002 ①
002
ゴブリンに追われ、殺されかけた疲れが溜まっていたのか目が覚めたのは真昼だった。
「ああ……寝過ぎた」
ソーマは顔に手を当て、再びヘッドに倒れ込む。
ボスンッと音を立ててから慌てて横を向き、同じベッドで眠っているシロナが起きていないことを確認する。
(……よかった、起きてない)
ベッドに倒れ込んだ衝撃は伝わっているだろう。それでも目覚めないのを見るにシロナも相当に疲労が溜まっているに違いない。
それもそうか。背中に矢を受けて内臓にも届いていたのだ。いくらモンスターの治癒力が高いとは言っても疲れは溜まる。
ふう、と息を吐いてからソーマは目を瞑ると宿舎の外に意識を傾ける。
街の外れにあるせいか外からは生活音や微かな話し声しか聴こえてこない。中心街に行けば一年中喧騒に包まれているけれど、ここまではさすがに届かない。
「ぁ、そうだ……ステータスを確認しなきゃ」
再び目を開けると半身を起こし、横で可愛らしい寝息を立てているシロナを見る。
シロナの褐色の額には赤い紋章が浮かんでいる。同じ紋章がソーマの右腕にも浮かんでおり、二人がマスターとモンスターの関係である証だ。
額の紋章に触れて魔力を流すと魔力が粒子となって中空に幾多の文字を浮かび上がらせた。その並んだ文字はモンスターのステータスを表している。つまりは能力値だ。
ステータスには筋力・耐久力・魔力・魔法抵抗・俊敏性・器用・幸運があり、それぞれの能力値を〈G・F・E・D・C・B・A・S〉の八段階で表示される。ちなみに〈G〉が最低値だ。
それ以外にも特殊能力〈アビリティ〉や特殊耐性などがあり、所有していればステータスの下に表示される。
シロナのステータスに目を通しているとソーマは憂鬱な顔を浮かべる。
(今日もダメか……。ステータスに変化は見当たらない……)
シロナのステータスは全く成長していなかった。数体のゴブリンを倒し、経験値を獲得したはずなのに成長していなかった。
約一年間、ゴブリンなどの魔獣を倒し続けてきた。
しかし、ステータスが成長したことは一度も無かった。
魔獣を倒した時、魔獣の体内から魔力粒子が放出され、モンスターはそれを吸収することでステータスが成長する。それが俗に経験値と呼ばれるもの。
モンスターが魔獣を倒すか、そのマスターが魔獣を倒すことで経験値は自動的に吸収されていく。
そのはずなのにシロナは成長したことが無かった。未だに原因は分からない。
今日もシロナのステータスはオール〈G〉だった。
小さな溜息を吐いたソーマは中空に浮かびあがるステータスを手で払い霧散させる。
すると、シロナがモゾモゾと動き出し「ふぁあ……ぁ……マスター、おはようございます」と欠伸混じりの声と共に目を覚ました。
「うん、おはよう、シロナ。まだ背中は痛む?」
シロナは体を捻ったりする素振りを見せてから、
「いえ、もう大丈夫みたいです。マスターのおかげです」
と微笑みを浮かべた。
「いや、僕は……何もしてないよ」
その無垢な微笑みがソーマの心に刺さり、チクリと痛みを生む。
シロナが起きたことでソーマは出かける準備を始める。
日差しを浴びてキラキラと光るシロナの白い髪を梳かし終えると「マスター、ありがとう」と申し訳なさそうに言った。
「いえいえ、どういたしまして」
(マスターがモンスターの世話をするなんて他のマスターが知ったら驚くんだろうな……)
おかげで巻角が生えていても髪を梳かすのが上手くなった。
でも、もしも誰かに「どうしてモンスターの髪を梳かしているのか」と訊かれたら少し困ってしまう。
理由――というか動機を話すのが凄く恥ずかしい。不純な動機だから。
その雪のように白い髪の触り心地が気持ちいいからだなんて、もしシロナに知られたら恥ずかしさで寝込んでしまいそうだ。
名残惜しくも髪から手を離す。そして二人は軽装に着替えを済ませると宿舎を出た。
今日は魔獣討伐のクエストを受ける訳ではない。だから装備はいらない。
ソーマとシロナはゴブリンを討伐した報酬を受け取りに義勇兵ギルドへ向かう。宿舎などの住居が密集している裏通りを抜け、中心街を目指す。
徐々に人通りが増えてくると雑踏が聴こえてくる。その雑踏に誘われるように大通りへ出る。
多くの人が往来している中で所々にモンスターの姿が見える。
この街は義勇兵の拠点になっていて他の街よりも義勇兵の数が多い。当然、義勇兵の数に比例してモンスターの数も多くなる。
