聖剣よりも重いもの――親権闘争録
人はどこまで戦えるのか?
何を失い、何を守るのか?
この作品は、その問いへの一つの答えを描こうとする試みです。
どうか読者の皆様の心に、少しでも灯りが残れば幸いです。
それでは、勇者のもう一つの戦いを見届けてください。
第三者機関であるギルドの貸し会議室。
そこは今、さながら王立魔導研究所の分室のような様相を呈していた。
机の上に広げられているのは、弁当箱や水筒ではない。
ミスリル銀の配線、高純度魔力クリスタル、竜の鱗を加工した装甲板、そして俺がダンジョンの深層で命がけで採掘してきたオリハルコンの欠片だ。
長男コウとの共同プロジェクト、『魔導ゴーレム作成計画』は、俺の予想を遥かに超える順調さで進んでいた。
「父さん、ここの関節トルクなんだけど、魔法陣の出力を1.2倍に上げても大丈夫かな?」
「ん? どれどれ……お前、ここを多重構造にしたのか。すげえな。これなら1.5倍まで耐えられるぞ」
「本当!? じゃあ、機動力が格段に上がるね!」
コウの目が輝いている。
学校に行けず、家に引きこもっていた少年の顔ではない。知的好奇心と創造の喜びに満ちた、未来の魔導エンジニアの顔だ。
俺たちは「ガラクタ」作りを通して、確かに繋がっていた。
フレアが支配するあの家では決して許されない、非生産的で、けれど何よりも生産的な時間。
このゴーレムが完成に近づくにつれ、コウの心も少しずつ修復されているような気がする。
だが、今日の面会交流はこれだけではない。
俺は弁護士のライン先生を通じて、特例措置として「屋外での活動」を申請し、許可をもぎ取っていた。
場所はギルドの裏手にある、広大な芝生広場だ。
監視員が目を光らせているという条件付きだが、狭い会議室に閉じ込められているよりはずっといい。
「うおぉぉぉぉ!! 父さん、待てぇぇぇ!!」
「ははは! 追いついてみろライト!」
秋晴れの空の下、俺は次男のライトと全力で追いかけっこをしていた。
ライトは8歳。やんちゃ盛りだ。
その身体能力は、正直に言って異常だ。見た目は母親であるフレアに似て、金髪碧眼の整った顔立ちをしている。将来は間違いなく女泣かせのイケメンになるだろう。
だが、その中身――スタミナと筋肉の質に関しては、完全に俺の遺伝子を継いでいた。 「勇者の息子」という二つ名は伊達じゃない。
普通の子供なら10分でバテるような全力疾走を、こいつは平気で1時間続ける。無尽蔵のスタミナだ。
「速いなライト! またタイムが縮んだんじゃないか?」
「へへへ、父さんこそ! やっぱり勇者は速いね!」
息を切らせて芝生に転がり込むライト。
その額には玉のような汗が浮かんでいる。
俺はタオルで息子の汗を拭ってやりながら、愛おしさが込み上げてくるのを感じた。 こんなに元気なのに。
家では、このエネルギーを発散する場所がないのだろう。
フレアは「品がない」「服が汚れる」「汗臭い」と言って、ライトが外で走り回るのを嫌がる。彼女にとっての理想の息子は、部屋でおとなしく本を読んでいる人形のような存在だからだ。ライトにとって、あの家は檻と同じだ。
「じいじ、ばあば! 見てて、逆上がりするよ!」
「おお、すごいすごい! ライトくんは天才じゃのう!」
「怪我しないようにねぇ。あ、エマちゃん、お鼻が出てるわよ」
ベンチの方では、俺の両親――子供たちにとっては祖父母にあたる二人が、孫たちの相手をしてくれていた。
今回の面会には、両親にも協力をお願いした。
月1回、たった数時間の面会だ。
コウとはゴーレムの話をしたい。ライトとは体を動かしたい。エマとはおままごとをしてあげたい。
だが、俺の体は一つしかない。3人の子供たち全員に、平等に、かつ十全な愛情を注ぐには、物理的に時間が足りなさすぎるのだ。
だから、情けない話だが、実家の親に頼み込んで来てもらった。
両親は快諾してくれた。「孫に会わせてもらえないなんて、あっちの母親は何を考えてるんだ」と憤りつつも、今日の再会を心待ちにしてくれていた。
