虫沼の楽園(中編)
「こ、これは流石に……」
あまりにも恐ろしい光景に、絶句する。
カナブンが闊歩し、ミミズが地を這う。
セミが空を舞い、バッタが跳ねている。
大量の虫たちが蠢いていた。
これまでとは数が違う。
戦うのも逃げるのも、困難なのは明白だ。
「何の策もなく、突破するのは難しそうですわね」
ヨアケとフミカは同意見だった。
ナギサの援護射撃で切り抜けたミミズの群れが、可愛く思える。
それぞれの虫の数を合わせて五十……いやそれ以上にいるのではないだろうか。
四人全員で突撃したとしても、全員は辿り着けない。
では迂回路があるかというと、そういうわけではなさそうだ。
虫集団の背後に、しおれた楔の花が見える。
「やれないこともないと思うが」
ナギサは自信に満ち溢れた提案をし、
「あのミミズは、口から粘液を飛ばすようです。粘液塗れになるわたくしの姿を、そんなに見たいのですか?」
意地悪な笑みを浮かべたヨアケにたじろぐ。
「……そんなつもりはない。だが、どうするんだ?」
「フミカさん。こういう時は何か攻略法があるのでは、とわたくしは思うのですが」
話を振られて、フミカは思い返す。
「ちょっと、気になることがありまして」
「な、なんだよ……」
ちらり、と絶望しているカリナを見る。
「さっきいたところ、なんだけどさ」
フミカたちは、分断後の陸地の手前で止まっていた。
上を見上げる。
クモの巣が広がり、その主であるクモがいた。
その隣にはハチが捕まり、苦しそうに悶えている。
「あれは、クマバチですわね」
「あーそうか、そういう名前でしたね」
ミツバチよりもずんぐりとした、大きなハチ。
近づかれて、驚いたことがある人も多いだろう。
「クマバチは、その見た目と羽音から誤解されがちですが、温厚なハチなのです。人を襲うことも、滅多にありません。こちらから危害を加えたり、巣に接近しすぎなければ。オスには針もありませんしね」
「そうなんですか……?」
昔、クマバチに追われて逃げ回った記憶があるが、あれは逃げ損だったのかもしれない。
「で、どうするんだ?」
「助けるのがいいかと」
ナギサがクロスボウを取り出した。
フミカとヨアケも、メイスとナイフを装備する。
ナギサの矢がクモに直撃し、落下してきた。
ひっくり返った巨体を、ヨアケと協力しながら攻撃する。
クモがダウンから復帰した。されど、クモの行動パターンはわかっている。
前足を使った打撃と、鋭い牙による噛みつき、尾から放たれる糸攻撃だ。
焦らなければ、ダメージを負うこともない。
「え、あ、待って……! 置いてかないでくれぇ……!!」
我に返ったカリナが、小剣をクモの尻に突き刺す。
ナギサも参戦して、滞りなく倒すことができた。
「これで……!」
クモの消滅と同時に、クモの巣が消えた。
自由になったクマバチが、ホバリングしながら接近してくる。
その羽音は強烈だが、敵意はなさそうだった。
フミカたちの周りを嬉しそうに飛び回ると、何かを投げ渡してきた。
何かは、ぽとりとカリナの目の前に落ちる。
普通サイズのミミズだ。
「ひぐうああああー!?」
「落ち着け」
逃げ出す前にナギサが拘束し、事なきを得る。
フミカはちょっと嫌な気分になりながらも回収した。
飛び去るクマバチを見送りながら、テキストを確認。
〈クマバチの返礼品。虫沼の大ミミズが成長する前の姿。人の身では価値を見出せないが、それを欲しがる存在もいるだろう。与えてみるといい。きっと喜び、飛び立つはずだ〉
「これって――」
フミカは直感的に理解した。
アイテムをみんなと共有する。
ヨアケは頷き、ナギサも首肯し、カリナが絶叫した。
「では、早速参りましょうか」
「ええ、行きましょう!」
騒ぐカリナを宥めながら、楔の花へと直行。
転送コマンドを選択した。
美しくも、破壊された庭園の中に転移する。
滅ぼされた洋館、そのボスエリア。
マルフェスと戦った場所に。
「おーい、マルフェスー!」
フミカは声高らかに呼ぶ。
赤き巨鳥。
エレブレ4初めてのボスにして、運び屋を担ってくれた恩義な不死鳥を。
上空を旋回していたマルフェスが、降下してくる。
「あ、来た来た――ん?」
様子がおかしい。
そう気付いた瞬間にはもう、両足で攫われていた。
「え、えっ? どういうこと!?」
困惑するフミカの真横に、ミリルが飛んでくる。
