009 ①
009
目を覚ますと跳び上がるように起きた。
上体を起こしたソーマは辺りを見回すと、そこは見慣れた部屋だった。
見慣れたというか、ソーマが眠っていたのは自分のベッドだった。
思わず「あれ、どうして……」と掠れた声を漏らす。
「マスター! 大丈夫ですか!?」
と弾んだ声音と共にシロナがベッドに飛び乗ってきた。
シロナの不安と安堵が入り混じった顔を見るからに相当心配させてしまったらしい。
「ああ、大丈夫だよ……。心配させて、ごめん」
長く眠っていたのかソーマの喉は枯れていた。
窓の外を見ると既に陽が沈みかけている。
一体どれだけ意識を失っていたのか分からない。それにどうやって宿舎に戻ったのか分からない。
意識を失う前に何が起きたのか記憶が定かではない。
額を押さえて記憶の海を探っているとギシッと床を踏む音が聴こえ、咄嗟に顔を上げる。
「やあやあ、ようやく起きたね。おはよう、ソーマ君」
不意を突くように声を掛けられ、ビクッとソーマの肩が跳ねた。
声のほうに目を遣ると部屋の隅に置かれた椅子に一人の少女が腰を掛けていた。
暗がりの中でも輝く紫紺の瞳を持つ少女がヒラヒラと手を振っている。
どうして自分の名前を知っているのかと疑問を覚えた。だが、暗がりに目が慣れて彼女の顔が見えるようになると疑問の答えに辿り着く。
その紫紺の瞳を持つ少女の顔には見覚えがあった。
「……ウルシオン?」
ソーマがウルシオンと呼んだ少女は彼が一年前まで在籍していた士官学校のクラスメイトの一人だった。
「うん、久しぶり~。私のこと憶えててくれたんだ。嬉しいなぁ」
「どうして、僕たちの部屋に……」
「それは、森で意識を失っていたソーマ君をここまで運んだのは私だからだよ」
(……意識を失った?)
ウルシオンに言われてようやく記憶が蘇る。突然の発作に襲われて意識を失ったことを。
意識を失う直前、何かがあった気がする。だが、今はそれが何だったのか思い出すことが出来なかった。
「そう……だったのか。ありがとう。助かったよ」
「ど~いたしまして。とは言っても、運んだのはジャックなんだけどね」
「ジャック……他にも誰かいるのか?」
部屋を見回してもシロナとウルシオン以外の姿は見当たらない。
「ジャックは私のモンスターよ。そっちは憶えて無かったみたいね。……まあ、無理もないかぁ。士官学校の頃もずっと私の影に入っていたものね。それに彼、存在感薄いし」
ソーマの脳裏に士官学校の頃の記憶が微かに蘇る。そう言えばウルシオンのモンスターはレアなアビリティを持っていた。
確か――影の中に潜り、自由自在に影を操る能力だったはず。
ウルシオンの影に目を落とすと、その影はまるで生き物のように蠢いていた。彼女の足元から伸びる影の中にモンスターのジャックが潜んでいるのだ。
姿こそ見えないけれど、ウルシオンの影から不気味な視線と気配を感じる。
思い返せば士官学校時代にジャックの姿を見た記憶が殆ど無かった。それは普段からウルシオンの影に潜っていたからだ。
「森で倒れているソーマ君を見つけた時はビックリしたよぉ。君のモンスター、その娘が凄く取り乱してて落ち着かせるのが大変だったんだから。今にも泣き出すんじゃないかと思ったわ」
ウルシオンはわざとらしく疲れたような表情を浮かべた。実際に運んだのはジャックなのに。
「でも、珍しいモンスターよね」
ウルシオンはそう言ったが、ソーマは「珍しい? 何が?」と怪訝な顔を浮かべる。
「だってそうでしょう? モンスターは魔獣の血を持つ副作用として感情が希薄になってしまうのに、君のモンスターは喜怒哀楽の感情が多く残留している。モンスターとしてはレアな個体よ」
「……まあ、そうかもね」
他のマスターからすればシロナは出来損ないの失敗作だと揶揄される存在だった。しかし、ウルシオンだけはシロナを『レア』と表現した。
