012 ①
012
幸せが壊れる音は何の前触れも無く訪れるものだ。
いつだってそうだった。何かが壊れる時はいつも突然だ。
火結び祭りの翌日、ソーマとシロナはいつものようにゴブリン退治の為に森の奥に来ていた。
三体のゴブリンと対峙しているとソーマは違和感を覚え、怪訝な顔を浮かべる。
(気のせいか……? いつもよりゴブリン達が攻撃的というか、気が立っているような……)
ゴブリン達は唸り声を上げ、酷く警戒している。まるで何かに脅えているようだった。
いつもとは様子が明らかに違うゴブリンを前にソーマとシロナは踏み込めずにいると唐突にゴブリン達が背中を見せて逃げ出す。
「なっ……!」
逃がすものかとソーマが駆け出すとシロナも慌てて地面を蹴る。
二人はゴブリンを追って暗い森の中を駆ける。
さすがに森の中ではゴブリンの方が速い。見る見る距離を離され、姿が見えなくなっていく。
丁度いい数の群れを見つけたというのに、ここで逃がしたら今日の稼ぎが減ってしまう。それに貴重な経験値を掴み損ねるのは避けたかった。シロナに少しでも多くの経験値を与え、ステータスを成長させなくてはいけない。その焦りがソーマの足を走らせる。
ゴブリンを追っている最中、ふと気付く。
いつもなら見かける野鳥や野兎などの獣の姿が一切見当たらない。それどころか音や気配すら感じない。
あまりの違和感にソーマは思わず足を止める。突然の急停止にシロナはソーマを追い抜き、慌てて足を止めると駆け寄る。
「マスター? ゴブリンが逃げてしまいますが……」
「……」
ソーマは無言で立ち尽くし、辺りの気配に意識を傾けていた。
どうしたのだろう? とシロナは小首を傾げる。
「静か過ぎる……」
ソーマは眉を顰めながらポツリと呟いた。
凄く嫌な違和感を覚えたソーマは『あの時』の記憶が脳裏に蘇る。
ミノタウロスに襲われた時も思い返せば魔獣の群れがやけに多かったりと前兆があった。
この違和感も嫌なことが起きる前兆に思えてならない。
「……シロナ、今日はもう引き上げよう。何か……嫌な感じがする」
その『嫌な感じ』というのが何かは具体的に説明出来ないけれど、兎に角ここを離れるべきだと思った。
ミノタウロスに殺されかけて臆病になったのかもしれない、と最初は自分の判断を疑った。だが、それくらい慎重に行動するべきだと思い、ソーマは自分の直感を信じる。
心臓に抱えている爆弾は着実に大きく膨らんでいる。今までのように無理をしたら次こそは間違いなく死ぬことをソーマは理解しているのだ。
ソーマはシロナの返事を待たずして来た道を引き返す。
「は、はい、マスター」
ソーマの後を慌てて追いながらもゴブリンが逃げて行った方を見ると既にゴブリン達の姿は完全に見えなくなっていた。
スタスタと足早に森を進む。見えない何かに追われているような感覚に襲われ、更に足を早める。
風景に変化こそ無いが、太陽や山の位置などから大方の位置と方向は分かる。街まではまだ距離があり、早く着いて欲しいという焦燥に駆られる。
ソーマとシロナは只々無言で歩き続けている。その間、魔獣どころか鳥一匹すらまだ見かけていない。二人の足音の他には風の音と揺れる草木の音しか聴こえてこない。
このまま何事も無く街に戻れることを必死に願い続けた。
しかし、神様は非情だった。火結び祭りで願いを届けたはずなのに、その願いを足蹴にするかのように悲劇を降り注いでくる。
いつもそうだ。神様がソーマとシロナに優しかったことなんて無かった。
唐突にそれは現れた。樹の陰に隠れていたそれは夥しい血の臭いを放ち、ソーマ達の鼻孔を突き刺してくる。
「――ッ!」
強烈な臭いに思わず鼻を押さえ、それが何なのか理解すると同時に目を見開いた。
