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竜の通過路

 ――私も協力しよう。

 

 ナギサの申し出は、ありがたかった。

 クリアしなければ脱出できない状況において、最強の助っ人に違いない。

 その証明とばかりに、ゴブリンの群れと鉢合わせたナギサは、


「下がっていろ」


 フミカたちを置いたまま、敵集団に突撃していく。

 

 サーベルが一閃するごとに、鮮血が虹を描く。

 ゴブリンの反撃は、ナギサのブレイヴアタックへと変換され、乾いた土を血で濡らしていく。

 弾かれた棍棒が宙を舞い、最後のゴブリンの頭部へサーベルが迫る。

 

 剣術スキル、兜割り。

 

 兜ごと身体を両断――部位欠損がないため実際に分かれはしないが――されたゴブリンが、棍棒が落下するのと同時に倒れた。

 剣先に付着した血を払って、鞘へと戻す。

 何もなかったかのように、ナギサは戻ってきた。


「待たせたな。行こう」

「は、はい……」


 あまりの無双っぷりに驚きながら、その頼もしすぎる背中についていく。

 普通のプレイヤーが何の策もなく敵集団に突撃したら、間違いなくリンチされて終わる。

 

 雑魚敵の一撃ですら致命傷に成り得るのは、これまで見てきた通りだ。

 一対一で戦えるボスよりも、大量の雑魚敵の方が強いなんて言われることもある。

 

 それを難なく突破してみせた、ナギサのステータスにも驚かされる。

 彼女はライフに全くポイントを振っていない。

 機動力や手数の多さに繋がるスタミナと、直接的な攻撃力に関わる筋力、ブレイヴアタックの威力を増加させる技能にポイントを振るのみだ。

 

 玄人好みのビルド。

 初心者を自称しているが、エレブレシリーズの肝を見抜いている。


「私たちの出番、なかったね……」

「チッ。どうせならドヤって見せろよ、可愛げがねえ」


 ナギサは淡々と前に――クリアまで邁進するのみ。

 呆気に取られるフミカたちは、ただついて行くだけだ。



 ※※※  



「むう……ちょっと危ういかな……」


 先行く三人を俯瞰しながら、ミリルは危惧していた。

 まだ一端を覗いた程度だが、ナギサの戦闘力は目を見張るものがある。

 本人の説明が嘘でなければ、彼女は天才の部類だ。

 ゲームがどうかはともかく、身体能力が恐ろしいほどに高い。

 

 それは一種のストレスに成り得る。

 難易度は高すぎても、低すぎてもダメだ。

 クリアが困難であるほどに難しければ、プレイヤーが匙を投げてしまうし。

 あまりにもイージーであっても、それはそれで飽きてしまう。

 

 ここまではきっと、フミカたちにとって丁度良い難易度だったはずだ。

 しかしナギサの加入によって、退屈極まりないものに変わってしまうかもしれない。

 

 フミカの言葉を借りれば、死にゲーは死ぬのが醍醐味だ。

 いつ死ぬかわからない状況を生き抜いてこそ、脳内麻薬がドバっと出るのだ。


「うーん……」


 ミリルは悩む。

 今のところ解決策は思いつかない。


 

 ※※※



「これは……吊り橋、か?」


 ナギサがギシギシと軋む長い橋の前で立ち止まっている。

 橋は反対側の崖まで繋がっていた。

 追い付いたフミカは崖下を確認する。奈落の底だ。


「落ちたら間違いなく死にますね……」


 昏き谷底のような、隠しエリアがあるようには思えない。

 そんな危険地帯の吊り橋の上に、何もないことが不気味だった。

 橋の先が進行方向のようだが、安易に進むのは危険だと経験が告げている。

 

 フミカは周囲を見回した。

 正面は吊り橋。右は行き止まり。後ろは来た道。

 左側には、道が続いている。

 

 どうやらここの地形はコの反転型となっているらしい。

 或いは、Uの字を右回転させた形。

 左に迂回すれば回り道にはなるものの、進める形になっている。

 となれば、導かれる結論は一つ。


「どうかしたか?」

「罠だと思うんだよね、この橋」


 最短距離と迂回ルート。

 ついつい近道を通りたくなるのが人の(さが)

 

