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#4 華麗だね

 翌日の放課後。自らの装いを改めた陸太は、その日全ての授業が終了した時間を見計らって、夜霧台高校の化学準備室の前に立っていた。彼から少し離れた位置には、化音も待機している。


「行け、陸太。起こしてみせろ、自分だけの革命を」

「う、うん」


 陸太は軽く扉をノックする。すぐに部屋の中から返事があった。声の主は実良乃だろう。昨日聞いた特徴的な声と同じ声が聞こえてきたので、間違いない。


「君なら、またここに来てくれると信じていたよ」


 いかにも化学者が纏っていそうな白衣を制服の上から身に着け、ぐるぐると渦巻いたレンズの眼鏡を掛けた、ケチャップ色の長髪を靡かせた少女が椅子に座っていた。


 片手にトマトジュースが入ったティーカップを持っている彼女は、間違いなくナポリタン・ボナパルト――横浜実良乃であった。


「そこにいる妹さんも入ってきてくれ。廊下で待たせるのは、申し訳ないからね」

「ほぉ、オレがいることもわかっているのか。流石、化学部の幽霊部長様だ」

「そういう君は新入生首席の為田化音さんだろう。君の話も姉さんから聞いている」

「やめてくれ。オレはテキトーに答えたら、なんか正解が多かっただけだ」


 本人は謙遜しているが、化音は昔から、自らのセンスを無意識に使いこなすタイプである。


 この夜霧台高校の入試でも、最上位の成績で合格し、性格と口調は大雑把ではあるものの、授業態度は非常に良好で、教師たちからも一目置かれていることを、陸太は知っていた。


「髪を切ったのかい? 似合っているよ」

「ど、どぅも……」

「さて、急かすようで申し訳ないが――ここに来てくれたということは、先日の話を受けてくれるということで良いのかな?」

「いいえ。違い、ます」

「ほぉ?」

「お、おい陸太! お前、何を言って――」

「横浜さん、僕は――」


 駆け寄ろうとする化音を腕で制し、陸太は言葉を紡いでいく。何を馬鹿なことを言っているのだろう。せっかく誘ってくれた先輩の申し出を断るのか、この期に及んで。流石にそれは擁護できないし、するつもりもない――だが、そんな化音の心配を、陸太の言葉が覆す。


「僕は横浜さんに言われたから、チームに入るわけではない、です!」

「なら?」

「誰かが言ったからではなく、僕は! 僕は、自分のやりたい気持ちを尊重したい!」

「陸太――」

「だから、僕の方からお願いします! 僕を、チームに入れてください!」

「ふむ――」


 ティーカップを机の上に置く実良乃。


「ケチャケチャ――そうか、君はナポリタンではなく、カレーを選んだわけだね」

「え?」

「なに、独り言さ」


 横にあるケトルで自家製トマトジュースをティーカップに注ぐ実良乃は、更にそこへトマトケチャップを注入し、独特な声を上げながら、笑った。


「ケチャケチャ、歓迎しよう。ようこそ、我が【アルゴリズム・ケイオス】へ」

「チームに、入って良いのです、か」

「当然さ。断る理由は一つもないし、迎える理由はいくらでもあるからね」

「ありがとう、ございます――」


 陸太の視界が、グルリと回転し始める。化学準備室の景色が揺れ始め、実良乃と化音の声が遠のいていく。気が付くと、陸太は床に倒れこんでいた。その事実を認識できるのに、身体が動かない。普段、ここまで自分の意思表示をする機会なんてなかった。だからその緊張に耐え切れなくなって、倒れこんだのだろう。ああ、力が抜けていく。陸太は、もう駄目だと思った。


 見ている世界が、暗転した。かろうじて実良乃と化音が、陸太を心配する声だけは聞こえているが、それ以外はどうすることも、陸太にはできなかった。



     †



「お疲れのようだね――ダーリン」


 ふと、陸太が目を開くと、そこには紅い長髪の女性が目の前にいた。彼女はその場にしゃがみ込み、指先で陸太の頬を突っついている。一瞬、彼女のことを実良乃と見間違えたが、正直言って横浜実良乃という女子生徒の外見は、ここまでは大人びて、いなかったはずだ。


