アクスタくんとアルバイト-1
【お知らせ】
活動報告も不定期で更新しています。
小説の解説も行っているので、お時間があれば是非見て頂けると嬉しいです!
☆11/24 活動報告更新しました!
きっかけは、あの人の何気ない一言だった。
とある夜。フランス語の課題に取り掛かりながら、私はカルマの雑談配信を垂れ流していた。辞書をめくりながら、耳だけが彼の低い声を追っている。
身の回りに起こった出来事を話したり、コメント欄に流れる質問に答えたり——彼の気まぐれで、ゆるく行われる配信。スマホの画面の中では、彼が椅子にもたれかかりながら喋っている。アクスタくんはそんな今の”自分”の姿をじっと見上げていたが、私は課題と格闘していたので、正直、半分ぐらいしか内容を聞けていなかった。
しかし、ある一言だけは、はっきりと耳に残った。
——「俺の誕生日?いや、随分先だけどさ……福岡でライブできたらいいな」
耳がピクリと動き、ペンを持っていた手が止まった。
2月15日——カルマの誕生日。まだまだずっと先だけど、ファンにとっては特別な日だ。私もファンの一人として、彼の誕生日は盛大に祝いたいし、もしライブがあるなら絶対行きたい。
コメント欄が一斉にざわつく。「福岡!?」「地元ライブ!?」「遠征しなきゃ!」といった文字が次々と流れてくる。
「いや、まだ決まってねーよ」
カルマは苦笑しながら、髪をくしゃっと掻き上げた。
「でもまあ……誕生日に限らず、地元でライブしたい気持ちはある」
その声は冗談交じりなのに、どこか本気の響きがあった。
——福岡。カルマの原点。
その言葉が、私の心に小さな火を灯した。
翌日。私は授業を受けているフリをしながら、いつも通りSNSを徘徊する。
タイムラインは昨日の配信のことで持ち切りだった。遠征慣れしたファンたちの「絶対行く」「今から貯金しなきゃ」といった言葉がずらりと並んでいる。
——行きたい。
そう思った瞬間、胸の奥がずきりと痛んだ。なぜなら、現実はあまりにも残酷だから。
私は財布を取り出し、チャックを開ける。中身は、しわくちゃの千円札と小銭を合わせて、残り5000円。次の仕送りまで、あと10日。……無理だ。ただでさえ、都内のライブに行くだけで生活はギリギリなのに。遠征なんて、今の私には夢のまた夢だ。
財布を鞄に戻し、スマホをパタンと机に伏せる。”行きたい”と”行けない”が、心の中でせめぎ合っていた。
その夜。課題も手につかず、机に向かいながら眉間にシワを寄せてスマホを眺めていると、肩の上からぼそりと声がした。
「なあ、お前……福岡、行きたいのか?」
「……うん。まだ福岡でやるって決まった訳じゃないけど。でも、お金が無いから行けない」
「じゃあバイトすれば良いんじゃねえか?お前、今バイトしてねえだろ」
アクスタくんの言葉が図星過ぎて、胸に刺さる。私は思わず目を逸らし、俯いて呟いた。
「……バイト、するしかないのかな。でも、バイトなんてもう嫌」
あの制服。あのレジの音。あの視線……きゅっと体が締め付けられるような感覚になり、思わず両腕を抱えた。思い出したくない記憶は、まだちゃんと体に残っていた。
短い沈黙の後、アクスタくんが小さく息を吐いた。
「……お前に何があったのかは知らねえけどさ。別に、今すぐ働けとは言わねえよ」
「……」
「でも、”行きたい”って気持ちだけは、無かったことにするな」
その声は、いつもより少しだけ優しかった。私は頷いたけれど、胸の奥では、ずっと別の声が囁いていた。
——もう、働くのは怖い。二度とあんな思いはしたくない。あの時のことを思い出すだけで、息が詰まりそうになる。
それでも——カルマのあの一言が、頭から離れない。
寝る前、布団に潜りながらスマホを手に取る。配信のアーカイブを再生すると、あの場面がまた流れてきた。
——「でもまあ……誕生日に限らず、地元でライブしたい気持ちはある」
その声が、まるで夢の入り口みたいに、静かに私を呼んでいた。私は目を閉じて、布団の中で小さく呟く。
——やっぱり、行きたい。
——……バイト、しようかな。
すぐそばで、アクスタくんの声がした。
「そう言えた時点で、お前は一歩進んでんだよ」
その言葉に、思わずふっと笑いが漏れた。
「……明日からバイト探ししなきゃ」
そう口に出した瞬間、胸の奥で、さっき灯った小さな火が、ほんの少しだけ大きくなった気がした。
私はスマホの画面を消し、天井を見上げてから、そっと目を閉じた。
明日は、きっと今日より、ほんの少しだけ違う一日になる——そんな予感を抱えたまま、静かに眠りに落ちた。
【次回予告】
「アクスタくんとアルバイト-2」
遠征したい——そんな小さな願いが、思いがけず過去の記憶を揺らす。
夢の中で蘇ったのは、忘れたいはずの「あの感覚」。
——逃げたのか、限界だったのか。
沙百合がバイトを恐れる理由が明らかになる。




