006 ①
006
(……どうしていつもこうなるんだ)
こんな運命を差し向けた神様はなんて性格が悪いんだろう、とソーマは嘆いた。
モンスターの残った下半身が崩れ、吹き飛んだ上半身はベチャリと音を立てて地面を転がった。
その場にいた全員が起きたことをすぐに理解出来なかった。
ミノタウロスの右手には武器と呼ぶには些か歪なものが握られている。叩き割って作ったのか凸凹のある巨大な岩の棍棒だった。先端にいくほど太くなっている岩の棍棒にはモンスターの血肉がべっとりと付いている。
オークの腕よりも太い腕で振り払われた棍棒は容易くモンスターの体を弾き飛ばした。
その凶悪な筋肉から放たれた一撃はオークとは比べ物にならない威力を持っていた。
何が起きたのかいち早く理解したのはミノタウロスに最も近いモンスターだった。
気付いた時にはミノタウロスは再び棍棒を振り上げていた。いち早く状況を理解していたモンスターはミノタウロスが自分のマスターを狙っていると気付く。咄嗟にマスターとミノタウロスの間に飛び込み、棍棒を受け止めようとする。
しかし、ミノタウロスが振り下ろした棍棒はモンスターごとマスターの男を叩き潰し、辺りに血肉が飛び散った。
傍らで見ていたもう一人の義勇兵の男は「ヒィッ!」と声を上げ、背中を見せて逃げ出す。
「た、助けてくれ!」とソーマとチャドの元へ走ってくる。
逃げる義勇兵の男を大きな影が覆う。
「やめろ……やめろ!」
ソーマが叫ぶと同時に、ミノタウロスが振り下ろした棍棒は義勇兵を容易く叩き潰した。
まるで小さな虫を叩き潰すような呆気ないものだった。
ミノタウロスが棍棒を持ち上げるとベッコリと凹んだ地面に義勇兵の死体が無残に潰れていた。
あっという間に四人が殺され、ソーマはあまりの出来事に立ち尽くす。
(こんなの……あんまりだ)
ソーマが呆然としているとチャドが叫ぶ。
「逃げろ! 馬車まで全力で走れ!」
頷く暇も無くソーマはシロナを抱えたまま地面を蹴る。ありったけの力で走り出した。
オークとの戦闘で体力は殆ど残っていないけれど、ソーマはがむしゃらに足を走らせる。
それでもミノタウロスは瞬く間に距離を喰らい尽くし、すぐ背後まで迫っていた。
隣を走るチャドも背後の気配に気付いて首を振り返らせるとミノタウロスは棍棒を振り被っていた。
避ける暇も無く振り下ろされる棍棒。
「マスター!」
ソーマとチャドを叩き潰す寸前、チャドのモンスターが振り下ろされる棍棒に横から足蹴を叩き込んだ。
モンスターの脚力を以てしてもミノタウロスの膂力から振り下ろされた棍棒を弾くことは出来なかった。しかし、僅かに軌道を逸らすことは出来た。
軌道が逸れた棍棒は走るチャドの横に叩きつけられ、土石が飛び散る。
飛散した土石を浴びながらもソーマ達は走り続けた。
だが、チャドは走る足を緩めて振り返るとモンスターを見る。
「ここは私が時間を稼ぎます。その間にマスターは振り返らず逃げて下さい」
チャドのモンスターはミノタウロスと対峙し、こちらを振り返ることは無かった。
その背中を見ていたチャドは何かを言いたげな表情を浮かべ、グッと言葉を呑み込んだ。
「……ああ、任せた」
チャドは背中を見せて再び走り出す。
「死ぬんじゃねえぞ。これは命令だ。マスターの命令は絶対だからな。分かってるよな?」
「はい、マスター」
チャドのモンスターは躊躇うことなく言った。
しかし、ソーマにはモンスターの言葉が建前であることは容易に察せられた。ミノタウロスと対峙するモンスターの右足は棍棒を蹴った時に肉が裂け、血塗れだ。しかも、骨折しているのか赤黒く腫れ上がっている。
その脚では満足に動くことも出来ないだろう。一緒に走って逃げることが出来ないと悟り、だから囮となって時間を稼ぐことを選んだに違いない。
そして間違いなく殺される。
チャドはそれを分かった上で言ったのだ。チャドは歯を食い縛り、今は走ることだけを考えているようだった。
命を賭してモンスターが稼いだ時間を無駄にしまいと走り続ける。
背後で地面や樹を叩き壊す音が聴こえてくる。それでも二人は振り返らなかった。
大地が震えるほどの轟音が響いたのを最後にピタリと音が鳴り止んだ。
戦闘が終わったのだと二人は察する。
どんな決着がついたのか知る由も無いけれど、今は走ることだけを考えた。そしてようやく依頼主の男が待つ幌馬車が見えた。
