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ヘボドラゴンと呼ばれても  作者: たつのオトシゴ
第一編 始まり
24/30

012 ②

 暗い森の中に浮かび上がった二つの真っ赤な瞳。その瞳は猫のようにスリットが入っている。

 ユラユラと体を揺らしながら現れたのは黒い斑模様の赤い獣毛を腕脚に生やし、猫の耳と尻尾を持つモンスターだった。

 魔獣かと思っていたソーマとシロナは少女の姿をした猫のモンスターだと分かり、目を丸くする。

「……モンスター?」

 視線の正体がモンスターだったと知ってソーマは僅かに安堵する。

 だが、ふと森を駆け抜けた風が少女の赤い前髪をフワッと舞い上げ、その額から紋章が消えていることに気付く。

 彼女が野生のモンスターであると分かり、緊張で凍り付いていた体が動きを取り戻す。きっとマスターを失って彷徨っていたのだろう、と察したソーマは徐に話し掛ける。

「こんな場所でどうしたの? 君の名前は? それと君のマスターはどこに――」

 と言いながら少女に近付こうとした時、突然シロナが腕を浮かんでソーマを引き留めた。

「……マスター、ダメです。近付いたら……ダメです」

 シロナは酷く脅えているのか腕を掴む手が震えている。その時は一体何に脅えているのか分からずソーマは小首を傾げた。

「どうしたの? 彼女はマスターを失って野生化したモンスター……じゃ…………」

 人間の視力では森が暗くて少女の手元がよく見えていなかった。だが、少女がユラユラと近付いて来ると『それ』がハッキリと見えてくる。

 人間よりも優れた視力を持つモンスターであるシロナには最初から見えていたのだ。

 少女の手に人間の生首が握られているのが見えていたのだ。

 鋭くて長い爪を持つ両手は真っ赤な血に塗れ、その右手には男の首が握られている。

「わたしの名前は……名前は……たしか、ザクロ…………マスターは、もういないの。……二人はどういう関係……なの?」

 ザクロと名乗る猫のモンスターは足を止めてこちらを見てくる。

「僕達はマスターとモンスターだよ。そういう君はどうしてこんなところにいるの?」

「…………マスターに、もう要らないって言われたの」

「そ……そうか……」

「それと――」とザクロは言うと生首を持つ右手を突き出し、シロナを指差す。

 思わずソーマは身構えて一歩後退る。

「その髪飾りを探してたの……」

「……それは、どういう?」

 何故シロナの髪飾りを探しているのか理解出来ず、ソーマは怪訝な顔を浮かべた。

「それはマスターから貰った大切な物なの……だから返して欲しくて、ずっと見てたの」

「ずっと見てた……?」

「そうなの……返して貰おうと色々やったんだけど、中々上手くいかなくて……。マスターみたいに頭が良くないから、直接取りに来たの……」

「いや……君と会うのは初めてだよね?」

 恐る恐る質問するとザクロはフルフルと首を横に振る。

「ずっと、ずっと見てたの……。ゴブリンとかオークを誘導して……その娘を殺して貰おうとしたけど失敗したの……。だからミノタウロスを棲み処から追い出して殺して貰おうとしたのに……中々、死んでくれなかったの。……あまり上手くいかなかったの」

「…………」

 ソーマは言葉を失った。

 あの出来事は全てザクロが差し向けたものだと知り、腹の内側から怒りが込み上げてきた。だが、ザクロの境遇と気持ちを考えると怒るに怒れなかった。

 ザクロもまた被害者なのだ。身勝手なマスターに捨てられても、そのマスターがくれた髪飾りをずっと大切に探していたのだ。そして髪飾りが見つからないまま森を彷徨い、魔獣化が進行して脳が魔力粒子に侵されていった。

 正常な判断が出来なくなりつつあったザクロはようやく髪飾りを見つけたけれど、ソーマがその髪飾りを拾って帰ってしまったのだ。

 ザクロはどうにか髪飾りを返して貰おうと考えたのだろう。しかし脳を侵されているザクロは既に正常な判断が出来なかった。そして思い付いたのが、シロナが死んだ時に拾えばいいんだ、という常軌を逸したものだった。

