竜塵砂海(前編)
何度殴られようとも、諦めようと思ったことはない。
勝つことしか頭になかった。
他はどうでも良かった。
喧嘩をするのは、勝ちたいからだ。
負けるためにするやつなんて、いはしない。
「く、くそ……あちぃ……」
降り注ぐ太陽光が。
背中に纏わりつく砂が。
カリナの全身を、燃やしてくる。
このゲームで、こうして天を仰ぐのは二度目だ。
一度目は風紀委員……ナギサとの決闘で。
そして、今回は――。
「その程度か? お前の闘争心は」
「チッ、うるせえ!」
カリナは砂を踏みしめて立ち上がる。
視線の先には、外套で全身を覆い、拳を握りしめる戦士がいる。
※※※
「最近の夏ってすごい暑いですよね……」
「そうだな」
「でも、ゲームって、暑さを感じない素晴らしい趣味ですよね」
「そうだな」
「でも、なんで……なんでっっっ!」
「どうした? フミカ君?」
「どうして――こんなクソ暑いんですかぁ!!」
フミカの絶叫が響き渡る。
草木の生えない、砂漠の真ん中で。
「無意味に叫ぶな。気力を失うぞ」
「でも、でも……! おかしい、おかしいですよ! ゲームってのは、夏はクーラーでキンキンに冷えた部屋の中で! 冬はほっかほかにエアコンで暖められた部屋でやるもんなんです! なのに、これはどういうことですか!? 灼熱じゃないですか!?」
「ごちゃごちゃ言うなよ。余計に暑くなる……」
隣のカリナも、暑さに参っているようだ。
こういう時に窘めてくれるヨアケは、珍しく微笑んだまま何も言わない――かと思えば。
「ふふ、ふふふ……溶けます」
「おっと」
ダウンしかけたところを、ナギサがすかさず支えた。
よく見るとその顔は真っ青だ。不滅の身であるため死にはしないが、不快感はそのままらしい。
「せめて暑さを和らげるとかできないの? ミリル!」
「我が儘だね。ボクにそんな力があると思う?」
気だるげに応じる妖精。思い返されるのは、咎人牢墓での一幕。
不思議な力で最強魔法を行使したミリルの姿だ。
「みんな好き勝手言ってくれちゃって……」
「ミリル?」
「ううん。なんでもない。無理なものは無理だよ」
取りつく島もない様子できっぱりと否定されてしまった。
つまりこのまま耐えねばならないということ。
この灼熱地獄を。
「ゲームなのに……ゲームなのにっ!」
「鎧を着てるから暑いんじゃないのか?」
エレブレシリーズに体温の概念はないが、見た目からして暑苦しいのは確かだ。
フェイドの銀の鎧は太陽光を乱反射して、ビカビカに輝いている。
「確かに!」
フミカはメニュー画面をポップさせ、装備画面へと移動。
鎧を選択したところで、カリナと目が合った。
「……や、やっぱいいかな。敵も出てきますし」
「おう……」
「なんだ。気付いていたのか」
「え?」
きょとんとするフミカと、訝しむカリナ。
ぐったりと微笑むヨアケを支えるナギサは、さも当然とばかりの口調。
「ん? 違うのか? 今に出てくるぞ。ほら」
予言でもしてるかのように。
ドゴン、と轟音を上げて砂がばら撒かれた。
何かが地面から這い出てきた。
そう認識した瞬間に、細長い何かは飛び掛かってきた。
「わッ!?」「なッ!」
「ふむ」
唯一反応したナギサが、サーベルを投擲。
抜き身の一撃が頭部に突き刺さって怯む。ようやく全貌を視認できた。
「トカゲか!?」
「いやドラゴンだよ……!」
ステージの名前で予期はしていたが、まさか砂中から出てくるとは。
投擲を受けた小柄なドラゴンは砂上に落下。フミカ&カリナの連携攻撃で、反撃すらできず沈黙した。
「ドラゴンの棲み処ってわけか。ここが」
「そうだね。ヨアケさんはどう――」
思いますか? とは聞けなかった。
微笑みながら硬直している。溶けて、しまっている。
完全無欠に見える生徒会長の、新しい一面だ。
「意外か? ヨアケは昔からそうだぞ。暑いのも無理ならば、寒いのも苦手だ」
