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世界は救えても、家庭は救えない?〜勇者(3児の父)、親権獲得のために魔王討伐の合間に家庭裁判所へ通う〜  作者: 斉宮 柴野


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3/7

勇者の慈悲は、法廷では仇となる

 不倫、連れ去り、家庭裁判所。

ファンタジーのような異世界よりも、現実社会の方がよほど理不尽で、

どんな魔物よりも人間の方が残酷な場合がある。

それでも主人公は戦う。

世界のためではなく、子供たちのために。


 この物語は、剣と魔法の冒険譚であり、

同時に「家族を守るために壊れた男」の記録でもある。


どうか、彼の戦いを見届けてほしい。

妻の不貞という、世界崩壊レベルの衝撃的事実を知ってしまったあの夜から、俺の人生は二つの異なる戦場に引き裂かれることになった。


一つは、人類の命運を懸けた魔王軍との最前線。

そしてもう一つは、証拠集めという名の、家庭内における陰湿極まりない「冷戦」だ。  


勇者としての業務をこなしながら、帰宅すれば裏切り者の妻と顔を合わせ、笑顔の仮面を貼り付けて「おかえり」と言われるたびに胃液が逆流しそうになるのを堪える日々。

これは精神修行か何かだろうか。魔王の精神攻撃の方がまだ可愛げがあると思えてくるから不思議だ。


 俺は、勇者として培ってきたスキルを、本来あるべきではない方向へフル活用することにした。

ダンジョンで情報を集めるための【聞き込み】スキルは、妻の周辺人物や目撃情報を洗うために使われた。酒場のマスター、道具屋の店員、ママ友ネットワークの端っこ。俺の知名度と人当たりの良さを利用して、外堀を少しずつ、確実に埋めていく。


敵の拠点に潜入するための【隠密】スキルは、妻の行動確認に使われた。尾行なんて趣味の悪いことはしたくないが、背に腹は代えられない。


そして、念には念を入れて、デジタルな証拠保全も行った。  


妻が寝静まった深夜、俺は再び彼女のスマホにアクセスし、あの吐き気を催すようなロイドとのやり取り、ハートマークが飛び交うトーク履歴、不貞の動かぬ証拠となる画像データを、全て俺の魔導端末へと転送し、保存した。クラウドストレージと物理メモリのダブルバックアップだ。


夫婦の間でこんなスパイまがいのことをするのは、正直に言って気が引けた。罪悪感で胸が押しつぶされそうになった。俺は世界一最低な夫かもしれないと、自己嫌悪で枕を濡らした夜もある。  


だが、相手は「そんな事実はない」「あなたの妄想だ」と平気で嘘をつく可能性がある。言い逃れをさせないためには、これしか武器がなかったのだ。


 証拠は揃った。




 俺は、動くことにした。



 


 王都の一等地に構える、とある商会の応接室。  


最高級の革張りソファに、ふかふかの絨毯。本来なら商談に使われるこの部屋の空気は、今、氷点下まで凍りついている。


俺の目の前で、不倫相手であるロイドが、借りてきた猫どころか、スライムに消化されかけたゴブリンのように青ざめて震えていた。


ロイドの上司である商会の社長も同席している。

実はこの社長、俺が過去に街道で魔獣の群れから商隊を救った縁があり、それ以来俺の熱烈なファンを公言してくれている人物だ。今回の事情を話したところ、「恩人の家庭を壊すとは何事か!」と激怒し、即座にこの場をセッティングしてくれたのだ。


「ロイド君。君を法的に訴えて、社会的地位を奪ったり、慰謝料で破産させたりするつもりはない」


 俺は努めて冷静に、感情を押し殺して切り出した。  


怒鳴り散らしたい衝動はあった。殴り飛ばしてやりたい気持ちもあった。だが、それでは俺が悪者になってしまう。ここは「大人の対応」を見せるターンだ。


「だが、今回の件は明らかに不適切だ。私は勇者としての活動の傍ら、実は『児童福祉司』の資格を取得し、実務経験も積んでいる。だからこそ分かるが、児童福祉サービスの提供者が、利用者の保護者と私的な関係を持つなど、職業倫理として絶対にあってはならないことだ。これは福祉そのものへの裏切りであり、決して看過できない」


 ロイドが驚愕に目を見開いた。そう、俺はただの筋肉ダルマではない。冒険者や勇者という職業は、明日をも知れぬ不安定な商売だ。怪我をして引退したら無職、なんてことになりかねない。だから俺は、若い頃に必死に勉強して、福祉系の国家資格を取得していたのだ。手に職をつけたかったし、何より戦災孤児たちの支援をしたかったからだ。


