001 ①
001
義勇兵の門を叩いてから一年が過ぎた。
凶悪で凶暴な魔獣との戦いは大きな危険を伴うことを承知の上で義勇兵となった。だけどそれは死ぬ覚悟が出来ているということではない。
誰だって死にたくはない。
死にたくない。いや、死んでたまるか。
そう思いながらソーマは深い森の中を無我夢中で走っている。
息をゼエゼエと切らしながら頭頂部だけが薄黒い金髪を揺らす。ソーマの青い瞳には焦りが浮かび、何かから逃げていることは一目瞭然だ。
「ごめんなさい……。マスター、ごめんなさい……」
ソーマに背負われているシロナは苦痛に声を震わせながら謝った。その褐色の顔は申し訳なさそうに歪んでいる。
竜のモンスターでありながらシロナの背中には竜の翼は生えていない。代わりにその小さな背中には一本の矢が深々と突き刺さっている。
幸いにも心臓は外れているが恐らく内臓には到達している。
シロナを気遣ってゆっくり走っている余裕は無く、揺れるたびに痛みが走るのか小さな呻き声が聴こえてくる。
「ああ、大丈夫。とにかく街に着くまでの辛抱だ。頑張れそうか?」
「うん……頑張る。ありがとう、マスター」
そう言ってシロナは眠るように目を瞑った。
背負っているシロナの顔を一瞥すると共に、背後から迫る魔獣の声と足音に耳を傾ける。
(……近いな。追い付かれている)
このままでは街に着くまでに追い付かれる。いや、追い付かれなくてもこのまま走り続けていれば心臓が限界を迎え、動くことすら出来なくなる。
それなら不意を突いて迎え撃つべきだ。逃げていては生き残れる可能性はゼロに等しい。独りでも戦うほうが生存率は僅かに上がるはず。間違いなくゼロよりはましだ。
足を止めたソーマは背負っていたシロナを木陰に隠し、慌てて樹の上によじ登る。
そして腰に携えている剣を抜き放つ。その左腕には小さな盾、バックラーが装備されている。これで戦闘準備は整った。
魔獣の足音が大きくなってくる。
昼間だと言うのに暗い森の奥からギャギャギャという笑い声なのか叫び声なのか分からない声と共に近付いて来る。
きっと獲物を追い詰めているのが楽しいのだろう。
迫って来ているのは五体のゴブリン。
普通のゴブリンであればソーマよりも背丈は低い。だが、その中で頭一つ飛び出しているゴブリンがいた。
鎖帷子を纏い、長い鉄槍を持つゴブリン・ソルジャーだ。その装備は人間から奪ったに違いない。つまり、それだけ普通のゴブリンよりも強いということだ。
ソーマとシロナの姿を見失ったゴブリン達は足を止めると鼻を鳴らし、ニオイを追う素振りを見せる。
そして樹の上からニオイを嗅ぎ取ったゴブリン達が一斉に頭上を仰ぐ。
同時にソーマは樹から飛び降り、一体のゴブリンの頭を剣で貫いた。
不意を突いた攻撃は成功し、剣を引き抜くとすぐに次のゴブリンに襲い掛かる。
恐怖と心臓の痛みを誤魔化すように叫びながら剣を振るう。
残る四体のゴブリンに、たった一人で立ち向かう。
これまでも人間と魔獣は争い続けてきた。
どうして人間は魔獣を殺すのか? それは魔獣が人間を襲ってくるからだ。
いつからだろう。確か王立士官学校で教わった記憶がある。何十年、いや、百年以上前からだったか。『魔獣』と呼ばれる凶悪な獣が確認され、その数と種類は流行り病の如く爆発的に増えた。しかも、世界中にだ。
魔獣は人間の想像を上回る力を持ち、あっという間に世界は混乱と恐怖に陥った。
人間の中には魔法と呼ばれる力を振るう魔法使いがいたり、各国には軍や騎士団があり、最初は魔獣を滅ぼそうと戦っていた。
しかし、人間の力は魔獣に及ばなかった。魔獣の力と繁殖力は想像を遥かに上回っていた。
そんなある日、とある研究者の人間が言った。
――魔獣の力を奪って、それを人間が使えばいい。力が足りないなら相手の力を利用してしまおう。
そして人間が生み出したものは人間の血と魔獣の血を持つ生命体だった。