「そうなのか? けどよ、学校で見た時は……」
「痩せ我慢だ。光明院家の跡取りとして、また才能に恵まれた、資質ある人間として、あらゆる人間の理想形……憧れのように振る舞わなければならない。と、彼女は自らを定義づけている。だから、例え本心では嫌だったとしても、彼女はそんな素振りを見せない。普段ならばな」
「でも……」
「ふっ」
ナギサは嬉しそうに笑うばかりだ。
しかし今のままでは考察を進められない。
加えて敵の位置も、数もわからない。シチュエーションは虫沼の楽園と酷似しているが、安全地帯がわかり辛いという点ではこちらの方がハードだ。
「案ずることはない。敵の出現位置も数量もある程度は把握できている」
「どうやって?」
「聞こえるだろう?」
しばしの沈黙。
「新手の冗談か?」
「逆に聞くが、わからないのか?」
「わかるわけないだろ! レーダーかお前は!?」
カリナのツッコミには同意したいが、今は有難い。
それに、ここまで突き抜けてくれると一周回って楽しくていい。
「でもどうします? ヨアケさんがこれじゃ。というか、私ももう……」
「あたしも正直言ってキツイぜ。なんつーか、体感的にな」
「だらしがない、と言いたいところだが。不快なのは否定しない。ヨアケもこの状態だしな」
目につくのは岩ぐらいで、広大な砂漠の海が目の前に広がっている。
体力は平気でも、精神的に削られる。
精神力を試される死にゲーで、精神をやられるのはまずい。
「どこかに避暑地は。おい、ミリル」
「見てくるのはなし」
「……ひょっとしてお前も暑いのか?」
「ボクは平気だもん」
と言うミリルも心なしか覇気がない。
脳内で危険信号が点灯している。たかが暑さ。されど暑さ。
例え熱中症にならなくとも、動けなくなってしまえばゲームをクリアできない……!
「ふむ。妙だな」
「……どうか、しました?」
喋るのも億劫になってきたフミカに、ナギサは右斜め先を指し示した。
「敵の動きのない場所がある。静止しているのか、そもそも存在しないのか。いや、後者の可能性が高いな」
「安全地帯……か?」
「それに、微かにだが。水音のようなものが――」
「失礼します!」
ヨアケの装備品から双眼鏡を借りて、指された方角を確認する。
見えたのは色鮮やかな緑色。そして……。
「オアシスだぁ!!」
「あぁー生き返るぅ」
「なんかおじさんみたい」
「なんでもいいよ。気持ちいいー」
フミカは浸かっていた。砂漠に突如として現れた楽園。
オアシスの泉に。
ミリルの指摘通り、その姿は温泉でリラックスするおじさんそのもの。
しかして、そんな外聞などどうでもいい。
それだけの極楽さだった。それに、そんなことを言っているミリルも泉で身体を冷やしている。
「結局暑かったんじゃん」
「うるさいな」
「プールとか大嫌いだったけど、こういうのはありかもねえ」
「プールサイドにいると暑い暑いって言うくせにな」
「カリナ。ヨアケさんは?」
「泉に放り込んだら復活した。ほら」
「ご迷惑をおかけいたしました……」
いつになくしおらしいヨアケの姿はまたまた新鮮だ。
それを満足気に見つめるナギサ。
彼女も泉の冷たさを堪能している。下着姿で。
「ぬ、脱いでるんですね……」
「君も鎧を脱いではどうだ。足を踏み外して溺れかねんぞ」
「そう、ですね」
ちら、とカリナへ目線を移す。カリナはそっぽを向きながら魔法少女チックな衣装を外した。スレンダーな肢体が露となる。
「まぁ、温泉みたいなもんだし……」
「つまり冷泉ってことだね」
「とどのつまり、ただの泉ではないでしょうか。ふふふ」
ヨアケもまた暗殺者風の装備を外す。
そして、豊満な身体つきが披露された。着衣の上からでも大きいと思っていたのに、実際には、かなり……。
キャラクリで、多くの人間がうっかり高くしてしまうであろう項目が、天然自然に育成されている。
