詩織編
こんにちは。奏深海です。今回、初めて連載小説に挑戦しました。誤字脱字、文章の書き方には気をつけていますが、誤字脱字があったり、「この文章おかしいぞ?」と思ったら、ご指摘お願いします。
詩織編
私は中川詩織。15歳。東京のとある私立の女子校に通っている。成績はほぼオール3。普通かな?いや、体育だけは2だ。私は小学生の頃から体育が大嫌いだ。鉄棒は恥ずかしながら中3になっても未だに逆上がりが出来ないし、サッカーは思うように上手くボールを蹴り転がせられないし、水泳は小6でやっと25メートル泳げるようになった。(クロールや平泳ぎを泳ごうと頑張るも犬かきになってしまうほどのカナヅチ)先生からは「おい中川!ちゃんとやれ!」と怒鳴られ、男子からは「のろま~」とか「おまえ、こんな簡単なことも出来ねーのかよ~」などとからかわれた。幸い、女子の仲間たちは「何あの言い方?!」「ホント、男子ってサイテー」「詩織ちゃん、あんなやつらの言うことなんか気にしちゃだめだよ」などと擁護してくれた。このように、女子を味方につけておけば、男子にからかわれたり、いじめられたりしたときに束になって守ってくれる。
中学も男子が嫌でこの学校に入った。もちろん、私立なので試験に合格しなければ入れない。思えば、小6の1年間、合格が決まるまでとても長く苦しい毎日だった。学校があろうがなかろうが家と塾で過去問を解き、模試を受けに行っては結果に一喜一憂したりと大忙しだった。当然、友達と遊べないし、休日や夏休みなどの長期休暇に家族で出かけたりもできなかった。マンガもゲームも「遊ぶのは受験が終わってから」と取り上げられた。朝から夜寝るまで毎日毎日勉強尽くしで嫌だった。国語は漢字の読み書きや物語文ならまだしも、説明文や四文字熟語になると眠くなったり、目が疲れてきたりした。それでもまだマシな方だった。問題は算数だ。算数は体育同様苦手な教科だ。学校で習った計算は解けるがつるかめ算などの難しい文章問題になるとお手上げだ。最初に問題を見たときにはクラッとめまいがした。だが、男子たちと同じ中学だけはごめんだ。男子から逃げるために私は嫌いな食べ物をつつくように時間をかけて問題を解いた。
そうして迎えた2月1日の受験当日、私は朝からとても緊張していた。心臓も激しい運動をしていないのにバクバクと音を立てていた。筆記試験が終わり、面接準備のために休憩時間が設けられ、私は近くの女子トイレに入った。個室は3つあり、どの個室も空いていなかった。私の前に3人の女の子たちが横並びに喋りながら並んでいた。「ねぇねぇ2人とも、試験どうだった~?」「算数超むずかった!」「だよね!あーもう受かる自信、全然ないよ~!」「私、午後にね十六夜中等部学院とラベレンス学園中学校を受けるんだけどここが本命だからもし、ここを落としてどっちかの学校に合格してもうれしくないなぁ…」私から見て右にいたポニーテールの女の子が話していたことを今でも覚えている。彼女はここが第一志望で午後に受ける二校はここが落ちたときの代わりだ。簡単に言えば、片思いしている彼(彼女)が自分以外の人と付き合っていたり、結婚したりしたらショックを受け、落ち込む。数年後に誰かと付き合って結婚するも、片想いしていた彼(彼女)の名前と顔はしっかり覚えていて1人になったときに思い出し、「あの時、勇気を出して告白すればよかった…」と後悔する。しかし、私はこの学校だけを受験した。リスクは避けられないが合格を願うしかない。それが今の私にできることだ。
