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ヘボドラゴンと呼ばれても  作者: たつのオトシゴ
第一編 始まり
14/30

006 ②

 それは偶然だった。シロナは意識を取り戻し、徐に瞳を開けると棍棒を振り上げるミノタウロスの前で項垂れているソーマの姿を見つける。

 すぐに何が起きているのか理解出来ず、シロナは今までにないくらい必死に頭を回した。その時だけは時間の流れがとても遅く感じられた。

 ボロボロのマスターがミノタウロスに殺されようとしているのだと理解した時には跳び起きて駆け出していた。

 棍棒が振り下ろされ、とてもじゃないけれど間に合わない。飛び道具や魔法を持っていないシロナではミノタウロスには届かない。

 そこでシロナが取った行動は、

「ギィ―――――――――――――――――――――――――ィッ!」

 奇声のような叫び声を上げることでミノタウロスの意識をこちらへ向けさせることだった。

 竜の泣き声を思わせる鼓膜を突き刺すような叫び声が森中に響き渡るとミノタウロスはピタリと動きを止め、左へ首を振り返らせる。

 幸いにも左目を失っていたことでシロナの姿を捉えるのが遅れた。

 その僅かな隙を突き、シロナは腰に仕舞っていた短剣を引き抜くと一気にミノタウロスの体を駆け上がる。


 ソーマが死を覚悟していた時だった。突然、何かの奇声が聴こえてくると振り下ろされた棍棒がピタリと止まった。

 ソーマは何が起きたのかと顔を上げる。すると、目の前に立つミノタウロスの首にしがみ付いて喉元に短剣を何度も突き刺しているシロナの姿があった。

「…………シロ、ナ?」

 意識を失っていたはずのシロナがミノタウロスと戦っていることが信じられず、ソーマは夢か幻覚なのかと目を疑った。

「マスター! 逃げてください!」

 その声は紛れも無くシロナの声だった。夢でも幻覚でもないのだとようやく理解する。

「……どうして…………どうして」

(どうして……戦えるんだよ……)

 シロナの行動が理解出来なかった。

 明らかに勝てないはずのミノタウロスに立ち向かえるシロナが理解出来なかった。

 首にしがみ付くシロナを振り払おうとミノタウロスが暴れる。しかし、それでもシロナは手を離さず短剣を突き刺す。分厚い筋肉に覆われて大した傷にはなっていないが、それでも何度も何度も突き刺した。

「どうしてもこうしてもありません! マスターに生きて欲しいんです! だから早くッ!」

「シ……シロナこそ逃げろよ! 僕はもう動けないんだ! シロナはまだ走れるだろ!」

「嫌です!」

「嫌ってなんだよ! 僕を庇っても二人とも死ぬだけだ! シロナが逃げればシロナは生き残れるかもしれないだろ! だから逃げてくれ!」

(……頼むから、逃げてくれ。……こんなマスターを庇っても仕方が無いだろ)

 そう心から願って項垂れた。もうソーマに立ち上がる体力も気力も残されていない。

「嫌です!」

 叫ぶシロナの声に再び顔を上げると、彼女は今にも泣き出しそうな顔を浮かべていた。

「……嫌です。マスターを……大切な人を失うくらいなら死んだほうがマシです。マスターがいないのは死ぬことよりも辛いんです。……だから、絶対に嫌です!」

 その震えた声を聴いてソーマは返す言葉が見つからなかった。

 シロナの想いを知っても尚、言う事を聞かない体が腹立たしかった。

 地面に手を突いてどうにか立ち上がろうとするも、自分の足じゃないみたいに動かない。

(動いてくれ……頼むから、動いてくれッ!)

 その願いが届く前にミノタウロスの右手がシロナを掴むと思い切り地面に叩きつける。

 地面が砕けるほどの衝撃がシロナの背中を襲うと口から血を噴き出した。

「…………ス……ァ」

 微かにソーマを呼ぶ声が聴こえるとシロナは再び意識を失った。

「うあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 シロナがやられたのを目の当たりにして何かの糸が切れたのかソーマは唐突に叫び出していた。

 いや、叫ばずにはいられなかったのだ。

 ガクガクと痙攣する脚で立ち上がろうとする。全身を襲う激痛で何度意識が飛びかけたか分からない。それでも脚を動かしてソーマは遂に立ち上がった。

 しかし、立ち上がると同時に膝が崩れ落ちた。地面に突っ伏すように倒れるともう叫ぶ力も残っていなかった。

 これが落ちこぼれと呼ばれた少年の限界だった――。

 誰しもが物語の英雄のようにはなれないのだ。大切な人を傷付けられた怒りで力が覚醒するはずもなく、気力だけで戦えるほど現実と敵は甘くは無かった。

 一つの英雄の物語は万を超える理不尽な死の上に生まれた奇跡の物語なのだと、今になってソーマは悟った。自分はその理不尽な死の一つに過ぎないのだと。

 英雄が選ばれた人間だとするなら、ソーマは選ばれなかった人間である。

 辛うじてミノタウロスが棍棒を振り上げるのが見えた。

 もう考える力も無く、ソーマは棍棒が振り下ろされるのを見ていることしか出来ない。

 ふと、視界の端にシロナの姿が見えて「……シロ、ァ」と手を伸ばす。

 だが、無情にも棍棒は振り下ろされた。


「そんなに叫ばなくたって聴こえてるぞ」


 どこからともなく男の声が聴こえてきた。

(……誰?)

