第二百五十二話:心意
「刺さ……った……」
「『っ……は……!』」
似たようで、違うような光景があった気がする。
この黒いアリスに対して、ゴブリンズ・ペネトレートを放った。
けれど、それがいとも簡単に止められてしまった……ような。
だが、今は違った。
俺の気合いと想いを乗せた一撃が、黒いアリスの腹に突き刺さって、剣の切っ先は背中まで貫通していた。
「『っ……! アァッ! 図に乗るな……旧人類如きが!』」
「ッ!? うお──っぶね!」
さっきまでは余裕たっぷり、攻撃が通った時は目も口も開きっぱなしになっていた黒いアリスの表情が、変わった。
勝ち誇っていた奴の自信が打ち砕かれたかのような……というか、子供が癇癪を起したかのような怒りっぷり。
その表情を認識した瞬間、俺は背中にゾクリとしたものが走り、咄嗟に剣を抜きながら真後ろへと飛びのいた。
直後に黒いアリスは、モルガンが普段スキルで使うような黒いオーラ──よりも、更にドス黒いオーラを纏い始めた。
人の怨念とか、そういうものを凝縮したかのような……何もかもを飲み込んでしまいそうな、深く、暗い、重い黒。
そのオーラは全身に纏わされるだけでなく、傷口に入り込んで炎のように揺らめき始めた。
「『完全たる新人類になる私に! 一瞬でも勝てると思ったか! 死ね!』」
「っ、これは……! 重い……!」
俺が飛びのいた先の隣にいたカエデは、黒いアリスが纏うオーラから発される圧だけで気圧されていた。
勿論俺も例外ではなく、空気が重いというか……見ているだけで、こっちの気力が削がれそうになる強さがあった。
……初めてアーサーと対峙した時に感じた重厚感、それ以上に深く重くのしかかって来る雰囲気。
怒った様子の黒いアリスは再度魔方陣を展開し、右手を高々と上げる。
「『剣陣展開、射出!』」
「カエデ、止めるぞ!」
「はい!」
俺とカエデは先ほど同様に盾のスキルを多数展開し、黒いアリスが飛ばしてくる真っ黒な剣を防ごうとする──が。
「がっ!?」
「なっ、ぁ……!」
アリスが飛ばしてきた黒い剣は先ほどと違って俺たちの展開していた盾に勢いを弱められることもなく、真っすぐにそれらを打ち破っていた。
それだけじゃない……刀身の根元までが俺たちの高い防御力を突破して、アバターを貫通していた。
そして、その傷からは……通常、あり得ないはずの痛みが発生した。
「っ、ぐ、ぁあああ……!」
「あ、ぁっ……! い、たぃ……! いたぃ、っ……! あぁぁっ……!」
俺は左脚、腹、そして心臓に当たるであろう部分に剣が突き刺さっていた。
直感的に内臓などはギリギリで避けていたみたいだが……それでも、VRでは考えられないほどの痛みが頭を支配していた。
いや、SBOにも痛みを感じるようなスキルとか、痛みを感じさせられるデバフがあるにはあるし、そもそも完全なゼロじゃない。
痒みが発生したり、不快感のようなものが発される程度にはそういう信号が発されることだってある。
なんなら、現実で似たような痛みを覚えているのなら、アバターが勝手にその痛みを再現してしまう時だってある。
それでも……それでも、それはあくまでプレイヤーの耐えられる範疇でしかなく、大したことはなかった。
だけど、これは。
「いっ、あ、ぁぁぁ……! いたぃよ……!」
「っ、ハァッ……ハァッ……! っ、ぐ、ぅ、あああ……!」
まだHPが残っている、まだ命のストックを削るほどのダメージには至っていない。
だから、体に刺さった剣を抜こうとするが……その度に発される痛みは、俺の脳を確実に蝕んでいた。
痛みのショックで気絶することさえ許されない事実が、余計に。
「ぐ、ぃぃぃっ! はぁっ、はぁっ……!」
やっとの思いで胸から剣を抜き去り、そのまま地面に投げ捨てる。
だけど、まだ二本もあるし……カエデは俺より刺さった本数が多い上に、痛みへの耐性は俺よりなかったらしい。
痛みに悶えながら涙を流し、その場にうずくまっているだけだ。
「『所詮、旧人類なんて痛みに怯えるだけの弱者。シロ、あなたが作った七王とやらもその無様な姿を晒しただけじゃない』」
「あぁ……? テメェ、わけのわかんねえ真似ばっかしやがって……何がしてえんだか知らねえけどよ……これは、やりすぎだろ……!」
くすくすと笑う黒いアリスに向き直り、俺は歯を食いしばって残り二本の剣を抜いて捨てる。
「まだ……皆は、心意に慣れていないだけ……クロ。あなたのその余裕も、いずれ吹き飛ばす」
「『そう。でも、それは机上の空論ね』」
俺を放って会話する白いアリスと黒いアリス……俺なんて眼中にねえってことか、それともまた別の話なのか。
だとしても、今俺はこの黒いアリスに対して怒りを覚えていた。
ゲームでもやっていいことと悪いことがあるもんだ……どうやったか知らねえけど、コイツは今カエデを泣かせた。
悔し涙とかじゃなく、純粋な痛みで泣かせて、それを無様と嗤った。
いきなり襲ってきて……いきなりこんな真似して、こっちが怒るななんて言われたら、無茶な話だ。
「おい、アリス……アイツに攻撃を通すんならよ、想いってのを込めりゃいいんだろ?」