「どど、どうしたんですか! すごい音がしましたけど……あれ、他の皆さんは?」
こっちまで音が聴こえていたらしく依頼主の男は慌てふためいた表情を浮かべていた。
「他の義勇兵は殺された! いますぐに馬車を走らせろ!」
走りながらチャドは叫んだ。依頼主に対して乱暴な言い方だけれど、逆にそれで非常事態であることが依頼主の男に伝わり、「は、はい!」とすぐに幌馬車を走らせる準備を始める。
「急げ! ミノタウロスが――」
チャドが更に急かそうとした時、背後からミノタウロスの雄叫びが聴こえてきた。
その雄叫びに二人が首を振り返らせると森の奥から何かが飛んでくる。それが何かはすぐには分からなかった。
砲弾の如く勢いで迫り来る投擲物がチャドの背中を捉えた時、ソーマはそれがオークの頭だと気付く。
「――ガッ!」
チャドは呻く声を漏らすと派手に転がる。ミシミシと骨が軋む音が聴こえ、威力の凄まじさが察せられた。
幌馬車の前で倒れたチャドの元へ駆け寄るもピクリとも動かない。しかし、幸いにも息はあり、生きているのが分かった。
抱いていたシロナを幌馬車の荷台に乗せると急いでチャドを荷台まで引き摺る。
ソーマは「うぁあああっ!」と叫び、力を振り絞るとチャドの体を荷台に放り投げた。気を失っている人間は重いと聞いたことはあったけれど、想像していたよりも重く腕が千切れてしまうのではないかと思った。
シロナとチャドを荷台に乗せてからソーマも急いで飛び乗ろうとした時、ズンズンズンッと何かが近付いて来る音が聴こえてくる。
その音が何かは考えるまでも無かった。
振り返ると森の奥からミノタウロスの巨体が追い迫ってくるのが見えた。
(嘘だろ……早すぎるだろ!)
「早く行ってください!」
ソーマは叫ぶと同時に荷台へ飛び乗る。ミノタウロスの姿を見た依頼主の男は「ヒィッ!」と悲鳴を上げると慌てて馬を走らせる。
急発進した勢いでシロナが荷台から転げ落ちそうになり、咄嗟に腕を掴む。
シロナを抱き上げると荷台の奥に運び、チャドの体も奥へ引き摺っていく。とりあえず二人を安全な場所に運び終えると御者をする依頼主の男に言う。
「馬を止めず、街まで全速力で逃げて下さい!」
「分かってます……けど、どうしてミノタウロスがこんな所に。ミノタウロスは山の中腹を棲み処にしているはずじゃあ……」
(確かにそうだ……。どうしてミノタウロスが山を下りて森に姿を見せたんだ? いや……そもそも、魔獣の群れは山の麓から来ていた。しかも立て続けに二度もだ。そんなことがあるのか……?)
まるで山から一斉に逃げてきたのではないかと思えるほどの魔獣の数だった。
魔獣たちに何があったのか。オークやミノタウロスが逃げ出すほどの魔獣が現れたというのだろうか。
しかし、どんな魔獣がこの先にいるのか考えている余裕は無かった。
ミノタウロスの足音が大きくなっていることに気付いたソーマは振り返る。余計なことを考えるのを止め、迫ってくるミノタウロスに意識を傾ける。
「……速い。このままじゃ追い付かれる」
「ど、どうするんですか!? 街まではまだ距離がありますよ!」
「そのまま馬を走らせて下さい。ミノタウロスは……僕がどうにかします」
(とは言ったけど、どうにかって……どうするんだよ)
依頼主を心配させまいと勢いで言ったものの何も打開策は思いつかない。モンスターを軽々と殺す魔獣を目の前にして「ハハッ」と呆れた笑い声しか出なかった。
前に義勇兵ギルドで見たことがあった。ミノタウロスを退治するクエストの張り紙に『最低推奨等級〈D〉』と書かれていたのを思い出す。
チャドは〈E〉等級の義勇兵で、他の二人は〈F〉等級の義勇兵だった。チャドのモンスターですら手も足も出なかったのに、〈G〉等級のソーマに何が出来ると言うのか。ましてやソーマのモンスターであるシロナは気を失っている。魔法も使い果たし、残っているのかこの体だけ。
あまりに絶望的な状況だった。
しかし、それでもソーマの瞳は諦めていなかった。
既にミノタウロスとの距離は五メートルも無い。このまま眺めていても追い付かれるだけだと思い、腰から最後の手斧を取ると思い切り振り被る。
全身を使って投擲した手斧はミノタウロスの左目を斬り裂いた。突然左目を失ったミノタウロスは怯み、足が僅かに緩んで距離が開く。
(よしっ、当たった!)
