花の神殿(前編)
「よ、よし、行きますよ……!」
フミカはゴクリと息を呑む。
空間に投影されたアイテムウインドウ、その貴重品覧。
四つある項目のうち、一つのアイテムをタップする。
と、行動選択表示が出てきた。
閲覧、廃棄、格納などいくつかある行動のうち。
配合を選択する。
色違いのそれを全て選択。
『複数のアイテムを組み合わせます。よろしいですか?』
「はい!」
フミカの目の前にあるアイテムが出現した。
その名を、封印扉の鍵。
凝った名前よりも、シンプルな名前の方が良い場合もある。
「できました!」
これまでいくつかのフィールドを駆け抜けて入手した鍵のパーツが、ようやく一つなって、使用可能なキーアイテムへと変化した。
そのカギを持って赴く場所は一つしかない。
狭間の分岐路。
封印扉の前に、フミカたちは揃っていた。
「ようやく、か」
ナギサが感慨深く呟く。クリアを焦ったナギサは、パーツの一つを使って扉が開かないか急かしていた。
あの時はうんともすんとも言わなかった。しかし、今は。
「では、行きますよ」
「お願いしますわ」
「開けちまえよ、さっさと」
慎重に、巨大な鍵を穴へ突き刺す。
ゆっくりと回して、カチリ、と小気味の良い音が響いた。
後に続くのは、機械仕掛けのような音。
扉の仕掛けが、何重ものロックが外されていき、怪物サイズの封印扉が音を立てて開き始める。
「おお……!」
重厚な仕掛けに感銘を受けるフミカの瞳に、先が映った。
「これは――」
「また森かよ」
うんざりするカリナ。現代社会とは違って、ファンタジーのフィールドの引き出しなどそうバリエーション豊かにはならない。
ただ一見するとただの森であっても、虫沼の楽園や忘却されし屋敷とはまた空気感が違った。
「行こう。私が先導する」
「はい……!」
頼もしいナギサの背中を追いながら、整備された森の中を進んでいく。
ただの森であるはずなのに、妙な感じだ。
同じ違和感を覚えているのか、みんなの表情が硬い。
「なんか、変な感じだな」
「だよね。神秘的って言うか、神々しいって言うか……」
「楔への道筋、ですからね」
――楔の守護者によって、扉は封じられている。まずは鍵を集めたまえ。
謎の青年の指示に従って、扉の先に来た。
フミカたちは楔の守護者を討伐したのだ。
改めて考えると、とんでもないことをしている気がする。
画面の前では気楽にできることでも、こうして実体を持って行っていると、現実味を帯びてくる。
これは本当に正しいことなのか……なんて。
そんな考察の迷宮から逃れるべく、フミカは自身の腕を軽く振って見せた。
精確には、銀に輝く手甲を。
「本当にもらっちゃって良かったの? カリナ」
フェイドの手甲。
課す者の試練を突破した報酬として、扉の鍵と共に宝物庫に仕舞われていたものだ。
きっとそれも、考察ポイントなのだろうが。
「あたしが持ってても宝の持ち腐れだ」
「でも、カリナが勝ち取ったものだし――」
「だからだよ」
「え?」
「あたしの物だからだって」
カリナは照れくさそうにそっぽを向いている。
カリナの物=フミカの物。
その方程式が脳内でできあがって、フミカも顔を赤らめた。
「仲良しで良いこと、ですわね」
「そう言いながらも浮かない顔だな。どうした?」
「課す者の言葉が、気になりまして」
ヨアケが物憂げにナギサへ返答する。
「課す者、ですか……」
フミカも思考をゲーム仕様へと戻した。
課す者はエレブレシリーズの常連キャラ。つまり、物語のキーキャラクターの一人であることは間違いない。
これまでの作品でも彼はプレイヤーを導いてきた。先生なんて愛称で呼ばれることもあるくらいだ。
そんな先生は、意味深な言葉を残している。
「忘れるな。命の輝きとは何かを。真の輝きとは目に見えぬものだ。見た目の美しさに、ゆめゆめ惑わされることなきよう」
「見目の麗しさ、か……」
「神花……」
金色に光る巨大な花。かの花は人々を引き連れて、巨竜と対峙していた。
人々の守護神のように。
……本当にそうなのだろうか?
