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ヘボドラゴンと呼ばれても  作者: たつのオトシゴ
第一編 始まり
17/30

007 ②

 受付を後にしたソーマはクエストが張り出されている壁の前で足を止める。

 常設されているゴブリン退治などの魔獣退治の他にも多くのクエストが貼られている。ざっと目を通したけれど、今のソーマとシロナがこなせるのはゴブリン退治くらいだった。

 シロナが回復したらゴブリン退治に行こう、とソーマは考えていた。

 いや、本当ならシロナを休ませてあげたい。自分を命懸けで護ってくれたシロナに無理をさせたくない。

 だが、そういう訳にもいかない。

 ミノタウロスに折られた剣を新しく買い直し、お金は底を尽きかけている。それにポーションを買う余裕も無い。

 生きるためには魔獣を倒してお金を稼ぐしかなかった。

 どれだけボロボロになっても世界は、神様は休む暇を与えてくれない。

 生きているだけでお腹は空くし、お金も減っていく。だから足を止めている暇は無かった。

 今こうしている時も体から魔力がみるみる失われているのを感じる。離れていても手に浮かんでいる紋章を介してシロナに魔力が流れているのだ。

「……とりあえず何か食べなきゃ」

 思い出したかのようにソーマはギルドの酒場に足を向ける。

 一番安い料理を頼んでから空いている席に腰を下ろす。少し待っていると料理が運ばれて来た。丸一日何も腹に入れていない所為か料理を前にした途端、酷い空腹に襲われる。

 フォークを手に取るとバクバクと口に運んでいく。

 こうして食事を摂ることでソーマは魔力を回復させていくが、それと同時に体内の魔力がごっそりと奪われていく。それだけシロナの傷は深いのだろう。

 マスターである人間からモンスターへ魔力が流れるのには理由があった。

 モンスターが生み出された当初、そもそもモンスターだけで魔獣は倒せるのではないかと誰もが思った。しかし、モンスターには一つの欠陥があったのだ。

 その欠陥とは『際限なく魔力を吸収してしまう』という特性である。空気中の微細な魔力や自然に存在する魔力を吸収してしまうという特性は元々魔獣だけが持つものだった。

 人間は果物や肉などの食べ物を摂取することで魔力を吸収する。

 だが、モンスターとは人間の血と魔獣の血を併せ持つ存在。故に魔獣だけが持つ『際限なく魔力を吸収してしまう』という特性を持っていた。

 魔力を吸収し続ければどうなるのか。もし魔力を過剰に吸収してしまうと魔力粒子が脳の一部を破壊し、感情や理性などの人間には欠かせない機能が吹き飛ぶ。

 モンスターは呼吸をするだけで魔力を吸収してしまい、容量を超えると脳が魔力粒子に侵され、最後には『人間性』を失う。『人間性』を失ったモンスターに残るのは『魔獣』の部分だけ。

 魔力粒子に脳を侵されたモンスターの成れの果ては魔獣だった。

 それでは魔獣に対抗する兵器として活用するには危険過ぎた。

 モンスターが魔力を吸収するのを制御する必要があり、それで作られたのが『紋章』である。

 モンスターの額に浮かぶ紋章にはモンスターが魔力を吸収するのを阻害する作用があり、同じ紋章を持つマスターから紋章を介して送り込まれる魔力以外は吸収できないようにした。

 紋章とはマスターとモンスターの関係を証明するだけのものではない。モンスターが魔力を過剰に吸収し過ぎて魔獣化しないようする制御装置でもある。

 だから人間にはモンスターが必要なように、モンスターにもマスターになってくれる人間の存在が必要不可欠だった。

 もしマスターを失ったモンスターが独りで生き続けようものなら、脳は魔力粒子に侵されて最後は自我を失った魔獣と化す。

 モンスターは独りでは生きられない。

 もしソーマが死んでしまったらシロナは独りになってしまう。新しいマスターが見つかればいいのだけれど、ステータスがオール〈G〉で、アビリティも魔法も使えないシロナのマスターになってくれる者は中々いないだろう。

 つまり、ソーマが死んだらシロナは魔獣化するか、処分されるかの未来しかない。

 ソーマの死はシロナの死に繋がっていると言っても過言ではない。

 だから、どうにかしてシロナのステータスを成長させて新しい貰い手が見つかるようにしなくてはいけない。休む暇が無い理由は金欠だけではなく、死ぬまでにシロナを成長させる必要があったからだ。

