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中村理依を、私は奪った。  作者: 破月
第一章 眩しい人生
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第九話 終わらない変異

 夜と朝の境目が、少しずつ曖昧になっていった。


 理依は、目を覚ますたびにまず自分の内側を確かめるようになっていた。

胸の奥。思考の底。呼吸の隙間。そこに「自分ではない何か」が触れていないかを、半ば習慣のように探す。


 ……まだ、いる。


 確信は日ごとに強くなる。そして同時に、それを拒もうとする意識も、同じ速度で強まっていった。


 理依は、何度も心の中で言い聞かせた。


 これは私じゃない。

 勝手に入ってきたものだ。

 受け入れない。


 そう思うたびに、胸の奥でわずかな反発が起きる。

押し返されるような感覚。完全な拒絶ではなく、「そうじゃない」と静かに否定される感触。


 それが、ひどく腹立たしかった。


 考え方が変わっていくのを、理依ははっきりと感じ取っていた。

以前なら迷っていた場面で、即座に結論が出る。

感情よりも合理性が先に立つ。


 それを嫌だと思う自分と、

「それで何が悪い」と言ってくる思考が、内側でぶつかり合う。


 朝食の席で、母親が心配そうに顔を覗き込む。


「理依、最近ちゃんと寝てる?」


「……寝てるよ」


「でも、顔色がちょっと……」


「大丈夫だってば」


 声は平静を保っている。けれど返事をするまでの間に、ほんの一瞬の間が空くことを理依自身が気づいていた。そしてその間に別の答えが浮かんでいる。


 睡眠時間は足りている。

 栄養状態も問題ない。

 心配する必要はない。


 それを振り払って、「大丈夫」と言う。

その行為自体が、どこか不自然だった。


 父親も、新聞を畳みながら言う。


「学校、何かあったのか?」


「別に……」


「ならいいけど。無理はするなよ」


 無理、という言葉に、理依は一瞬だけ詰まった。

無理をしているのかどうか、自分でも分からない。


 学校でも、変化は隠しきれなくなっていた。


「理依、最近一緒に帰ってくれないよね」


 昼休み、友達が不満そうに言う。


「誘っても、すぐ断るし」


「……ごめん」


「体調悪いの?」


「そうじゃないけど……」


 言葉が続かない。

理由を説明しようとすると、喉の奥で言葉が絡まる。


 ――自分の中に、知らない誰かがいる気がする。


 そんなことを言って、信じてもらえるはずがない。


「なんかさ、雰囲気変わったよね」


「え?」


「前より……目つき、鋭くなった気がする」


 冗談めかした口調だった。

でも、その言葉は、理依の胸に深く刺さった。


 目つき。

それは、鏡の前で何度も感じていた違和感だった。


 視線が、以前よりも冷静で、距離を測るようになっている。

感情よりも先に、状況を整理する目。


 やめて。


 心の中で、強く思う。


 私は、こんなふうに見たくない。


 放課後、教室を出るときも、友達が声をかけてくる。


「今日、ゲーセン寄らない?」


「……今日はやめとく」


「また?」


「ごめん」


 理由を問われる前に、足を動かす。

逃げるように。


 廊下を歩きながら、理依は歯を食いしばった。


 違う。

 こんなの、私じゃない。


 以前の自分なら、断るにしても、もっと曖昧に笑っていた。

空気を壊さない言い方を選んでいた。


 今は、必要ないと判断したものを、切り捨てている。

その判断が、あまりにも速い。


 家に帰ると、母親が再び声をかけてきた。


「理依、最近元気ない?」


「……普通だよ」


「でも、前より話さなくなったし」


「……」


 沈黙が、答えの代わりになる。


「何かあったなら、言っていいんだから」


「分かってる」


 その言葉は本心だった。

分かっている。相談すれば、きっと心配してくれる。


 でも、言えない。


 言葉にした瞬間、

「気のせいだよ」

「疲れてるんじゃない?」

そう言われる未来が、簡単に想像できてしまう。


 それに――。


 どう説明すればいいの?


 自分でも、正確に把握できていない。分からないものを、他人に説明することはできない。


 夜、部屋に戻り、机に向かう。

スマートフォンを手に取るが、検索欄に言葉が浮かばない。


「憑依」

「意識の共有」

「自分じゃない思考」


 何度も見た言葉。

何度も読んだ体験談。


 どれも、決定的な解決策は書いていない。


 どうしたら……止められるの。


 胸の奥で、かすかな動きがある。

こちらの焦りを、感じ取っているような気配。


 来ないで。

 入らないで。


 意識的に拒絶すると、そのたびに、思考の「形」が少しだけ変わる。


 まるで、別のやり方を探されているみたいに。


 理依は、布団に潜り込み、膝を抱えた。


 私は、私のままでいたい。


 それは願いだった。

けれど、同時に、その願いがどれほど脆いものかも、理解し始めていた。


 毎日、少しずつ。確実に。


 自分の思考は、変えられている。


 拒絶しても、押し返しても、水が染み込むように内側へ広がっていく。


 誰にも言えない。

どう解決すればいいかも分からない。


 孤立感が、静かに募っていく。


 理依は、天井を見つめながら、ゆっくりと息を吐いた。


 ……まだ、負けない。


 そう思うしかなかった。


 それが今の自分にできる、唯一の抵抗だった。

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