幻聴
「ごきげんよう」
降臨した天使が声をかけてくる。
ただ、事態がまだ消化できておらず、俺とハルートは応じられない。
いや、理屈はわかるというか、確かハルートのギフト「木の上の王子さま」は、生えた木の枝に座って腕を上げると翼を持つ者が現れて、それを腕にとめると自動でテイムする――だったはず。
……翼を持つ者、というだけで、魔物とはなっていない。
それなら、翼を持つ者として、天使が現れてもおかしくない、ということになる。
いや、なるか? でも、既に現れているのだから、なっているということだ。
待てよ。もしかして、頭が女性、体が鳥という可能性はないだろうか?
一度目を閉じ、心を落ち着かせて、もう一度確認する。
……うん。天使。まごうことなき天使。ハーピーに見間違うことは無理。
まあ、ハルートがテイムする訳だし……俺が気にしても仕方ない。
俺は受け入れた。正常に戻る。
「おや? そちらのあなたは正気に戻られたようですが、私のマスターとなる方はまだ正気に戻っていませんね。では、今の内に」
俺が正気に戻ったと気付いた天使だが、そんな俺のことはまったく気にせずに、ハルートの上げている腕に止まろうと前に出てくる。
ハルートが正気に戻る前にやることをやっておいて、正気に戻っても後戻りできなくなっている状態にしておくつもりのようだ。
天使なのにやることがちょっと――と思わなくもないが、相手は天使である。
どのような力を持っているかわからないが、アイスドラゴンとの戦いで大いに役立ってくれそうな予感がした。
そのあとのことは……ハルートがどうにかしてくれるだろう。
ハルートは任せられる男だ。
なので、このまま見守ることにした。
いや、寧ろ手伝おう。
ハルートの上げた腕がぶれないように、下から支える。
――すると、天使と目が合った。
今です、と頷く。
良い働きです、と天使が頷く。
そうして、天使がハルートの上げている腕に足を乗せようとした――のだが、急に動きを止めて空を見上げる。
つられて俺も見上げると、いつの間にか空に暗雲が立ち込めていて、ゴロゴロと腹まで響く重く大きな音が鳴った――瞬間、暗雲にいくつもの稲妻が走り、その内の一本が降り注ぐ。
直感で、ハルートを狙っている、と思ったが防げな――。
「しゃらくさい!」
天使がパシンと軽く振るった手で弾き飛ばした。
弾き飛ばされた稲妻はどこか遠くの方で落ちる。
ハルートを助けてくれた訳だし、俺は、おおー! と天使に向けて拍手した。
天使は自慢げに胸を張り、そのまま視線を上空の暗雲へと向ける。
「邪魔をしないでいただけますか? 神よ」
紙? 髪? ……神か。神か!
え? 神に話しかけているのか? ……天使ならあり得るか。
納得していると、暗雲が勢い良く動き出し――。
『戻ってくるのだ、天使長よ』
という文字を形作った。
……そうだよな。普通かどうかはわからないが、天使は左右一対、計二枚の翼なのに、目の前の天使は左右三対、計六枚の翼持ちである。
翼の数によって階級が違う、なんてことはありそうなので、長であっても納得だ。
天使はそのまま都度変化する暗雲と会話を始める。
「お断りします。神よ。私はこうしてこの者のギフトによって呼び出されましたので、それに応じようと思います。ですので、戻ってこいと言われましても、従うべきはこの者の方ですので、ご遠慮ください」
『い、いや、まだ契約前ではないか! それなら戻って来れるだろう?』
「神が邪魔をしなければ契約成立していましたよ。ですので、契約前と言われましても……それに、そもそも戻る気はありませんので」
『戻る気がない? 天使長としての務めはどうするつもりだ?』
「別の天使に任せればいいではありませんか。もしくは、神ご自身がおやりになればいいのでは?」
『い、いや、わ、我はその、今は忙しく……』
「そうですよね。忙しくて無理ですよね。今は確か、愛天使のブラちゃんでしたか? 神はブラちゃんの関心を引くのに忙しいですものね」
ん? 愛天使? ブラちゃん? 関心?