「……そう、今のクロを倒すには、それしかない。今のクロには、見ての通りHPゲージもない……だから、肉体に応じたダメージを与えることでしか倒せない」
「そうか……なら、やってやるよ」
今この場でアリスの圧に押されたり、恐ろしさや困惑のせいで動けないでいる他の皆に代わって、痛い思いをさせられたカエデに代わって。
俺が、本気の怒りって奴をぶつけてやる……! ただの字面だけの恨みだとか、そんなもんじゃあねえ……文字通り、俺の怒りの全てを乗せた、一撃を。
「カエデ、大丈夫だから……しっかりして」
倒れて動けずにいるカエデは、何とかなりそうだった。
やっとの思いで動き出したメイプルツリーのメンバーに助けられて引っ張られ、ゆっくりと黒い剣を抜かれて回復魔法をかけられている。
他の七王、及びそれに連なるプレイヤーも、Nさんたちも……少しずつ動き始めて、各々が武器を構えていた。
だが、そんなもんいらねえ……皆の単なる攻撃よりも、俺の怒りを真っすぐにぶつけてやる。
「『心意をさっき初めて使った程度のあなたに、何が出来る? まだ醜態を晒したいと言うのなら……お望み通り、串刺しになれ、ブレイブ・ワン』」
「──うるせえ」
俺は詠唱もせず、ただただ念じ、剣の切っ先を真っすぐに黒いアリスへと向ける。
ふざけた態度をしたコイツに……俺に痛い思いをさせて、カエデも泣かせたコイツに……一撃だけでも、浴びせる。
文字通り俺の全て、今ある命のストックを全部使い切ってその上で放つ……さっき痛みを味わわされたみたいに、システム的にあり得ないことを、引き起こす。
視界の端にある、命のストックの残量を示す宝石が次々に砕け散り、俺の剣へと充填され──それは、黒い炎となって刀身を包む。
のと、同時に。
「あれは……!」
「同じだ……あっちのアリスが纏っているオーラと、同じ……!」
黒い炎と共に俺の怒りを込めた剣は……元の紫色の刀身を保ちながらも、黒いオーラを発していた。
お揃いなのは嬉しくないが……黒いアリスの放っている黒いオーラと同様のものが、俺の剣を覆っていた。
「おい、黒い方のアリス」
「『フ……避けるな、とでも言いたいの? いいわ、やってみなさい。たかが旧人類、心意を覚えたて……その程度の攻撃なら、先ほどのようにはいかないもの』」
「そうかよ……」
自分から的でいてくれるなんて、随分と驕っているようだった。
心なしか、黒いオーラもさっきよりかは少しばかし減っているように見える。
……自分がいいのをくらわせりゃ、偉そうにして優位に立ったと思って笑うか。
だったら、その余裕をグチャグチャにするくらいのものを、浴びせてやるよ……!
「恨熱斬……!」
俺は剣を真っすぐに構え、地面を強く、強く──破壊不能であるソレを、踏み砕くほどの勢いで蹴っ飛ばした。
最速、最大、最高の一撃を、真っすぐに、ひたすらに真っすぐに、黒いアリスに向かって振り下ろす!
「死ぃぃぃっ、ねええええええッ!」
黒炎、一閃。
俺の込められる最大の怒りと、最大数の命のストックと、かけられる数だけのバフ……文字通り、全てを込めた一撃。
これなら、自信満々だった黒いアリスの表情も──。
「『最初の一撃で私を驚かせた……だから、勘違いしていたのかしらね……ならば、改めて言わせて貰うわ……旧人類』」
変わって、いなかった。
黒いアリスは、俺の剣を素手で受け止め、冷めた目で見ていた。
「『しょうことも、なし……と言ったところね、無様極まりないわ。ブレイブ・ワン』」
「なん……だと……!?」
文字通り俺の全てをぶつけた剣が、いとも簡単に防がれていた。
なんでだ、さっきは確かに貫くことが出来たのに、なんで今だけは全く通じなかったんだ……!?
「『まぁ……けれど、興が乗ったわ……だからこれは慈悲であり、チャンスよ。シロ……と、旧人類のプレイヤーたち』」
黒いアリスは淡々と告げながら、腰の黒い剣を抜き放った。
……その剣に秘められている圧を感じた瞬間、俺はフリーズした。
無限に情報が込められているような……とてつもない圧力のようなものを、感じさせられた。
今すぐ防御なり回避なりしなければならない状況だとわかっているはずなのに、アバターは動かなかった。
心意というものを経験したことで、ある程度感じ取れるようになってしまったからなのか。
奴が纏っていたオーラと同質の黒さを持つ”ソレ”は、確かにさっき俺が放った攻撃を鼻で笑えるほどの重圧を発していた。
「『世界を維持したければ……心意を会得し、もう一度私──セブンスブレイブ・オンラインのラスボス……【アリス・ブラック】に挑むがいい!』」
黒いアリス──アリス・ブラックは剣を大上段に構え……俺だけでなく、この場にいる全ての七王たちに見せつけた。
圧倒的とか、そういう言葉ですら足りないくらいに埋めがたい差、届くことがないと思い知らされるような差。
動けなくなるには、十分な圧力を。
「『【銀河・流星剣】』」
その剣から放たれたアリス・ブラックのスキルは、そのボス部屋にいた七王全てを消し飛ばすだけのパワーを、惜しみなく見せた。