 それでは、彼女は何者なのだろう。


「まあ、そんなことは考えなくて良いじゃないか。だって、もう、会えないのだからさ」


 会えないというのならば、何故目の前にいるのだろう。矛盾した光景である。


「これから君に何が起こるのか、私は知っているけど――決まってはいない。だから、あれやこれやと言うつもりはない。ないのだが――一つだけ約束してほしいことがある」


 それは――それは一体、何を約束しろというのだろうか。


「君が約束を苦手としていることは承知しているが、それでも――」


 目の前の女性との距離が離れていく。何故だろう、傍にいるはずなのに、傍にいたはずなのに、彼女との距離は、ものすごく遠い。


 それでも、彼女が最後に何を言ったのか、陸太にはわかったし、そもそも知っていた。


 だって、だって――彼女は、あの十年前の人工衛星墜落事故の時に同じことを言ったから。


「ナポリタン・ボナパルトの、華麗なるダーリンとして傍に――」


 傍に、ずっと、いてくれよ――そんな風に、聞こえた。聞こえたかもしれなかった。



     †



「陸太くん!」


 目の前に紅い瞳が見えた。長く、綺麗な睫毛を見て陸太は彼女が実良乃であることを認識した。一体、自分に何が起こっていたのか、理解するために時間を要したが、比較的すぐに思い出した。少し涙ぐんでいる気もする彼女は陸太が起き上がると顔を逸らして、説明した。


「ここは保健室。君はあの時、床に倒れこんで――」


 涙で濡れた顔を見られたくなかったのだろう。そんな彼女を他所に陸太は言った。


「思い出したよ、全部。まだ、断片的な部分もあるけど、全部思い出したよ。僕のこと、実良乃さんのこと。全部――全部、ね」

「え? わ、私のことかい? 何を言って――」


 実良乃の反応は、当然である。


 陸太と実良乃は、先日廊下であったのが初対面だ。過去に二人の接点はない。それは陸太も知っている。何故自分がこのような言葉を発したのか、陸太本人にもわからなかった。


「わからないけど、思い出せた。思い出せたけど、わからない」

「妙なことを言うね、君」

「僕はカレーラン・ペリゴールだからね、当然だよ」

「え、あ――え?」

「ふふっ、華麗だね」

「大丈夫かい? 頭をどこか打ったのでは――」


 口調が変わった陸太を見て、慄く実良乃。しかし、その喋り方に覚えがあった。


「そういえば声紋のサンプルを録音した時に聞いたカレーランの声はそういう喋り方――」

「ふふっ、華麗だね」

「いや、だから! 本当に大丈夫かい?」

「問題ないぞ」


 保健室の扉を開けて、化音が入ってくる――片手にカレーパンを持って。


「それっ」

「華麗にキャッチ!」

「はい、はい。わかった、わかった」


 化音が投げたカレーパンを、陸太がキャッチする。それを彼は華麗に頬張っていく。見事なことに、保健室のベッドにはパンくずやカレーは一切こぼれていない。まさしく華麗なる食事。


「最高にデリシャスだ! エレガントかつ、ジューシィが重視されているね!」

「そういうわけで、この状態になった陸太は、どうすることもできない。自然に波が収まる時間を、待つしかないだろう」

「ケチャケチャ――」

「は?」

「ケチャケチャ! そうか、そうか! 君にはこんなにも興味深い個性が隠れていたのか! いやはや、少々甘くみていたようだ!」

「甘いはずないよ、華麗だもの」

「これからは遠慮せずに、その個性を発揮してくれたまえ! 楽しいし、面白いからね!」

「い、いや――あんたも十分個性的だよ、先輩……」


 困惑する化音を他所に、陸太と実良乃は高らかに笑いあうのであった。


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