推しの葬式に出た話。
あとがきに先生の作品のURLを載せてますので是非読んでみてください。
5/20日私は始発の新幹線で横浜に向かっていた。
5/15日に逝去された漫画家の崇山祟先生の葬式に参列するためだ、享年48歳である。
新横浜駅には8時過ぎに到着した。
葬儀の開始は11時からであるので余裕、もといどこかで時間をつぶさなければならない。
先生の訃報を知ったのは16日の夜だった、親しい人だけに先に知らせがいったのを、私も熱心なファンであったからといってこっそり教えてくれた人がいた。
先生は以前からちょくちょく体調を崩されていたので、まさかと思う気持ちと同時にどこか納得してしまっている自分がいた。
次の日は前々日から更新が途絶えたツイートを眺め続け全く仕事にならなかった。
夕方ご親族の方が公式に訃報を発表した段階でやっと実感となって襲ってきた。
そこから堪えても堪えても涙がとめどなく流れどうしようもなくなった。
ご親族の意向で葬儀には誰でも参列できるようになっていた。
ファンの方と連絡を取り合い、窓口となっていた先生の親友であり漫画家の金風呂タロウ先生、斎藤純一郎先生にファンとしてお花を贈りたいと伝え非常に喜んでくださり、私含め交流のあったファンの方が火葬後のご親族の方とのお食事に誘われて今日にいたる。
このエッセイはこれまでに書いた日記的文章に次の視点から後日追記・構成しなおしたものだ。
・崇山祟先生を知らない人に興味を持ってもらう。
またなぜ「なろう」で公開しようと思ったかというと、私はツイッターでは何度となく布教活動に邁進していたため私のタイムラインで先生を知らない人はいない、知らない人に届けるという意味では「なろう」の方が適していると判断したためである。
さて一度、崇山祟先生の経歴をざっくり紹介しよう。
祟先生は相当に波乱万丈の人生を歩んできた、20代前半で一度本名の館山克仁として天久聖一先生のような作風で漫画家デビューしコミックCUEなどで連載を持つ、同時期に友人の誘いでパンクバンド「O」をはじめボーカルと作曲を担当した。
インディーズでは相当な人気となりメジャーデビュー目前となるが、うつ病を発症しマンガもバンドもできなくなり解散する。
以後は崇山祟に名前を変えアルバイトをしながらイラストや漫画の仕事を細々と続ける下積み時代を過ごす。
転機が訪れたのは2015年noteで独自に連載と称し『恐怖の口が目女』を掲載する、これがキックボクサーからマンガ編集者に転身するという異端の経歴を持つ劇画狼氏の目に留まり2018年リイド社から単行本として出版される。
以降、乙一さん原作の同名映画・小説のコミカライズ『シライサン』の執筆や爪切男さんのエッセイ『働きアリに花束を』の挿絵、近年ではミステリーボニータで『Gペンマジックのぞみとかなえ』という少女ギャグマンガを連載し現在も秋田書店のマンガサイト「マンガクロス」で追っかけ連載中である。
音楽方面ではホラーコアヒップホップグループ「ケケケッ」やDJ+ATARIとして自作テクノでのDJ活動、音楽家のプロハンバーガーこと高野政所さんと「ちげる&バーガー」としても活躍し活動の幅を広げ漫画家としても音楽家としても今後が期待されていた。
一旦、私と先生の話に戻る。
祟先生と私は不思議な関係であったファンと作家というには距離が近かったが(私だけでなく先生はすべてのファンとの距離が近かった)、友人と呼ぶにはあまりに一方的であった。
しかし、そこには絆というか縁というものが確かにあった。
交流を持ち始めたのは『シライサン』が出版される前後の2019の年末から2020年ごろだったと思う、以前から先生のことは知っていたがツイッターをフォローしたのがこの時期であった。
当時先生はツイキャスで絵をかきながら配信をよくされていて(ツイッターにスペース機能が追加されて以降はそっちがメインになった)大学生だった私はほぼ毎回聞きに行っていた。
先生は配信を平気で平日の昼間とかにやっていた、そうすると参加できる人数も限られてくる多くても10人程度少ないときは私一人ということもざらにあった。
先生はフレンドリーだったので配信によく来る人のツイッターをフォローしてくださったり多摩川会というオフ会を開催したりもしていた私は関西に住んでいたので参加することはなかったが配信やスペースに参加するたびに「関西に行くことがあればご飯食べに行きましょう」と声をかけてくださった。
この辺りは人数が限られてていたからこその恩恵だろう。
この配信で私たちは本当に多くのことを聞いたし語った。
絵をかくことが目的だったので一緒にアイデアを考えたり、出来上がった絵に物語を付けてみたり、先生の作品をみんなで作り上げていくようで楽しかった。
それ以外でも、漫画に映画、ご飯やホラー話、日常の些細なことを共有しあった。
何より、先生を見ているのが楽しかった。
先生を語るうえでもう一つ欠かせない要素が奇声である。
何を言っているのかと思われると思うがこれが非常に愉快だった。
先生は奇声にオリジナルの節を付けて朗々と歌い上げるのが好きだった。
最初は配信で間を持たせるためにやっているのかとも考えていたが、いろいろ話を聞いていると私生活でも奇声を上げているらしく、例えばよく自転車で通るマンションの前だけで歌う奇声がある、などと単に自分で言っていて楽しい音を声として発することがただただ好きなようだった。
最近だと「リームにドがつきドッリーム♪ドレミファソラシドリーム♪」という傑作を残している。
私が好きだったフレーズは「チャペルとみぞえ~ルルルル~チャペルとみぞえ~ルルルル~チャペルとーみーぞえーと呼ばれてもう4・5年たつよね~♪」というものだ、これはこの後とみぞえチャペルというツイッターアカウントを開設し奇声をアップし続けることとなる。