ウルシオンから悪意を微塵も感じないことから、きっと本心で言っているのが何となく察せられた。士官学校でもウルシオンだけはソーマ達を見下すようなことはしてこなかった。
だからなのだろう。ソーマがウルシオンに嫌な印象を持っていないのは。
しかし、それと同じくらい印象に残ることも無かった。所謂、ウルシオンは優等生で誰にでも分け隔てなく接する人間なのだ。
貴族の子供も一般市民の子供もウルシオンにとっては只の同級生に過ぎず、彼女にとっては大差が無いことだった。
だからソーマがウルシオンに抱いていた印象は『中立』という言葉が相応しい。誰にも流されず、自身の価値観のみで行動するウルシオンは士官学校を次席で卒業したにも拘わらず、騎士の道を蹴って義勇兵になった。
ある時、ウルシオンが士官学校の友人に言っていたことを思い出す。
どうして騎士にならなかったの? と聞かれたウルシオンが言ったのは、
「騎士になったら自由に生きられなくなるでしょ? それだけは死んでも嫌なの」
というものだった。
ウルシオンの言葉に驚くと共に、ソーマは嫉妬に胸を焼かれた。
ソーマは自分の道を自由に選べないのに、ウルシオンのように自分の道を自由に選べる人間がいることに衝撃を受けたのを憶えている。
過去の記憶を掘り起こしていると突然「グゥ~」と誰かの腹が鳴った。
その音が聴こえた方を見るとウルシオンが頬を薄ら赤らめて照れていた。
「えへへ、お腹空いちった」
「もう夜だしな……」
窓の外に目を遣ると完全に陽が落ち、街は夜に染まっていた。
「そうだ! よかったら一緒に夕飯を食べに行こうよ」
ウルシオンの思いもよらないの提案にソーマは「う~ん」と悩む。
チラッとシロナを一瞥する。
そういえば義勇兵になってからシロナ以外の誰かと食事をしたことが無かった。ウルシオンは士官学校のクラスメイトではあるが、そこまで話したことは無く、顔見知り程度の仲だ。そんなウルシオンと食事をするのは些か気後れしてしまう。
ソーマが煮え切らずに悩んでいるとウルシオンは言う。
「もちろん奢るよ」
「よし、行こう」
即答だった。
常時金欠のソーマにとっては願ったり叶ったりの条件を提示され、脊髄反射で頷いてしまった。
(あ、勢いで了承しちゃったけど……まあ、仕方ないか)
意識を失ったソーマを運んでくれたウルシオンの頼みを無下にする訳にもいかない。
それに、いつもよりも美味しいご飯をシロナに食べさせてあげたい、という動機もあった。
ソーマとシロナはウルシオンに連れられるがまま宿舎を出ると彼女の行きつけだという店に向かう。
住居が並ぶ路地を進んでいると、やけに人とすれ違う。大通りから大きく外れた路地で、しかも夜だというのにチラホラと人の姿がある。
街に漂う違和感を気にしつつウルシオンの後を追う。
月明かりに照らされ、ウルシオンの足元からは色濃い影が伸びている。その影がグニャグニャと蠢いていた。
ふと、辺りに目を遣ると至る所で不気味に影が蠢いている。ウルシオンの影に触れている全ての影はジャックが自在に動かせるようだ。マスターの影に潜んでマスターを護るようにピッタリとくっ付いている姿はモンスターらしい。
そういうシロナもソーマの腕にヒシッとしがみ付いていた。本当は竜なのだが、その姿はまるで警戒心を露わにしている猫のようだった。
何度か人とすれ違いながら路地をしばらく進んでいくと明かりが漏れている建物を見つける。住居が密集する場所でひっそりと店を構えている酒場があった。
「ここだよぉ」と言ってウルシオンは足を止めた。
「私、お酒は苦手なんだけど、ここのご飯は美味しいんだよぉ。特にキノコのソースを使った肉料理は絶品さ」
「へえ、それはよかった。僕もお酒は好きじゃないんだ。お酒でお腹を一杯にするよりもご飯でお腹を一杯にしたいね」
「よし、行こうか。ご飯ご飯」
相当お腹が空いているのかウルシオンはソーマ達を置いて酒場に飛び込んでいった。
「僕たちも行こうか」