試験問題や面接で聞かれた内容はその日のうちにさらっと忘れた。でも、今まで受けてきた模試よりも手ごたえを感じた。そして夕方、志望校の最寄りの駅にあるハンバーガーショップでお母さんと一緒にスマホで結果を見た。受験番号は0048。IⅮと受験番号を入れ、高鳴る胸を落ち着かせ、合否判定のボタンをクリックした。結果は合格。私とお母さんは嬉し泣きしながら抱き合った。(2階の席だったが、お客さんはまばらで各自、新聞を読んでいたり、読書をしていたりしていたので気づかず、店員さんにも見られなかった)家に帰ると弟の広輔とお父さんが玄関で待っていた。広輔にお父さんがいる理由を聞くと、お父さんはお母さんからLINEでお姉ちゃんが受験に受かったというメッセージを見て、大急ぎで仕事を終わらせて帰ってきたと言った。驚いた。でも、うれしかった。お父さんが私のためにいつもよりも早い時間に帰ってきてくれたなんて…お父さんが早く帰ってきたのはいつ以来だろう…とにかくものすごいうれしかったことを今でも鮮明に覚えている。だけど、どうしてあんなことになったんだろう…今でも答えは分からない。あの日を境にお父さんは変わってしまった…そして、私は姿を消すことになってしまった…
中学受験から2年が経ち、私は中3になった。広輔は私とは別の私立中学校を受験し、合格した。勉強に部活にと忙しかったが、とても充実した中学校生活を送っていた。そう、あの日までは。あの日は15年間生きてきた中でとても残酷な日だった。その日は朝からとても寒かった。二学期の期末試験が終わり、私と母は三者面談のため寒い中、電車とバスに乗り、歩いて学校に行った。暖房が効いている教室に入ると担任の川口先生がイスに座って待機していた。私と母も用意されているイスに座り、面談が始まった。開口一番に先生は「詩織さんの成績についてですが、1回目の中間から今まで何とも言えないくらい酷いです。どの教科もちゃんと勉強して試験に臨んだとはいえません」ときついことを私と母に吹っ掛けた。ドキッ実は私がきちんと勉強したのは中2までだった。高校受験しなくても内部の高校に進学できることを知ったのは中3になって初めての中間試験前だった。どの教科だったのかは忘れたが、試験前の自習時間終了間際に担当の先生が「月曜日から試験が始まるが、体調管理を万全にして試験に臨むように」と言い終わってすぐに「まぁ、うちの学校は中高一貫だから、ほぼ全員内部進学できるよ」とぼやいていた。なるほど。そうか。ということはどんなに勉強が出来なくても、高校受験がないから自分の未来に絶望しなくてよいのか。そう思った私は家でも学校でも塾でも勉強しなくなった。ただし、勉強しないのは親や先生の監視が緩んでいる時だけで親が「勉強してる?」と部屋に入ってきたり、先生が自分の席の近くにいる時はペンを走らせたり、ノートの内容を確認するふりをして「勉強してます」アピールをして、監視の目を欺いた。大人は理不尽だ。自分のことは棚に上げて私たち子供を「勉強しなさい」「宿題は終わったの?」というワードを使い、支配している。そのくせ、子供が学校や家、塾で勉強しているときにお気楽にリビングにあるテレビで録画してあるドラマやバラエティー番組を見たり、お菓子を食べながらスマホをいじったり、挙句の果てには、試験監督をしているのに試験を受けている生徒の目の前で堂々と居眠りしたりと大人げないことをする。私は塾に入り始めた小学4年生の時から幾多の場面で大人の裏の顔を見てきた。子供には「あなたのため」と言い、学校や塾などに行かせているけど、本音は「自分の時間が削られるのが嫌だから行かせてる」と思っているに違いない。塾に通う前は素直に言うことを聞いていたが、塾に通い始めてからは大人に対する違和感を覚えた。中3で建前と本音で大人をだます“遊び”を考え、実行した。だが今、その“遊び”が種明かしされている。「詩織さんは授業態度が非常に悪いです。ノートに落書きしていたり、寝ていたり…だから評定がこんなに低いんです」と母の顔面に成績表を見せつけた。母は娘の本性を見抜けなかった恥ずかしさと娘の実態を知った怒りで顔を紅潮させた。「中高一貫校だからって余裕ぶっていると高3の時に痛い目を見ますよ。そうなりたくないなら、自分の行動と生活習慣を改めなさい」と表情を変えず、怒りを抑えながらも抑揚のない声で話した。バスの中、母は黒いハンドバッグからハンカチを取り出し、静かに泣いた。