極めつけは「むーちームーン」である。
これはツイッターにスペース機能が実装された当初に先生がはまっていたフレーズで「むーちーむ―ちーむーちームーン、むーちームーン」と延々繰り返すだけのスペースをしょっちゅう開いていた最初は5分10分と短かったが最終的にこのスペースは2時間近くに及ぶまでになった。
先ほど例に出したとみぞえチャペルのように奇声からキャラクターが生まれそれに合わせてアカウントを造るということを度々行っていた先生が近年力を入れていたのが恥門MASATOというアカウントだ。
ちなみに子門真人とは全く関係がない。
先生はマンガに安易に下ネタを出したくないと語りながら小学生レベルの下ネタが大好きで下ネタ系のイラストや奇声を発するためだけのアカウントだった。
漫画家のドルショック竹下さんにアナルとアヌスの違いを教えてもらって以降このアカウントでやたらアヌスと連呼していた。
すごく馬鹿々々しく本業のマンガとは一切関係ない行為だが私はすごく好きだった。
たまに冷静になって先生は一体何をやっているんだろうと疑問に思うこともあったが、こういった活動も最後には「ちげる&バーガー」として仕事にしてしまったのだから驚愕だ。
今となってはそのすべてが聞くことができないことが堪らなく寂しい。
葬式の話に戻る。
私は日吉の駅で同じくファンの方と待ちあわせ早めに斎場に向かった。
ご親族の方と挨拶をする。
先生より先にお母様と妹さんに会うとは全く思っていなかった。
妹さんは先生のマンガにモデルにしたキャラが出てくるのだがどことなく雰囲気が似ていて妙に納得して嬉しかった。
「良ければ顔を見ていってください」と勧めていただく。
そっとお顔を除き「初めまして、お会いしたかった」と静かに声をかけた。
以前からお顔は知っていた。
お会いしたら直接伝えたいことがたくさんあった、でも優しそうで安らかなお顔を見ていると何も言えなくなった。
そのあとは先生方に挨拶し、他のファンの方が用意してくださった御棺に入れるメッセージ色紙とTシャツの準備を手伝い開始を待つ。
時間が近づくにつれ参列者がどんどん増えて最終的には200名近い人が集まっていたように思う、先生のファン層やお仕事の関係者が多かったからか参列者も全員が喪服というわけでなく結構自由な恰好をしていたのが逆にみんなが先生のことを本当に慕って集まってきたんだなと思わせた。
想定より参列者が多かったのか待機場所の部屋に入りきらずご焼香が済んだ人から棺にお花を入れるときになるまで一旦駐車場に案内される。
3~40分ほどしたら式場の人が呼びに来た、順番に棺にお花を入れる。
膝から崩れ落ちそうになるのを我慢し「ありがとうございました」と告げた。
あたりを見るとみな一様に目に涙を浮かべていた。
まもなく出棺となり私は焼き場へのバスに乗った。
バスの中で先生の叔母さんと高校時代の友人の方とお話しした、私は最近の先生の活動について話し、そして昔の先生の話を伺った。
先生の優しさやユーモアは今も昔も変わらなかったんだなとしみじみ思う。
30分ほどかけて焼き場に着いた。
間を置かず火葬にはいる、係の人が最後に挨拶をと勧めた。
額や髪にやさしく手を触れる。
本当に焼いてしまうのか⁈
そう強く思ったがもう止めることはできない。
ボタンが押された。
先生方が耐えかねてむせび泣いていた。
焼き終わるまで待機室で1~2時間ほど待つこととなった。
待機室への移動中に先生の親戚のお子さんが「私2回ぐらいしか遊んでもらってない」といい母親に「もっといっぱい遊んでもらってたでしょ」とたしなめられているのを聞き子供らしさにほっこりする。
ここで漸く一息ついた、最初はみんな何を話していいか迷っていたが次第に思い思いに、先生との思い出を語りはじめ遂にはあちこちから笑い声が聞こえてきた。
先生の周りには常に笑いが満ちていた。
時間になり焼き場に戻る。
先生はすっかり骨になっていた。
骨というのは本能的にこれが不可逆なものなんだと理解させる。
骨を拾ったあと火葬場の方から骨の説明を受ける。
なんだか不思議な気持ちでそれを聞いていた。
そのままお食事会に向かう。
料理を食べながらまた、先生の話をする。
先生の友人に、生前会話の中で私の話が何度か話題に上がり会いたいと言っていたと教えていただいた。
嬉しかった。
お食事会は、なぜかご遺影との撮影会みたいにもなりながら(この遺影が数日前に居酒屋で撮影されたもので先生は、はにかみながらキメ顔の良い写真だった)和やかに進み解散となった。
最後がみんな笑顔でよかったと思う。
自分が死んだらこんな葬式をしてもらいたいな、となんとなく思った。
非常にとっ散らかった拙い文章になってしまった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
崇山祟先生へ
人を笑わせるのが好きな先生。
ふざけているようで作品には真摯で、
大胆だけどナイーブで、
音楽も絵もそつなくこなすけれどちょっと不器用で、
誰よりも人に気を使い優しい。
そんな崇山祟先生、
そして先生の創る作品が大好きです。
本当にありがとうございました。
ウェブで読める崇山祟作品
『Gペンマジックのぞみとかなえ』
https://mangacross.jp/comics/gpen/1
『私の姉はひきこもり』
http://mavo.takekuma.jp/viewer.php?id=1176
『いかさま』
http://leedcafe.com/webcomic/exmanga032/
『童貞兵器』
http://leedcafe.com/webcomic/exmanga023/
『復讐惑星』
https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=72640751