 早く死なないか、いつになったら死ぬんだ、とソーマとシロナが森を訪れる度に後を付けていたのだ。しかし、中々死なないことに困ったザクロは魔獣を誘導して二人を殺して貰おうと考えた。

 そしてミノタウロスを差し向けたけれど、〈A〉等級義勇兵のギンガとミスティによってそれは失敗に終わった。

 遂に我慢の限界に達したザクロはソーマ達の前に姿を現すことを決め、今に至るのだろう。

「分かった……髪飾りは君に返す。だから僕たちと一緒に街へ戻ろう。ギルドが保護してくれるはずだから」

 シロナには申し訳ないけれど、魔獣化が進行しているザクロを下手に刺激すれば殺されかねない。今はザクロの要望を呑むしかなかった。

「ごめん、シロナ……また別のものをプレゼントするから今は我慢してくれ」

 髪飾りを触るシロナは手放すのを躊躇いながらも「……はい、マスター」と頷いてくれた。

「ありがとう……」

 とザクロは俯くように頭を下げた。

「いや、勝手に持って帰った僕が悪いんだし……」

 ザクロがまだ辛うじて理性を残していたことに心の底から感謝した。もし完全に理性と自我を失っていたら話し合いすら出来なかったに違いない。

 しかし、今もザクロの精神は酷く不安定なのは変わりない。無数の罅が走っている精神はいつ崩れても不思議じゃない。何か精神的な刺激を与えただけで理性と自我が崩壊し、魔獣化が進行するかもしれない。

 もしそうなれば見境なく暴れ出し、ソーマ達は一溜まりも無いだろう。爆弾を抱えながら綱渡りをしているような極限の緊張感を覚える。

 でも、この髪飾りを返せばとりあえずの危機は乗り切れるはずだ――そう思っていた。

「それと、あと……もう一つ、お願いがあるの。聴いてくれる?」

 唐突にザクロはそう言ってきた。

 ビクリッとソーマの全身に強い緊張が駆け巡った。

「ぉ……お願い、って?」

 俯いていたザクロが顔を上げ、その名前に相応しい柘榴のように赤い瞳がジッとソーマを見つめてくる。

「わたしの……マスターになってほしいの」

 想像もしていなかったお願いに思わず「……え?」と声が漏れ出てしまう。

「わたしにはマスターが必要なの……今度はマスターの期待を裏切らないよう頑張るから」

「そ、それは……」

「何だってするの……。マスターが望むことなら何だってするの。……だから、見捨てないで」

 ザクロは少しずつ足を進め、距離を詰めてくる。

 手を血に染め、人間の首を持ちながら近付いてくる姿はあまりに恐ろしく、無意識にソーマの足は後退っていた。

 ソーマが離れていったことにザクロはピタリと足を止め、唇を震わせる。

「……どうして……どうして離れるの? また……わたしを捨てるの?」

「ぃ、いやっ……そういう訳では……」

(……しまった)

