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第ニ話「チョークの声」

 朝は、音もなくやってきた。


 東の空が白く滲むころ、教室の中はまだ夜の残り香を抱え込んでいた。床に並んだ寝袋代わりのジャージや上着、その間に転がる靴とペットボトル。誰かのいびき、誰かのすすり泣き。焚き火で燻された服の匂いが、古い木とチョークの粉っぽさに混ざっている。


 凛は固い床の痛みで目を覚ました。体を起こした瞬間、胸の奥に重いものが落ちてくる。ここはいつもの教室じゃない。山の斜面に取り残された、使われなくなった分校。バスは谷に転げ落ち、迅はもういない。


 その事実が、朝の光と一緒に押し寄せてきた。


 「……おはよう」


 隣で丸まっていた灯が、赤く腫れた目で言った。笑おうとして、うまくいかない顔。


 「うん……」


 凛も、笑顔にはできなかった。体のどこから笑えばいいのか、もう忘れてしまったみたいだった。


 教室の前方、黒板は夜と同じ位置にあった。生存者点呼 12。その下には、消しきれなかった「明日の朝までに生贄を選べ」の文字の跡が薄く残っている。席順は動くな、の小さな文字も、左上に痣のように張りついていた。


 真壁が一番に立ち上がり、黒板の前へ行った。理科準備室から拝借してきたらしいゴーグルを額に上げ、頬に残った寝跡を気にする暇もなく、黒板とチョーク受けを舐めるように観察する。


 「夜の間、誰か触った形跡はない。粉の流れも、足跡も、変化なし」


 「だったら、やっぱり……勝手に書き換わったってこと?」灯が、驚きよりも疲れたトーンで呟いた。


 凛は、手のひらに残っていたチョークの粉を見た気がした。昨夜、何度も黒板を見つめて、記録して、それでも迅は外で倒れていた。


 廊下から足音がして、佐伯先生が戻ってきた。顔色は悪く、腕の包帯は薄い血で染まっている。だが、その目だけは授業中と同じように真っ直ぐだった。


 「バスの方と斜面を見てきた。ヘリの音も車の音もしない。沢の音だけだ」


 「川……下りられそうですか?」凛が尋ねると、先生は首を横に振った。


 「二日前の豪雨で増水した形跡がある。岩場の一部がえぐられていて、足を滑らせたら、そのまま流されるだろう。ロープもない。今の状態で全員を連れて行くのは無理だ」


 希望の道が、ひとつ塞がれる音がした。


 真壁が、ゴーグル越しに床を指差した。「それに、もし外から誰かが“これ”を仕掛けているとしたら、安易に斜面を降りるのは危険だ。ここが舞台として用意されている可能性もある」


 「舞台……」灯が苦笑する。「そんなゲームみたいに言わないで」


 「ゲームじゃない。もしそんな連中がいるなら、僕たちは“実験群”だ。床下に配線がしてあるかもしれないし、黒板の裏に磁石が仕掛けられてるかもしれない。昨夜の揺れは振動、祠の鐘はトリガー装置、って考えれば説明はつく」


 真壁の声は、恐怖を押し殺すためにわざと冷たくしているように聞こえた。


 凛は、窓の外にちらりと見える祠を見た。小さな屋根、錆びた鈴。夜中にあの鐘が鳴った瞬間、黒板の点が増え、迅が死んだ。偶然と言い切るには、あまりにもタイミングが良すぎる。


 「……電磁ノイズ、かも」


 「ん?」真壁が振り返る。「凛?」


 「鐘が鳴ったあと、蛍光灯、ちょっとだけ光ったよね。あれ、微弱な電気が流れたんじゃないかなって。もしどこかから信号が送られて、黒板の……チョークを動かしてる仕組みがあるなら……」


 「電磁石でチョークを引きずって文字を書く、とかか?」


 「わかんない。でも、“何か”がここに届いてる気はする。私たちじゃない何かが、ここにいる」


 そう言った瞬間、自分の言葉の方がずっと怖いと気づいて、凛は口をつぐんだ。


 そのときだった。


 コン、コン、と、乾いた音が教室に響いた。


 誰もチョークに触れていない。にもかかわらず、黒板の中央より少し下、昨夜とは違う位置に白い線が一本、すうっと引かれていく。壁の内側から何かが押し出しているみたいに、震えながら。