義勇兵が多い街は経済が潤うと言われている。その証拠に中心区は活気に満ちた商人で溢れている。
ソーマはこの中心街の雰囲気が少し苦手だった。
ソーマの両親や兄妹は純粋な金髪を持ち、純粋な金髪は上級貴族の証とされている。だが、ソーマだけは普通の金髪ではなかった。
頭頂部だけが黒ずんでいる金髪だった。その特徴的な髪色は皆の視線を集めざるを得ない。
そもそも義勇兵をやっている貴族は少ない。上級貴族の義勇兵となれば絶滅危惧種だ。
半端な金髪を持ち、義勇兵をやっているだけで「ああ、あいつは落ちこぼれた貴族なんだな」と誰もが思うだろう。
落ちこぼれた貴族を見るのは気分が良いらしく、興味津々で見てくる平民や義勇兵は多い。
人の不幸は蜜の味という言葉があるくらいだ。そう思うのが普通なのだろう。
でも、一年も経てばそんな視線にも慣れるものなんだなとソーマは自分のずぶとい神経に感心する。
へばりつくような気持ち悪い視線を浴びながら大通りを進むと一際大きな建物の前で足を止める。ここが街の義勇兵ギルドだ。
都市の義勇兵ギルドには負けるけれど、この街の義勇兵ギルドも相当な大きさと存在感を持っている。街々を旅する商人曰く、義勇兵ギルドの大きさを見れば、その街にいる義勇兵の数が分かるという。
女性や子供にはいささか重たいだろうギルドの扉を押し開く。ソーマの後を追ってシロナもとてとてとついて来る。
ギルドの中に入ると大通りで浴びた視線とは異なる嫌な視線を向けられる。
ふと、耳を傾けると、
「ヘボドラゴンとそのマスターだ。まだ生きてたのか」
「ゴブリンに殺されかけたらしいぞ」
ゲラゲラと嘲笑う声が聴こえてきた。
まあ、いつものことだ。義勇兵ギルドを訪れる度に聴こえてくる声たち。気にすることは無い、と義勇兵の男達を一瞥する。
ソーマはギルドを真っ直ぐ進む。そのまま進めば受付があり、そこにはギルド職員である女性たちが並んでいる。用事があるのは受付だ。他の義勇兵の言葉にいちいちかまっている時間は無い。
いや、別に忙しい訳ではないのだが、いちいち相手にしてたら受付に辿り着かないというだけだ。
モンスターを従える義勇兵達とすれ違いながら受付に辿り着く。
「こんにちは、ソーマさん。今日はどうされましたか?」
見慣れた顔の受付嬢は微笑みながら挨拶をしてきた。
人当たりの良い彼女はいつもソーマにも普通に接してくれる。それが少しだけ嬉しかった。
「こんにちは。えっと……今日はゴブリン退治の報酬を受け取りに来ました」
ソーマは袋を手渡すと「ありがとうございます。確認しますね」と受付嬢は袋の紐を緩めて中身を確認する。
魔獣退治の報酬は退治した数だけ報酬が貰える。その確認方法は魔獣の肉体から切り取ったものを持ち帰り、義勇兵ギルドで換金するというもの。
魔獣によって持ち帰る部位は異なるけれどゴブリンの場合は特徴的な長く尖った耳だ。左右で向きが異なるため、一体のゴブリンが二つと同じ耳を持つことはない。そういった一体につきひとつしか持っていない部位を持ち帰ることで報酬を得られる。
受付嬢に渡した袋の中にはゴブリンの耳が入っており、袋を開けた時に少し血生臭さが鼻を突いた。ギルド職員である彼女は何年も毎日嗅いでいるせいか眉一つ動かさず、嫌な顔をしない。
「はい。ゴブリン四体の退治を確認しました。報酬は――」
受付の引き出しから報酬の硬貨を取り出す。
四体のゴブリンを退治しても貰える報酬は少ない。それに、ゴブリン・ソルジャーが率いていた群れを迎え撃った時に倒したゴブリン二体の耳を切り取る余裕は無く、お金にはなっていない。
勿体ないという気持ちはあるけど、何よりも生きて帰るほうが大切だ。傷付いたシロナを連れて帰るほうが優先だった。欲をかいて死んだら笑えない。
「ありがとうございます」
そう言って受け取った報酬の硬貨は片手で収まり、シロナに見られないように素早くポケットにしまった。だけど、その時に鳴ったチャリンという音が報酬の少なさを物語っていた。
「おいおい。他のチームに助けて貰ったくせに、ちゃっかり報酬は貰うのかよ」
首を振り返らせると名前も知らない義勇兵の男が蔑むようにこちらを見ていた。その男は不愉快そうに表情を顰めている。
その仲間と思わしき義勇兵たちも合わせたように声を上げ始める。