 ソーマは額に汗を滴らせながら後悔した。しかし、既に手遅れだった。

「ダメなの……? どうしてなの? なんで? なんで? なんで? なんで? マスターの為に頑張るって言ってるのに、どうしてマスターになってくれないの……?」

 ザクロの赤い瞳が忙しなく泳ぎ、体がプルプルと震え出して酷く動転しているのが分かる。

「違うッ! そうじゃない! 僕じゃなくても、ギルドに行けば新しいマスターが――」

「ああ、そっか……分かったの」

 とザクロはソーマの言葉を遮るように呟いた。

 ザクロは赤い瞳を大きく見開くと殺気に満ちた視線をシロナに向ける。突如、全身に電撃が駆け巡るような恐怖に襲われ、シロナは身動きが取れなくなった。

「その娘がいるからマスターになってくれないんだよね……? だから……その娘がいなくなればいいの」

 ザクロは手に持っていた人間の首をポトリと地面に落とすと黒い斑のある赤い獣毛と髪が炎のように揺らめき出す。すると、全身からどす黒い殺気が噴き出す。

「お前……邪魔なのッ」

 猫のモンスターであるザクロはバネのような脚力で地面を蹴ると残像を走らせながらシロナに迫る。

「シロナ――ッ!」

 殺気に中てられて動けずにいるシロナを咄嗟に押し飛ばすとその衝撃で髪飾りが外れて飛んでいく。

 シロナを庇ったソーマの頭のすぐ後ろを鋭い爪が掠める。金髪の先が切られてハラハラと中空に舞い散った。

 あと少し遅かったらソーマの首と体が離れ離れになっていた。ふと、全身を斬り刻まれて死んでいた義勇兵の死体が脳裏を過る。

 あの義勇兵の女はザクロに殺されたのだとようやく確信した。

 ザクロは躊躇いなく首を狙って斬り掛かってきた。間違いなくザクロはこれまでにも多くの人間やモンスターを手に掛けている。

 もうすでに手遅れだ。脳の大半が魔力粒子に侵され、理性と自我は崩壊寸前に違いない。

 ザクロはもうモンスターには戻れない。

 突き飛ばしたシロナと共に地面を転がるとソーマはすぐに立ち上がって振り返る。

「……どうして、その娘を庇うの? わたしのマスターになってくれるんじゃないの?」

 ザクロは「何で……?」と言うように目をキョトンとさせてこちらを見つめてくる。

 その赤い瞳の奥には一切の光は宿っておらず、針のような殺気を放っている。

 もう誤魔化すことは出来ない、と悟ったソーマは意を決して言う。

「……ごめん。僕はシロナのマスターだ。だから、君のマスターにはなれない」

「…………」

 ソーマの答えにザクロは言葉を失った。

 そのままザクロは俯くと沈黙した。その沈黙は五秒にも満たないものだったけれどソーマの体感では十秒、いやもっと長く感じた。

 マスターにはなれない、という返事に対しザクロが取った行動は、

「お前が……おまえが……わたしのマスターを奪ったの。返せ……返せッ! 汚らしい奴なのッ!」

 何を思ったのかシロナがソーマを奪ったのだと言い出し、激昂し始めたのだ。

 二人は訳が分からず、顔を顰めた。何故、そんな結果に辿り着いたのか理解が出来なかった。

 もう既に正常な思考が出来ないザクロの脳内ではソーマは自分のマスターであり、それをシロナが奪ったのだと記憶を捏造し始めていた。

 その記憶を疑うことなく信じ、思い込んだ彼女は「許せないッ……! 殺してやるッ!」と殺意を吐き散らす。

 炎のように揺らめく獣毛と髪が更に逆立ち、鋭い牙を剥き出す。

 再びザクロは地面を蹴るとシロナを目掛けて飛び掛かる。咄嗟にソーマは剣を抜き放つと振り下ろされる爪を辛うじて防ぐ。

 すると、ザクロは獣のような叫び声を上げながら次々と両腕を振り回し、爪による斬撃を浴びせてくる。剣とバックラーでどうにか斬撃を防ごうとするも、防ぎ切れず爪が腕や脚の肉を斬り裂いていく。