 誰かが悲鳴を上げた。椅子が倒れる音が連鎖する。


 凛の目の前で、文字が形を取る。


 正午までに「候補者」を三名、黒板下段に書け


 書けない場合、無作為に三名を“審査”する


 チョークの音はすぐ止んだ。代わりに、教室中の息が止まった。


 「……候補者って……」灯が消え入りそうな声で言う。


 「三人を、自分たちで選べってことだよな」男子のひとりが唇を噛んだ。「つまり“次に誰を殺すか決めろ”って言ってるのと同じじゃん」


 ざわざわとしたざらついたざわめきが、教室の隅々まで広がっていく。誰も笑わない。冗談にしようとする声もない。


 沈黙を破ったのは、迅と仲が良かった陸という男子だった。目が赤く、拳を握り締めている。


 「……決まってんだろ、まず怪しい奴からだ。転校してきてまだ二ヶ月のやつ」


 彼の視線は、一番後ろの席に座る朔に突き刺さった。朔は、静かに目線を受け止めていた。髪は寝癖なのか乱れていて、制服の袖口には昨日の泥汚れが残っている。


 「お前、そもそもなんでこのバスに乗ってたんだよ。班決めのときも一人だけ浮いてて、昨日だって……」


 「やめて!」灯が立ち上がった。「朔くん、何もしてないでしょ。転校生だから怪しいって、おかしいよ」


 「おかしいのは状況だろ!」陸の声が跳ねた。「迅が死んで、黒板が勝手に書き換わって、意味わかんねえ“ルール”が追加されて……誰か仕組んでるやつがいるって考える方がマシじゃねえか。だったら、いちばん情報の少ないやつを疑うのが普通だろ!」


 朔は、しばらく黙っていた。やがて息を吸って、目を伏せずに言う。


 「疑うのは、いいよ。俺は……このクラスの中で一番、“昨日までの関係”が薄いから。そういう意味じゃ、選びやすい」


 「朔くん……」


 「でも、俺を候補者にするって決めるなら、ちゃんと話し合って決めてくれ。誰かの八つ当たりじゃなくて、全員の“選択”として」


 抑えた声だった。怖くないはずがないのに、表情は妙に静かだ。


 佐伯先生が間に入るようにして前へ出た。「感情だけで人を指差すのはやめよう。候補者をどう選ぶか、その方法をまず決める」


 「方法……」凛は、手の中のノートを見下ろした。昨夜から続けている記録。数字と矢印と、汚い字のメモ。


 「無記名で、メモ投票にしない?」凛は言った。「紙に名前を書いて箱に入れる。誰が誰に入れたかわからないようにして。それで一番票の多かった順に、三人」


 「多数決かよ」陸が舌打ちする。「それで自分に票が入ったら、納得できんのか?」


 「納得できないけど……少なくとも“誰か一人が決めた”って形にはならない。全員の責任になる」


 「責任を“薄める”ってことね」真壁が小さく頷いた。「合理的だ」


 反対意見も出たが、時間は待ってくれない。黒板にははっきりと正午と書かれている。時計は止まっていても、スマホの時刻は容赦なく進んでいく。


 結局、机の引き出しから見つけたメモ用紙と古い空き箱を使って、投票が始まった。凛は、自分の紙を前にしばらく固まった。誰かの名前を書く。それは、黒板のルールに協力することだ。


 彼女は、震える手で自分の名前を書いた。


 これが正しいとは思えない。でも、誰かを指さして他人事のように「あの人でいい」とは書きたくなかった。黒板に従うこと自体が間違いなのかもしれない。それでも、今はもう何が正解なのかわからない。