 フミカの推論を聞いたカリナは、ニヤリと笑った。

 悪いことを思いついた顔だ。

 止める間もなくナギサの元へと近づく。


「なぁ、先行してくれないか?」

「構わないが、いいのか?」

「このまま全員で渡ると、挟み撃ちにされる可能性があるだろ? あたしとフミカがこっち側の敵に備える。あんたは先に行ってくれ」

「いいだろう」


 ナギサは疑うことなく提案に乗った。

 風で揺れる吊り橋に怖じることなく歩を乗せたナギサが、警戒しながら進み始める。


「ちょっとカリナ……」

「死にゲーなのに死んだことないってのはよ、ゲームの楽しさを損なってるだろ。善意だよ、善意」

「全くもう」


 カリナに呆れながらも、ゲーム的にはあえて罠を踏むことも大切だ。

 本当に罠だったとしても、何らかのイベントに繋がる可能性がある。

 

 どんどん遠ざかっていくナギサを見守りながら、敵が湧いてこないか警戒する。

 不意に咆哮が聞こえて身構えた。


「なんだ!?」

「あそこだよ!」


 吊り橋の右方向。

 遠方にそびえる山から何かが近づいてきていた。

 

 黒い鱗に全身を覆われ、両翼を羽ばたかせる巨体。

 顔立ちはトカゲに似ているが、その雄々しさは比べ物にならない。

 たった一言で皆がシルエットを想像できる存在。

 ファンタジーの代名詞とも言える伝説の生物。


「ドラゴン……!?」


 巨大な竜が吊り橋目掛けて飛来している。

 あの巨体に突っ込まれたが最後、吊り橋は間違いなく破壊される。

 急いで渡っても間に合うかどうかわからない速度だった。


「ツキカゲさん、逃げて……!」

「何やってんだ、止まるなよ!」


 死なせようと目論んでいたカリナといっしょに叫ぶ。

 が、ナギサは驚いているのかドラゴンを見つめたまま動かない。

 

 そうこうしているうちに、ドラゴンが体当たり。

 吊り橋を吹き飛ばしてしまった。


「ツキカゲさん……」

「チッ。ビビッてたのか……?」


 ナギサは崖底に落ちてしまっただろう。

 吊り橋を粉砕したドラゴンが悠然と滞空している。

 

 彼からすれば、ただ移動しただけに過ぎない。

 攻撃した認識すらなかっただろう。

 理不尽な死が、ナギサを襲ったのだ。


「そんな顔するなら、行かせなきゃ良かったのに」

「うるせえ」


 なんだかんだナギサを心配しているカリナと共に、フミカはドラゴンを観察する。

 翼をはためかせながらも、動かない。

 

 てっきりどこかへ行くものとばかり思っていたが、なぜだろう――?

 疑問を抱いた瞬間に、アクションが起きた。

 

 ドラゴンが身体を揺らしている。

 まるで、何かを振るい落とそうとしているかのように。

 その動作で気付けた。

 

 背中に何かが張り付いている。

 あれは……。


「ツキカゲさん!?」

「嘘だろ……!?」


 驚愕するフミカたちの先で、ナギサはドラゴンの身体をよじ登っていた。

 ロックならぬドラゴンクライミングだ。

 彼女は揺さぶりにも動じず、手足を働かせる。

 

 目指す先は一点。

 黒きドラゴン――その頭部。

 素早い動きで頭頂部へと到達したナギサは、恐れ知らずにも立ち上がった。

 間髪を入れず突き立てる。抜き放ったサーベルを。

 

 ドラゴンが悲鳴を上げ、暴れ出した。反対側の崖へと激突する。

 ナギサは予期していたかのように跳躍。崖の上へと降り立った。

 ドラゴンは嘆くように叫んで、どこかへと飛び去って行く。


「すごすぎる……」

「ああ……」


 しばらく茫然とした後、フミカは我に返った。


「ご、合流しよう」

「そう、だな」


 狐につままれたような気分で、迂回路へと歩き始める。



 ※※※



「分断されてしまったな」


 ナギサは落とされた橋を眺める。

 反対側のフミカたちは、どうやら移動を開始したようだ。

 

