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未来ドロップス  作者: 玉乃野 詩
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1 雨の日

 どんより暗い空から、毎日雨が落ちてくる梅雨の時期、梨香子は妙に落ち着いた気持ちになる。

 いや、より正解に近づけるならば、他の人も晴れやかな気持ちにならないだろうから、何となくひとりぼっちではないと思えるのだ。

(今日も疲れたな)と心で呟くと、電車の窓から見える風景を目に追わせるようにしながら、今日の仕事を振り返りはじめる。



 中島梨香子は保険会社で事故対応の仕事をしている。新卒の時に飛び込んだ大手の保険会社で、基礎を叩き込まれた。もともと冷静なタイプだった梨香子は、交渉ごとが得意で、細やかな気遣いも伴ってメキメキと実績を上げていった。

 気がつけば大きな戦力となっていたが、ある日突然左耳から音が遠のいた。

 いわゆる突発性難聴である。

 激務を理由に病院に行くのが遅れ、気がつけば難聴だけが残った。

 その頃から、蓄積されてきたストレスが実体として梨香子の身体にのしかかってきたのだった。



 あの時が一番無謀だったかもと思うほど唐突に、しかし振り返っても、やはり相当追い詰められていたのだと自分を擁護したくなるほど、切羽詰まった気持ちで会社を辞めた。

 そして他の仕事を探したのだが、ぐるりと回って、結局、手についた職に舞い戻ることとなったのだった。



 一日で対応する約30件の中で、帰り道に反芻するほどの案件は実はそんなに多くはない。

 ずっと解決を待っていたものが、ようやく手を離れた解放感や、笑ってしまうほどの困ったちゃんのお客さん、もしくは言い負かしてしまったことで苛立たせてしまった同業者とのやり取りぐらいである。



 今日の梨香子の頭には、稀に起こるちょっと変わった場面がリフレインされていた。

 交渉相手である某大手損保の担当者の怒りが収まらなくて、電話口で20分も捲し立てられていたのだ。

 こうなると、相手の気が済むまで吐き出させるため、少しぼやかして聞かなければならない。


 梨香子がお決まりの相槌を打ちながら、何となくいじっていたボールペンの引っ掛けるところが、ポキッと折れて、飛んでいってしまったのだ。

 いつもは隣の席の足元ぐらいなのに、今日はなんと、部長のデスクの下に飛び込んでしまった。


「すみません、またボールペンが骨折しました〜」と言って拾いに行くと、毎度クスッと笑ってくれるこの職場が結構好きだ。


 若い時ほどは周りに期待することもなくなり、毎日大きな問題もなく過ぎていく距離感のようなものを、梨香子自身が身に付けただけなのかもしれないが。


 それでも、平和な毎日が保たれることは、とても大事で、梨香子はそれを可能にしてくれている今の職場を、とてもありがたいと思うのだった。


(今日の『骨折ボールペン』何代目かなぁ)


 夕方の電車の窓は、透明なのかミラーなのかを迷いながら、梨香子の思い出し笑いを受け止めてくれた。

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