 ソーマは手を休めることなく料理を口に運んでいると、やたらと大きな足音は聴こえてくる。

 何かに怒っているような乱暴な足音だった。その足音が徐々に大きくなってくる。

 そこでようやくこっちに近付いていることに気付いてソーマは振り返る。すると、突然襟首を掴まれて引っ張られた。

「なんで……おまえがッ!」

 その顔を見る間も無くソーマは頬を殴られた。椅子が倒れると共に床に倒された。

 背中を打ち、全身にズキリと痛みが走る。

 一体、何が起きたのか分からず混乱する。

 倒れていると再び襟首を掴まれ、無理矢理に上体を起こされる。そこで漸く自分を殴った者の顔を見て、ソーマは目を丸くする。

 息を荒らげ、怒りに顔を歪めたチャドだった。

 チャドの血走った瞳はソーマをジッと睨んでくる。

 何故、チャドが怒っているのか分からずソーマは酷く困惑した。

 昨日の戦闘でチャドもまた負傷していたはず。ミノタウロスが投げたオークの頭を背中に受け、肋骨の数本が折れていたらしい。ソーマの顔を殴った時、チャドの体には激痛が走ったに違いない。それなのにチャドは痛みを気にする素振りもなかった。

 つまり、チャドは痛みを忘れるくらいソーマに憤っているということだ。

しかし、ソーマには思い当たるものが無かった。チャドをこれほど怒らせた覚えがない。

「チャド……さん? ……どうしたんですか?」

 後から思い返せば、何て無神経なことを言ってしまったんだろう、と後悔した。

 ソーマは自分勝手で思いやりに欠ける言葉を掛けてしまった。

「どうした……だと? ふざけんなよ……」

 ギュッと襟首を掴む手に力が籠る。

「どうしてお前達だけが生き残ってるんだよ! なんでだよ! みんな……死んだのに、出来損ないで役立たずのお前達だけが……どうして生き残ってんだよ!」

 チャドは怒り狂ったように叫び続ける。

「お前の役立たずのモンスターは生き残ったのに……あいつは……あいつは、もういないんだよ! あいつは……何の役にも立たないお前達を生かす為に死んだのかよ! ふざけるな……何でお前達なんだ!」

 オークを倒した時、ソーマを褒めてくれたチャドが怨嗟の声を上げてソーマに殴り掛かっていた。馬乗りになって何度も何度もソーマを殴った。

 そこでようやくチャドが何に怒っているのか理解した。

 チャドの言う『あいつ』とは彼のモンスターで、ミノタウロスを足止めする為に一人で戦い、そして恐らくミノタウロスに殺された。

 チャドのモンスターはソーマ達を逃がす為に命を賭して戦い、そして死んだ。

 殴り続ける最中、チャドはポロポロと涙を零し始めた。その表情を目の当たりにしてソーマは気付く。シロナをヘボドラゴンと呼んでいたチャドもまた、モンスターを大切に想っていたのだと。

 モンスターを大切に想っているのは自分だけだとソーマは心の何処かで思い込んでいたのだ。

 だから、大切なモンスターを失ったチャドがどれほど苦しくて、悲しんでいるのか考えもせず「どうしたんですか?」と言ってしまった。チャドが怒るのも当然だろう。

 平然とギルドで食事をしているソーマを見て、チャドはやり場のない感情が堰を切ったように溢れ出したのだ。大切なモンスターが殺されたのに、ソーマ達が当たり前のように生き残っているのがチャドは許せなかった。

 ――殺してやる。

 と、チャドは殺意を込めて何度も拳を振り落とした。

「役立たずのお前達が死ねばよかったんだ! まともに魔獣を倒せないくせに、義勇兵なんかやってるから皆が死ぬ羽目になったんだ! お前達は疫病神なんだよ! 死ね! 死ねよ!」

