005 ②
山には多くの魔獣が棲みついている。その方向から何かが来るとすれば魔獣以外にあり得ないだろう。
何かしらの魔獣が来る。ソーマの直感が警鐘を鳴らす。
「シロナ、準備だ」
遅れてシロナも馬車から飛び降りると傍に駆け寄ってくる。
「ゴブリンですか?」
「……分からない。でも、魔獣には違いない」
すると、山の麓の方からチャドの声が聴こえてくる。
「魔獣の群れが来るぞ!」
その声と共に丁度良く依頼主の男が馬車の元へ戻ってきた。
「また、魔獣ですか? 一日で二度も狙われるなんて……今日は運が悪い」
依頼主の男はうんざりした顔を浮かべ、大きな溜息を吐く。
「馬車の傍を離れないで下さい。僕たちは様子を見てきます」
そう言い残すとソーマはシロナを連れて声の方に向かって走り出す。
森の奥から魔獣の叫び声が微かに聴こえてくる。声からしてゴブリンだけではなく、オークもかなりの数がいる。群れの正確な数は分からないけれど、最低でも十数体はいるだろう。
間違いなくさっきの魔獣の群れよりも多い。
四人が集まってどうにか凌げるかどうか。
不安に駆られながら森を進んでいるとチャドの背中が見える。チャドの視線の先では彼のモンスターが独りで魔獣を相手取っている。
しかし、いくら〈E〉等級義勇兵のモンスターとはいえ十数体もの魔獣を単独で倒すのは骨が折れる。その戦い振りは魔獣を倒すというより、攻撃を躱して時間を稼いでいるという感じだった。
周囲を見回すと、どうやら他の義勇兵はまだ駆け付けていないらしい。まあ、馬車を囲むように警戒していた彼らよりソーマの方が早く着くのは当然だ。
魔獣の群れを足止めして他の義勇兵が応援に来るのを待っているのだろう。
ソーマとシロナの足音に気付いたチャドは二人を一瞥し、「なんだ、お前達かよ……」とあからさまに落胆する。
ソーマも自分達では力不足なのは理解している。だから、チャドの反応には納得出来た。
とはいえ、一刻も早く魔獣の相手を手伝って欲しいに決まっている。チャドのモンスターはオークやゴブリンの攻撃を辛うじて往なしているけれど長くは持たないだろう。
「僕たちも戦います!」
ソーマは叫びながら剣を引き抜くと魔獣の群れに向かう。
「お前はゴブリンの相手だけをしておけ! オークは俺たちがどうにかする! お前たちじゃオークに叩き潰されるだけだ!」
「で、でも……この数はさすがに!」
(さすがに多過ぎるだろ……。特にオークの数が尋常じゃない。十体はいるぞ)
人間よりも大きな体躯を持つオークに囲まれればチャドのモンスターでもさすがに一溜まりも無い。
「いいから自分のやれることをやれ! どんな奴でも無駄死にされたらこっちの気分が悪いんだよ! お前たちじゃオークには勝てない! 自分のモンスターを大切にしろ!」
――自分のやれることをやれ。
チャドの言葉は今のソーマに深く突き刺さった。
シロナをオークと戦わせようとして断念したソーマにとってその言葉は核心をついていた。
チャドの言う通り、魔物の群れに飛び込んだところで焼け石に水だろう。
今のソーマ達に出来るのはゴブリンを相手にすることくらいだ。
すると、群れから飛び出して来た三体のゴブリンがこちらに迫ってくる。
「……分かりました。ゴブリンは俺たちが引き受けます!」
シロナに目をやり、「行くよ」と頷いて合図を送る。それに対してシロナはコクリと頷いて答える。
二人は戦う覚悟を決めると迫り来るゴブリンに向かって駆け出す。体勢を低くし、腰に剣を構えながら地面を蹴る。
先頭を切るゴブリンを狙って距離を詰めると一気に剣を袈裟懸けに斬り上げる。ゴブリンは欠けた短剣でその一撃を防いだが腕を弾き上げた。
ゴブリンは腕を上げ、そのでっぷりと太った体ががら空きになった。
ソーマは体を捻って右足を力一杯に振り上げるとゴブリンの腹に爪先が減り込む。
「ウギャッ!」とゴブリンの叫び声が上がる。
力任せに右足を振り切るとゴブリンは吹き飛び、地面を転がった。
飛んできた仲間を避け、他のゴブリンの足が止まる。その隙を突かんとソーマは地面を蹴って一気に距離を喰らう。
「シロナ! 倒れているゴブリンを頼む!」
「はい、マスター!」