 瞳を動かすとさっきまで無かった見知らぬ人影がソーマとミノタウロスの間に立っていた。

 そいつは片手でミノタウロスが振り下ろした岩の棍棒を受け止め、掴んでいた。

 何が起きているのか分からず、ジッとその背中を見つめる。

「……モン、スター? でも……誰の」

 ソーマを庇うように立つ人影がモンスターであることにようやく気付いた。

 棍棒を受け止めた手と腕は分厚い甲殻に覆われている。その甲殻は薄ら透き通った水色で、まるで氷のようだ。

 そんな手腕を持つ人間はいない。彼女がモンスターであることは一目瞭然だった。

 モンスターは人間で言うところの二十歳くらいの女性の姿をしていて、何より目を惹くのは彼女の服装だ。防具という訳では無く、戦闘に向いているとも言い難いものだった。

 それは極東の国で着られている『着物』と呼ばれるものだ。

 その着物の柄は前にもどこかで見た憶えがある。しかし、すぐに思い出せない。

 見た瞬間は「何で着物を着ているんだ?」と思ったけれど彼女の分厚い甲殻に覆われた手腕を見て納得した。

 頭上から振り下ろされた棍棒を受け止める際、着物の下に隠れていた腕が露わになっていた。彼女の腕は氷のような甲殻に覆われ、人間の腕の三倍近く太い腕だった。その太い腕を通せる服はそうは無いだろう。

 でも、袖を大きく作られた着物ならその腕をすんなりと通せる。だから彼女は着物を着ているに違いない。

 着物姿のモンスターは平然と棍棒を掴んだまま振り返ってこちらを見た。

 水底を思わせる黒い瞳と視線が交わると彼女は微笑を浮かべた。

「もう心配は要りません。後は私達にお任せ下さい」

 彼女の額に生えている虫のような触覚を見てソーマは思い出す。

「…………ミスティ?」

 ソーマは口から零れるように名前を呟くとミスティと呼ばれたモンスターは小首を傾げる。

「どこかでお会いしましたか? これでも記憶力には自信があるのですが貴方に会った記憶がございません」

「俺たちが知らなくても、俺たちを知る義勇兵は多い。ミスティのことを知っていても不思議ではないだろ」

 と再び男の声が聴こえてきた。どうにか首を振り返らせると離れた場所に立っているのは前に義勇兵ギルドで見た〈A〉等級義勇兵のギンガだった。

「……どうして、貴方達がここに?」

「いやなに、竜の叫び声みたいなのが聴こえたから急いで来てみたんだ。そしたら倒れているお前達を見つけてな」

 ギンガは青白い顔をポリポリと掻きながら言った。まるで買い物ついでに寄ってみた、みたいな口振りだった。

 シロナが稼いだ時間は無駄ではなかった。勝てないと分かっていながらもミノタウロスに立ち向かったシロナの行動は結果としてソーマを救った。

「マスター、どうされますか?」

 ミスティはマスターであるギンガに指示を仰いだ。

「ミノタウロス退治は予定外の仕事だよな。でもまあ、始末しておこう」

「承知致しました。マスター」

 コクリと頷くとミスティはミノタウロスへ目を戻す。

「これよりミノタウロスの排除を開始します」

 まるで感情の無い言葉を合図にミスティは闘気を纏うと棍棒を掴む左手に力を込める。

 ミノタウロスは棍棒を引っ張ってもビクともしないことに驚きを見せる。棍棒が動かせないと分かると左手をグッと握り固めて、巨大な拳を作る。そしてミノタウロスが暴力に任せて振り下ろした鉄拳はミスティを捉える。

 その砲弾の如き鉄拳を甲殻で覆われた右腕で受け止めた。衝撃音が響き、怪力から放たれた拳を受けたミスティの足元が割れる。

 まともに拳を受けてもミスティは平然と立ち、微笑を浮かべていた。それどころか逆にミノタウロスの拳が裂けて血を流している。

「私の甲殻は鉄よりも硬いんですよ」

 ミスティはミノタウロスの拳を弾き返し、棍棒から手を離すと「今度は私の番ですね」と右手を握り固める。氷のような甲殻に覆われた拳を振り被ると一気に撃ち出す。

 その拳はミノタウロスの腹部に減り込み、巨体が弧を描いて吹き飛んでいった。

 ミスティは透かさず地面を蹴って駆け出すと吹き飛んでいったミノタウロスを追う。

 着地したミノタウロスは足で地面を削ることで勢いを殺す。迫り来るミスティに気付き、棍棒を横薙ぎに振り払う。

身を屈めて棍棒を躱すと勢いを緩めることなくミノタウロスの懐に潜り込む。ミスティは右腕を大きく振り被ると体重と勢いを乗せた拳を撃ち放った。

 甲殻に覆われた拳は再び腹部を捉え、ミノタウロスの巨体がボールのように地面を転がっていく。

 足を止めたミスティは拳の感触を確かめるように右手の開閉を繰り返す。

「…………」

 右手を見つめるミスティは眉を顰め、怪訝な表情を浮かべていた。

 その間にミノタウロスはムクリと起き上がる。相当な力が込められた殴撃を二度も受けたにも拘わらず苦しむ素振りは無かった。

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