「……チッ」
「か、カリナ?」
不機嫌な舌打ちを久しぶりに聞いた。戦々恐々とするフミカを、ナギサが押しのける。
「あ? なんだよ――おわああああ!!」
絶叫するのも必然だ。ナギサが右手で作ったピースサインが、カリナの両目に突き刺さったのだから。
「何すんだ!?」
「目潰しだが?」
「行為を聞いてんじゃねえ! なんでしたかって聞いてんだ!」
「見るんじゃない。見世物じゃないぞ」
「べ、別に見てねーし! お前の貧相な胸なんて――」
「私は貧相ではないし、そもそも私の話ではない」
そう言うナギサのサイズは確かに、標準より少し大きめと言ったところか。
彼女が気にしているのは彼女自身ではなく、遮った視線の先で微笑む主だ。
「アホか! 別に見てねえ! というかなんだよ。彼女の姿を見るのは自分だけの特権ってことか?」
「当たり前だ」
「っ!?!?」
ぼじゃん、とヨアケの方から水音がした。
「う、うおおう」
冷静に、平常心で。とんでもないことを告げるナギサは、胸を堂々と張り、
「ヨアケの肉体美は一言で言い表せない。そんな人間国宝級の身体を拝見したいのならば、それ相応の資格が必要だ」
「でも私はいいんですか?」
「君からは邪念を感じないからな」
なぜかフミカはセーフらしい。邪念ならば、人並みに持ち合わせているのだが。
それでも確かに、尊敬する生徒会長にそんな邪な気持ちは抱かない。
けれど、それはカリナも同じでは?
「あたしだって別に変なことは考えてねえよ!?」
「嫉妬も立派な邪念だぞ。いくら胸が小さいとは言え――」
「売ってるな? 喧嘩売ってるよな!? 買ってやるぜ上等だ!」
「いいぞ。何度でも相手になろう」
喧嘩の火蓋が落ちて、水の掛け合いが始まった。
巻き込まれないよう距離を取ったフミカは、ヨアケに話しかけようとして、気付く。
ヨアケは顔の下半分を沈ませてブクブクと泡を立てていた。顔が赤い。
「ヨアケさん?」
「ちょ、ちょっと暑いですわね。困ったものですね……」
ほてりが鎮まるまで、ヨアケはずっとそうしていた。
息継ぎを繰り返しながら。
※※※
好都合の光景。
意図して設定したものではなかったが、彼女たちは水浴びを満喫している。
この楽しさもまた、現実では味わえないものだろう。
砂漠の真ん中で水遊び、なんてやろうと思ってやれることではない。
ヨアケの財力なら不可能ではないだろうが、率先してやろうとは思わないはずだ。
この体験もまた、フミカたちの脳に刻まれる。
その思い出は、彼女たちを侵食する。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。
五感を通し、記憶中枢である海馬へと記録される。
(うまく、いってる。計画通り……)
ナギサの水鉄砲を食らったカリナが、手を激しく動かして水を飛ばしている。
フミカとヨアケはエレブレ4の話で盛り上がっている。
ミリルの身体は、心地の良い泉のひんやり感を味わっている……。
首を横に振って、集中する。
ゲームも中盤だ。もう少しで終盤に差し掛かる。
何も問題はない。全てうまく行っている。自分の才能が恐ろしくなるくらいに。
笑えばいい。嘲笑えば。
この泉のように冷たく、笑ってしまえばいいのに。
「おーい、ミリル!」
「……なに?」
フミカに呼ばれて、ぶっきらぼうに応対する。
「ちょっと話そうよ。エレブレについてさ。ミリルも知ってた方がいいでしょ?」
フミカの言葉には一理ある。
「それも、そうか。わかった。いいよ」
ミリルは、水を温くするほどの熱量で語るフミカのエレブレ談義に加わった。
「で、本当に酷かったんですよ? 信じられないクソボスでした! ひたすら落下死を狙うという姑息な戦法を使うボスでして――」
思い出は刻まれる。
誰の胸にも、平等に。