シロナは二体のゴブリンの間を駆け抜けると倒れているゴブリンを目掛けて跳び上がる。
(これでいい。一体はシロナに任せて、残りの二体は僕が相手をする)
ゴブリンの首を狙って剣を薙ぎ払う。しかし、腰を屈めて紙一重のところで躱された。
相変わらず俊敏だ。知能は低いのに反射神経だけは獣染みている。
ふと、背後から殺気と気配を感じて咄嗟に振り返る。するともう一体のゴブリンが背後から飛び掛かってくるのが視界の端に映る。
左腕を振り払い、バックラーでゴブリンの頭を横殴って吹き飛ばす。
吹き飛んでいったゴブリンはすぐに立ち上がると首をブンブンと横に振るだけでピンピンしている。
咄嗟に腕で防がれて大したダメージにはなっていなかった。せめて脳震盪になってくれれば暫く動けなかっただろうに。
二体のゴブリンに挟まれるように立ち、忙しなく目を左右に動かす。
ゴブリンは牙を剥き出しにして威嚇してくる。
気のせいか、いつものゴブリンよりも気性が荒い気がする。まるで脅えた野良猫が牙を剥いて威嚇してくるかのようだった。山に棲みついているゴブリンは好戦的なのだろうか。
右側のゴブリンが手斧を振り被って飛び掛かってくる。
ソーマは後ろへ跳び退いて躱すとゴブリンから距離を取る。
もう一体のゴブリンは逃がすまいと距離を詰め、襲い掛かってくる。その行動は想定内だった。後ろへ下げた足を止め、踏み出すと共に剣を振り被った。
その剣を振り下ろすのかと思いきや、柄を長く持つと迷うことなく放り投げた。
風を斬り裂き、投擲された剣はゴブリンを目掛けて吸い込まれていく。まさか武器を放り投げるとはゴブリンも考えていなかったのだろう。目を丸くして驚いていた。
回転する剣はゴブリンの左肩に突き刺さった。
「ちっ……少し外れたか」
完璧に不意を突いた今の投擲で仕留め切れれば良かったのだが、そう上手くはいかない。
しかし、外すという最悪の事態は避けられた。それだけで十分だった。
剣を受けたゴブリンは足を止め、ヨロヨロと体を揺らす。致命傷にはならなかったが、動きを止めることには成功した。
だが、ソーマは剣を手放してしまった。その隙をもう一体のゴブリンが見逃すはずも無く、叫び声を上げて飛び掛かってくる。
「そう来ると思った」
これまで何十体、何百体のゴブリンを倒したと思っているのか。ゴブリンの考えや動きはある程度の予測はつく。
腰の裏に携えておいた手斧に手を掛け、ゴブリンの頭を目掛けて投げ放つ。
ザグンッと頭蓋が割れる音を鳴らし、手斧は見事にゴブリンの頭を直撃した。
「よっしっ! まず一体!」
血を噴き出しながら倒れたゴブリンはピクリとも動かなくなった。
「ギャギャギャ!」と左肩に剣を受けたゴブリンが一層声を荒げて威嚇してくる。ゴブリンは自らの手で剣を引き抜くと乱暴に放り投げた。
傷を負ってはいるが痛みで逆にゴブリンは凶暴化している。腕をブンブン振り回して暴れ出すとジグザグに飛び跳ねて迫ってくる。
手元に剣は無い。乱雑に飛び跳ねるゴブリンに手斧を当てるのは至難だ。凶暴化したゴブリンに素手で殴り勝てるとは思えない。
傍から見たらソーマはピンチだ。しかし、こんな状況は今までに何度もあった。ソーマにとってこの状況はピンチではない。シロナと何度だって掻い潜ってきた。
腰に右手を伸ばすと剣をしまっていた鞘を素早く取り外す。そして鞘を取ると両手で握る。腰を捻り、大きく振り被ると飛び掛かってきたゴブリンの顔面を目掛けて力一杯叩きつけた。
ある時、ゴブリン退治をしている時に剣を奪われてしまった。その時に鞘を使って殴り、ゴブリンから剣を奪い返したことがあった。その戦闘で鞘は壊れてしまったが、鞘にはこんな使い方があるのだと初めて知った。
値は少し張ったがゴブリンを殴っても壊れない丈夫な鞘を買い、こういう時にも対応できるようにしていたのだ。その備えが今回は役に立った。
吹き飛んだゴブリンは地面を転がっていく。顔面を押さえながらのた打ち回るゴブリンから目を離さず、急いで剣を拾う。
鞘で殴り殺せるとは思っていない。飽く迄も不意を突いて時間を稼ぐことが目的だ。
脆弱な人間が魔獣を倒すには頭を使い、不意を突くしかない。それでも魔獣は強い。こんな不意打ちが通用するのはゴブリンなどの弱い魔獣くらいだ。もしも相手がオークだったら通用しないだろう。