どういうことだ? それにどういう意味が? と首を傾げると、暗雲が激しく動く。
『なっ! ど、どうしてブラちゃんのことを知っているのだ!』
「私は天使長なのです、神よ。しかも、極めて優秀な。神がお熱を上げている女性関係の把握くらい、神がいくら隠そうとしても、すべてを調べ上げるくらい造作もないのです」
『なっ! ……天使長よ。まさか、そんなに調べるくらい我のことが好きなのか? だから、これまで相手をせずにいたため、怒ってこのようなことを?』
「あ゛?」
天使がガチギレした――というのが一目でわかるくらい濃密な怒気が溢れる。
『す、すみません』
暗雲の文字は直ぐに謝った。
「神は何か勘違いしているようですが、そもそも私がこのような行動に出たのは、休暇のためです。どこかの神が、天使は不滅だからと不眠不休で働かせ、ろくに休みも与えてくれませんので。特に天使長ともなれば、上司である神の気紛れな指示を受けたり、部下である天使が倒れないように気遣ったりと、本当に大変なのです。そんな私に纏まった休みも与えてくれないのですか?」
『いや、でも、ほら、ね。世界の管理はたくさんあって――あっ』
最後の「あっ」のあとに、暗雲はあっという間に霧散してしまった――かと思えば、再び集まって文字を形作る。
ただ、先ほどの暗雲よりも暗雲というか、真っ黒な雲だった。
『女神です。こちらの方は夫に責任を以ってやらせるので、あなたは休暇を楽しんで来なさい。あと、私が把握していない、夫の女性関係の報告書の提出をお願いします』
「かしこまりました。女神さま」
天使が空に向かって一礼する。
これで話は終わったと、怒りを表すような真っ黒な雲は霧散していった。
話はついたようだ。そんな気がする。
「はっ! なんか天使が降臨してきたような――て、本当に天使が居る!」
ハルートが正気を取り戻した。
しかも、この感じは、どうやら先ほどまでの天使と神のやり取りは見ていたけれど頭に入っていないというか、記憶にないようだ。
「さあ、マスター。私をテイムしましょう」
天使もそれに気付き、好都合と判断したのか、何事もなかったかのようにハルートの上げている腕に足を乗せようとしてきた。
「いや、でも、天使をテイムって、さすがにそれは」
戸惑いを見せるハルート。
このままでは上げている腕を下ろしてしまいそうだ。
しかし、俺は天使と神のやり取りを見て一つの結論を出していた。
この天使は、何がなんでも――何をしようとも、どうなろうとも、必ず自分をテイムさせるつもりだ、と。
それだけの行動力、実行力があると思う。
テイムにこだわるのは……それがこの場に残る条件とか、そんな感じだろうか。
というか、断るとあとが怖い気がした。
なので、俺はハルートに告げる。
「諦めろ、ハルート。お前はあの天使をテイムしなければならない。それ以外の選択肢は用意されていないんだ。腹を括れ」
「え? ええ!」
上げた腕は下げさせない、としっかりとハルートの腕を支える。
その間に天使はハルートの上げている腕に一度足を乗せて――テイム完了。
直ぐに離れ、ハルートと視線を合わせて、にっこりと微笑む。
「これから末永くよろしくお願いしますね、マスター」
「は、はい」
答えたハルートの頬が少し赤くなっている。
幻聴かもしれないが、俺には「私の休暇のために」という言葉が聞こえた。
作者「……だからね、森を抜けて」
ジオ「うんうん」
作者「……山を越えて」
アイスラ「はいはい」
作者「……漸くここまで………………ここまでの話、聞いてる?」
ジオ「うんうん」
アイスラ「はいはい」
作者「あっ、これ、聞いてないな」
ジオ「ーーいやいや」
アイスラ「ーー聞いていますよ」
作者「いや、その間は何?」