 全員が書き終え、投票箱に紙を入れる。灯が蓋を閉じ、佐伯先生が前に持ってくる。教室の空気が一段と重くなった。


 「では……開けるぞ」


 箱が開かれ、紙が一枚ずつ取り出される。名前が読み上げられ、黒板に印がつけられていく。朔、真壁、凛、陸、朔、真壁……。


 集計が終わったとき、真壁が眉をひそめた。


 「待て。これ、数がおかしい」


 並べられたメモは十四枚だった。


 「そんなはず……」灯が息を呑む。「人数は十二人でしょ?」


 「誰か、二枚入れたか……途中ですり替えたかだな」真壁が一枚一枚を重ね直す。「筆跡も、微妙に違う。これは……」


 陸が凛を睨んだ。「お前、投票の方法を出したの、お前だよな」


 「待って。私、ちゃんと一枚しか……」


 言いかけたそのときだ。


 コン、コン。


 また、あの音がした。


 黒板の下段、まだ誰もチョークを持っていない場所に、白い線が現れ始める。今度は先ほどよりも速い。チョークが勝手に踊る。


 朔


 真壁


 凛


 そこに並んだのは、投票で得票数の多かった三人と、凛が確認したばかりの自分の名前だった。


 「……ふざけてんのかよ」陸が呟いた。「誰だよ、書いたの」


 「僕じゃない」真壁が即座に否定する。「見ていただろ? 今の書線の動き。縦線の始点が全部、黒板の“一番下”からだ。普通は上から下へ書く。これは……床側から力が加わってる」


 凛は近づいて、目を凝らした。黒板に残った粉の飛沫は、確かに下から上に向かっていた。まるで床の隙間からチョークが押し上げられたみたいな方向で。


 黒板の裏側は、薄い。廊下から見たときに、凛はそれを感じていた。人の一撃でも割れそうなほど、ペラペラだ。


 「書いたのが人間だとしても……ここからじゃない。少なくとも、“私たちと同じ側”じゃない」


 自分で言って、嫌な汗が背筋を伝った。


 その瞬間、祠の鐘が鳴った。


 コン、と軽く。続けて、今度は腹の底に響くような重い音が一度。


 同時に、黒板の右上に新たな文字が浮かび上がる。


 審査開始


 嘘をついた者は、右の窓際に立て


 「……嘘?」誰かが繰り返した。


 文字は止まらない。次の行が、すぐに現れる。


 バスに乗る前日、誰かを傷つける計画をした者


 教室の空気が一瞬で氷点に変わった。誰かの喉が鳴る音だけが、やけに大きく響く。


 「計画って……」灯が震えた声で言う。「そんなの、いないよね?」


 沈黙。誰も動かない。だが、その沈黙自体が、すでにひとつの答えみたいに重くのしかかっていた。


 やがて、一人の女子が立ち上がった。髪を一つに結び、普段は明るかったはずのその子――優花が、青ざめた顔で右の窓際へ歩いていく。


 「ごめん……私、昨日、グループチャットで……」優花の声は涙に濡れていた。「ある子の悪口、拡散しようって言ってた。直接傷つけるつもりだったわけじゃないけど……でも、あれ、多分、傷つける“計画”だよね……」


 彼女が窓際に立つと、黒板に小さな丸がひとつ、ぽん、と浮かんだ。


 次の文字が現れる。


 家族に、学校に、重大な嘘をついた者


 今度は誰も、すぐには立たなかった。だが、教室中の視線が、自然とひとりに集まる。


 灯だ。


 灯は、唇を噛んで俯いていた。やがて、深く息を吸って顔を上げる。


 「……私だよ」


 彼女は、自分から窓際へ歩いていった。優花の隣に立ち、チョークの粉が舞う窓枠を見上げる。


 「私、本当は……学校、辞めるつもりだった。家にも先生にも“進学する”って嘘ついて、オーディション受けるためにお金貯めてた。でも、全部バレて……家族は“もう信じない”って言った」


 「灯……そんなの……」凛は思わず言いかけた。「そんなの、重大な嘘なんかじゃないよ」


 「黒板がどう判断するか、だよ」真壁が低く言った。


 その言葉に呼応するように、黒板の表面が、ビリ、と波打った。


 誰かの悲鳴が上がる前に、右側の窓ガラスが一斉に砕け散った。


 耳をつんざく破裂音。冷たい風が雪崩れ込む。割れたガラス片が室内に飛び込み、机や床に突き刺さる。幸いにも、灯と優花のすぐ目の前で、古ぼけたカーテンが盾になった。


 「わあっ!」


 凛はとっさに腕で顔を庇った。シャツの袖に細かい切り傷ができ、血が滲む。誰かが泣き声を上げ、佐伯先生が「動くな!」と叫ぶ。


 黒板には、新たな文が刻まれていた。


 罰は与えた


 候補者から一名を選べ 夜明けまでに


 「罰って……これのことかよ」陸が震える声で笑った。「人じゃなくて、教室を殴ってくるとか、性格悪すぎだろ」


 「環境を壊して、じわじわ追い詰めるタイプか」真壁は額から汗を伝わせながら、理屈を口にすることで自分を保とうとしている。「温度差で体力を奪われる。防御手段も削がれていく」


