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世界は救えても、家庭は救えない?〜勇者(3児の父)、親権獲得のために魔王討伐の合間に家庭裁判所へ通う〜  作者: 斉宮 柴野


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世界は救えても、家庭は救えない?

世界を救うことはできても、家庭は救えない。


魔王を倒すために20年を費やした勇者が、最後に戦うのは「婚姻費用」と「親権」。

つまり、人間社会の最強魔法――法律である。

この物語は、正義と責任のはざまで踏み潰された一人の男の、

笑ってはいけない離婚係争の記録だ。

剣ではなく、印鑑と申立書で戦う勇者の物語を、どうか見届けてほしい。

「はぁぁぁぁ……ッ!!」


 腹の底から絞り出した俺の咆哮が、魔王城の最深部、この世で最も魔素が濃いとされる『奈落の間』の空気をビリビリと震わせる。

握りしめた聖剣アロンダイトの刀身が、黄金色の輝きを帯びて唸りを上げる。俺の全魔力を注ぎ込んだ一撃だ。視界の端で、国宝級の価値があるはずの黒曜石の柱が、豆腐か何かのように抵抗なくスパスパと切断されていくのが見えた。

後で王宮の財務大臣から「またダンジョンの備品を壊して!」と経費請求の嫌味が飛んでくる光景が脳裏をよぎったが、知ったことか。今はそれどころじゃない。


 俺の名はエンライト・パレスアイランド。職業、勇者。

この世界でただ一人、聖剣に選ばれし存在であり、人類の希望の星であり、そして――現在進行形で胃に穴が開きそうな中間管理職だ。

年齢は今年で39歳になる。厄年もとっくに過ぎたというのに、厄災しか降ってこないのはどういうバグなんだろうか。

家族構成は妻と、3人の子供たち。

長男は11歳、次男は8歳、末っ子の長女は4歳。

親バカと言われても甘んじて受け入れるが、あいつらは控えめに表現しても天使だ。いや、天使という言葉すら生温い。存在そのものが俺にとっての回復魔法ヒールであり、明日を生きるための活力源マナだ。

あいつらの寝顔をスマホの写真フォルダで見返すだけで、俺の枯渇しかけたMPは即座に全回復するし、激務による肩こりや腰痛だって吹き飛ぶ。それくらい、俺はあいつらを愛している。


 そして俺は今!ついに!諸悪の根源である魔王との最終決戦ラストバトルという、人生最大の山場に臨んでいるのだ!


 ここまで、本当に長かった。振り返れば苦難の連続だった。二十年だぞ? 二十年。  新卒で勇者業界に入ってから、俺はこの戦いに全てを捧げてきた。

数え切れないほどの尊い犠牲があった。仲間たちが散っていった。  

国家予算を何年分食いつぶしたか分からないほどの莫大な活動資金が溶けていった。  自分の青春も、趣味の時間も、安らかな睡眠時間も、その他諸々のプライベートな何かを全て注ぎ込んで、ようやくここまで辿り着いたんだ。


 それもこれも、全てはこの瞬間のため! 王都のマイホームで俺の帰りを待ってくれている(はずの)愛する家族のため! 「パパ、がんばってね」と送り出してくれた子供たちの笑顔を守るため!  

俺を信じて背中を押してくれた仲間たちのため、そして今も魔王軍の理不尽な圧政に苦しみ、明日をも知れぬ日々を送る民たちのためにも!


 俺は、今日、この場所で勝つ!!勝って、平和な世界で定時退社するんだ!!


「勇者エンライトよ。よくぞここまでたどり着いたな」


 爆炎と粉塵が晴れていく向こう側から、冷たく、それでいて鈴を転がすような凛とした声が響いてくる。ゆらりと現れたその姿に、俺は息を呑む。流れるような銀色の髪。血の色を溶かしたような真紅の瞳。この世の者とは思えない、造形美を極めた絶世の美女――魔王だ。  

だが、その美しい顔に浮かんでいるのは、一軍を率いる王としての圧倒的な威厳と、何があろうとも一歩も退かぬという鋼の決意だ。

彼女が纏う漆黒のドレスは、それ自体が高位の防御魔法具であり、手にした杖からは空間すら歪めるほどの魔力が溢れ出している。


「人間ごときが、我が城の最奥まで足を踏み入れるとは。褒めてやろう。だが、私も魔族を統べる王として、愛する民のためにここで負けるわけにはいかないのだ。来るがいい、人の希望よ。その光ごときで、我が深淵が晴らせるものならな」


「その言葉、そっくりそのままお返しするぜ、魔王。動機ならこっちだって負けてない。この二十年、俺は人生の全てをお前との戦いという『業務』に捧げてきたんだ!」


 俺は聖剣を構え直す。柄を握る手に力がこもる。  

言葉に嘘偽りはない。そうだ。俺はずっと戦ってきた。命を懸けて、プライドを懸けて、人生の全てを懸けて。


 強敵と戦い、何度も死にかけ、血反吐を吐きながらレベル上げという単純作業を繰り返し、ボロボロになって家に帰れば、玄関先で「うわ、パパ臭い! 魔獣の匂いがする!」と無邪気な子供たちに鼻をつままれ!