「ねえ、ミリルはどう思う?」
「死なないのは良いこと、だとボクは思うけど」
「そうだけど……」
幼い頃に、漠然とした死に対する恐怖を抱いたことを思い出す。
なぜだか、怖くて、こわくて、たまらなかった。
自分が、そして家族が死ぬんじゃないかと。
しかしアルタフェルド王国は、その憂いから解放されている。
死ぬことはない。殺されてもリスポーンできる。
それは他のゲームも同じだ。
キャラクターは死んでも、プレイヤーが死ぬことはない。
「死なないなら、幸せでしょ。……幸せな、はずなんだよ」
ミリルの呟きには、実感がこもっているように感じられた。
「う、うおおおおおっ!!」
先程のシリアス感とは一転、ハイテンションなフミカは大声を響かせた。
白と金で彩られた古めかしい建造物が、その声を反射する。
カリナはうんざりした表情を浮かべた。
「うっせえ!」
「来たよ、キタコレ! 多くのファンタジー好きのテンション爆上げ間違いなしの建物!」
フミカは声高らかにその名を告げる。
「神殿だぁ!!」
両手を広げるフミカの前にそびえ立つ神々しい場所。
神がおわす聖域。
神殿に負けじと豪奢に手入れされた庭園には、たくさんの花が咲き誇っている。
「花の神殿、ですか」
「そこだけを聞くと、テーマパークのようなものだな」
確かにそういうコンセプトの公園とかがあってもおかしくはなさそうだ。
しかしここは現実にありそうなそれとは間違いなく違う。
ルンルン気分に庭園へ足を踏み込んで、
「ムギャグオオオ!!」
というこの世の物とは思えない叫び声を聞く。
「でっ、うわッ!?」
「チッ!」
硬直したフミカの横を飛翔する炎。
魔法の直撃を受けた毒々しい色の花が炎上し、悶えている間にカリナが打倒した。
「油断し過ぎだぞ、フミカ」
「えっと、うん、ごめん」
謝罪しながら、その背中を見る。
課す者の試練を経て成長した、たくましい後ろ姿を。
金髪の魔法少女はもはや初心者ではなく、一人前の戦士だ。
「何にやけた顔してんだ?」
「だってさぁ、えへへ」
友達がゲームにハマってくれたら、間違いなく嬉しいのだから。
「バカ言ってねえで行くぞ。神殿とやらに」
カリナはそそくさと神殿へと駆け出した。
もうわかる。きっと、照れ隠しなのだろうと。
様子を窺っていたヨアケがその肩をポンと叩いた。
「なんです?」
「いえ。あなたはやはり、素晴らしいお方です」
「ふっ、だろう?」
なぜか得意げなナギサに後押しされて。
フミカたちはカリナを追いかけた。
この神殿の神々しさを表現するには、フミカの語彙では役者不足だ。
それでも、豪華で美しいということだけは伝えられる。
あちこちに刻まれた花の意匠。金色に輝く花飾り。
何と言っても目玉は、中に入った瞬間に出迎えてくれる巨大な神花の像だろう。
イメージとしてもっとも近いのは、大仏様だろうか。
奈良とかの。
「いやはや、なんとお詫びをしていいか……」
コツコツ、と反響する足音。
フミカが視線を移すと、薄暗い場所から人影が近づいて来ていた。
柱に設置された灯りに照らさせて、その容姿が露になる。
一言で言い表すなら魔女、だ。
桃色髪の女性。
妖艶な笑みを湛える彼女は、金に装飾されたローブに身を包んでいる。
「警報装置が反応し、無礼を働いたみたい。ごめんなさいね、勇敢なる方々」
「あなたは?」
「私はフラ。このように呼ばれてるわ」
フラと名乗った女性は、フミカの前へ踏み込んできた。
「花の魔女、と」
「ち、近っ」
オラクルといいエンクレルといい、どうしてこう距離感バグったキャラだらけなのか。
「うふふ、驚かせちゃった?」
お茶目に笑うフラ。
く、悔しい。でも可愛いから悔しくない。
むしろご褒美――。
そこまで思考を回して、背後からの殺気に気付く。
「い、いやいや違うよ!?」
言い訳がましく手振りで否定する。カリナへと。
だがフラはシステム的な影響か、お構いなしだ。
「しかし、いろんな匂いがするね。勇敢なる君」
スンスン、とフミカの匂いを嗅ぐフラ。
当然ながらフミカは慌てる。
「えっ、私って匂う……?」
「それはとても。君ってばかなりの浮気性だね」