「――ッ!」

 斬り裂かれた痛みにソーマは顔を歪める。このまま防いでいたら斬り刻まれて殺されてしまうと思い、「ああッ!」と声を上げながら剣を横薙ぎに振り払う。

 ザクロは跳び上がり、軽々と剣を躱すとソーマの頭上を跳び越えていく。

 倒れているシロナの背後に着地すると爪を尖らせた手を槍の如く突き出す。

 不意を突かれたソーマは考える余裕もなく、ただ咄嗟に剣を振り抜く。シロナの顔を目掛けて突き出された爪を紙一重で弾き、ガキンッと金属音を鳴らす。

「シロナッ! そこから早く離れて!」

 ソーマは無我夢中で叫んだ。

「はっ……はい!」

 体の自由を取り戻したシロナは立ち上がると慌てて跳び退いてザクロと距離を取る。

「逃が……さないのッ!」

 赤い獣毛に覆われた右腕がビキビキと音を立てて筋骨が隆起する。目にも止まらぬ速さで腕を袈裟懸けに振り上げると爪による四本の斬撃が放たれる。

 シロナを目掛けて放たれた爪の斬撃は空を斬り裂きながら迫る。

 ソーマはシロナを庇うように飛び込むと左腕のバックラーで斬撃を受け止める。しかし、斬撃は容易くバックラーをバラバラに破壊し、ソーマの右肩を斬り裂いて鮮血を飛び散らす。

 痛みのあまり一瞬目を瞑ってしまった。その刹那にザクロの姿が眼前から消え失せた。

 ふと、辺りを駆け回る足音に気付いて首を振り返らせる。目にも止まらぬ速さで駆ける赤い残像だけが見えて、ザクロの姿を捉えられない。

 地面を蹴り、樹の上を飛び移り、縦横無尽に駆け回るザクロは正に猫ようだった。至る所から足音が聴こえてくる。

 ミノタウロスやゴブリンといった今まで見てきた魔獣とは比べ物にならない速さだ。後ろで足音がして振り返った時にはまた別の方向から足音が聴こえてくる。その繰り返しだった。

 ザクロの姿を目で追えず、立ち尽くしていると突如視界の端にキラッと光るものを捉える。

 ザクロはシロナを狙っている。だとすれば必ずシロナの死角を突くに違いない。そう考えていたソーマは咄嗟にシロナを庇うように動き、剣の腹を盾にして体の前に構える。

 シロナの首の高さに剣を構えていたのは勘としか言えない行動だった。

 しかし、その勘はドンピシャに的中し、弩砲の如き勢いで襲い掛かるザクロの爪を剣で受け止めた。

 ガギィインッ! と音を立てて爪による斬撃を受け止めるも、その凄まじい力に足が耐え切れずソーマは大きく後ろに吹き飛ばされてしまう。吹き飛ばされる瞬間、刀身が砕け散った。

 受け身を取れずに地面をゴロゴロと転がり、全身を強く打ちつけてしまう。

 ソーマは地面に突っ伏すと痛みに呻く。

(は、速過ぎる……何が起きたのか見えなかった)

 致命傷を避けられたのは運が良かっただけだ。あと少し反応が遅れていたら、剣を構える高さが違ったらソーマの体は真っ二つになっていた。

「お前、死ねなの」

 聴こえて来たザクロの声にソーマは慌てて顔を上げ、飛び跳ねるように体を起こす。

 呆然と立ち尽くすシロナにザクロの鋭い爪が振り下ろされようとしていた。

 ソーマは思い切り地面を蹴って駆け出す。しかし――

(駄目だ……間に合わない)

 ソーマが伸ばした手は空を掴み、届かなかった。

「ミスティ、容赦はしなくていい!」

「承知致しました、マスター」

 どこからともなく聞き覚えのある声が聴こえてきた。

 それが誰だったか思い出すよりも早く、シロナとザクロの間へ割り込むように一つの影が飛び込んできた。

 目を丸くして驚くザクロは顔面に強烈な衝撃を受け、弧を描いて吹き飛んでいく。顔を殴られる瞬間、パアンッと破裂音のような衝撃が森に響いた。

 シロナを護ったのは腕に氷のような甲殻を持つモンスターだった。

 その見覚えのある特徴的なモンスターは以前ミノタウロスからソーマ達を助けてくれたミスティだった。

 黒い髪と着物を靡かせながら振り返ったミスティは振り返ると「大丈夫でしたか?」と微笑を浮かべる。

 そして遅れて姿を見せたのは青白い肌の男――〈A〉等級義勇兵のギンガだ。

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