 ソーマは何も返す言葉が見つからなかった。

 抵抗することなく目を瞑り、殴られ続けるしか出来なかった。

 大切な者を失った人はこんなにも苦しみ、悲しむのか。

 もしもソーマが死んだらシロナは今のチャドみたいに悲しむのだろうか。

 シロナにはそんな顔をして欲しくない。シロナには笑っていて欲しい。

 だが、無情にもソーマに残された時間は着実に減っていた。

 ソーマはポツリと頬に温かい何かが落ちてきたのを感じた。目を瞑っていてそれが何なのかその時は分からなかった。

 そして気付けば振り下ろされていた拳の雨はいつの間にか止んでいた。

 ソーマは恐る恐る瞳を開けると目の前には泣き崩れているチャドの姿があった。頬に落ちてきたのはチャドの涙だった。

 大のおとなが何を泣いているんだ、と周囲の義勇兵は冷やかな視線を浴びせている。

 しかし、ソーマはそんな気持ちにならなかった。

 大切な者を失って辛くない人間なんているはずがないのだから。

 ソーマは自分の上で蹲って泣いているチャドをジッと見つめ続けた。

「……す」

 『すみません』と謝りかけて咄嗟に口を噤んだ。

 今、謝ったらダメな気がした。もし謝ったら生き残ったシロナを否定するみたいで嫌だったから。

 それに今のチャドに自分の言葉が届くとは思えない。何を言っても火に油を注ぐようなものだ。

 騒ぎを聞きつけたソフィアの他に数人のギルド職員が駆け付ける。すると暴れるチャドをソーマから引き剥がしてギルドの奥へ連れて行ってしまった。

「ソーマさん、大丈夫ですか?」

 駆け寄ってきたソフィアの手を借りてソーマは体を起こす。

「ありがとうございます、ソフィアさん。僕なら……大丈夫です」

 何度も頭を殴られた所為か視界がグラグラと揺れる。けれど、幸いにもすぐに立ち上がれた。

「少し休んでいった方がいいですよ。顔も血だらけだし……」

 ソフィアは持っていたハンカチで顔の血を拭ってくれた。

 こんな汚い血を綺麗なハンカチで拭ってくれたソフィアの優しさが申し訳なかった。ハンカチから仄かに香る匂いが鼻孔を擽った。何かの香水だろうか。

「僕よりもチャドさんの方が辛いはずです。だから……僕が休んでいる訳にはいきません」

 そう言ってソーマはおぼつかない足取りでギルドを後にする。

「ソーマさん!」と呼び止めるソフィアの声に首を振り返らせ、

「ハンカチ、汚しちゃってごめんなさい」と小さく頭を下げた。

 いつの間にか集まっていた野次馬の間を通り過ぎるとソーマはギルドの扉を開ける。

 ソフィアはソーマの背中を扉の奥に消えるまで見つめ続けた。

 心配するソフィアの視線を背に受けながらソーマは夜の街に足を踏み入れる。


「……遅くなってしまった」

 思ったよりも夜が深くなっていたことにソーマは僅かな焦りを覚える。こんなに長くシロナを独りにするつもりではなかった。

 顔も体もズキズキと痛むけれど、グッと堪えて足を早める。

 往来が少ない夜の街は歩きやすく、昼間に歩くよりもずっと早く宿舎に着いた。

「……ふぅ」とソーマは深い息を吐いた。

 ギルドから宿舎まで歩いただけなのに、息が乱れていることに気付く。

 それは心臓が弱りつつある証拠だった。着実にソーマの余命は少なくなっていた。

 宿舎の部屋の前で深呼吸を繰り返してどうにか息を整える。それから鍵を差し込んで扉を開くと同時に腹部に衝撃を受けた。

「ヴッ」とソーマは呻き声を上げ、咄嗟に足を引いて倒れそうなった体を支える。

(……何だ?) 

 恐る恐る下を向くとソーマの腹部にガシッと抱きつくシロナがいた。

「ど、どうしたの? というか目が覚めたんだね。……よかった」

 ソーマの体に顔を埋めるシロナの白い髪を撫でる。

 シロナは床に垂らした竜の尻尾をユラユラと左右に振るだけで何も言葉が返って来ない。

(……どうしたんだろう?)

 とソーマはシロナの様子がおかしいことに気付く。

「シロナ……? 何かあった?」

 サラサラと肌触りのよい髪を撫で、シロナが口を開くのをジッと待ち続ける。

 そして埋めていた顔をモゾモゾと動かすと徐に話し始める。

「起きたら、マスターがいなかったから……ミノタウロスに殺されたのかと思って……怖かったんです」

 ああ、そういうことか。と理由を聞いてソーマは腑に落ちた。

 シロナはミノタウロスとの戦闘で意識を失い、その後にソーマがどうなったのか今の今まで知らなかったのだ。起きた時に誰もいなかったら心配になるのも当然だ。

 ソーマはシロナの首に手を回してギュッと抱き締める。

「ひとりにして……ごめん」

「よかったです……本当によかった。マスターが生きててくれて……よかった」

 シロナもギュッと強く抱き締め返してくる。その小さな手がもう離さないと言わんばかりに力一杯に服を掴む。

(体中ボロボロで痛いんだけど……まあいいか)

「シロナも無事でよかった。でも、傷はもう大丈夫なの?」

「いえ、まだ少し痛みます。でも、マスターのおかげで動けるくらいには回復しました」

「いや……僕は何もしていないよ。むしろシロナのおかげで僕は死なずに済んだんだ。……ありがとう」

 そう言うとシロナは顔を上げ、嬉しそうに笑う。

 ソーマはシロナの笑顔が見れたことが堪らなく嬉しかった。その時だけは生きていて良かったと思えた。

 シロナが生きている幸せを噛み締めながら彼女を抱き締める。

 大切な者が生きていることは幸運だ。チャドのようにこの世界では今も誰かの大切な者が失われている。大切な者と一緒に居られるというのはそれだけで幸運なのだ。

 当たり前だと思っていた幸せは当たり前ではなかった。

ソーマはこの笑顔を護るために心に誓う。


 僕はどこにも行かない。

 ずっと傍にいるよ。

 たとえ、この体が動かなくなっても君の傍に居続ける。

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