エマが母さんの膝の上で甘えている。
コウは父さんにゴーレムの設計図を得意げに見せている。
ライトは俺の背中におぶさっている。ああ、なんて幸せな光景だろう。これが「家族」だ。俺が守りたかった、俺が築きたかった景色は、これだったんだ。120万ゴールドの養育費を払って、監視員に睨まれながら、月1回だけ許されるレンタル家族ごっこ。 悔しくて、涙が出そうになる。俺はライトを背負ったまま、空を見上げた。こんな時間が、ずっと続けばいいのに。
◇◇
楽しい時間は残酷なほど早く過ぎ去る。日が傾き、広場に夕闇が迫る頃、監視員が「終了10分前です」と告げた。その瞬間、ライトの体がビクリと強張ったのを、背中の感触で感じ取った。さっきまでの明るい笑い声が消える。
「……帰りたくない」
ライトが俺の首に腕を回し、耳元でボソリと呟いた。
「ライト……?」
「……家にいたくない。お家、息が苦しいの」
8歳の子供が口にするには、あまりにも重たい言葉だった。
俺はライトを地面に下ろし、目線を合わせてしゃがみ込んだ。
「どうした? 家で何かあったのか?」
「ママ、ずっとスマホ見てる。僕たちが話しかけると『うるさい』って怒るの。……でね、たまにニコニコしてる時は、知らない男の人と電話してる時だけ」
ロイドか。まだ続いてやがるのか。
いや、接触禁止の誓約書を書かせたはずだが、抜け道を使っているのか、あるいは新しい男か。
どちらにせよ、子供の前で母親失格の振る舞いをしていることに変わりはない。
「じいじにね、さっき言ったの」
「父さんに?」
「うん。『ショートステイに行ってる時の方が、心が休まる』って」
俺は言葉を失った。自宅よりも、他人(施設)の方が落ち着く?
それはもう、家庭崩壊なんてレベルじゃない。ネグレクト(育児放棄)の域に達している。
「できれば、お父さんの所に泊まりたい。……ねえ、父さん。僕、父さんの子供だよね? なんで一緒に住んじゃダメなの?」
ライトの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
胸をナイフで抉られたような痛みが走る。なんで。その問いに、俺はどう答えればいい? 「法律がそう決めたから」か?そんな理屈、子供に通じるわけがない。
「……ごめんな。今はまだ、ダメなんだ。でも、父さんは絶対に諦めないから。必ず、みんなと一緒に暮らせるようにするから」
俺はライトを力いっぱい抱きしめることしかできなかった。無力だ。世界を救う力を持っていても、目の前の泣いている息子一人、連れて帰ることすらできない。
◇◇
引き渡しの時間。迎えに来たフレアの待つ馬車へ、子供たちを送り届ける。フレアは馬車から降りようともせず、窓から冷ややかな視線を送ってきた。俺の両親への挨拶もない。完全に無視だ。
「ほら、早く乗りなさい。汚い服ね……帰ったら即お風呂よ」
「……ママ」
馬車に乗り込もうとしたライトが、足を止めた。そして、勇気を振り絞るように、小さな背中を震わせながら言った。
「僕……今日は、パパの所に泊まりたい」
「は?」
「帰りたくない。パパと、じいじとばあばと、もっと遊びたい!」
一瞬の静寂。そして。
「キィィィィィヤァァァァァァッ!!」
鼓膜をつんざくような、ヒステリックな悲鳴が響いた。フレアだ。言葉ではない。ただの感情の爆発音。彼女は鬼の形相で馬車のドアを開けると、ライトの腕を乱暴に掴み、中へと引きずり込んだ。
「いい加減にしなさいッ! 誰のおかげでご飯が食べられると思ってるの! パパに何を吹き込まれたの!? この裏切り者ッ!」
「痛い! ママ痛いよ!」
「おいフレア! 乱暴にするな!」
俺が駆け寄ろうとした瞬間、馬車のドアが激しい音を立てて閉められた。同時に、馬車全体が紫色の結界に包まれる。拒絶。完全なる拒絶だ。
「パパぁー!」
窓越しにライトが手を伸ばすのが見えた。だが、馬車は無情にも走り去っていく。俺は呆然と立ち尽くしていた。嫌な予感がした。あの悲鳴。あの目。プライドの高いフレアにとって、子供が自分より夫を選んだという事実は、許しがたい屈辱だったはずだ。その怒りの矛先が、ライトに向かわなければいいが。俺は祈るような気持ちで、遠ざかる馬車を見送った。