「たぶんだけどさ、アレが原因じゃない?」
「アレ……?」
「君さ、マルフェスのことぶん殴ったじゃない。だから、その報復」
「いやあれは不可抗力で――マルフェスさん、マルフェ、うわあああああ!!」
因果応報。フミカは地面へと叩きつけられた。
※※※
べちゃり、と目前で潰されたフミカの音に身を震わせる。
何やってんだ、と思う。
フミカに、ではない。
自分自身にだ。
カリナは、フミカたちにおんぶに抱っこの状態だ。
いくら虫が苦手だと言っても、限度というものがあるだろう。
(せめて……画面越しだったらまだマシだったんだが)
もしくはヌメヌメ系でなければ。
などと現実逃避したところで、現状は変わらない。
フミカが何を思いついたのかは知らないが、あの大群を丸ごとスルーできるというわけではないだろう。
必ず戦闘はある。自分は戦えるのか。
それとも、また……。
「全く、酷い目に遭ったよ」
楔の花で復活したフミカが戻ってくる。
糧花を回収し、マルフェスへとミミズを差し出した。
遠くからの一瞬。
それだけでも、身の毛がよだつ。
ミミズを食らったマルフェスは、天高く飛び立った。
そしてどこかへ向かう。
きっと虫沼の楽園だ。
「よし、戻ろう!」
「ああ……」
元気よく促がしたフミカに、小声で応じる。
次の瞬間には大声が出た。
至近距離でフミカが見つめてきたからだ。
「な、なんだよ……!?」
「大丈夫?」
「……平気だよ、あたしは」
嘘だ。全然平気なんかじゃない。
だが、これ以上足手まといにはなりたくなかった。
ナギサやヨアケにもそうだが、何より、フミカの邪魔をしたくない。
自分がフミカの足枷になっている事実が、受け入れがたい。
「わたくしたちは先に行ってますわね」
空気を読んだのか、ヨアケたちが先行する。
残されたカリナの前で、フミカは座った。
「別にいいと思うんだけどな。苦手なものがあっても」
「でも迷惑かけてるだろ」
「お互い様って言うんじゃない? こういうの」
フミカに倣って、カリナも座る。
庭園に咲く花の、甘い香りが鼻腔をとろかす。
正確に言えば、花の匂いだけじゃない。
フミカの匂いも、だ。
「完璧な人は、カッコいいと思うけどさ」
「生徒会長……みたいにか? もしくは風紀委員?」
「ナギサさんは弱点あったでしょ。生徒会長は、わからないけど。……完璧でいたいって気持ちはわかるよ。怖がる自分が、嫌な気持ちも」
「……我が儘言ってないで、受け入れろってことか?」
口走った後に、後悔する。
今のは嫌な言い方だ。
自分のために、わざわざ時間を割いてくれているのに。
「受け入れるも何も、カリナはできてるでしょ? なのに、なんで悩んでいるのか不思議になっちゃって」
「……は? どこが――」
「だって、逃げられたでしょ。一人で。すごいと思うよ」
「どこがだよ――あんな情けない――」
虫沼での奇行を思い出して、恥ずかしくなる。
顔を背けるカリナの横で、フミカは空を見上げた。
「私、閉じ込められちゃったじゃない? 風車の村でさ。穏やかな悪夢の中はね、閉所で暗くて、不気味な場所だった。だからパニックになっちゃってさ。しかも、うまく逃げられなくて。ヨアケさんがいなかったら、たぶん、どうしようもなかったと思う」
「そういえば、怖いの苦手だったな、お前」
苦手なくせに見るのは好き、という難儀な性格だった。
「だからさ、カリナはすごいんだって」
「お前の援護があったから、逃げられただけだ」
「一緒に包まった時も、合わせてくれたでしょ」
「だからそれは……お前が、その……」
「なら、やっぱり大丈夫だよ」
「は? 今の流れでどうして――」
「私がいれば大丈夫、なんでしょ?」
「――っ」
にかっと笑うフミカ。
その笑顔の眩しさに、目を奪われる。
見惚れている間にフミカは立ち上がる。
「よし、これで行けるよ、絶対! あそこを突破したらボス戦のはず! 後少しだよ!」
手を差し伸べてくる。
カリナはその手を握り、二の足で立った。
ズルいんだよ、と胸の内で思いながら。
「二人を待たせてるし、早く」
「待て。……待って」
その手をしっかりと握りしめる。
沼地の時は無意識だった。
しかし今は明確に。
自分の意志で。
そよ風が二人の間を通り抜ける。
自分たち以外、誰もいない場所で、見つめ合う。
