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#2 何故なら私は

「『テリヤキ=チキン・フランスパンの冒険』か。良い趣味だね」


 陸太が目を覚ますと、見慣れない光景が目に入ってきた。


 見慣れないだけで、知っている光景ではある。ここは化学室だ。正確には化学準備室のはずだ。しかし、この部屋は校内案内図と比較しても少々広い気がする。


 そもそも、陸太は何故、こんなところにいるのだろうか。


「あれ」


 陸太は、耳に着けていたはずのヘッドホンが無いことに気づいた。ヘッドホンを着けないと、悪意が聞こえてしまう。そんな衝動に駆られ、慌てて起き上がる。


「痛っ」


 手首が痛い。激痛という程ではないが、何か違和を感じる。奇妙な感覚だ。思う通りに動かせない。陸太は戸惑いを隠せなかった。


「動かさない方が良いよ。私が握った時、手首を少々捻ったようだからね」

「誰! 誰!」

「まずは手を胸に当てて、呼吸に合わせてゆっくりと撫でる。呼吸は深く、手は穏やかに」


 聞こえるはずの悪意が聞こえない。少なくとも、彼女からは。


「そうだ。良いぞ、ここには私と君しかいない。悪者は、どこにもいないんだ。私は君の敵ではない。味方には成り切れないかもしれないが、味方になろうとはしていることを、君には理解してほしい。良いかな」


 陸太は呼吸を整え終えると、窓を見ながら、横目で彼女を観察する。


「こっちを見ても、私は怒らない。目を見て話してくれた方が、嬉しいな」

「はい、です」

「君に話すことが三つある。話しても良いかな」

「はい、良いです」

「一つめ。君には申し訳ないけど、荷物の中を確認させてもらったよ」

「身元確認、ですか」

「その通り。二つめ、私の名前は横浜実良乃(よこはまみらの)という。この高校の二年生だ」

「二年生、先輩――わ、悪者!」


 途端に陸太が怯え始めて、頭を抱える。身体は、震えていた。


「ふむ、どうやら上下関係に恐怖心を抱いているようだね」

「怖いことをしないで、ください! 僕のせいにするの!」

「落ち着きたまえ。私は君が以前関わっていたような人間と同じではない。君に恐怖を与えないし、責任を押し付けたりしない。悪口を吐き捨てないし、敵にはならない。約束しよう」


 約束。その言葉を聞いて、陸太の心は、更に荒ぶる。


「守らないくせに! 破るくせに! 僕のせいばかり!」

「不味いな。約束というワードは火に油を注ぐだけであったか」


 実良乃は慌てて、着ている白衣のポケットからストラップが付いた赤い札を取り出した。白い十字に白いハートが描かれているその札を、陸太の目の前に差し出す。


「三つめに言いたいこと。それは、私と君は似て非なるということだ」

「ヘル、プ、マーク」

「そう、これはヘルプマーク。君が持っていた、ヘルプマークだ。鞄の中に閉まってあった」


 実良乃が差し出した札は、ヘルプマークであった。援助や配慮を求める際に提示し、周囲に知らせることができる札である。


「君は、発達障害――アスペルガー症候群、即ち自閉症スペクトラム障害だろう」

「なん、で、ですか」

「姉さんから聞いていたからね。新入生に、私と同じ特性を持った生徒がいると。プライバシーの侵害ではあると思うが――姉さんは悪くない。私が無理矢理、聞き出した」

「姉、さん?」

「化学教師の横浜兎里乃(よこはまとりの)先生のことさ。彼女は私の姉だ」


 どうやら自分の担任教師と、目の前の少女は姉妹であるようだ。陸太は理解した。


「私と君が同じように診断されていたとして、それが君にとって、何の安心材料にもならないことは、重々承知だ。診断名が同じだけで、障害特性は大きく違うだろうし」

「怖く――ないの、ですか」

「相手に障害を打ち明けることが、かい? 怖いさ。私だって、誰にでもホイホイ言いまくっているわけではない。理解されるとは限らないからね」

「だったら」

「だけど、私はシツコイ人間でね。理解されないなら、理解してもらうまで、相手を私の色に染め上げるだけなのだよ」

「不可能、です」

「いいや、可能だね。何故なら私は、ナポリタン・ボナパルトだからだ」


 実良乃の口から放たれた名、ナポリタン・ボナパルト。


 陸太は混乱している頭を物理的に両手で押さえ、思考を整理する。捻った手首が痛むが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。


 両手で頭を押さえたことで、ヘッドホンを疑似的に着けているような気分になり、外部の音が遮断されていく。内側の世界が形成され、落ち着きを取り戻していく陸太。


「あのゲーム、の」

「そう、三年前に行われたクラウンズ・クラウンの世界大会。そこでチームを優勝に導くも、誹謗中傷することしか能がない連中にありもしない不正を疑われ、プロゲーマー業界から追放された一人のプレイヤーがいた」