◇◇
それから一週間後。俺は不安を抱えながらも、次の裁判に向けた資料作成と、コウのためのゴーレム部品の調達に奔走していた。そんなある日、俺の元に一通の封書が届いた。 差出人は『王立冒険者ギルド・共済保険組合』俺は家族全員分の医療保険に加入しており、その契約者は俺(世帯主)のままだ。家族が病院で魔法治療を受けた場合、高額な治療費の請求や内容照会が、契約者である俺の元に届くシステムになっている。
「……誰か病気でもしたのか?」
風邪か、それとも怪我か。俺はペーパーナイフで封を開け、中身を確認した。そこに記されていた文字を見た瞬間、俺の心臓が凍りついた。
【医療費給付に関する照会】
患者氏名:ライト・パレスアイランド(8歳)
受診医療機関:王都中央治癒院(救急搬送)
傷病名:全身重度熱傷(魔法痕あり)
原因:高位雷属性魔法による放電現象との接触
受診日:〇月×日(面会交流の一週間後)
「……は?」
全身、重度熱傷?雷属性魔法?手が震えた。紙を持つ指先に力が入らず、通知書が床に落ちそうになる。日付を見る。面会交流の日から、ちょうど一週間後だ。つまり、あの馬車で連れ去られた日ではない。その後、自宅で生活している間に起きた事故、あるいは――事件だ。
家庭内での事故?いや、高位の雷魔法なんて、一般家庭のコンセントから出るものじゃない。そもそも、オール電化ならぬオール魔力化されている今の住宅で、子供が感電して全身火傷なんてあり得ない。誰かが、意図的に魔法を放たない限り。
俺の脳裏に、あの日のフレアの悲鳴と、ライトに向けられた紫電の威嚇が蘇る。まさか。まさか、やったのか?自分の腹を痛めて産んだ子を?ただ「パパと泊まりたい」と言っただけの子を?
怒りで目の前が真っ赤に染まりそうになった時、タイミングを見計らったように、もう一通の通知が届いた。今度は魔導ファックスだ。送信元は、フレアの代理人を務める弁護士事務所。
印字された文字は、俺の理性を完全に粉砕するものだった。
【通知書】
前略
当職は、フレア・パレスアイランド氏の代理人として、以下の通り通知致します。 1.次男ライト君に対する今後の面会交流については、当面の間、全面的に中止と致します。
2.理由として、前回の面会交流時において、貴殿(エンライト氏)による虐待行為が強く疑われるためです。
3.別紙の診断書をご参照ください。ライト君は面会から帰宅後、体調不良を訴え、医師の診察を受けたところ、雷魔法による火傷が確認されました。
4.子供の証言によれば、「パパと遊んでいる時に痛いことをされた」とのことです。
俺は、あまりの衝撃に言葉を失った。
冤罪。
捏造。
責任転嫁。
そんな生易しい言葉では表現できない、悪魔の所業だ。
自分がやった虐待を、俺のせいにしているのか?
しかも、「面会中にやられた」ことにして?
ふざけるな。
絶対にあり得ない。なぜなら――
「……俺は、『聖属性』と『無属性』の勇者だぞ……!!」
誰もいない部屋で、俺は呻くように吐き捨てた。俺の適性属性に、雷はない。剣に雷を纏わせる魔法剣は使えるが、それは武器のエンチャント効果であって、俺自身が放電して人を焼くような魔法は使えないし、使ったこともない。対して、フレアは?元宮廷魔術師長。専門は『殲滅系攻撃魔法』得意属性は――『雷』だ。
状況証拠は真っ黒だ。自分がカッとなって子供を焼き、それが病院沙汰になった途端、「夫が面会中にやった」と嘘をついて、自分の罪を隠蔽しつつ、俺から面会権を奪おうとしている。一石二鳥とでも思っているのか。子供の火傷を、政治の道具に使ったのか。
許さない。もう、絶対に許さない。これは親権争いなんてレベルの話じゃない。
刑事事件だ。俺の大事な息子を傷つけ、あまつさえその罪を父親になすりつけようとしたその性根。魔王よりも邪悪で、スライムよりも腐りきっている。