それでも笑顔で風呂に入り、疲れた体に鞭打ってオムツを替え、夜泣きする赤ん坊を抱っこして部屋中を歩き回り、ようやく寝かしつけたと思ったら夜明けが来て!  

貴重な休日は「パパ遊んで!」攻撃を受け止め、家族サービスの合間を縫って筋トレと魔法訓練を欠かさず!  

王城へ出勤すれば、予算会議という名の吊るし上げで「勇者の装備経費が高すぎる」「今回の遠征費、領収書がないじゃないか」と文句を垂れる大臣たちにペコペコ頭を下げ、王様のご機嫌を取り結び!

戦場に出れば出たで、功績を焦る騎士団と、理論ばかり並べる魔法師団の派閥争いの板挟みになり、両方の顔を立てながら調整役として奔走し!

そうやって、胃薬とポーションを交互に飲みながら、俺はここまでたどり着いたんだ!


 正直に言おう、しんどかった!超しんどかった!

「もう辞めます」って辞表を叩きつけて、田舎でスローライフを送りたいと願った夜が何度あることか!

だが、ここまで心身が疲弊しても、なんとか歯を食いしばって立っていられたのは、結局は家族のためだ!

この戦いが終われば、きっと世界は平和になる。そうすれば、俺も長期休暇が取れるはずだ。子供たちとゆっくりキャッチボールをしたり、家族旅行に行ったりできる。そう信じて、その希望だけを胸に、俺は社畜のように頑張ってきたんだ!!


「いくぞ魔王ォォォッ!! これが俺の、二十年ローンで買ったマイホームを守るための、勇者としての集大成だぁぁぁッ!!」


「ふん、面白い! ならば見せてみろ、その覚悟の重さを! 受けて立とう! 我が深淵の闇よ!!」


 俺の聖剣が、太陽ごとき極大の光を放つ。

対する魔王も、空間を飲み込むような闇の波動を放つ。光と闇。二つの絶大な力が激突し、世界の命運が決まろうとした、まさにその瞬間である。


 ピロロン♪


 あまりにも場違いで、間の抜けた電子音が、緊迫した決戦場に響き渡った。

空気が凍りつくとはこのことだ。炸裂しかけていた魔力と魔力が、行き場を失って霧散していく。


「…………ん?」


 俺は反射的に動きを止めてしまった。条件反射というのは恐ろしい。長年の業務で染み付いた「業務連絡への即応体制」が、世界を救う一撃よりも優先されてしまったのだ。  魔王の方もまた、振り上げた杖を中途半端な位置で止めたまま、え、なに? 今の音とキョトンとしている。

音の出所は、俺の懐だ。正確には、勇者専用装備である『四次元魔法収納ポケット』の中。

そこに入っている、国から支給されている業務用の『王立魔導端末スマホ』の通知音だ。

しかも、ただの着信音ではない。このメロディは、最高レベルの緊急事態を知らせるアラートだ。

なんだ?ギルドからの緊急増援要請か?それとも、手薄になった王都が別働隊に襲撃されたのか?まさか、王様に万が一のことが?


「……すまん魔王、ちょっとタイム」

「あ、ああ……構わぬが。……急用か?」


 魔王が気を遣って攻撃魔法をキャンセルしてくれた。なんて話の分かる敵なんだ。  俺は聖剣を小脇に抱え、ガントレットを外した震える手でスマホを取り出した。

画面を見る。パスコードを入力する指が滑る。そして、ロック画面に表示された通知を見た瞬間、俺の全身から血の気が引いた。

そこには、魔王の詠唱する即死呪文なんかよりも遥かに恐ろしく、俺の心臓を一瞬で凍らせる文字列が表示されていたのだ。


【重要】王都家庭裁判所より:審判結果の通知(事件番号:〇年(家)第××号)


「……は?」


 思考が停止する。脳内の処理速度が追いつかない。王都……家庭裁判所?審判?結果? 通知?いや、確かに俺たちは離婚調停中だった。妻との関係が冷え切っていたのは事実だ。ここ半年ほど、弁護士を通じてやり取りをしていたのも事実だ。

だが、こんなタイミングで?世界存亡の危機の真っ只中で?俺は震える指で、通知をタップした。

画面が遷移し、添付された魔法PDFファイルが展開される。小さな液晶画面に表示されたのは、勇者の活躍とは無縁の無慈悲で、ドライな現実の決定事項だった。


『主文』


 1.相手方(勇者エンライト)は申立人(妻)に対し、婚姻費用として月額 金120万ゴールドを支払え。  

 2.未成年者(長男・次男・長女)の監護者を母と定める。  

 3.相手方の親権者指定の申し立ては却下する。  

 4.なお、面会交流については月1回、2時間までとする。


「ひ……ひゃくにじゅうまん……?」


 俺の声が、情けなく裏返った。目玉が飛び出るかと思った。120万ゴールド?月額?  おい待て、ちょっと待ってくれ。俺の基本給を知っているのか?勇者というのは名誉職であって、実はそんなに固定給は高くないんだぞ?

