アクスタくんが喋った-2
「てゆーかお前、大学行かなくていいのか?」
アクスタくんにそう言われ、はっとして時計を見る。
「うわ、もうこんな時間!?急いで支度しなきゃ!」
私はバタバタと着替えて顔を洗い、化粧に取り掛かる。朝食なんか食べてる場合じゃない。
パンパンに膨らんだ化粧ポーチから鏡を取り出し、ふと映った自分の顔を見る。親譲りの大きな丸顔。ちょっとでも食べ過ぎるとすぐにぷくっと太ってしまう頬。別に大嫌いってわけじゃないけど、ずっと自分の顔が好きになれなかった。
今日は時間も無いし、最低限ベースメイクとアイメイクだけでいいか。マスクで口元隠しちゃえばいいし。
「朝メシ抜くクセに化粧だけはちゃんとやるんだな」
横からアクスタくんが茶化してくる。私は手を止め、ほんの一瞬だけ鏡を見つめた。
「だって、みんなやってるし。常識でしょ?バンドマンだってメイクするじゃん」
私の通う大学は都内の私立大学のせいか、やたらお洒落な子が多い。高そうな服に、完璧な顔立ち。そんな人たちの中で素の自分をさらけ出すなんて、無理に決まってる。
でも化粧をすれば——ほんの少しだけ、自信が持てる。自分に都合よく取り繕った仮面みたいなメイクで、私じゃない私になれる気がする。本当の自分なんか、とてもじゃないけど晒せない。——でも、それでいい。
アクスタくんは「ふうん」と呟き、腕組みしたまま、斜めに構えて私を見つめていた。
「よし、終わった」
これなら何とか遅刻しないで間に合いそう。
「俺も連れてけ」
私がリュックを背負うと、アクスタくんがそう言った。
「は?どうやって行くのよ、そんな小さな体で。他の人に見られたらどうすんの」
「お前の肩に乗せろ。あと、俺はお前以外には見えねえから安心しろ」
私の肩って……漫画かよ。しかも私以外には見えないとか、何そのご都合主義。
私はアクスタくんを手の平に乗せると、そっと肩に座らせた。
「思ったより軽いね」
「そりゃ元はアクリルだからな」
そんなやり取りをしながら、私たちは部屋を出た。
寮から徒歩15分。いつもの道を歩き、いつもの教室に入る。そして——いつも通りの席に座った。
私の苦手な英語の授業。毎回、英語のニュース記事が配られて、読解問題をひたすら解くだけの時間。今日もまた、訳の分からない問題が配られる。
「では、始めてください」
教授の合図と同時に、教室中から一斉にペンの音が響き始めた。
私は紙を見下ろす。——全く、意味が分からない。
知らない単語をひとつずつスマホで調べては、上に意味を書き込む。けれど分からない単語が多すぎて、単語単位でしか理解できない。
文章全体を掴む余裕なんて、どこにもない。
当然、問題なんか解けるわけがない。
——カリカリ、カリカリ。
周囲のペンの音が、私を焦らせる。
ふと隣を見ると、もう三問目に取りかかっている。私はまだ、一問も終わっていないのに。
結局、何も解けないまま教授の「解説の時間」を待つだけ。
アクスタくんは、止まった私のペン先を黙って見つめていた。
「お前、英語苦手だったのか」
授業が終わってすぐ、アクスタくんが口を開いた。
「うん。昔からちょっと苦手だった」
私は彼から少し目を逸らし、続ける。
「別に勉強が苦手なわけじゃないんだよ。高校まではむしろ得意な方だったし。でも大学に入った途端、あの時必死に詰め込んだ英単語も頭から抜けて、周りはレベルの高い子ばかりで……。おまけに、人生で初めてテストの平均点を下回った。あれで一気に英語が嫌いになったんだ」
アクスタくんは「そうか」と言って、少し黙った。
——高校の頃までは、優等生だった。でも今はもう違う。東京に来て、上には上がいる現実を突きつけられて。自分の小ささばかりが、目につくようになった。
「なあ、お前さ」
アクスタくんが口を開く。
「いちいち他人と比べすぎなんだよ」
「え……」
「さっきだって、隣の奴ばっか見て焦ってただろ。それに朝の化粧だって、結局“他人の目”を気にしてんだろ?『みんなが』『周りが』って、うるせーんだよ。お前はお前だろ」
胸の奥が、ちくりと痛む。
そんなこと、自分でも分かってる。分かってるのに、止められない。
「俺は“今の”お前しか知らねえけどさ。昔のお前は、もっと自信あったんじゃねえの?
周りなんか気にせず、自分のペースでやれてたんじゃねえの?」
……そう言われて、少しだけ言葉に詰まった。
確かに、昔の私は、今よりずっと自分に自信があった気がする。
「自分より凄い奴がいる? そんなの当たり前だろ。地球に何人いると思ってんだよ。」
アクスタくんは、少し間を空けて続けた。
「……でもな、だからこそ——どれだけ“自分”を保てるかが大事なんじゃねえの?
せっかくの人生、他人の影に埋もれて終わるとか、もったいねえだろ。
……“俺”の曲、ずっと聴いてきたお前なら分かるはずなんだけどな」
“俺の曲”。——あの人の言葉。
そうだ、あの人はいつも「自分を大事にしろ」って言っていた。音楽を通して、何度も“自分と向き合うこと”を教えてくれた。音楽業界みたいな厳しい世界の中で、何度も傷つきながら、それでもなお立ち続けた人。
「……うん。頭では分かってるけど、初心って忘れちゃうもんだね」
アクスタくんは、私が忘れかけていた“あの人の生き方”を思い出させてくれた。
「ありがとね」
私は彼の頭をそっと撫でる。
「……だから、そういうのやめろって」
アクスタくんは少し拗ねたように言い、私は笑いながら立ち上がった。
二人で、誰もいなくなった教室をゆっくりと後にした。
【次回予告】
「アクスタくんと今の“俺”」
音楽雑誌に載っていたのは、あの人の“今”の姿だった。
10年前のまま記憶が止まったアクスタくんは、何を思う?
彼が見た衝撃の事実とは――。
次回も是非読んでいただけると嬉しいです!