「ええっと、確か、その人は【ベイブリッヂ】というプレイヤーネームの――」

「そう! 私の姉、横浜兎里乃だ! 今は教師として働いているがね」

「では、あなたは、【ベイブリッヂ】さんが、不正を疑われるきっかけとなった、あのカスタマイズを施した、【ナポリタン・ボナパルト】さん、本人なの、ですか」

「いかにも、だよ」


 陸太の、頭の中の霧が徐々に、徐々に、晴れていく。


 【クラウンズ・クラウン】とは、五年前から世界を熱狂させているマシーンアクションゲームのことだ。仮想空間上にプレイヤーの思考回路に基づいた疑似人格を用意し、その疑似人格が乗り込んだ【クラウン】という道化師の名を冠した機動兵器を操って、用意された様々な条件の試合を制していく――そのような内容の対戦ゲームであると、陸太は記憶していた。確か、【ロストピリオド】と呼ばれる最新技術が使われているとか、プレイヤーの思考をダイレクトに疑似人格と共有することができるとか、そんな話を、ゲーム特集ウェブサイトで見たことがあるような気がする。陸太は自身の記憶を芋づる式に引っ張り上げて、この話題についての知識を総動員させていく。


 陸太は、覚えることは苦手だが、思い出すことは大の得意であった。


「あ、あの――その、ナポリタンさんが、僕に、何の用ですか」

「良い質問だね。そう! ここからが本題なのだよ!」


 かつて、クラウンズ・クラウンの世界大会でチートを疑われたプレイヤー、ベイブリッヂ。


 彼女の妹である実良乃が、陸太を階段まで追いかけてきた理由は何なのか。


「まずは、この本を君に返そう」

「あ、ありがとうございます」


 実良乃から一冊の小説を返してもらった陸太は、それを大切に両腕で抱えた。この本は、幼い頃に、両親に買ってもらった児童文学風のライトノベルである。


 両親との思い出の全てが、この本に詰まっていると言っても良い。陸太は遠い日の思い出を開けようとして、その扉を閉めることにした。


 思い出してはいけないような、そんな衝動に駆られて、鍵と鎖で、記憶の扉を縛り付けた。


「大丈夫かい? 少し、疲れているようだが?」


 陸太の両親は、十年前の人工衛星墜落事故に巻き込まれてこの世を去っている。今は母親の妹夫婦に育てられている陸太。自身の発達障害もすんなりと受け入れてくれた育ての親には感謝の念しかないのだが――同時に気になることがあった。


 あの事故の時、地面に倒れていたのは、父と、母と、そして、あの女の人は――


「おーい、陸太くん? もし、もーし」

「ひゃっ! ご、ごめんなさい!」


 いつの間にか至近距離まで近づいていた実良乃の瞳を見て、慌てふためく陸太。そういえば、彼女も陸太と同じ障害特性を持っていると言っていた。他者との距離が測りづらいのだろう。だから、こんなにも近づいてきたのだ。眼鏡の奥の綺麗な睫毛が印象的であったが、陸太はそれを覚えることはできなかった。一瞬の出来事で、覚える余裕が無かったのだ。


「話を戻すけど、良いかな?」

「は、はい」

「君にお願いがある。だから君を捜していた。そして落とし物を拾ったから、追いかけた」

「ええっと、その、お願いというのは?」

「間違っていたら、申し訳ないが――君、【カレーラン・ペリゴール】だろう?」

「な――な、なんで! それをっ!」

「落ち着きたまえ。誰にも言っていないから、君の正体は私しか知らない。誰かに言うつもりはない。これまでも、これからも。君を脅迫したいわけではないのだよ」


 再び混乱しそうになる陸太。彼にとって想定外の状況は強烈なストレス要因である。思わず大声を張り上げて、心の中を空っぽにしてしまいたかった陸太だが、入学したばかりのこの学校で問題を起こしたくなかったため、グッと堪える。


「君がバーチャル配信者のカレーラン・ペリゴールであることは、声紋調査で明らかになっている事実だ。ああ、もちろん調査結果は既に、厳重な形で破棄しているから安心してくれ」

「目的、を――目的、を、教えてください」

「おおっと。話が遠回りしてしまうのは私の、悪い、クセだ」


 実良乃はケチャップのように真っ赤なトマトジュースが入ったティーカップを口に運ぶ。


「私のチームに入ってほしいんだ」

「チーム?」

「そう! クラウンズ・クラウン専門のゲーマーチームだ!」

「む、無理です。だ、って――」

「理由を聞こう。それは、君自身の問題なのか、障害の問題なのか」

「それ、は」

「まあ、無理強いはしないがね。ここまで話を聞いたんだ。少しくらいは前向きに検討してほしいものだね。まあ、せっかく知り合えたんだ。チームの話は置いておいて、これからも気軽に遊びに来てくれると助かるよ」


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