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中村理依を、私は奪った。  作者: 破月
第一章 眩しい人生
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第三十九話 同じ場所に立つ日

 再会の日は夏の匂いがした。


 昼の太陽に焼かれたアスファルトがまだ熱を手放しきれず、駅前のロータリーからじわじわと熱が立ち上る。排気ガスの重たい匂いに遠くの売店から漂う甘さが混じり、そこへ風に運ばれた草の青さが重なる。その雑多な匂いが理依の記憶を静かに揺すった。


 改札を抜けた瞬間、視界が一気に開ける。人の波が絶え間なく行き交い、足音と声が層になって重なっている。その中で理依は思わず足を止めた。


 ……久しぶり。


 その言葉は誰に向けたものなのか、自分でも判然としなかった。高校生の時によく利用した駅、何度も地元で過ごしたこの夏、あるいはそこで過ごした今までの時間。そしてこれから会う人。すべてに向けた呟きだったのかもしれない。


 スマートフォンを確認する必要はなかった。約束の時間も、場所も、頭に入っている。それ以上に、人混みの中で自然と引き寄せられる視線があった。


 恒一は少し離れた場所に立っていた。


 最初に感じたのは、背が伸びたように見える、という印象だった。実際の身長は大きく変わっていないはずなのに、立ち方が違う気がする。肩の力が抜け、けれど地面にしっかりと足を下ろしている。自分の居場所を無意識のうちに肯定しているような佇まいだった。


 髪は整えられ、服装も以前より落ち着いている。流行に流されすぎず、それでいて無頓着でもない。その変化は誰かに見せるためというより、自分自身と折り合いをつけた結果のように見えた。


 ……変わった。

 眩しいな。


 胸の奥が少しだけ締めつけられる。寂しさではない。ただ、時間が確かに流れ、二人がそれぞれの場所で生きてきたという事実を突きつけられた気がした。


 けれど歩き方は変わっていなかった。人の流れを気にしながら、視線を落ち着きなく動かし、それでもどこかで誰かを探している。その癖は昔と同じだった。


 目が合う。


 ほんの一瞬、周囲の音が遠のく。アナウンスも、雑踏も、膜一枚向こう側に追いやられたように感じた。


 互いに一瞬動けなくなる。


 名前を呼ぶでもなく、手を振るでもなく、ただ相手がここにいるという事実を無言で確かめ合う時間。短いはずなのに心臓の鼓動だけがやけに大きく聞こえた。


 やがて、どちらからともなく歩き出す。


「……久しぶり」


 恒一の声は以前より少し低くなっていた。それでも理依には彼のものだとすぐ分かる声。好きな声だった。


「うん。久しぶり」


 理依は自然に笑っていた。作ろうとしなくても表情が緩む。声を聞いた瞬間、胸の奥に溜まっていた緊張が解け、距離が一気に縮まる。


 ……ああ。

 ここにいる。

 恒一と同じ場所にいる。


 その当たり前の事実がどうしてこんなにも心を満たすのか、理依自身にも説明できなかった。


「……元気そうだね」


 恒一は理依の顔をじっと見て言う。


「そっちも」


 短い言葉。でもその中には、無事でよかった、会えてよかったという感情が余計な装飾なしに込められていた。


 二人は並んで歩き出す。駅前の大通りを外れ、人通りの少ない道へ。靴底がアスファルトを踏む音が自然と同じリズムになる。


 沈黙があっても、不安にならない。言葉を探さなくてもいい。ただ同じ方向に歩いているだけで、心が落ち着いていく。


「……前より」


 恒一が口を開く。


「雰囲気、変わった?」


 理依は少し考えてから答える。


「……そうかも。大学で、色んな人に会って。自分のこと、ちゃんと考えるようになったから」


 言葉にしながら自分でも驚くほど素直だった。


 恒一がゆっくり頷く。


「俺も。前より、人と話せるようになったかも」


 少し間を置いてから、付け足す。


「……理依のおかげだ」


 理依は首を振る。


「違う。恒一が自分で広げたんだよ」


 他人の変化を自分の手柄にはしない。彼の変化は彼自身の努力によってもたらされたものだから。彼自身がすごいのだ。


 恒一は少し照れたように笑い、視線を逸らす。


 照れ隠しがちょっと可愛い。


 公園に着きベンチに腰掛ける。蝉の声が響き、熱を帯びた空気が木の枝を揺らしていく。こんな時は木陰で風鈴の音を聴きたいものだ。


「……喧嘩したとき」


 不意に恒一が言う。


「正直、怖かった。本当にもう、終わるんじゃないかって」


 理依はすぐには答えなかった。連絡が途切れ、互いに距離を取っていた時間を思い出す。


「私も」


 静かに言う。


 このまま別れるかもしれないと思うと怖かった。

 恒一に強い言葉を言ってしまったことを後悔していた。

 自分の正しさを押し付けたことが嫌だった。


「でも」


 一拍置いて。


「逃げなかった。それだけで、全然違うと思う」


 恒一はまっすぐ理依を見る。


「……ちゃんと、戻ってきたね」


「うん」


「恒一も」


 二人は同時に笑った。その笑いは高校の頃よりも穏やかで、肩の力が抜けていた。


「……なあ」


 恒一が言う。


「これからも、離れる時間はあると思う。忙しいし。すれ違うことも、きっとある」


 理依は頷く。


「うん」


「でも」


 恒一は続ける。


「戻るって、分かってたら、大丈夫な気がする」


 その言葉が理依の胸に静かに染み込む。


「……私も」


 二人の手が、自然に近づく。今度はためらいはなかった。


 指先が触れ、ゆっくりと指が絡む。互いの手の温度と形を確かめ合うように、しっかりと結ばれる。

離れないためではない。縛るためでもない。


 ただ、この人がここにいること。自分がここにいること。その両方が大切だと、言葉にせず伝え合うための動作だった。


 ……必要としてる。

 でも、依存じゃない。


 その違いがはっきりと分かる。

二人の時間が何よりも幸せだ。


 夕方、空が少し赤く染まる。


「……帰ろうか」


「うん」


 指を絡めたまま、二人は立ち上がる。


 同じ場所、同じ時間。それぞれが自分の足で立っている。

だからこそ、こうして手を取り合える。


 理依は胸の奥で静かに思う。


 ……私は。

 ちゃんと、選び続けてる。


 過去も。今も。そして、この人といることも。

そこに無視できない胸の痛みがあっても。


 再会はゴールじゃない。

また一緒に歩くための、確かな確認だった。


 二人は絡めた指をほどくことなく、同じ夕暮れの中へ並んで進んでいった。

 50話ちょっとくらいで完結の予定です。

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