そう言ってソーマは腕にしがみ付くシロナと共に酒場の入り口を潜り、店内を見回す。
「こっちこっち~」と店内に響く声を上げながら大きく手を振るウルシオンの姿を見つける。
恥ずかしいからやめて欲しい。勘弁してくれ、と心から願う。
ウルシオンの声に他の客たちが振り返ると薄ら驚いた表情を見せる。
「おい、あれウルシオンじゃねえか」
「あ? ウルシオンって誰だよ?」
「知らねえのか? ここから北にある都市で最近有名な女の義勇兵だ。なんでも凄まじい勢いで等級を上げているって話だぜ」
そんな声がちらほらと聴こえて来た。店内を見回す限り、客の大半が義勇兵らしき身形の者ばかりだった。
ソーマは長椅子にシロナと並んで座ると向かいのウルシオンが店員の女性に注文する。
「ソーマ君とシロナちゃんも私と同じ料理でいい? 何か食べたいのあったら遠慮せず頼んじゃって。全部奢るからさ」
「いや、僕はそれで十分だよ。シロナは何か食べたいのある?」
「いえ、私もマスターと同じもので大丈夫です」
「そっか、じゃあとりあえずそれで」
ウルシオンが硬貨を手渡すと女性店員は足早に離れていく。
ガヤガヤとする店内は酒と油と香辛料の匂いが漂い、酔った義勇兵たちの笑いが飛び交っている。
義勇兵ギルドの中にある酒場とは異なる雰囲気があった。常に金欠のソーマは外の酒場を利用することは滅多に無い。ギルドに併設されている酒場は『酒場』という呼び方をされているけれど、義勇兵が食事を摂る為だけの施設という感じだった。こんなに騒がしく無いし、酒の匂いもあまりしない。
大通りには多くの酒場があり、夜に通ると店内から義勇兵たちの笑い声が聴こえて来る。あまり縁のない場所だな、と店を通り過ぎるばかりだったソーマ達にとってはあまり慣れない場所だ。正直、あまり落ち着かない。
隣に座るシロナはソワソワとして落ち着かない様子だった。
それに気づいたウルシオンは「シロナちゃん、こういう所は苦手だった?」と子供に話し掛けるような優しい声音で言った。
「…………」
しかしシロナはジッとウルシオンを見つめ、無言を返した。
「……あらら?」
ウルシオンは小首を傾げ、困ったようにこっちを見てくる。
「シロナは人見知りなんだ。士官学校の頃、辛いことを言われ続けた所為で僕以外の人間を怖がるようになったんだ。だから、悪気は無いから許して欲しい」
「ああ……なるほどねぇ」
士官学校で何があったのか実際に知るウルシオンは気まずそうに目を逸らした。
そして席に沈黙が流れる。そのせいか料理が届くまでの時間がやけに長く感じる。
ふと、ウルシオンの首にキラッと輝く首飾りが見えた。宿舎の中が暗かったから見えなかったけれど、彼女の首飾りには〈E〉の文字が刻まれている。それは義勇兵の等級を証明するものだ。同じようにソーマの首飾りには〈G〉の文字が刻まれている。
〈E〉等級になるのに平均三年以上も掛かる。早くても二年と言われている。しかし、ウルシオンはたった一年で〈E〉等級まで駆け上がったということだ。
異例の早さで〈E〉等級に昇級したウルシオンの噂はこの街まで届いていた。未来の〈A〉等級義勇兵だと言われているのを耳にしたことがある。もしかすれば大英雄と呼ばれる、王国でも一人しかいない〈S〉等級に登り詰めるかもしれないとさえ言われている。
まるで自分とは違う存在に思えた。本当に同じ人間とは思えない。年も同じで義勇兵の歴も同じなのに。
(シロナと一緒に僕もいつかは皆に認められる義勇兵になれるだろうか……)
と、思わずウルシオンを羨んでしまったことをすぐに後悔する。
(いや……人は人だ。僕たちはウルシオンのようにはなれないし、僕たちは僕たちだ。英雄になれる力は無いし、なりたいとも思わない)
(ただ……シロナと一緒に人並みの力を手に入れられれば、それで十分だ)
そんなことを考えていると酒場の至る所から視線を感じ、ソーマは辺りを見回す。




