第5話 彼女がコルセットを外したら
「ちょ、やっぱスパイクはいてくるわ」
心臓の鼓動が早くなるのと顔が熱くなるのを感じながら、おれは茂みに隠していたスパイクを取りにいった。一旦スパイクをはき、胸に手を当て目を閉じる。そしてそのまま深く深呼吸をする。試合前におれがいつもやるルーティンだ。冷静になってみるとおれは一体何をやってるんだか、と思う。ここは素直にセクハラ行為を謝罪し、この件はもう忘れよう。おれは頭をぽりぽりと掻きながら桜内さんの方へと戻った。
「いやぁ~ごめんごめん。なんか変なこと言っちゃって。よく考えたらめっちゃセクハラだよね」
出来れば穏便にと彼女に笑顔を向けたが、それとは正反対に桜内さんは真剣な表情をしていた。
「あの!私の話を聞いてもらえますか?」
「えっと……話というのは?」
「鶴田君が見たのは本物です」
「本物?」
「あっ、本物っていうか本当っていうか……その、私の胸……」
彼女はもじもじと下を向いた。そして「ちょっと待っててください」と言うと、カバンを置いて後ろを向き、両手を制服の中に入れてガサゴソとし始めた。しばらくして彼女が制服の中から引っ張り出したのはやはりコルセットだった。そしてそれをきちんと折り畳むと、まるで恥ずかしさを隠すように勢いよく振り返った。
後ろで束ねた美しい黒髪が、彼女の動きに合わせながらふわりと胸元に着地する。さらりと前に流れたその髪は、彼女の胸の隆起を強調するように滑らかな曲線を描いた。
「で……」
でかい――。という言葉が喉元まで出かかったがなんとか堪えた。小柄な彼女からは想像出来ないくらいの大きさだ。比率としてはそこそこ身長もある秋野よりも大きいのかもしれない。
「で……出るとこ出てるんですね」
「……あまりじっくり見ないでください」
彼女は両手でスカートを握りしめながら俯いた。自分から出しておいてそれは理不尽では?と思ってしまったが、確かにジロジロ見るのは失礼だ。
「ごめん。それで……なんでその、巨乳?を隠してんの?もしかして秋野に言われてとか?」
おれはさっき聞いた二人の会話を思い出していた。確か秋野が「いつも通り目立つな」とかなんとか言っていた。桜内さんは無言でコクリと頷いた。
だがなぜ秋野はそんなことを桜内さんに命令しているのか?学校一の巨乳の座がそんなに大事なんだろうか?そもそもの話、なぜ桜内さんは秋野の指示に従っているのだろうか?
「小桃ちゃんと私は異母姉妹なんです」
「はいぃ?」
思わず声が裏返ってしまった。異母姉妹とはつまり……異母な姉妹だよな。
「あまり詳しくは話せませんが、私の母がその……小桃ちゃんのお父さんの愛人だったんです。いろいろあって、私は昔から小桃ちゃんに恨まれてるんです」
「ちょ、待って!めっちゃ端折られてるけど、それでも情報量が多い!」
こう見えてもおれは戦術の理解度はチーム随一だと評価されてる。そんなクレバーなおれの頭が今や完全にパニくっている。ここは一旦落ち着いて話を整理する必要がある。
「つまりこういうこと?異母姉妹である二人は昔からの確執があります。そんで桜内さんが巨乳であることが判明すると男共が食いついてきてちやほやしてきます。そんな男にもてもての桜内さんを見るのが秋野は嫌だ、ということなんかな?」
「たぶんそんな感じです。すみません、説明が下手で」
「いや、なんとなくは伝わってたよ。ただ分からないのは、なんで桜内さんは秋野の言う事に従ってんの?さっきもかなり一方的に言われてた感じだったけど」
「実は……うちの母は昔から体が弱くて、何度も入退院を繰り返してるんです。それでなかなか働きに出れなくて。それで小桃ちゃんのお父さん、秋野さんから経済的に援助してもらってるんです。小桃ちゃんにはいつもその事を責められて……」
「そんなの自分の子供なんだから当たり前でしょ?」
なぜかあのデカパイ女に腹が立ってきつい口調になってしまった。
「私、認知されてないんです。だから――」
「だからって桜内さんはなんも悪くないっしょ!法律とか大人の事情とかよく分からんけんど、桜内さんが責められる理由なんてないよ!なんだぁ!あのデカパイチチデカ女は!」
おれが怒り心頭していると桜内さんはクスクスと笑いだした。
「それって小桃ちゃんのことですか?」
「おうよっ!今度桜内さんも言ってやりなよ。このチチデカが!って。あ……」
言ってから気づいたが桜内さんもチチデカの一人だった。しまったと思ったが桜内さんは相変わらず笑っていた。そして「私――」と言いかけ急に彼女が真顔になった。
「私、変わらなきゃダメだって思い始めたんです。いつまでもこそこそと目立たないようにしてちゃダメだって。たまには小桃ちゃんに歯向かってみようかって。だから本当は今日の体育の授業は普通のブラで挑もうとしてたんです。でもいつも家でつけてるブラが最近きつくなっていて……」
「お、おう」
それが朝の出来事だった訳か。まさかあのラッキースケベが、彼女が勇気を振り絞って踏み出した一歩だったとは思いもよらなかった。
桜内さんが真っすぐと前を向いた。その目は決意を秘めた力強い眼差しだった。
「私、サッカー部のマネージャーになります!」
「へぇ?」
練習はすでに始まっているようで、グラウンドの方からは「ピィー!」というホイッスルの音が何度も鳴り響いていた。