運よく左目を奪い、ソーマは拳を握って喜ぶのも束の間だった。
突如叫び声を上げたミノタウロスは激昂し、さっきよりも凄まじい勢いで追い迫ってくる。左目を奪ったのが逆効果になってしまった。
巨体の砲弾があっという間に迫ると巨大な手が荷台をガシッと掴み止めた。その衝撃でソーマは倒れて床に体を打ち付ける。薬草が入ったカゴは転がり、馬は仰け反って鳴き声を上げた。
「なな、なんですか!?」と依頼主の男は慌てて振り返る。
すると、ミノタウロスは両手で幌馬車を掴むと持ち上げた。
その怪力を目の当たりにして「……うっそ」と依頼主の男は呆れた声を漏らす。
倒れていたソーマはグラリと体が傾く感覚に襲われる。脳震盪などを起こして視界が揺らいでいるのではなく、幌馬車自体が傾いているのだと遅れて気付く。
ミノタウロスは幌馬車を軽々と持ち上げると中空へ放り投げた。ふわりと体が浮く感覚に襲われると、地面に落下した幌馬車はバラバラに破壊されてソーマ達は外へ投げ出された。
落下した際にソーマは地面に頭を打ち、その衝撃で意識が飛んだ。
ミノタウロスの足音が地面を伝わってソーマの頭を揺らすと如何にか意識を取り戻す。
(……あれ、どうなったんだ? まだ……生きてる)
心臓がバクバクと鼓動を鳴らし、全身に蔓延る激痛がまだ生きていることを教えてくれた。
ソーマは霞む瞳でキョロキョロと辺りを見回すと倒れているシロナとチャドを見つける。荷台から投げ出された二人はまだ意識を失ったままだが、どうにか無事だった。
少し離れた場所で依頼主の男が倒れてるのを見つける。彼も意識を失っているのかピクリとも動かない。
グシャリッと何かが潰れるような音が聴こえて振り返るとミノタウロスが馬の頭を踏み潰していた。頭蓋が潰れた馬はピクピクと体を痙攣させると動かなくなった。
馬車が壊れて、馬も失い、ミノタウロスに狙われているこの状況で動けるのはソーマだけ。
何故こうなったんだろう。そう考えたのも束の間だった。心臓を激痛が襲って思考が霧散する。
そして足音が聴こえてくる。ミノタウロスがこっちへ向かってくるのが分かる。
胸を押さえながら顔を上げるとミノタウロスが棍棒を振り上げていた。
「――ッ!」
ソーマは体に鞭を打ち、咄嗟に地面を蹴って転がる。
そしてソーマが倒れていた場所を棍棒が破壊した。
急いで体を起こすも眩暈と激痛に襲われてフラフラと千鳥足になる。
「ゼエ…………ゼエ……」と深く息して、どうにか意識が途切れないようにする。
ソーマは腰から剣を抜いて中段に構える。
ミノタウロスは再び棍棒を高く振り上げる。ソーマは咄嗟に体を傾けて振り下ろされた棍棒を剣で往なす――はずだった。
しかし、ミノタウロスの怪力から振り下ろされた棍棒の一撃は小枝を折るかのように容易く剣を叩き折った。体を傾けていたおかげで直撃は避けられたけれど棍棒は剣を折ると足元の地面を破壊した。
土石の礫がソーマの全身を襲う。オークが振り回した斧を受けても折れなかった剣がたったの一撃で折れた。オークの斧を受けた時とは比にならない痺れと痛みが両手を襲った。
「アッ……グッ!」
痛みのあまり手から折れた剣が落ちると共に膝が崩れた。
(……無理だ……こんなの勝てる訳が無い)
膝と共に心が崩れて落ちていく。
いままで戦ってきた魔獣とは次元が違う強さだった。
どうして人間がモンスターを生み出し、戦わせていたのかようやく理解出来た。
ミノタウロスに人間の力で勝てるはずがない。ミノタウロスは――魔獣は人間の域を飛び越えた場所にいる化物だ。
もし、何かの奇跡でソーマがミノタウロスを倒せたとしても、ミノタウロスですら最低推奨等級『D』だという現実。ミノタウロスを倒したところでその先にはより強い魔獣が幾多もいるというのを想像してしまった。
人間が命を賭して戦っても超えられない限界〈壁〉というものを見てしまい、ソーマは落ちた剣を握ることが出来なかった。
ふと、倒れているシロナに目を遣る。
(……シロナ……ごめん)
(こんなマスターで……ごめんな)
目を瞑って項垂れるとミノタウロスが再び棍棒を持ち上げる音が聴こえてくる。




