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ヘボドラゴンと呼ばれても  作者: たつのオトシゴ
第一編 始まり
7/30

002 ③

(何だ……?)

 ソーマが音の方へ首を振り返らせると椅子とテーブルが倒れていた。

 散らばった椅子の中で倒れている人影を見つける。

 いや、正確には人ではなかった。

 倒れていたのは魚の鱗を持つ少女のモンスターだった。

 そのモンスターの右頬は真っ赤に染まり、鼻からは血が垂れ落ちている。

(誰かに殴られたのか?)

 ソーマは怪訝な表情を浮かべ、モンスターを殴ったのであろう者に目を遣る。彼女を見下ろす義勇兵の男もまた顔を真っ赤に染め、息を荒らげていた。

 ソーマは目を凝らすと男の右腕が無いことに気付く。肘から先が失われ、包帯がグルグルと巻かれている。

「お前のせいだ……お前がしくじったせいで、腕が無くなったんだ! 分かってんのか! この役立たずが!」

 隻腕の義勇兵は叫んだ。耳が痛くなるくらいの大きな声だった。

 それはもう怒声というのが相応しいほどに、怒りに満ち満ちた叫び声だった。

 ギルドに残っていた義勇兵とギルド職員の視線が一斉に集まった。

 倒れていたモンスターの少女は両膝を突いて頭を下げる。

「マスター……申し訳ありませんでした」

 鼻からポタポタと血を落としながら、痛む頬を押さえることも無く、彼女は無表情だった。

 その表情が気に食わなかったのか隻腕の義勇兵は「何も感じていないような顔が、むかつくんだよ!」と叫びながらモンスターの顔面を蹴り上げた。

 バキッと嫌な音がした。何かが折れたような音だった。

 仰向けに倒れたモンスターに乗り掛かると残っている左手を握り固め、躊躇なく顔面を殴り始める。

「くそっ、くそがっ! 化物のくせに俺を馬鹿にしやがって! 俺を護るのがお前の仕事だろうが! それなのに何でお前だけが無事なんだよ! お前のせいで俺の右腕は……ッ!」

 顔面を殴るたび、静まり返ったギルドには嫌な鈍い音が鳴り響く。

 肉が潰れ、骨がぶつかる音。モンスターが倒れている床に血が飛び散っていくのが見えた。

 前にも一度だけ見たことがある光景だった。

 たしか、その時もモンスターの失態によってクエストが失敗という理由でマスターである義勇兵が暴力を振るっていた。

 しかし、今回は明らかに度が過ぎている。

(あれはやり過ぎだろ……)

 とソーマは思った。だけど、ギルドにいる義勇兵たちはモンスターの少女が殴られているのを平然と眺めるだけで誰も止めようとはしない。

 それどころか義勇兵の中には薄ら笑っている者すらいる。

(なんで……笑ってられるんだよ)

 義勇兵たちはモンスターが一方的にマスターから暴力を受けていることに何の疑問を抱いていない様子だった。その異様ともいえる光景を前にソーマは動くことが出来ない。

 早く彼女を助けなくてはいけないのに、どうしても一歩が踏み出せない。

 見えない無数の手に肩を掴まれているようだった。

(……止めなくちゃ。早く止めないと、死んでしまう)

 そう思いながらもソーマが足を踏み出せずにいると、

「マ……マスター。……申し訳ありません……私のせいで……ごめんなさい」

 顔中が赤黒く腫れ、血塗れのモンスターの少女はそこまでやられても謝り続けた。

 モンスターの力があればマスターなんて押し飛ばせるはずなのに、彼女は表情ひとつ変えずに殴られ続けていた。

 殴られている時ですら苦しみも悲しみも痛みすらも感じていないのかモンスターの少女は無表情だった。

(なんでだよ……。そこまでされても謝るのかよ……。おかしいだろ。君はマスターの為に命を懸けて戦ったんだろ? なのに、何で謝るんだよ……)

(それが……普通なのか?)

 マスターにとってモンスターとは道具に過ぎない。

 モンスターにとって自分はマスターの道具に過ぎない。

 それが普通の関係なのだ。

 きっと、この光景を笑って眺めている義勇兵たちもモンスターを道具としか見ていない。

 それに、その義勇兵の傍らで立ち尽くしているモンスター達もまた自分を道具だと疑っていないに違いない。

 この光景に違和感を覚える者が何人いるのかは分からない。けれど、今ここで動かなかったらモンスターの少女は殺されてしまう。それだけは分かる。

 ありったけの勇気を絞り出し、ソーマは席を立つ。

「やめ――」と声を上げようとした時だった。

「そこまでにしておけよ」

 と誰かが言うと共に、怒り狂っていた義勇兵の左腕を掴み止めた。

 義勇兵の男は血眼をギョロリと動かし、自分の腕を掴んだ者を睨み付ける。

 男の背後に立っていたのはモンスターの女だった。

 水底のような深く暗い瞳と黒い髪を持つモンスターの両腕は氷のような甲殻に覆われている。

 恐らく甲殻虫のモンスターだろう。その証拠に額には虫を思わせる長い触覚が生えている。

 それよりも目を惹くのは彼女の服装だ。本で見た記憶がある。確か、極東の国で正装とされている『着物』と呼ばれるものだ。防具という訳ではあるまいし、ましてや戦闘に向いているとも思えない。何故わざわざそんな珍しい服を着せているのか理由は分からない。

 その着物姿のモンスターの女は何故か微笑を浮かべている。

 義勇兵の男は腕を振り払おうと力を込めるがびくともしない。モンスターの膂力の前に人間の力はあまりに弱い。大人が幼い子供の腕を掴むようなものだ。そもそも敵うはずが無い。