 地形を目視したところ、地続きではあるようだ。

 そのうちに合流できる。

 とすれば、取れる選択肢は二つ。


「迎えに行くか、先に進むか」


 即座に結論は出た。


「先の敵を倒しておこう」


 そうする方が効率がいい。

 のんびりしている時間はないのだ。

 今の状態はゲームのようで、ゲームではない。

 フミカたちは危機感を抱いていないようだが、ナギサは違う。

 

 駆け足で移動して、盗賊らしき敵の背後を取る。

 奇襲攻撃で連携が乱れた集団を、一人一人と片付けていく。


「容易い」


 ナギサは決して敵を侮っていない。

 その場その場で適切な、殺し方を導き出せるだけだ。

 今のところ、脅威と呼べる敵とエンカウントしていない。

 

 鍛錬の賜物だ。

 学び、鍛え、実践すれば、如何なる敵も敵ではなくなる。

 無敵となるのだ。 

 

「まだかかりそうか」


 フミカたちはなかなかやって来ない。

 もっと敵の数を減らして、通りやすくするべきだろう。


「む……?」


 ナギサはサーベルの柄に手を伸ばす。

 草むらの方から唸り声が聞こえた。

 

 その瞬間に対処法は導き出している。

 勢いよく抜剣し、


「なっ!? バカな!?」


 初めての、脅威と出会った。



 ※※※



「あの樹木野郎、二度と許さねえぞ」

「まさか木に擬態してるとは……」


 フミカたちはとぼとぼとナギサの元へ向かっていた。

 ただの木だと思いきや、突然立ち上がり、枝で殴ってきた。

 そんな不思議生物を棍棒で殴り、魔法で燃やしてどうにか突破してきたのだ。


「二回も死んだし」

「風紀委員も死んでんじゃねえのか?」


 フミカの脳裏をよぎるのは、先程のスーパーアクション。

 カリナも同じことを考えていたようで、自ら否定した。


「なわけねーか」

「たぶんね……」


 会話している間に、楔の花を見つけた。

 とりあえず触れてナギサの元へ急ごう。

 早速楔の花を咲かせようとしたフミカは、隣に何かが丸まっていることに気付いた。


「ん? んんっ!? ツキカゲさん!?」

「終わりだ……」


 絶望感を漂わせる何かは、体育座りで項垂れるナギサだった。

 超人みたいな彼女はどこへやら。

 すっかり意気消沈している。


「なんだ、やっぱり死んだのがショックだったか……?」


 心配の面持ちのカリナ。

 が、ナギサはふるふると首を横に振る。


「死ぬようなところはなかっただろう。死んではいない」

「それはそれでちょっとむかつくな……」

「どうかしたんですか? 何か、すごい敵がいたとか……」

「そうだ……最強の敵と出くわした……」


 カリナと顔を見合わせ、頷き合う。

 それぞれの得物を持って、ナギサが出くわしたであろう敵を探す。

 

 敵の死体が目印となって、どこに進んでいたかがわかりやすい。

 盗賊の遺体がたくさん転がっている。

 これほどの敵をダメージを受けずに倒している。

 その技量の高さに敬服するが、それ以上に恐ろしい敵の正体が気にかかる。


「おい、何かいるぞ」


 カリナが茂みを指さした。

 草がガサゴソと揺れて、唸り声も聞こえる。

 

 一体どんな魔物が潜んでいるのか。

 身構えたフミカたちの前で、魔物はその姿を晒した。

 

 茶色い体毛。四つの足。

 鋭い牙と爪。逆立つ尾。

 グルグルと唸る口と、くるりとした丸い瞳。

 ピンと伸びた耳と、撫でやすそうな頭。

 

 あらゆるゲームのエネミーとして。

 また、日常的な愛玩動物として愛される存在――。


「……犬じゃね?」

「野犬だね」


 こちらを威嚇してくる魔物に、フミカたちは困惑した。

 

 強敵ではある。

 犬や狼などの動物は動きが素早く、攻撃力が高い調整をされがちだ。

 

 その代わり、ライフが低い。

 しっかりと防御して、堅実に戦えば倒せるはず。


「これが最強の敵ってどういうことだ?」

「あのツキカゲさんがああも怯えてるんだし、油断しないで倒そう。魔法をお願い」


 カリナが杖を構える。遠距離から安全に焼き尽くす算段だ。

 不敵な笑みを浮かべる。


「まさかあの風紀委員が犬嫌いとはね――」

「――誰が嫌いだと言った?」


 知覚した時には、遅かった。

 刃が煌めき、血潮が撒かれる。

 