「ゴブリンすら満足に狩れないヘボドラゴン。そのマスターは他の義勇兵が倒したおこぼれを漁ってる訳か。意地汚ねぇ奴だな」
「ヘボドラゴンもヘボドラゴンだけど、そのマスターはプライドってもんがねぇのかよ」
「あんな役立たずのモンスターは家畜の餌にしたほうがまだ役に立つってもんだろ。足手まといの義勇兵がいるだけでこっちが迷惑するんだよ」
「さっさとくたばってくれよ、ヘボドラゴン。そっちのほうがお前のマスターのためだぞ。迷惑をかけるモンスターなんていらないんだよ。見てるだけでイライラするぜ」
最初は我慢出来た。自分のことをどう言われても構わなかった。馬鹿にされたっていい。脅されたっていい。笑われたっていい。辱められたっていい。
だけどその矛先がシロナに向けられ始めた途端、ソーマの感情は薄氷を踏んだように亀裂が一気に走った。
ソーマの青い瞳が怒りに染まっていき、顔が熱を帯びていく。
感情を覆っていた氷が砕け、シロナを貶める義勇兵に向かって足を踏み出した時、
「これは! これはギルドが正式に決めた取引です!」
突然、受付嬢がギルド中に響き渡る声を上げた。
普段は温厚な彼女が大きな声を上げ、義勇兵だけではなく、他のギルド職員までもが凍り付いていた。ソーマも目を丸くして足を止めていた。
驚きのあまりソーマの怒りは吹き消された。
受付嬢はソーマとシロナを笑っていた義勇兵の男達に体を向けると「声を荒げ、失礼いたしました」と頭を下げた。
「……ですが、これはギルドが決めた正式な取引です。魔獣を退治した義勇兵には報酬を支払う。魔獣の体の一部を持ち帰り、それを退治した証とする。それはギルドが決めた規則です。その正式な取引を邪魔するということはギルドの規則に反するということ。規則違反にはギルドとしてそれなりの処置を下す必要があります。もしその規則に不満を持ち、反対するというのなら私が直接ギルド本部に報告いたしますが、どうされますか? バースさん、ドロウさん、グリムさん」
まくし立てるように言い、最後に彼らの名前を並べた。それはもう「お前たちの発言をギルド本部に報告してやろうか?」と脅しているように聴こえる。
表情こそは穏やかだが、彼女の視線はどんな槍よりも鋭く、義勇兵たちを突き刺していた。
その圧に負けたのか義勇兵の男達は舌打ちを残してギルドを出て行った。
ソーマは遅れて気付く。怒りに我を忘れ、彼らに迫ろうとした自分を止めると同時に庇ってくれたのだと。
「あの……その……ありがとうございます」
「いえ、私こそ今までごめんなさい。ソーマさんが他の義勇兵から心無いことを言われているのを聴いていたのに何も出来なくて……。でも一年間も聴いていたら、ついカッとなってしまいました。あはは……」
受付嬢は恥ずかしそうに笑った。
(ああ、そんな風に思ってくれている人もいるんだな……)
「えっと……確か……あー……」
とソーマが何かを言いたそうに困っていると受付嬢は察したのか「ふふふっ」と微笑む。
「ソフィアです。私の名前、教えたことありませんよね? まあ、わざわざ名乗る機会もありませんでしたから、知らなくて当然です」
「ありがとうございます、ソフィアさん。……でも、大丈夫なんですか? あんなことを言ってしまって」
『あんなこと』とは、ギルドという立場と権力を振るって義勇兵を脅すようなことを言ってしまったことだ。
王国直属の国家騎士は規律と法律の下で支配されており、違反者には罰則が科せられるのは知っている。
対して義勇兵は国家騎士とは違い、基本的に自由であり、それが義勇兵の利点でもある。
もちろん、重大な規則違反を犯せば等級の降格や、義勇兵資格の剥奪などの罰則が与えられる。しかし、義勇兵同士のいざこざは日常茶飯事。その程度で罰せられるとは思えない。
きっと、ソフィアが言ったことは半分以上がはったりだったのだろう。
場合によってはソフィアのほうがギルドに目を付けられかねない。それが心配だった。
「多分、大丈夫ですよ。今回は上手くいきましたし」
ソフィアは微笑んでいたけれど、その表情には薄ら疲れが滲んでいた。
「……そう、ですか」
ふと、辺りを見渡すと騒ぎを聴いていた義勇兵たちがこちらをジッと見ていることに気付く。
これ以上ここにいればソフィアに迷惑をかけてしまう。そう思い、「じゃあ、僕はこれで」と小さく頭を下げると受付を後にする。




