べとべとさん
べとべとさん…日本の妖怪の一種で、夜道を歩く人間の後をつけてくるといわれる。足音がするのみで人に危害を加えることはないとされる。(ウィキペディアより抜粋)
べとべとさんって妖怪を知っているか、ですか?
何ですか、それ。
……。足音が後ろからついてくる?それが妖怪なんですか?
うーん……。
私、大学生の時、パン屋さんでバイトしてたんです。別に、バイトしなきゃ生活できなかったとか、欲しいものがあったとか、そういうわけじゃないんですけど、ほら、流行りというか。大学生になったらバイトしないと、みたいなノリというか、そういうのあるじゃないですか。
それで、バイトを始めることにしたんです。
私の大学はわりと街中のほうにあったんですけど、ほら、あの頃コロナが流行ってたじゃないですか。私の代は入学した時からオンライン講義ばっかりで、大学にも行っちゃいけなかったんです。
だから私、実家の近くでバイト先を探しました。
まあ探すっていうか、ここにしようかなー、って場所はあったんです。
実家から、最寄り駅に向かう途中の、小さなパン屋さん。坂の途中にあって、赤い屋根が可愛いんです。
歩いて15分くらいかな。近所ってほど近くはないんですけど、良く通る道なんで、そのパン屋さんのガラス窓に、バイト募集の紙が貼ってあるのも知ってたんです。
小さい頃の将来の夢がパン屋さんだったってのも、ちょっとあります。
でも、パパとママには反対されました。もう、大反対。パパなんて、普段出張ばっかで家にあんまり帰ってこないくせに、そんな時だけ危ないとか続くわけないとか言ってきて。
そしたら私も意地になっちゃって。
絶対そこじゃなきゃ嫌だって、じゃなきゃ家出するって、そこまで言って、しぶしぶ認めてもらいました。
それで、やっとバイトを始めたんですけど、すぐに後悔しました。
なんか私、パンを売るんじゃなくて、作るほうのバイトに応募しちゃってたみたいで。朝5時に着くように出勤しろとか言われて。
朝の5時って、めっちゃ暗いんですよ。実家の周りって、別に田舎じゃないですけど、都会ってわけでもなくて。街灯とかは普通にありますけど、前から歩いてくる人の顔なんか、全然見えないんですよ。
空を見上げたら、あー、まだ星が見えるなー、みたいな。
筋肉痛になるし、やることはおんなじことばっかだし、店長も怖いおじさんで。もう1日で嫌になりました。
でも、パパとママの前であんなにやるとか出来るとか言っちゃったし、1日じゃ辞めづらくて。
結局、もう少し続けることにしたんです。
毎日辞めてやるって思ってたんですけど、あっという間に1週間経っちゃって。
そしたら店長さんが、菓子パンの作り方を教えてくれたんです。なんか、ラプンツェル?みたいな名前の。こう…生地をねじって形を作るんですけど、全然上手くできなくて。へんてこな形になっちゃったんですけど、でも、店長さん、私の作った下手くそなパンを、そのまま焼いてくれたんです。
で、仕事上がりに陳列台を見てみたら、売ってあったんです。私のへんてこラプンツェルパン。
それを、OLさんみたいなカッコの人が、ちょうど買って行ってくれて。
私、人生で一番嬉しくて。
もう、バイトを続けるとかどころか、パン屋さんとして生きていこうかなーとか、そこまで思いました。
朝起きるのも、あんまり辛くなくなりました。むしろ、ちょっと早めに家を出ちゃったりして。
それで、その路地を見つけたんです。
路地っていうか…うーん、なんだろ…家と家の隙間みたいな?ほんとに狭い道なんです、砂利道で。
多分前からあった道なんですけど、初めてそんな道があることに気づきました。
真っ暗で、奥は見えませんでした。
でも、方向的にパン屋さんの方に延びている感じがして。まだ時間もあるし、上手くいけば近道じゃないですか。
だから、その道を通ってみることにしたんです。
スマホのライトで足下を照らして、しばらく進みました。朝も早いし、自分がじゃりっ、じゃりっ、って石を踏む音しか聞こえなくて。
ちょっと怖かったですけど、ガマンして歩きました。
そしたら、前の方に街灯の光が見えて、私、びっくりしました。そこって、パン屋さんのすごく近くだったんです。
ゴールが見えたら、走るっきゃないじゃないですか。で、私、全力で走ってその道を抜けたんです。
そしたら。
路地を出た私の後ろで、じゃり、って。
1回だけ、足音がしたんです。
怖いなーとは思ったんですけど、なんか、面白いな、とも思って。次の日は最初っから全力疾走してみたんです。その次の日は、後ろ向きで歩いてみました。だるまさんが転んだもやったかな。
でもやっぱりそこには誰もいなくて、最後に足音がひとつだけ。
私、結局コロナが明けるまでの1年くらいそこでバイトしてたんですけど、その足音は毎日続きました。
べとべとさんが足音の妖怪って言うなら、これがそうだったんじゃないですかね。
なんてね。
ホントは種明かしがあるんです。
バイトを辞めてしばらくした頃に家族で話してたら、パパが急に、よくあんなにしんどいバイトが続いたなーなんて言ってきて。そしたらママが、心配したパパが、こっそり後ろからついて行ってたって、教えてくれたんです。
その話を聞いて、私、めっちゃ愛されてるなーって、思いました。
多分妖怪のべとべとさんも、ホントはそんな愛から生まれたんじゃないかな。
え?
でも路地をついてきてたのはパパじゃないって?
やだなー、そんなわけ、ないじゃないですか。