家に帰ってきても、母は何も言わなかった。私は心の中でごめんなさいとざまあみろを言った。部屋に戻り、私は勉強机の引き出しからメモ帳を取り出し、ペン立てから赤ペンを手に取り、メッセージを書いた。書き終わり、メモをシャツのポケットに入れ、そのままベッドに倒れこんだ。
目が覚めた時には20時をまわっていた。やばい、夕飯食べてお風呂入らないと。慌てて下に降りようとしたその時、ガチャっ玄関に鍵を差し込む音が聞こえた。お父さんだ。お母さんとは気まずいままだけど、お父さんは三者面談のこと知らないし、いつも通り私に接してくれる!そう確信して、階段を駆け下り、「お父さん、おかえりなさい!」と言った。ところが、返事がなかった。家の空気がいつもと違う気がする。なんていうんだろう。何か悪いことが起こる前触れのようなどんよりとした感じ…私はその空気を振り払おうと「お父さん、おかえりなさい」と言おうとしたその瞬間、パーンと頬が鳴った。何があったか分からず痛みがある右側の頬を右手で抑えて呆然としていると、お父さんは私の胸ぐらを掴み、「おまえのような卑劣でクズなやつなんか娘じゃない!出て行け!このペテン師が!!」と怒鳴った。まさか、そんな。なんでお父さんが知ってるの…?初めてお父さんに頬をひっぱたたかれたことよりも、初めてお父さんに怒鳴られたことよりも、三者面談の内容を知らないはずのお父さんが私の悪戯を知っているのかが気になった。が、今はそんなこと考えている暇はない。まずは謝って許してもらおう。「おっ…お父さん…ごめんなさ…」「謝れば許してもらえると考えてるんだろ?謝って済むなら警察はいらねぇんだよ!ここから出て行け!」私の“本物”の謝罪をお父さんは拒否した。お父さん…なんで…朝はいつも通り優しかったじゃない…試験がうまくいかなかった時も「どうした?元気がないじゃないか。さては、試験がうまくいかなかったんだな。大丈夫、次があるじゃないか。一生懸命勉強すれば次の試験ではうまくいくさ」ってなぐさめてくれたよね…お父さんはいつも私の味方だった…それなのに、なんで…なんで先生やお母さん側に寝返ったの?私はお父さんをだますために遊んでるんじゃない…私に裏の顔を見せた理不尽な大人たちに復讐するためにあなたの知らないところであいつらと同じ事をしたんだよ…私の悲痛な心の叫びは彼の心に響かなかった。こうなったら、立場をなくしても住む場所を守らないと…そう思い、私は抵抗したが力及ばず、しまいには真冬の外に放り出され、ドアのカギを閉められた。母と弟は私を助けず、お父さんを止めず、情のない冷たい目で一部始終を見ていた。
私は泣きながら寒い夜道を歩いた。この悲しみと後悔は嘘じゃない。家族全員に見捨てられた悲しさと危険で楽しい遊びを考え、こうなるまでやめなかった自分がバカだったという後悔に苛まれた。気づけば、私は団地のマンションの屋上にいた。北風が髪をなびかせ、身体全体をいじめる。老朽化でさびはじめている鉄格子を寒さで赤くなった両手で掴み、身を投げた。
翌日の早朝、団地の近くをランニングしていた男性の通報により、私はマンションの近くの草むらで遺体として発見された。娘であり、ペテン師である女子中学生の訃報を聞いて、両親や弟、友達、学校と塾の先生はどう思ったのだろう。警察は私のシャツのポケットから遺書であるメモを見つけた。メモには赤い文字で“お父さん、お母さん、広輔、川口先生、山本先生、阿久田先生、美幸、香奈美、乃々歌、こんな私を愛してくれてありがとう。来世で逢えたら生まれ変わった私と仲良くしてください。さようなら。詩織”と書かれてあった。
詩織編END