一瞬の静寂の後、カリナは口を開いた。
「そ、その……あたし――解放したいスキルがあってな。ポイントを貯めてたんだが、やっぱり、別のスキルを解放しようと思うんだ。向こうでいじるとなると落ち着かないから、ここで解放したい。いいか?」
「もちろんだよ!」
二つ返事を受けて、カリナは複雑な表情を浮かべる。
「先に行っててくれ。すぐに行くから……」
「わかった。待ってるからね!」
転移するフミカを見送って。
カリナはスキルの項目を開き、嘆息した。
「あたしの意気地なし……」
※※※
「どうですか?」
フミカはヨアケに問う。
例の大群までの敵は、綺麗に片付けられていた。
目につく範囲でのミミズも見られない。カリナへの配慮だろう。
流石は風紀委員と生徒会長だ。
「マルフェスが来たようですわ」
大群エリアの近くの木に、マルフェスが止まっているのが見える。
「やっぱキッツ……」
おっかなびっくりな様子で、カリナも戻ってきた。
「無理しなくてもいいんだぞ。君がいなくとも、やり様はある」
「抜かせ、風紀委員。援護はできるぜ。直接は無理でも、間接的には、な」
カリナの負けん気が戻ってきたようだ。
しおらしいのも可愛いが、カリナと言えばやっぱりこっちだ。
「じゃあ早速――」
「……待て」
制したナギサの視線は、大群エリアの手前に注がれている。
誰かがいた。
甲冑を着た騎士だ。
花の紋章を施されたサーコートと、フルフェイスヘルムの上に被る花飾りが特徴的。
クロスボウで狙いを付けたナギサとアイコンタクトを交わし、フミカが盾を構えながら接近した。
「突然の呼びかけ、失礼する。貴殿に用があったんだ」
友好的なNPCのようだ。
警戒を解いて近づくと、騎士は会釈してきた。
「貴殿だろう。クマバチを助けたのは。言葉を持たない彼に変わって礼を言おう。ありがとう」
「いえいえ……」
深々と頭を下げる騎士。誠実そうな男の声だ。
「さっき確認した時はいなかった」
「妙ですわね……」
ナギサたちの囁きが気になりながらも、フミカは騎士に応対した。
「頭を上げてください。ただの成り行きなので……」
「善人である上、謙虚とは。貴殿のような人に出会うのは久方ぶりだ。クマバチは恩を返す益虫。もし見かけたら、手を貸してあげて欲しい。きっとその恩に報いてくれるだろう。そして、私もまた」
「手伝ってくれるんですか?」
「貴殿が善き行いをする度に、必ず。花の騎士カンパニュラが手を貸すことを誓おう。推察するに、この先の大群に手を焼いているようだ。貴殿さえ良ければ、私も馳せ参じるつもりだが、どうだろうか?」
フミカは仲間たちへ振り返った。
「いいですよね?」
「わたくしたちは知識と経験がありませんから。フミカさんの考えに従います。二人も、それでよろしいでしょうか?」
「異論はない」
「あたしも従うぜ」
三人の同意を得られたので、肯定する。
「是非に!」
「任された。貴殿の進撃に合わせて参戦する。好きなタイミングで突入してくれ」
フミカたち三人の準備は整っていた。
未確認の仲間に、改めて訊ねる。
「行ける?」
「ああ――もちろんだ」
顔こそ少しこわばっているが。
覚悟を決めた瞳で、カリナが頷いた。
かくして、虫沼における大掃除が始まった。
「行きまーす!」
先陣を切るフミカを筆頭に、ナギサ、ヨアケ、カリナの順で大群ゾーンに突入。
同時に、虫たちも反応を始めた。
近くにいたカナブンが寄ってくる。
「どりゃあ!」
メイスの一撃。怯んだところをヨアケがナイフで突く。
三体のカナブンを相手取るナギサは、涼しい顔でサーベルを振るっていた。彼女に数は関係ないのだ。
カリナは後方から、炎をセミに飛ばしている。
みんなと比べると行動は消極的。
でも、それでいい。苦手を無理に克服する必要はない。
しかしカナブンはその大きさ通り硬い。
動きは単調だが、処理に手間取る。
その間に、ミミズやバッタが迫ってくる。
セミも飛来していた。
ナギサはブレイヴアタックやガードを交えて、必殺の一撃で駆除している。
しかし、フミカたちはそこまで効率よく倒すことができない。
ヤバいかも、と危惧した瞬間、不死鳥の鳴き声が轟いた。
「マルフェス!」
天から舞い降りたマルフェスは、大ミミズをついばんで一呑み。
よほど味がお気に召したらしく、ミミズを優先的に喰らっている。