 驚く間もなくカリナは喉元を斬られていた。

 光が消えた瞳が虚空を見つめ、ゆっくりと地面に斃れる。

 ほどなくして、死体が粒子状となった。


「か、カリナ……え……どうして……?」

「どうしてもこうしてもない」


 カリナを惨殺した犯人は、サーベルに付着した血を慣れた手つきで払う。


「犬の命は、地球よりも重い。当然だろう――?」


 冷酷な眼差しは、月のように凍てついて。


「ツキカゲ、せんぱ――」

「くそふざけんなてめえ!」

「あ、カリナお帰り」


 全力ダッシュで戻ってきたカリナがナギサへ抗議。

 その怒りはごもっともだ。

 

 今回に限って言えば、カリナに何の非もない。

 吊り橋の仕返しだったとしても、もうちょっとやりようがあるだろう。


「えっと……犬が嫌いじゃないってことは、好きってこと、ですか?」

「大好きだ!」


 ナギサの声はびっくりするほど大きかった。


「犬はいい。可愛いし、お利口だし、鳴き声もキュートだし、可愛いし、足は速いし、毛がもふもふだし、可愛いし、肉球も愛らしいし、鼻をふんふん鳴らすのもいいし、可愛いし、見てるだけで癒されるし、可愛いからな」

「理由のほとんどが可愛いなんですけど……」


 フミカとしても同意できるが。


「だとしても倒さないと通れねえだろうが」

「通る必要があるのか?」

「どう見たってこの先が進行ルートだろ!」


 カリナが遠方に見える風車のようなものを指し示す。

 村か何かがありそうだ。


「スルーマラソンするにしても、犬が相手だとなぁ」


 犬は素早く、考えなしに逃げてもすぐ追い付かれてしまう。


「やっぱ殺すしか――」


 結論を急いだカリナの前で、ナギサがサーベルの柄を握った。


「ちょ、ちょっと考えるか」

「一旦戻りましょうか。良い作戦を思いつくかもしれませんから」

「ゲームに詳しい君がそう言うなら……」


 納得したナギサを引き連れて、楔の花へとリターンする。

 フミカはカリナに小声で話しかけた。


「ゲーマーあるあるな病に掛かっちゃったようだね」

「どんな病だよ」

「人は殺せるけど動物は殺せない病、ケモナー病だよ」


 フミカの視界に盗賊の死体が映った。


「なんだそりゃ」

「私も昔は動物を殺すの苦手だったからね。犯罪するゲームとかでも、人は喜んで殺すんだけど、犬猫は可能な限り殺さないよう配慮したりして」

「まぁ確かにわからなくはないかもだが」


 カリナも好んで犬や猫を傷付けたいわけではないようだ。


「人が襲ってくるのはいろいろ理由があるけど、動物はただ野生の本能に従ってるだけだからね。そう考えるとなかなかさ、割り切れないものなんだよ。それに、ゲームのモブキャラが死んでも何にも思わないけどさ、わんちゃんが殺されたら悲しい気持ちにさせられるでしょ?」

「まあな……けど、どうすんだ? このままじゃ本当に最強の敵だぞ、あのいぬっころ」


 ナギサという守護神を得たあの犬は、現段階で最強の敵に違いない。

 セルフボス戦みたいな状況になっている。


「とりあえず説得するしかない……かな?」

「できるのか?」

「うーん……」


 そう言われると困ってしまう。


「やるしか、ないよねえ……」


 気を重くしながら、楔の花に向かった。




「君は、週三でドッグカフェに通っている私に犬を殺せというのか?」


 ナギサは無表情のまま答えた。


「毎夜、犬の可愛らしい動画を見てる私に、見殺しにしろと言うのか?」


 凍てつくような眼差しで、犬好きをアピールしてきた。


「ダメだったかぁ……」


 独り言を呟きながら、フミカは犬の元へ歩いている。

 説得は不可能。となれば、この作戦で行くしかない。

 名付けて、


「ツキカゲさんの居ぬ間に天国に行ってもらう作戦――犬だけにね」


 要は、死体を見られなければいい。

 死んだことに気付かなければ、ナギサが怒ることもないのだ。

 