その資格と知識が、まさかこんな形で、妻の間男を追い詰めるために使われるとは夢にも思わなかったが。


 正論という名の刃と、社長からの無言の圧力。


逃げ場を失ったロイドは、完全に萎縮していた。額から滝のような汗を流し、唇をわななかせている。


「も、申し訳ありませんでしたぁぁッ!!」


 ロイドは床に頭を擦り付けんばかりに土下座した。

俺は彼を見下ろしながら、事前に作成していた誓約書を提示し、以下の条件を飲ませた。  一つ、妻フレアとの不貞行為の事実を認め、自白すること。

これは万が一裁判になった時のために、魔導録音機でバッチリ記録済みだ。

二つ、妻フレアとの関係を即刻解消すること。

三つ、今後、一切俺たち家族に近づかないこと。連絡も取らないこと。これを破った場合の違約金条項もしっかりと盛り込んである。


 俺は、彼を許したつもりだった。

まだ若い彼から職を奪い、社会的に抹殺するのは忍びないという温情もあった。社長には「クビにはしないでやってくれ」と頼んでおいた。

何より、事を荒立てて、子供たちが「ママが浮気した」なんて事実を知ったら、どれほど傷つくだろうか。それを避けたかった。

この誓約書があれば、ロイドも懲りるだろうし、フレアも目を覚ましてくれるだろう。  「バカなことをした」と反省し、また元の家族に戻れるかもしれない。




俺は本気でそう信じていた。




 ――だが、俺は知らなかったのだ。  ダンジョンの奥深くに潜む凶悪なモンスターよりも、自己正当化に走る人間の方が、よほどタチが悪く、話が通じないということを。




「よくも私のロイド君を脅したわねッ!!」


 その日の夜。遠征の準備を終えて帰宅した俺を出迎えたのは、「おかえり」の言葉ではなく、フレアのヒステリックな怒号だった。リビングに入ると、そこは戦場のような有様だった。家具が乱れ、床には様々な物が散乱している。そして玄関ホールには、俺の荷物ではなく、彼女と子供たちの荷物が山のように積み上げられていた。


「は……?」


 俺は呆然と立ち尽くした。思考が追いつかない。ロイドのやつ、舌の根も乾かないうちに、フレアに全部喋ったのか?


「勇者に脅された、怖い、無理やり書かされた」とでも泣きついたのか?あれほど「近づくな」と念を押したのに、即座に連絡を取ったのか?


「脅すって……俺はただ、事実を確認して、もう会わないように約束してもらっただけで……」

「それを脅迫って言うのよ! 権力を笠に着て、弱い者いじめをして楽しい!? 最低ね!」


 話が噛み合わない。彼女の中では、俺が悪の権力者で、自分たちは悲劇の恋人たちというシナリオに書き換わっているらしい。不貞をしたのはそっちなのに。


「もうやってられないわ! あなたみたいな陰湿で、束縛が激しくて、モラハラな男とは暮らせない! 出て行きます!」


 フレアが叫ぶと同時に、積み上げられた荷物がふわりと浮き上がった。浮遊魔法だ。  彼女は子供たちの手を強引に引いている。


「お、おい待て!子供たちはどうするんだ!学校はどうする!明日はコウのテストがあるんだぞ!」

「私が連れて行くに決まってるでしょ!あなたみたいな仕事人間の『不在父』に、子供は渡せません!あなたに育児ができるわけないじゃない!」


 育児?俺が全部やってたんだが?俺が作った弁当を食べて、俺が送迎して、俺が寝かしつけてたんだが?

言いたいことは山ほどあったが、喉で詰まって声にならない。

外には、既に馬車が待機していた。おそらくロイドの手配だろう。用意周到すぎる。


「パパぁー!!やだぁ!」

「父さん!どこ行くの!?」


 次男のライトと長男のコウが泣き叫ぶ。

だが、長女のエマだけは、妙に冷めた目で俺を見ていた。フレアに抱きかかえられながら、無表情で手を振る。


「バイバイ。ママが『パパは敵だ』って言ってた」


 洗脳済みか。背筋が凍るような感覚を覚えた。子供たちが馬車に押し込まれていく。  俺は必死に追いかけようと走り出した。


「待て!行くな!フレア!!」


 俺の手がフレアの肩に触れようとした瞬間、バチィッ!と激しい衝撃が走った。目の前に透明な壁が出現し、俺の体を弾き飛ばしたのだ。


「ぐわっ!?」

「ふん、無駄よ。これは私が独自に開発した【対勇者用絶対遮断結界】あなたの聖剣の波長と、身体能力を完全に無効化するように調整してあるわ。力ずくで解決しようとする脳筋には、お似合いね」