樹の陰に転がっていたのは全身を切り刻まれた女の死体だった。
あまりに悲惨な有様に吐き気が込み上げてくる。咄嗟にグッと堪えて胃酸を呑み込む。
全身の至る所が切り刻まれていた。左腕は辛うじてぶら下がっているけれど、右腕と両足は残っていない。鋭利な何かで斬り落とされたのか綺麗な断面をしている。
女の顔は無残に切り刻まれ、原型が殆ど残っていない。
その殺され方に想像を絶するほどの殺意を感じ、全身が粟立つ。
「マスター。こっちにも倒れています」
シロナの声に振り返ると少し離れた茂みの中に二体のモンスターが倒れていた。確認するまでもなく死んでいる。
一方は胸にポッカリと大きな風穴が空いていて心臓を貫かれている。もう一方は首が無かった。
モンスター達を殺したのは女を殺した奴と同じだろう。女の斬り落とされた手足の断面とモンスターの首の断面が見るからに同じだ。
「二人はこの方のモンスターですよね……?」
「恐らくそうだろうね。それに彼女の首に義勇兵の首飾りが付いているし、クエストの途中で魔獣にやられたに違いない。でも……」
言い掛けた言葉を止め、首飾りに刻まれた〈C〉という文字をジッと見つめた。
(……〈C〉等級の義勇兵が殺されるほどの魔獣がこんな場所にいるってことか?)
この前はミノタウロスが山から下りてきたけれど、そう滅多にあることじゃない。
とはいえ、実際に〈C〉等級の義勇兵とモンスターが殺されている。間違いなくこの森に凶悪な魔獣がいる。もしかしたらソーマが感じた嫌な違和感とは彼女達を殺した魔獣の気配かもしれない。
考えれば考えるほど嫌な想像が頭の中を巡っていく。
「マスター。またミノタウロスが現れたのでしょうか?」
「いや……ミノタウロスの可能性は低いと思う」
「そうなんですか? じゃあ、何に襲われたのでしょう……?」
「それは僕にも分からない……だけど、ミノタウロスではないと思う」
「どうしてそう思うんですか?」
「ミノタウロスと戦ったにしては打撲傷が少なすぎるし、それに切断面が鮮やか過ぎる。何かの爪か刃物を持っている奴の仕業だよ」
「なるほど……確かに」とシロナは感心するように頷いた。
ミノタウロスに襲われたからこそ分かることだった。ミノタウロスも武器を使うけれど、それ以上に拳や足蹴による攻撃を好んで使っていた。ミノタウロスの攻撃を受けたとしたら骨折や打撲傷が多くあるはずだ。しかし、彼女達の体にはそれが殆ど見受けられない。
それに普通なら〈C〉等級の義勇兵がミノタウロスに負けるのは考えにくい。
この一帯の森と山々に生息する魔獣は殆ど把握していた。けれど、〈C〉等級義勇兵を殺せるくらい強く、こんな殺し方を出来る魔獣に心当たりが無い。
(それとも……森の外から危険な魔獣が迷い込んできたのか? ……だとしたら急いで街に戻らないと危険だ。もし出くわしたら間違いなく殺される)
「シロナ。ここから離れ――」
ここから離れよう、と言い掛けた時、
―― 見つけたの ――
突如、誰かの声が聴こえてきた。
「――ッ!」
すると、森の奥から不気味な視線を感じてソーマとシロナは咄嗟に振り返った。
肌がひりつくようなその視線に覚えがあった。それは以前も何度か森の中で感じた視線だった。
まるで森中の空気が凍り付いたかのように冷たく、重い空気が漂い出す。
森の奥から放たれる強い殺意を孕む視線がソーマ達の足を凍り付かせ、逃げ出せずにいた。
(……逃げなくちゃ……逃げなくちゃ!)
一刻も早く逃げるべきだと頭では分かっているのに体がピクリとも動かない。
ふと、耳を傾けると視線の方向から一つの足音が聴こえてくる。
そして段々と足音が近付いて来る。
「……見つけたの」
その掠れた声と共にそいつは姿を現した。