「う、浮気だとかそんな!」
「お前最低だな」
「確かに節操なしかもしれませんわね」
「そういう傾向はあるのかもしれん」
「ちょ、ちょっとみんな!? うっ……!?」
弁解する間もなく、フラはこちらをじっと見つめてくる。
血のような赤い瞳だ。
じっと見つめられていると、取り込まれそうな気がしてくる。
「選択肢が多いのはきっと、いいことよ。けれど」
フラがくるりと身を翻し、杖を一振り。
一面に花が咲き誇る。
「優しいだけでは、誰も救われないの」
次の瞬間、花々に火が点いた。
唖然とするフミカの前で花たちが悶え苦しんでいる。
「君も見たはず。王国のあちこちで、楔が狂っているのを。神花は老いている。例えちっぽけな栄養を与えたところで、少し寿命が延びるだけ。だったら」
花を燃やし尽くして、炎が消える。無情な光景だが、それでは終わらない。
焼け焦げた花の隙間から、新しく芽が這い出てくる。
「言うなれば、花焼きかな。焼けた花が養分となって、新しい花が芽生える。熱心な信徒たちには悪いけれど、酷なことでしょ? 老いた者を働かせるのは。だから、新しい子に託すの……楔をね」
フラは再度フミカに顔を近づけて、
「勇敢なる君なら、誰が正しいのかわかるよね?」
その囁きに背筋がぞくりとした。
「フミカを誘惑すんなって!」
我慢できなくなったのか、カリナが殴りかかる。
それをひらりと躱して、杖を後ろ手に回したフラはゆっくりと下がっていく。
「まだ君は悩んでいるのかもしれないけれど、すぐに答えは出るはず。待っているよ……王城の先、神のいる場所でね」
そして、暗がりの中に消えていった。
「び、びっくりした……」
「ふん。どうせまた鼻の下を伸ばして――」
「ううん、ありがとうカリナ」
「お、おう……?」
礼を言って、息を整える。
正直なところ、かなり心をかき乱された。
なんて言うか、今まで出会った人々よりもレベルが違うように感じる。
心が縛られかけるほどの強い意志。
こちらに選択を委ねられているようで、実は違う。そのような。
「語り口調は親密だが、警戒すべき人物のように思うぞ」
「今更かよ。怪しい奴はこれまでも何人だって――。いや、ナギサが言うならマジでヤバいのか?」
ナギサが警戒しない理由は、迂闊だからではない。
「よく調べた方が良さそうですわ。神花への対処方法についても」
花の魔女であるフラは燃やせと言った。
花教のシスターであるエンクレルは養分を与えろ、と。
どちらが正しいのかを、見極めなくてはならない。
いや……選択肢は本当にその二つだけなのだろうか?
「とにかく花の神殿を攻略しないと……」
「つってもここ、ダンジョンって感じがしないけどな……」
カリナが神殿内を見渡すが、敵らしい存在は見当たらない。
「貴殿、こっちだ」
急に声を掛けられて肩を震わせる。
が、聞き覚えのある声のため警戒はしなかった。
「カンパニュラさん!?」
柱の陰に隠れて、馴染みのヘルムが顔を覗かせている。
小走りで近づくと、かの騎士は声を潜めた。
「静かに。簡潔に言おう。神殿には数多くの秘密が隠されている」
「秘密とは、なんでしょう?」
ヨアケの問いに彼は答えない。いや、答えられないと言った感じだった。
「誓約のせい……おかげで、私では入れない場所も、貴殿ならば。何を成すのか、選ぶのは貴殿だ。選ばされてはいけない」
「カンパニュラさん……?」
彼の声音はどこか苦しそうだ。
「私はこれから王都に赴く。いずれ断罪もなされるだろう……。貴殿の行く道に、真なる花の加護があらんことを」
「真なる……? 待って、カンパニュラさん!」
これまでの誠実な対応とは裏腹に、カンパニュラは急ぎ足で先に向かってしまった。
どう見たって焦っているが、その理由を教えてはくれない。
これもまた、こちらで考察するしかないのだ。
エレメントブレイヴはそういうゲームなのだから。
「フミカさん――」
「ええ、わかってます。行きましょう! 神殿の秘密を探りに!」
フミカたちは歩き出す。神殿の秘密を暴くべく。
「ボクは暴いてはいけない秘密って、あると思うけどな」
背後から真顔で見つめるミリルに気付く様子もなく。