「離せ! ……お前、誰だよ。いや、誰のモンスターだ。邪魔すんなよ!」

「いいえ、離しません。あなたを止めるようにとマスターから命令されておりますので」

 モンスターの女は腕を引くと隻腕の義勇兵を軽々と放り投げた。床に背中から落ちた男は「ウッ」と苦痛の声を漏らす。

 仰向けに倒れた男は自分を見下ろしてくる人影に気付き、血眼を向ける。

「やり過ぎだ。やり過ぎやり過ぎ。あんた、自分のモンスターを殺す気か?」

「誰だてめ――」

 男は人影の正体を見るなり声を詰まらせた。

「ギンガ……。どうしてお前が……」

 隻腕の義勇兵を見下ろすのは青白い肌をしたギンガという名の男だった。

「どうして……って。さすがに止めるだろ。ミスティ、その子にポーションを飲ませておいてくれ」

「承知致しました、マスター」

 ミスティと呼ばれた着物姿のモンスターが倒れているモンスターの少女を介抱し始めるのを確認してから「さてと……」とギンガは言葉を続ける。

「気は済んだか? それともまだやるか? ……もし、まだ気が済んでいないなら俺たちが相手になってやる。あんたの気が済むまで相手になってやるが……どうする?」

 落ち着いた声で言ってはいるけれど、肌がビリビリとするほどの威圧感を放っていた。

 さっきまで笑って見ていた義勇兵たちも口を噤み、顔を凍り付かせている。

 その沈黙の中からヒソヒソと声が聴こえてくる。

「どうしてここにギンガのやつが」

「ギンガって……あの〈A〉等級のギンガか?」

「あのモンスターは間違いなくミスティだ。俺は別の街で見たことがある」

「それって〈A〉等級義勇兵、ギンガのモンスターだろ? じゃあ、まさか本物か?」

 義勇兵たちの間で飛び交っていた『ギンガ』と『ミスティ』という名前はソーマも聴いたことがあった。王都を拠点としている義勇兵クランの一員であり、〈A〉等級の義勇兵だと。

 そんな有名な義勇兵がどうしてこんな辺境の街にいるんだ、と怪訝な表情を浮かべる義勇兵がちらほらといた。

 〈A〉等級義勇兵。王国でも十人といないと言われている英雄級の義勇兵だ。皆が驚くのも無理はない。

 ソーマも初めて目にする〈A〉等級義勇兵の迫力に息を呑んでいた。

「…………分かったよ、くそっ」

 怒り狂っていた隻腕の義勇兵もさすがにギンガを前にして冷静さを取り戻したのか、目の色が戻っていく。

「マスター、どうされますか? このまま放っておけばまた同じことをする可能性があります」

 モンスターの介抱を終えたミスティは男を警戒しているのかジッと目を離さない。

「無為にモンスターを傷付けることは禁止されている。……けど、明確な罰則がある訳でもないし、法律があるわけでもないからな。どうしたものか……」

 ギンガは床に倒れている隻腕の義勇兵を見下ろし、どう落とし前を付けるべきか頭を悩ませていると、「許してください……」とか細い声が聴こえてきた。

「……ん?」

 ギンガは目だけを動かして声の方を見ると、そこには顔中が血塗れのモンスターの少女が立っていた。彼女は男のモンスターだった。

 ポーションを飲ませて傷は塞がっているけれど、顔は未だ痛々しく腫れ上がっている。そんな状態でもモンスターの少女は、自分を殴ったマスターを庇うように立つ。

「許してください……マスターは悪く……ないんです。全部……全部、私が悪いんです。だから、許してください。……お願いします」

 モンスターの少女は膝を突いて首を垂れて懇願した。

 その姿をジッと見つめたままギンガは口を噤んだ。

 傍から見ていたソーマには理解出来なかった。マスターに殺されかけたのに、それでもマスターを庇い続けるモンスターの行動に不快感を通り越して、苛立ちすら覚えた。

(どうして、そんな奴の為に……)

 彼女がマスターを庇う姿は他の義勇兵にはどう見えているのだろうか。

 モンスターがマスターを護るのは当然だと思っている者もいるだろう。

 だけど、モンスターを殺そうとしたマスターすらも護ろうとしてしまうモンスターを見て、ソーマは思ってしまう。

(これは一種の呪いだ……)

 何があろうと、どんなに酷いことをされても、モンスターはマスターを見捨てることが出来ない呪いだ。

 マスターは簡単にモンスターを見捨てるくせに、何て身勝手な呪いなのだろうか。

「はあ……わかった。俺には義勇兵を裁く権利は無い。だからお前がそれを選んだなら、これ以上は何もしないさ。……あと俺に出来るのは君の幸せを願うくらいだ」

 そう言い残してギンガは踵を返した。

「皆さま、大変お騒がせしました」

 とミスティは眺めていた義勇兵たちに向かって頭を下げてからギンガの背中を追う。

 モンスターの少女は隻腕の義勇兵に近寄ると「マスター、大丈夫ですか?」と声を掛けていた。それに対して男は無言で立ち上がると逃げるようにギルドを後にしていった。モンスターの少女も後を追って姿を消す。

 こうしてギルドに訪れた嵐は通り過ぎ、義勇兵たちは何事も無かったかのように戻っていく。

 そんな中、ソーマはしばらく動くことが出来なかった。

 今のソーマには目の前で起こった現実を呑み込むのが難しかった。

 ただの我儘なのかもしれない。だけど、どうしても納得は出来そうにない。

 マスターとモンスターのこんな関係を納得したくない。もし納得してしまったら、あの光景を笑って見ていた義勇兵と同じになってしまう気がして、とにかく嫌だった。

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