「花の騎士カンパニュラ――いざ参らん!」
カンパニュラも推参した。
花の意匠が施された剣と盾を持ち、バッタに斬りかかる。
不死鳥と騎士という味方が増えたおかげで、ターゲットも分散した。
ヨアケが暗殺者としての本領を発揮し、次々と虫の背後にナイフを突き立てていく。
フミカはカナブンの頭を叩き潰す。負担はだいぶ軽くなった。
セミには対抗できないが、カリナが炎で落としてくれている。
「これなら!」
勝機を確信した瞬間――。
想定を打ち砕く轟音が地面を鳴らした。
林の中を突き抜けて、何かがやってきていた。
その球体は、通り道の虫をすり潰しながら現れる。
敵の増援の姿に、フミカは見覚えがあった。
「オルドナー!? もう雑魚敵になってる!!」
クソでかダンゴムシ。
またの名を、装甲虫オルドナー。
城館へと至る道で戦った、驚くほど弱いボス。
かつてのボスが雑魚へ格を下げるという光景は、よくあることだ。
過去作でもそうだった。他の死にゲーでも見たことがある。
だが、数が多い。三体もいる。
そして、オルドナーの戦法は、乱戦状態にマッチしている。
敵味方関係なく薙ぎ倒してくる存在など、厄介以上の何物でもない。
その証明とばかりに、フミカへと一体が突撃してきた。
目の前にいたミミズを蹴散らしながら。
「うわああああ!」
「フミカ!」
どうにか回避したフミカは、心配するカリナに叫ぶ。
「大丈夫! けど――」
敵はいい具合に分散している。速やかに対処できれば勝てる。
しかしそのための火力が足りない。
後もう少しなのに。
歯噛みしながらも、フミカに打開策は思いつかない。
……誰も犠牲にならないという、条件では。
※※※
オルドナーの登場により、優勢が劣勢へと転じていた。
ローリングの直撃を受けたマルフェスが、上空へと退避。
カンパニュラは防御行動に移っていた。
ナギサはさほど変わっていないが、ヨアケは回避を余儀なくされている。
フミカも逃げ惑うばかり……と思いきや、不自然にみんなから離れて行っている。
「どこに行くんだ!」
「私がオルドナーを惹きつけるから、そのうちに!」
フミカの策には危険が伴うと、カリナは直感的に理解した。
所詮はゲームではある。それも死にゲー。
死んだところでペナルティは微々たるものだし、結果としてそれで勝てるなら、むしろ積極的に行うべきなのかもしれない。
だがそれは、全員が正攻法で挑んで無理だった場合に行うべきで。
自分というお荷物のカバーで、行われるべきじゃない。
「それは早計だぜ、フミカ!」
カリナは杖を天高く掲げた。
現状、足りていないのは火力だ。
足りないのならば、補えばいい。
「皆に炎を!」
杖先を地面へと叩きつける。
赤色の魔法陣が展開し、炎のエフェクトが皆の元に迸った。
ナイフとサーベル、そしてメイスが赤く発光する。
炎属性の付与魔法――俗に言うエンチャントだ。
正直に言えば、カリナ好みの魔法ではない。
ダイレクトに攻撃する魔法の方が好きだ。
それでも。
……ミミズ相手には、まともに戦うことができなくても。
「あたしがいるから大丈夫だ! やっちまえ!」
「うおおおおッ!!」
フミカが炎を纏うメイスで打つ。
引火してカナブンがのたうち回った。
炎攻撃を食らうと、虫型の敵は必ず怯む。
ダメージ量も増えていた。
処理速度が、明確に上昇している。
「ふむ。これなら――」
特にナギサの暴れっぷりが顕著だ。
サーベルの連撃で三匹のバッタを、八つ裂きにした。
回復したのか、マルフェスも再びミミズを食らい始めている。
「これはなかなかの数。花の魔法、その一片を披露しよう」
カンパニュラが魔法を行使した。
地面から草花が生えてきて、虫たちを拘束する。
見逃さなかったヨアケが、カンパニュラと連携しながら始末していく。
気付けば虫も残り数匹となり、縦横無尽に駆け回るオルドナーが目立つ程度になっていた。
「ミミズさえいなきゃな!」
カリナは駆け出す。魔法をセットして唱えた。
「炎よ!!」
炎がダンゴムシへと命中し、ライフをごっそりと持っていく。
詠唱が無駄だとは知っている。コマンド式だと。
でも、いい。
こういうのは気分なのだ。
オルドナーを燃やすのは、最高に気持ちが良かった。
「よっしゃああああ!!」
掃除を終えて。
勝利の美酒を、皆と分かち合った。