪魔は熱から守る魔法をかけ、羽ばたいて“それ”から距離を取る。
溶岩の爆発から中途半端に逃れた兵士の断末魔の中、魔機の残骸の上に、“それ”は降り立った。
爬虫類を思わせる骸骨に、溶岩の肉をまとわせたもの。背から伸び広がった翼は悪魔の翼を思わせた。
叩きつけるような咆哮。空間を痺れるように震わせたそれは、他の生物全てを支配する、王者の風格を伴った。
「――あれは……ドラゴン……?」
「ただのドラゴンでは、無い。――火山の悪魔、その死骸です」
かつて世界を炎の海に変えた、赤い悪魔がそこにいた。