202X年 10月 20日(水曜日、風が冷たい)
202X年 10月 20日(水曜日、風が冷たい)
リバプール・ライム・ストリート駅。巨大な屋根の下に響く列車の轟音と人々の喧騒が、ぼくの細い糸のような意識を激しく揺さぶった。
地図に記された海沿いの駅へ行くには、ここで「キップ」というものを買わなければならない。
だが、目の前の券売機を前にして、ぼくの指先は凍りついた。
光る画面、並ぶ数字、複雑に交差する路線の図。
今朝までコーヒーを淹れ、原稿を読めたはずのぼくの知性が、ここでは全く役に立たない。
後ろには列ができ、苛立ったような溜息が聞こえてくる。
「ええと、ぼくは、あそこへ……」
ポケットから震える手でケアホームのメモを取り出すが、どのボタンを押せばいいのかがわからない。
杖が石畳を滑り、ぼくの体は情けないほどにふらついた。
作家として何万もの言葉を操ってきた男が、たった一枚の紙切れさえ手に入れられない。
視界がじわりと滲む。
「……おじいさん、どこまで行きたいの?」
不意に、横から柔らかな声がした。
見上げると、ヘッドホンを首にかけた若い男が、ぼくの顔を覗き込んでいる。
ぼくは壊れそうな宝物を差し出すように、メモと写真を彼に見せた。
「ここへ、行かなければならないんだ。ぼくの……大切な人がいる場所へ」
若者は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに優しく微笑み、魔法のような手つきで画面を叩いた。
『大丈夫、これで行けるよ。気をつけて、コーディー』
なぜ彼がぼくの名前を知っているのか。それを考える余裕もなく、ぼくは吐き出された一枚の切符を、命綱のように強く握りしめた。