 灯は、割れた窓の縁に手を触れようとして、すぐに引っ込めた。「冷たい……」


 その視線が、次第に黒板に戻っていく。朔、真壁、凛――三つの名前。


 「……俺でいい」


 その沈黙を切ったのは、朔だった。


 全員の視線を一身に集めながら、彼は黒板の前に進み出た。割れた窓から吹き込む風に前髪が揺れる。


 「俺を選べばいい。そうすれば、きっと“ルール”は次の段階に進む。誰かが死ぬっていうなら、早く終わらせた方がいい。中途半端に延命させられるより」


 陸が歯ぎしりをした。「死ぬって決まったわけじゃねーだろ」


 「決まってないなら、なおさら。“選ばない”でまた誰かが消える方が嫌だ」


 朔の声には、不思議な重さがあった。諦めとも覚悟とも違う、どこか遠いもの。


 凛は、思わず叫ぶ。


 「勝手に終わらせないでよ!」


 朔が驚いたように凛を見る。自分でも驚くほどの大声だった。


 「昨日だって、何も選んでないのに迅くんが死んだ。今度は“選ばなかったから誰かが消えた”って言われるかもしれない。でもだからって、簡単に“誰かひとりを差し出せばいい”って話じゃないでしょ。そんなの、黒板と同じになっちゃう」


 灯が、凛の横で小さく頷いた。優花も、震える肩を抑えながら「そうだよ」と呟く。


 佐伯先生が、黒板と朔と生徒たちを交互に見た。「……結論を急ぐな。夜明けまで時間がある。感情で決めるのはやめよう」


 「時間なんて、あるのかな」


 朔の言葉は、小さかった。


 ◇


 夜は、昼よりも早くやってきた気がした。


 窓ガラスを失った右側の壁からは、容赦ない冷気が吹き込む。ブルーシート代わりに見つけてきたビニールを張り、机と椅子で押さえつけても、隙間風は止まらない。焚き火を教室の中央に移し、煙が天井に溜まらないよう扉を少し開けると、今度はそこからも風が入り込んだ。


 「寒い……」灯が、毛布を抱えながら肩をすくめる。「歌う声も震えちゃう」


 「震えてる方が、まだ“生きてる”感じがするだろ」陸が、焚き火の炎を見つめながら言った。「止まったら、終わりだ」


 朔は、相変わらず一番後ろの席に座っていた。足元には、泥だらけの運動靴。凛は、何気なく彼の足元を見た。ふと、違和感を覚える。


 「朔くん、その土……」


 「ん?」


 靴底にこびりついた土の色は、校庭の赤土とも、斜面の茶色とも違う。少し灰色がかっていて、粒が細かい。


 凛は、自分の上履きの裏を見た。斜面を上り下りしたせいで、茶色い泥がべったりと張りついている。真壁の靴も見た。こちらも同じだ。


 「この土、バスの周りのと違う。どこで付いたの?」


 朔は少し考えてから答えた。「……わからない。気づいたら、ついてた」


 「さっき黒板の前に立ってたとき、床に落ちた粉と……混ざってなかった?」


 焚き火の明かりで見ても、朔の靴にチョークの粉はほとんど付着していなかった。黒板の文字のすぐ下にいたはずなのに。


 真壁が興味を示したように近づく。「確かに。普通に人が書いたなら、靴にも粉が飛ぶはずだ。さっきの書線は、チョークの動き自体が“おかしい”」


 凛は、ノートにメモを書き込みながら口にする。


 「誰かが“書かされた”のかもしれない。自分でチョークを持った記憶がないのに、“書いたことになっている”。現実の方が、あとから書き換えられてるとか」


 「記憶改竄ってこと?」灯が顔をしかめる。「そんなの、SFでしか聞いたことないよ」


 「でも、私たち、昨日まで普通の学校にいたんだよね。本当に?」


 言ってしまってから、自分の言葉にぞっとした。昨日までの教室の光景が、少しだけ霞んで見える。あの廊下、あのロッカー、本当に“同じ”だった?