 フレアは冷酷に言い放ち、馬車に乗り込んだ。

俺の弱点を知り尽くした、妻だからこそ作れる完璧なメタ魔法。

俺は結界を叩き続けたが、ビクともしない。

馬車の車輪が回り出し、遠ざかっていく。

泣き叫ぶ子供たちの声が、夜の闇に消えていく。

俺はただ、自分の無力さを噛み締めながら、その後ろ姿を見送ることしかできなかった。




 翌日、俺はすぐに司法に訴えた。裁判所に申し立てを行ったのだ。


「子供の連れ去りだ! 誘拐だ! 違法行為だ!」と主張した。

俺には親権がある。同意なく連れ去るなんて許されるはずがない。正義は我にあり、だ。  だが、返ってきた答えは、俺の常識を粉々に打ち砕く絶望的なものだった。


『勇者様……落ち着いて聞いてください。この国の法律では、別居時に子供を連れて行った方が、その後の親権争いにおいて圧倒的に有利になるのです』



『これを「継続性の原則」と言います。「現状、子供の面倒を見ている親の環境を変えるべきではない」という理屈です。つまり、先に実力行使で子供を確保し、自分の支配下に置いた方が勝つ。いわゆる連れ去り勝ちというやつでして……』


「なんだそのクソ仕様は!?」


 俺は思わず机を叩いた。

やったもん勝ち?ルール無用のバトルロイヤルか?ここは法治国家じゃなかったのか?


「じゃあ何か、俺が今から魔王軍並みの武力でフレアの実家を襲撃して、子供を奪還してくれば、俺の勝ちになるのか?」


『いえ、それをやると「未成年者略取誘拐罪」で勇者様が逮捕されます』


「なんでだよ!! あっちがやるのは合法で、こっちがやるのは違法なのか!?」


『先に連れて行った方は「避難」と見なされ、取り返しに行く方は「連れ去り」と見なされることが多いのです。理不尽ですが、これが今の実務運用です』


 目の前が真っ暗になった。さらに追い打ちは続く。これからの生活費と、弁護士費用を下ろそうとギルド銀行の窓口に行った時のことだ。


「……え?」


 俺は通帳を見て固まった。残高の欄に、数字がない。いや、ある。「0」という数字が一つだけ。


「あの、すいません。これ、機械の故障ですか? 桁が七つくらい足りないんですけど」 「あ、エンライト様」


 窓口の女性職員が、気まずそうに言った。


「奥様……いえ、フレア様が昨日、代理人カードを使って全額引き出されましたよ? 『夫から生活費として全額移動させる許可を得ている』とのことでしたが……」


 通帳の持ち逃げ。預金の横領。

しかも、俺が慌てて口座を凍結しようとした時には、既に定期預金も、子供たちのための学資積立も、全て解約されて引き出されていた。

残されたのは、来月のマンションの家賃請求書と、先月新調した聖剣のメンテナンス代、そして武器のローン請求書だけ。

俺の手元には、財布に入っていた小銭と、数枚の銀貨しかない。


 世界を救う勇者が、その日の夕食代にも困る。コンビニ(よろず屋)の弁当すら買えない。俺は震える手でスマホを取り出し、一番かけたくない相手に通信を入れた。


『もしもし、エンライト? 珍しいわね、あんたから連絡なんて』

「……もしもし、母さん……?」


 実家の母の声を聞いた瞬間、涙が溢れてきた。


「あのさ、勇者の俺が言うのもなんだけど……本当に情けない話なんだけど……」

『なによ、改まって』

「金、貸してくれないか? ……飯が、食えないんだ」


 情けなくて、惨めで、死にたくなった。

39歳にもなって、世界最強の称号を持ちながら、年金暮らしの親に金を無心する勇者なんて、歴史上俺くらいだろう。

それでも、俺は生き延びなきゃならなかった。プライドなんて犬に食わせろ。

子供たちを取り戻すためには、戦わなきゃならない。戦うためには、軍資金が必要なんだ。


※なお、この借金は後日、俺が血走った目で魔王軍幹部を乱獲し、ドロップアイテムを売りさばいて、利子をつけて完済しました。


 こうして、俺の地獄は幕を開けた。

魔王との戦いが激しさを増し、世界の命運を一方的に背負わされる一方で俺は「家庭裁判所」という、魔境よりも理不尽で、不条理が支配する迷宮も攻略しなければならなくなったのである。


「見てろよ……フレア。そしてロイド……」


 家具も家財道具も持ち去られ、ガランとした子供部屋の床に座り込み、俺は一人、誓いを立てた。

子供たちの匂いがわずかに残るこの部屋で。


「絶対に取り戻してやる!」


 たとえ世界を敵に回しても、法律を敵に回しても。


俺は、パパであることを絶対に諦めない。



魔王を倒すよりも難しいかもしれないが、やってやる。





これは、勇者エンライトの、最後にして最大のクエストだ。

読んでいただきありがとうございます。


できれば感想などいただければ作者のモチベーションにいい影響を与えます。


よろしくお願いいたします。

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