後に『モンスター』と呼ばれるそれは、人の形をしながら体の一部に魔獣の肉体を宿し、人間の域を超えた戦闘能力と特殊能力を有していた。
モンスターを使役した人間は魔獣の群れを退け、奪われていた街々を取り返すことに成功する。そしてモンスターを従える人間は『マスター』と呼ばれ、魔獣に唯一対抗できる存在となった。
しかし、それでも魔獣を滅ぼすには未だ至っていない。人間と魔獣の力は拮抗している状態だった。
もうすでにマスターとモンスターの存在は世界にとって無くてはならないものとなり、当然のように魔獣との争いは至る所で起きている。
そんないつ終わるかも分からない戦いを今も続けている。
モンスターの力なくして魔獣を倒すことは難しい。それは小さい子供でも知っている常識だ。
それなのにソーマはたった一人で四体のゴブリンと戦っている。
あまりに危険過ぎる。いくらゴブリンが最下級の魔獣だと言っても魔獣は魔獣だ。力は人間と変わらないが武器を扱う知性を持ち、獣の如く俊敏な動きは人間を上回っている。
王国の騎士がゴブリンの群れに囲まれて全滅したなんて事例は数え切れないほどある。
幼い頃に父親が――いや、父親だった男が――口癖のように「そんなことではゴブリンも倒せないぞ」と言っていたことを思い出す。今では嫌な記憶だ。
忘れたい記憶がまだ鮮明に残っていることに辟易する。
余計なことを考えていると槍先が眼前に迫っていることに気付き、咄嗟にバックラーで往なす。ガリガリとバックラーの表面が削れる。
あと少し反応が遅れていたら顔を貫かれていたに違いない。死にかけたことにゾッとする。
心臓がズキズキ痛む。息も乱れ始めている。本当なら今すぐ座り込んで休みたい。
しかし、ゴブリン達がそれを許してくれるはずも無く猛攻が迫ってくる。
ゴブリン・ソルジャーは器用に槍を振り、そして刺突を放ってくる。軽い身のこなしで槍を振るう様は曲芸のようだ。棒術や槍術を知っているはずもないゴブリンは教えられずとも槍の扱いを知っていた。
四体のゴブリンとの激しい混戦がしばらく続いた。
バックラーはボロボロになり、ソーマの体中に刻まれた細かな傷が数え切れなくなった頃、ゴブリンの一体が木の根に足を取られて体勢を崩した。その隙を見逃さず踏み込み、剣を振り被る。
ソーマの剣がゴブリンの手首を斬り裂き、握られていた短剣がポロリと落ちる。怯んだゴブリンへ迫り、その腹を一気に剣で貫く。
最後の力で暴れるがすぐに力尽き、ゴブリンは絶命した。
「……こ、これで……二体目」
ゼェゼェと息を切らしながら剣を引き抜こうとした時、ドクンッと雷が落ちたような激痛がソーマの心臓を襲った。
(……ああ、まずい。これ、動けなくなるやつだ)
胸を押さえたソーマはガクリと膝が崩れ、剣を地面に突き立てる。
ここまで走って逃げてきたことで心臓には既に負荷が掛かっていた。そこへゴブリンとの戦闘による負荷が積み重なり、心臓は限界を迎えてしまった。
ソーマは心臓に抱えている病によって人よりも心臓が弱く、活動限界があった。その活動限界を超えると心臓は暴れ出し、激痛が引き起こされる。そうなると歩くことすら儘ならない。
つまり、魔獣との戦闘時に限界を迎えるというのは必然的に『死』を意味する。
(……いつもそうだ。大事な時に僕の邪魔をする。もしこの病を持って産まれなければ人生は大きく違っていたに違いない。この病は僕から可能性を根こそぎ奪っていく呪いだ……)
こんな心臓無くなってしまえばいいのに、と何度思ったことか。
苦痛に顔を歪めながら顔を上げると眼前にはゴブリンが立っていた。
槍を持つゴブリン・ソルジャーはニタァと口を広げて不気味に笑う。
嘲笑われていることはなんとなく分かった。
無慈悲にその槍先を向けられる。
(ちょ……待ってよ。ねえ、待って。ちょっとでいいからさ……待ってくれよ)
そして槍が振り下ろされ、思わずギュッと目を瞑る。