ゴブリンは立ち上がると殺気に満ちた瞳でこちらを睨み付けてくる。
(……すごい殺気だな。これだから魔獣は怖い)
手負いの魔獣ほど危険なものは無い。だから最後まで油断はするな。
確か、義勇兵ギルドでベテランの義勇兵が言っていた言葉だったか。
深呼吸を繰り返して乱れている呼吸を整える。ズキッと心臓が痛む。
戦いが長引けば心臓は限界を迎える。あまり時間を掛けている余裕は無い。
まだ一体のゴブリンを倒しただけなのに心臓が痛み出すなんて、一年前に比べて倍以上も早くなっている。
だけど、焦ったらゴブリンに足元を掬われる。兎に角、今は冷静に目の前のゴブリンを倒す事だけに意識を傾けなくてはいけない。
剣を引いてバックラーを構えると臨戦態勢に入る。さあ来い、と言わんばかりにジッとゴブリンを見る。その一挙手一投足を見逃さない為に瞬きすら止める。
ゴブリンは不規則に飛び跳ねると樹を駆け上がってソーマの頭上を飛び越えていく。
ソーマの背後に着地すると地面を蹴って襲い掛かる。
短剣を振り払って首を斬り裂こうと狙ってくる。ソーマは振り返ると同時に足を引いて短剣を躱す。
ゴブリンは透かさず短剣を振り回してくる。後退りながら躱し、飛び掛かってくるのをバックラーで往なす。
その攻防が少し続いた頃、ゴブリンは短剣を大きく振り被った。ソーマはそれを待っていた。
バックラーで短剣の一撃を弾き返すとがら空きなった体に剣を突き出す。剣先はゴブリンの胸を貫き、バタバタと暴れてすぐにグッタリと動かなくなる。
倒れたゴブリンを踏んで剣を引き抜くと血飛沫が顔に付着してしまった。思わず目を細めて「うっ」と声を漏らす。
袖で血を拭うとシロナの方に目を遣る。
すると、少し離れた場所で頭蓋が割れたゴブリンの亡骸が転がっていた。それを見下ろして立ち尽くしているシロナは無事だった。
ゴブリンを倒し終えたシロナはソーマを探すように首を回す。
「シロナ、大丈夫か?」
「はい、問題ありません」
その言葉に胸を撫で下ろすと周囲を見渡す。
いつの間にか他の義勇兵も駆け付けていたらしく三体のモンスターと八体のオークが混戦していた。その中に二つのオークの死体が転がっているのが見えた。
チャドの他に二人の義勇兵が応援に来たとはいえ、以前として苦戦が強いられていた。
こんな数のオークを三人で相手にするなんてあまりに危険過ぎる。せめて自分が力になれていたら彼らの負担を減らせたに違いない。
けれど、オークとの戦闘にソーマとシロナが飛び込んでも殺されるだけだ。
オークの叫び声や、地面や樹を砕く音が森の一帯に響き渡る。その光景をジッと見守ることしか出来ない。ソーマは自分の弱さにもどかしさを覚え、グッと拳を握り締める。
「マスター、私はまだ戦えます!」
シロナは腕を上げて体力が残っていることを見せつけてくる。
しかし、ソーマは首を横に振った。
「いや……オークには手を出すな。何があろうとオークに立ち向かおうとしちゃダメだ。絶対にダメだ」
「……はい、マスター」
持ち上げていた腕を下げると目を伏せて意気消沈してしまった。少し言い方が乱暴だったか、とソーマは後悔する。
「とりあえず、僕たちはここを離れて馬車を――」
ソーマがこの場を離れようとした時だった。突如、爆弾が弾けたように心臓を激痛が襲い、全身に痛みが駆け巡った。
「ウッ……ガッ……!」
胸を押さえたソーマは崩れるように倒れ、その場で蹲ってしまう。
「マスター……? マスター!」
慌てふためくシロナの声が聴こえてくる。しかし、その声は激痛に掻き消されてしまい、ソーマの頭には入って来ない。
(……なんて最悪のタイミングなんだ)
痛みが釘のように全身を打ち、その所為で身動きが取れないどころか息すら儘ならない。苦しみを必死に堪え、痛みが引くのを待つしかなかった。
ふと、顔を上げるとシロナが心配した顔でこちらを覗き込んでいた。
「……嘘、だろ」
と呟いたソーマは目を丸くする。
シロナの顔に驚いたのではない。その奥から迫ってくるものに目が奪われたからだ。
チャドたちが食い止めていたオークの群れから一体のオークが抜け出して来ていた。