これ、もしかして俺が命がけで獲得した「魔王討伐特別報奨金」とか「危険地帯手当」とか、そういう臨時収入も含めて年収換算してないか?

しかも税込みで計算してないか?それを引かれたら、俺の手元に残る金なんてスズメの涙どころか、スライムの粘液ほども残らないじゃないか!


「しかも……監護権が妻?親権申し立てを却下?却下ってなんだよ!俺は親じゃないってことかよ!」


 文字を追うごとに、視界が揺らぐ。


「月1回……2時間!?たったの2時間!?ふざけるな!120分で子供たちと何ができるって言うんだ!ご飯食べて、近況報告したら終わりじゃないか!俺の手取りと危険手当を全部持っていった挙句、子供に会えるのは月に一度だけ!?俺はただのATMか!? 金だけ吐き出す自律駆動型ゴーレムか何かかよ!!」


 カラン、と乾いた音が響く。手から滑り落ちた聖剣が、冷たい石床に転がった。

もう、剣を握る力なんて残っていなかった。俺はその場に膝から崩れ落ちた。目の前が真っ暗になる。

これは比喩ではない。魔王の闇魔法を受けたわけでもない。将来への絶望と、過度なストレスによる視神経のブラックアウトだ。


「……おい。どうした、勇者」


 恐る恐る声をかけてきたのは、さっきまで殺し合いを演じていたはずの宿敵、魔王だった。彼女はわざわざ玉座の階段を降りてくると、地面に突っ伏して「うあぁぁぁ……嘘だぁぁ……」と情けない呻き声を上げている俺の顔を覗き込んだ。

その表情からは、さきほどの殺意は消え失せ、代わりに純粋な困惑と同情が浮かんでいる。


「貴様、急に覇気が消えたぞ。一体何を見たのだ?我が城の防衛システムによる精神攻撃マインドブラストか?それとも古傷が痛んだのか?」

「……親権、取れなかった……」

「は?」

「俺じゃダメだって……父親失格だって……裁判所が……判決を下したんだ……。それに、婚姻費用……毎月120万だって……払えるわけないだろ、そんな額……」 「……」


 魔王は、俺が握りしめているスマホの画面をチラリと盗み見た。

そこに書かれている数字と文字列の意味を理解したのか、あるいは俺のあまりの悲愴な顔に何かを察したのか、彼女は気まずそうに視線を逸らした。


「……そ、そうか。それは、なんというか……気の毒にな。人間界の法律というのは、我ら魔族の掟よりも遥かに過酷で、血も涙もないのだな」

「……悪い、魔王。……今日の決戦、中止で頼む」

「えっ」


 魔王が素っ頓狂な声を上げた。俺は虚ろな目で立ち上がり、懐のポケットをまさぐった。取り出したのは、非常時用に自腹で購入していた超高級アイテム『緊急帰還のスクロール』だ。定価で50万ゴールドもする代物だが、今はそんなことを惜しんでいる場合ではない。


「今すぐ王都に戻って、弁護士と打ち合わせしなきゃならないんだ。この審判結果に異議を申し立てる『即時抗告』の期限は、通知が来てからたったの2週間しかないんだよ……!ここから王都まで徒歩で帰ったら一ヶ月はかかる!そんなの間に合わない!」


「ま、待て勇者!貴様、正気か!?我を置いていくのか!?この決戦のために全軍を集結させ、余も数日前からコンディションを整えてきたのだぞ!?この振り上げた拳と、余のメンツはどうなる!?」

「うるさい!こっちは人生がかかってるんだ!!メンツで飯が食えるか!世界平和より俺の老後と、子供たちと一緒に過ごす時間の方が大事なんだよォォォッ!!」


 俺はスクロールを広げ、魔力を込めた。幾何学模様の魔法陣が輝き出し、俺の体を包み込む。


「ちょ、待て!勇者ァァァッ!」


 魔王の制止する声が遠ざかる。転移の光に包まれながら、最後に俺が見たのは、最強の敵である魔王が、ポカンと口を開けて呆然と立ち尽くしているマヌケな姿だった。


転移テレポートッ!!」


 視界が白く染まる。こうして、俺の足掛け二十年にわたる壮大な魔王討伐の旅は、あっけなく幕を閉じた。

世界は救われなかったかもしれない。魔王はまだピンピンしている。  

だが、今の俺にはそんなことはどうでもよかった。


 そして、ここからが本当の地獄の始まりだ。

剣と魔法の戦いよりも遥かに過酷で、精神を摩耗させ、泥沼のような様相を呈する「親権闘争」という名の、新しい戦いの幕が上がったのだ。

読んでいただきありがとうございます。


できれば感想などいただければ作者のモチベーションにいい影響を与えます。


よろしくお願いいたします。

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