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中村理依を、私は奪った。  作者: 破月
第一章 眩しい人生
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第八話 拒絶

 夜が明ける前、理依は目を覚ました。


 目覚ましが鳴ったわけではなかった。夢から突き放されたような感覚もない。ただ、眠りの底から、静かに意識だけが浮かび上がってきた。


 天井を見る。見慣れた模様なのに、今日は少しだけ距離がある。焦点が合うまでに、ほんの一拍かかる。


 胸の奥に、違和感があった。


 昨日まで感じていた、ぼんやりとした温度とは違う。

もっとはっきりした、位置を持った感触。そこに「ある」と言い切れてしまう重み。


……いる。


 理依は、その考えに驚かなかった。

むしろ、ようやく言葉にできたという感覚に近い。


 違和感。

 調子が悪い。

 気のせい。


 そうやって曖昧に包んできたものは、すでに限界を超えていた。

これは感覚ではない。現象だ。


 誰かが、自分の中にいる。


 声は聞こえない。

言葉もない。

でも確かに、理依ではない意識の「向き」が、内側に存在している。


 呼吸をする。

吸って、吐く。


 その動きに、ほんのわずかな遅れで、同じ形をなぞる何かがある。完全には重ならない。ただ、追いかけるように、寄り添うように。


 理依は布団の中で、指をぎゅっと握った。

――反応が、返ってきた。


 確信に近いものがあった。

偶然にしては、あまりにも感触が明確だった。


 これまでの出来事が、頭の中で静かにつながっていく。


 合理的すぎる思考。

迷いのなさ。

自分を少し外から見ているような感覚。

夜、夢に見る「知らない誰か」の日常。


 点だったものが線になり、線だったものが、形を持ちはじめる。


 理依は、ゆっくりと起き上がった。

動作を一つずつ確認するように、時間をかける。


 ――今、私が動かした。


 その感覚は、確かだった。

体が勝手に動くことはない。少なくとも、今は。


 だが、胸の奥には、確かな予感があった。眠っている間に、何かが起きている。覚えているわけではない。それでも何かが起きたという感覚だけがある。


 洗面所へ行き、鏡を見る。


 そこに映るのは、いつもと変わらない自分だ。

髪。顔。表情。


 それでも今日は、その姿が「自分だけのもの」だと、信じ切れなかった。


 ……見られてる?


 そんな考えが浮かび、理依は小さく首を振る。

被害妄想だ。そう言い聞かせる。


 けれど、否定しきれない。


 誰かが、自分を見ている。

それも、外側からではなく、内側から。


 胸に手を当てる。

心臓の鼓動。その奥。


 そこに、自分とは違うリズムが、かすかに重なっている。


 ……入り込もうとしてる。


 その考えが浮かんだ瞬間、背筋が冷えた。


 誰かが、自分の中に定着しようとしている。

すでに、足場を作りはじめている。


 これまで感じていた「合理的な思考」は、その兆候だったのだと、理依は直感した。

少しずつ、自分の判断を、選択を、書き換えようとしている。


 嫌だ。


 その感情は、はっきりしていた。


 怖いからではない。

変わること自体が悪いとも思わない。


 ――これは、私の変化じゃない。


 それだけだった。


 理依は、意識的に、考え方を変えようとした。

あえて迷う。

あえて感情を優先する。


 朝食のメニューを見て、理由もなく好きなものを選ぶ。

制服のリボンを、わざと少し歪んだままにする。


 胸の奥で、微かな圧がかかる。

「違う」という方向からの、静かな抵抗。


 ……聞かない。

 そんな意思は聞かない。


 心の中で、はっきりとそう言った。

誰に向けた言葉なのかは、考えない。


 登校中も同じだった。

頭の中では、最短ルートが示される。それを無視して、遠回りを選ぶ。


 足取りが、ほんの少し重くなる。

まるで、誰かが不満を覚えているような感触。


 やっぱり。


 確信が、強くなる。


 これは心理的な問題ではない。

気分の波でも、成長の過程でもない。


 誰かが、いる。

そして、その誰かは、理依の中に「根を下ろそう」としている。


 放課後、理依は真っ直ぐ家に帰った。                                                                                                                                                                               

友達の誘いを断り、部屋に閉じこもる。


 机に向かい、スマートフォンを手に取る。

指先が、わずかに震えている。


 調べなきゃ。


 何をどう調べればいいのか分からない。

それでも、何もしないままではいられなかった。


 検索欄に言葉を打ち込む。


「自分の中に誰かがいる感じ」

「意識が二重になる」

「知らない考えが浮かぶ」


 出てくるのは、曖昧な説明や体験談ばかりだ。

ストレス、思春期、解離。どれもそれらしく見える。


 でも、どれも決定的ではない。


 理依は、さらに調べ続けた。

スピリチュアル。

心霊現象。

憑依。


 その単語を見た瞬間、心臓が強く打った。


 ……これ?


 信じたいわけではない。

ただ、否定できなかった。


 体験談の多くは曖昧で、信憑性も低い。それでも、共通している点があった。

――最初は、違和感から始まる。


 理依は、スマートフォンを握りしめた。


 まだ、間に合うかな。


 何に間に合うのかは分からない。ただ、自分の中にいる「誰か」が、少しずつ存在感を増していることだけは、はっきりしていた。このままではいけないとなぜかわかる。


 その「誰か」が、どんな人生を生きてきたのか。

なぜここにいるのか。

何を望んでいるのか。


 理依は、まだ何も知らない。

知らないまま、自分を守ろうとしている。


 夜は、また訪れる。眠りも、必ずやってくる。


 理依は胸の奥の気配を、強く押し留めながら、必死に「中村理依」であろうとしていた。


 その努力が、すでに誰かとの綱引きになっていることを、まだ完全には理解しないまま。

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