 カリナにナギサを足止めしてもらってる間に、フミカが犬を倒す。

 それで万事解決だ。

 

 騙してしまって悪いけれど、これもゲームなんでね。

 言い訳を心の中でしているうちに、犬の元へ辿り着いた。


「心が痛むけれど!」


 フミカは棍棒を構えて、


「どうして、痛むんだ?」


 背後からの質問で硬直する。瞬発的に笑顔で振り返った。


「あ、あれ? 奇遇ですね。ツキカゲさんもどうするか考えに来たんですか?」


 棍棒を背中で隠し、全力で誤魔化す。

 ただ観察していただけのように振る舞う。


「対処法を思いついたか? 犬を傷付けずに通り抜ける妙案を」

「すみません、なかなかねぇ。ところで、カリナはどうしました?」

「邪魔になると言われたんだが、穏便に話し合って通してもらった」


 そう説明するナギサのサーベルからは血が滴っていた。南無三。


「そう、ですか。あー、どうしようかなーやっぱ走り抜けかなー」

「一つ、質問してもいいか?」

「あ、はい。なんでしょう?」

「どうして棍棒を背中に隠している?」


 バレてる!?

 焦ったフミカは後ずさる。

 

 と、犬が吠えた。

 慌てて振り返ると、野犬が盗賊に襲い掛かったところだった。

 

 どうやら、盗賊と野犬は敵対関係にあるらしい。

 盗賊のナイフを野犬は素早く躱し、その喉元を食いちぎる。


「ほ、ほら見てください。あの野犬は人を襲う悪い犬なんですよ!」

「いっぱい食べられてえらいな」

「えぇ……」


 野犬は盗賊の死体に食らいついている。


「まだ質問に答えていないな」


 ドン引きしたフミカへ、ナギサは容赦なく距離を詰めてきた。

 ゆっくりと一歩ずつ。

 緩慢な動きのはずなのに、怪獣のような重厚感だ。


「君は、もしかして」

「え、えと、その」

「私を、騙そうと、したのか?」

「い、いやいやそんなことは――いたあ!?」


 ダメージを受けてフミカは前のめりに倒れる。

 下がり過ぎて野犬の近くまで寄ってしまったらしい。

 フミカを体当たりで転ばせた野犬が、背中の上に乗ってくる。


「まずい……!」


 ぺろり、と唾液塗れの、柔らかな感触がフミカの頬を撫でる。

 ペットが飼い主にする愛情表現ではない。

 

 味見だ。

 

 間髪入れず鋭い牙が喉元に食い込んでくる。

 ライフが削られ始めた。

 このままでは食い殺されてしまう。


「ツキカゲさん……! 助けてっ!!」


 一縷の望みに縋って、フミカは手を伸ばす。

 さしものナギサでも、この状況ならば……!

 

 ナギサはにこりと微笑んだ。

 フミカが安堵したのも束の間、

 

「いっぱい食べれてえらいぞっ」

「う、嘘……うぎっ、があああああ!」


 野犬がフミカの首を噛み鳴らす。

 

 ゴキリという不快な音を聞いても。

 肉を頬張る姿を見ても。

 ナギサの表情は、犬を愛でるそれのままだ。

 

 絶望感に打ちひしがれながら、フミカは野犬の餌に成り果てた。

 



「戻ってきたか……」

「うん……」  


 死んだ眼差しのまま、同じような顔のカリナに頷く。

 ナギサの犬好きは筋金入りのようだ。

 

 もはや、今回だけに限った問題ではない。

 野犬の敵はこれからも出てくるだろう。

 その度にナギサがボス化してしまえば、クリアなんて夢のまた夢になってしまう。


「万事休すか……?」

「……一つだけ、方法はあるにはあるんだけど」

「マジかよ! だったら先に言えよ!」


 顔を輝かせるカリナに対して、フミカの表情は暗い。

 訝しむカリナの前で、フミカは楔の花へと座り込んだ。

 

 メニュー欄の、ポイント割り振りを選択。

 スキルの項目を開いた。


「何かいいスキルがあるのか……?」

「あるには、ある……けれど!」


 選ばれたのはスキル――愛犬家。

 犬の敵と協力関係を結び、敵対しなくなるスキルだった。

 犬型の敵とは戦う必要がなくなる代わりに、ポイントの消費が重い。

 15ポイントも使ってしまう――こんな使い道が限られるスキルに。


「どうした早く――」

「やっぱ無理!」

「無理ってどういうことだよ!」

「だって、せっかく貯めてたのに!」


 こんなスキルを獲得するために、せっせとポイントを貯めていたわけじゃない。

 ステータスを上げたり、もっと有用なスキルをゲットするために……!