 焚き火の炎が、黒板の文字を赤く照らした。


 候補者から一名を選べ 夜明けまでに


 黒板は、まだ待っている。誰かの決断を。誰かの裏切りを。


 「……ねえ」


 寝袋代わりのジャージを被りながら、優花が言った。「もしさ、誰も選ばなかったらどうなると思う?」


 「また“罰”が来る」陸が即答する。「今度は窓ガラスじゃ済まないかもな」


 「でも、候補者から一人を選んだら……その人が死ぬんだよね」


 誰も答えられなかった。


 見張りの順番が決められ、黒板監視班、焚き火番、睡眠組に分かれた。凛は朔と同じ時間帯の見張りになった。灯は、その前の時間帯に歌で皆を落ち着かせてから眠りについた。


 深夜、校舎は静まり返っていた。風と、焚き火のぱちぱちという音だけが響く。蛍光灯は相変わらず沈黙しているが、ときどき天井が小さく軋んだ。


 凛は、黒板を正面から見つめていた。朔は窓際に座り、外の闇を見張っている。


 「眠くないの?」朔が訊いた。


 「眠いよ。でも、目を閉じたら、迅くんの顔が浮かぶから」


 「……そうか」


 朔はしばらく黙っていた。やがて、呟く。


 「俺さ、この学校に来る前、別のクラスでも“人数が減る”の、見たことあるんだ」


 凛の心臓が跳ねた。「どういう意味?」


 「文字通りの意味だよ。クラスメイトが、ある日突然、“いなかったこと”になってた。出席番号も、席も、その人の持ち物も全部、最初からなかったみたいに」


 「それって……」


 「誰も覚えてない。俺だけが変だって騒いで、“転校”という処理をされた。だから俺は、ここにいる」


 朔の目は、焚き火の光を映していた。冗談ではないと分かる瞳だった。


 「だから、黒板がやってることが……“初めて”じゃない気がする」


 凛は返す言葉を失った。世界が、自分の知らないところで平気な顔をして誰かを消しているかもしれない。その考えが、黒板の文字よりも冷たく胸に刺さった。


 ◇


 第二の“消失”が発覚したのは、その少しあとだった。


 見張りの交代の時間になり、灯と優花のいる一角を起こしに行ったとき。そこにあるはずの寝袋の一つが、空だった。


 「……え?」


 灯が目をこすりながら周りを見回す。「あれ、さっきまで……」


 名前を呼ぶ。返事はない。教室中をくまなく探す。トイレも、廊下も、理科準備室も。しかし、彼女はどこにもいなかった。


 残されているのは、畳まれた上着と、半分ほど入った水のペットボトル。それから、さっきまで温もりがあったはずの床の冷たさ。


 「逃げた……わけじゃないよね」優花が涙声で言う。


 「逃げるなら、上着くらい持ってく」陸が唇を噛む。「黒板がまた……」


 全員の視線が、黒板に向いた。


 そこには、文字がひとつだけ増えていた。


 生存者点呼 11


 候補者の名前は、そのままだった。朔、真壁、凛。消えたのは、そのなかの誰でもない。


 「……選ばなかったのに」灯が震える声で言った。「犠牲にされたのは、“候補者じゃない”子」


 「ルール、ねじれてる」真壁が青ざめた顔で呟く。「黒板は、僕たちが理解できるような公平さを装ってるだけだ。こっちの理屈なんて、最初から聞いてない」


 凛は、足元が崩れる感覚に襲われた。自分たちは、何に従わされているのか。ルールという名の、形だけの安心にすがりついていただけなんじゃないか。


 祠の方角から、冷たい風が吹き込んだ。割れた窓から入り込んだ風が、黒板の前で渦を巻くように見えた。


 チョークの粉が、ふわりと宙に舞った。


 黒板は何も書かない。ただ、黙ってそこに立っている。


 だが凛には、そこから確かに声が聞こえた気がした。


 まだだよ、と。


 まだ、終わらないよ、と。

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