表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
中村理依を、私は奪った。  作者: 破月
第一章 眩しい人生
37/52

第三十七話 かけられない番号

 謝ろうと決めたはずなのに、気づけば数日が経っていた。


 理依はスマートフォンを手に取っては、置いた。それを何度も繰り返した。

画面に表示された「黒川恒一」の名前をまるで触れたら壊れてしまうものみたいに、何度も見つめる。


 ……今、電話したら。

 また、同じ言い方をしてしまうかもしれない。


 喉の奥が、きゅっと詰まる。

言葉を選ぼうとすればするほど「正しい言葉」を探してしまう自分がいる。


 ……違う。

 正しさじゃ、ない。


 それでも怖かった。

好きだから。失いたくないから。


 失いたくないという気持ちが強いほど、一歩踏み出す足は重くなる。


 夜の部屋は静かだった。

電気を落とすと、カーテンの隙間から街灯の光が細く伸びる。


 ベッドに腰を下ろし、スマートフォンを膝の上に置く。


 胸の奥で心臓が落ち着かない速さで打っている。


 ……私。

 ちゃんと、気持ちで話せる?


 颯馬の思考が、慎重にブレーキをかける。


 ――感情が整理できていない。

 ――今は危険だ。


 理依の感性もそれを分かっている。

分かっているからこそ、迷ってしまう。


 ……怖い。


 そのときスマートフォンが震えた。


 着信。


 画面には、見慣れない番号。


 一瞬、身構える。

でも思い出してみれば懐かしい番号だった。少しだけ躊躇してから、通話ボタンを押す。


「……もしもし」


『理依ちゃん?』


 耳に届いた声に、胸の奥がふっと緩む。


 颯馬の母だった。

そういえば最近は忙しすぎて話していなかった気がする。


「……こんばんは」


 声が思ったより小さくなる。


『急にごめんね。今、大丈夫?』


「はい……大丈夫です」


『よかった』


 電話の向こうで、あたたかい空気が動くのが分かる。


『最近ね、なんだかお話ししてないなって思って。理依ちゃん、無理してない?』


 理依は言葉に詰まった。


 ……どうして。

 どうして、分かるんだろう。


『声、少し疲れてるわよ』


 その一言で、堰が切れたみたいに胸の奥がじんわり痛くなる。


「……少し、色々あって」


『うん。話せるなら聞くわ』


 押しつけない声。

答えを急かさない間。


 理依は深く息を吸った。


「……喧嘩、しちゃって」


『あら』


 驚きよりも理解の音が混じった返事。


「私……前に進みたくて。ちゃんと生きたくて。でも、それを……否定されたみたいに感じて」


 声が、少し震える。


「本当は、ただ。恒一の隣に、立っていたかっただけなのに」


『……うん』


 母は遮らない。


「置いていかれてる、って言われて。私、そんなつもり、なかったのに。一緒に歩いてるつもりだったのに」


 言葉がほどけるように出てくる。


『苦しかったのね』


 その一言が、理依の胸にまっすぐ届く。


『理依ちゃん。人ってね、強くなったって自覚したときほど。周りが見えなくなることあるの。悪気はなくても、前に進む音が大きくなるのよ』


 理依は目を閉じる。


『でもね』


 少し、声が柔らぐ。


『気づいて、立ち止まれるなら。それはちゃんと大事にしてる証拠。誰かの隣に、戻ろうとしてる証拠』


 胸の奥で張り詰めていたものがゆっくりほどけていく。


『颯馬もね』


 その名前に、理依の指がきゅっとスマートフォンを握る。


『同じだった。強くなろうとして。一人で全部背負って。気づいたら、誰もいなくなってた』


 静かな告白。


『あの子、きっと後悔してたわ。もっと、ちゃんと話せばよかったって今でも思う。でも、怖かったのよ。自分の言葉であの子をもっと傷つけるのが。昔から些細なことで落ち込んで追い込んじゃったことがあったから』


 理依の胸が、じん、と鳴る。


『理依ちゃん。あなたは、もう気づいてる。それだけで颯馬よりずっと前にいる』


 涙がにじむ。


「……ありがとうございます」


 声がかすれる。


『無理に強くならなくていい。あなたは、あなたの人生を生きなさい。それで、誰かと一緒にいたいなら、ちゃんと言えばいいの』


 通話が終わったあと、しばらく理依は動けなかった。


 部屋の静けさがさっきより優しく感じる。


 ……戻ろうとするなら。

 それで、いい。


 少しして今度は自分から理依の実家に電話をかけた。


「もしもし」


『理依?』


 母の声。


「……ちょっと、話したくて」


『いいよ。どうしたの?』


「……喧嘩、しちゃって」


『あら』


 声に、少し笑いが混じる。


『それで落ち込んでる顔してるんでしょ』


「……分かるんだ」


『分かるよ。あんた、そういうときは必ず声が小さくなる』


 思わず、笑ってしまう。


『理依。謝るってね。上手に言うことじゃない。一緒にいたかったって、伝えること。それで十分なときもあるの』


 後ろから、父の声。


『逃げなかったら、それでいい』


 その言葉が、胸の奥に静かに沈む。


 通話を切ったあと、理依はスマートフォンを見つめた。


 まだ、少し怖い。

でも。


 ……私は。

 もう独りじゃない。


 颯馬の心が生んだ棘は、日々痛みを強めている。


 でもそれはきっと自分を止めるためじゃない。

考えて、向き合うための痛みだ。


 理依は深く息を吸い、黒川恒一の名前をタップする。

呼び出し音が鳴る。


 心臓もそれに合わせて強く脈を打った。


 ……大丈夫。

 隣に立ちたいって。

 それだけ、伝えよう。


 呼び出し音の向こうで誰かが出る気配がした。


 物語はもう一度同じ場所に立つために、ゆっくりと動き出していく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