 拒否するフミカを、カリナが叱咤する。


「我が儘言うなって!」

「だったらカリナが解放すればいいじゃん!」

「あたしはポイントをすぐに使う主義なんだよ。後生大事に取ってるわけないだろ」

「ぐっ……」


 普通はそうだ。ポイントは使わなければ意味がない。

 優柔不断でポイントを貯め込んでいたフミカが異端だ。

 ナギサもポイントは使っているだろう。

 

 もう、フミカが解放するしかないのだ。

 あまり役に立たないスキルだとしても。


「く、くううううん!」


 悲しむ犬のような鳴き声が、フミカの口からこぼれ出た。




「では、いいですね?」

「ああ、やってくれ」


 ナギサたちが見守る中、フミカは野犬へと近づいた。

 入手した犬笛を吹いて、駆け寄ってきた犬を撫でる。

 

 通知が届く。

 野犬と協力関係になった、と。

 チュートリアルメッセージでは、野犬の行動範囲までは味方となってくれるらしい。

 

 でも、それだけでしかない。

 15ポイントの価値が本当にあるのかは謎だ。


「うう……私のポイント……」

「まぁ元気出せよ。また手に入るって」

「育成計画が……私の考えた最強のビルドがぁ」


 嘆き悲しむフミカをよそに、ナギサが恐る恐る野犬に近づいた。


「本当に……?」


 疑心を抱くナギサへ野犬が駆け寄る。

 愛らしいお座りを披露した。

 衝動的にナギサは抱き着き、満面の笑みとなる。


「ほ、本当だ、はは、可愛いぞ!」


 ナギサが野犬の頭を撫でる。

 気を良くしたのか、腹ばいを見せてきた。

 ニコニコしながらお腹をさするナギサを見て、フミカの気分も晴れてくる。


「まぁいっか。ツキカゲさんという強力な助っ人もできたし」

「な? 別に大したことないだろ?」

「そうかも」


 カリナに同意したフミカは、スキンシップに混ざろうとして違和感を覚えた。


「……ん?」


 野犬の息が先程よりも荒くなっている。

 興奮した鼻息を漏らしながら、ナギサに身体を摺り寄せると、無邪気に笑うナギサが転んだ。


「ははっ、このいたずらっ子め」


 そうして――ナギサに密着しながら、腰を動かし始めた。

 何度も何度も。一生懸命。


「ねえ、カリナ。これって――」

「言うな」

「でも」

「知らない方がいいこともある。だろ?」

「……そうだね」


 フミカたちは沈黙を選んだ。

 何も知らないナギサだけが、じゃれ合いを楽しんでいた。

 彼女たちは知る由もない。

 

 エレブレ4の公式SNSアカウント。

 その新規不具合情報に、一部の敵に意図しない挙動が見られたため、アップデートで修正するというお知らせが掲載されていることを。

 ネット上では、スタッフがお遊びで作ったモーションが、間違えて実装されてしまったのでは? という噂が流れていることも。


「そんなに私と遊びたいのか? 可愛い奴めー!」



 ※※※



「うん、これなら大丈夫そだね」


 犬と戯れているナギサを見つめながら、ミリルは所感を呟く。

 

 彼女は、完全無欠の騎士ではなかった。

 強者であることに違いないが、弱点もしっかりとある。

 人らしい面もあるのだ。

 

 これならば、彼女の参入が劇的な難易度の低下に繋がる、とは言い切れない。

 これからもきっと、トラブルに見舞われるはずだ。

 彼女たちは、まだまだゲームを楽しめる。


「でも、奇数じゃバランス悪いよねぇ」


 一般的な協力ゲームの人数平均は四人。

 もちろん、フミカに楽しんでもらうことは大切だ。

 けれど、カリナとナギサも忘れてはならない。

 全員に平等に、ゲームを満喫してもらわなければ。


「いい感じだよ、本当に……」


 ミリルはほくそ笑む。

 計画成就は、着実に。

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