第百三十話:今ある自由にありがたみを込めて
「ん……あぁっ、よく寝た」
私、笹野百合香はカーテンの隙間から差す陽光によって目を覚まし、体を起こす。
今が冬真っ盛りの一月だからか、すごーく寒い。
「……あれ」
私が二秒くらい前まで気付かなかっただけで、寒い理由は他にもあった。
理由としては凄く簡単で、いつもなら寝て起きるまで着ているパジャマを脱いでいたからだ。
布団の中が暖かかったから、意識半分の状態で脱いでしまったのだろうか。
「……あれれれれ」
パジャマはどこに脱いだのか、と布団の中をあちこち漁る――
と、そこにはぷにぷにとした何かの膨らみの感触、人間特有の暖かさ。
私はギギギギギ……と錆びついたロボットのように首を真横に動かす。
……一糸まとわぬ姿の鞘華が、私の隣にいました。
「………………なにこれ」
五秒ほど経ってから鞘華の胸から手を離し、その感触はまだ手に残っている。
私はすぐに自分の胸に手を当てて、彼女と私の差を体感した。
同時に、何故今こんな状況になっているのかと困惑している……どころじゃすまない。
えーと確か、まずどうしてこんなことになったんだっけ――
『急でごめん』
『いいよいいよ、私だって鞘華ん家に泊めて貰った時は急だったんだし』
そうだそうだ、まず鞘華が私の家に泊まりに来たんだっけ。
第四回イベントの参加者を決めたその日、つまり一昨日に『明日、泊ってもいいかな』って電話が来たね。
それで、鞘華が家事とか色々手伝ってくれてお母さんが凄い喜んでたっけ。
『それに比べてウチの娘は』って言いださなかったことが唯一の救いだね、言われてたら私は泣いてた。
『一緒にお風呂入ろ、百合香』
『うん、いいよ』
それで色々あって、二人でお風呂に入って色々なおしゃべりをしたっけ。
クラスの子がどうとか、SBOがどうとか、最近のドラマやアニメがどうとか。
私と同じシャンプーの匂いがした時の鞘華、すっごい可愛かったなぁ。
元々鞘華は可愛いけど、お風呂上りの鞘華は十割増しくらいに可愛く見える。
これが、湯けむり美少女って奴なんだろうか。
『布団用意出来なくてごめん、鞘華』
『いいよいいよ、百合香と一緒に寝た方が暖かそうだし』
そうそう、それで二人で同じベッドと布団に入ってから………………
「おっ、思い出せない……!?」
私はクラッ、と来て布団の上に倒れた。
マズい、私と鞘華の間に何が起きたと言うんだろうか。
同性だからない、と思いたくても私は鞘華のことが大大大大好きだ。
親友としても、一人の女の子としても……つまり、恋愛的に。
「いや、まさか……いやいやいやいや……」
その過程から出てくる一つの結論を前に、私は全力で首を横に振る。
そんなことはしていない、と私は自分を信じたいけど信じられない。
まさか、鞘華と添い寝するという状況にあまりにも興奮した私が鞘華を襲った――
なんて信じられないし、信じたくない。
「いやいやいやいや……ははは……」
私は今誰かに見られたら、例えそれが家族であったとしても社会的に死ぬと思った。
ので、どうにかして布団から鞘華のパジャマとパンツを見つけ出して、そっと履かせようとする。
「ん……百合香……?」
「あ」
寝ぼけ眼だった鞘華は、目をパチパチとしてから起き上がり私の手元を見る。
そして、一糸まとわぬ自分の姿を見てから私を見る。
「ははっ」
「はははっ」
にっこりと笑顔で笑う鞘華を前に、私は軽く笑い返した。
そして、光の速度で土下座した。
「当方記憶にございませぬが剣城鞘華様に不貞を働き誠に申し訳ございませんでした」
「いや、そんな畏まらなくていいし、そもそも私何もないって」
「え」
私が顔を上げると、鞘華は服を着てからベッドを降りる。
……じゃあ、何でこんな凄い紛らわしい状況になっていたのか。
「百合香、自分の服触って見たら?」
「ん……あ」
私は服の襟やらなんやらをあちこち触って見ると、気が付いた。
暖房がついて乾燥し、暖かな布団に二人でくるまった時の夜。
お風呂に入ってからそれほど時間も経たずに布団に入った、そのせいで……!
「寝汗、か」
「百合香、自分で脱ぎだしてたし……私も便乗して脱いじゃった」
「便乗で脱いじゃったかぁ」
私はホッと胸を撫でおろして、脱力してから布団に倒れ込む。
あぁ、良かった……鞘華に何もなくて、私も何もしてなくて。
本当に良かった。
「じゃ、朝ごはん食べよっか、百合香」
「うん。食べる」
冷蔵庫の食材に関してはある程度自由にしていいと許可を貰っているので、鞘華一人でもアレコレ出来る。
まぁ、私も最近は鞘華に料理を教えて貰ったからお手伝いくらいは出来るし。
「朝ご飯食べたら、鞘華はどうするの?」
「兄さんのお見舞いに行くよ、兄さん病院で『飯の味が薄くて死にそうだ』って嘆いてたし」
「あー、勇一さんは濃い味好きだったよね」
鞘華の作るご飯の中でも、勇一さんが好きなのはしっかりと味が染みたような物が多い。
お味噌汁とかにはわざわざ一味唐辛子をかけたり、焼き鮭にわざわざ塩を振ったりする。
まぁ、彼は代謝が良くて汗をかきやすいから塩分が欲しいのはわかるんだけども。
病院じゃよっぽどのことがないと汗なんてかけないんだし、薄味のご飯は我慢するしかないと思うなぁ。
それに、味だけならVRでもご飯は楽しめるんだし。
「だからまぁ、リンゴでも剥いてあげようかなって」
「わお」
鞘華はそう言って買い物袋に入ったリンゴを見せてくるけど、数が凄い多い。
ぱっと見十個くらいありそうだけど、そんなに買ってどうするつもりなんだろう。
「にしても……春さんも大変だったよね」
「そうだね。私たちみたいに逃げることも許されなくて、抵抗する手段を教えてくれる人もいなかったんだし」
鞘華の唐突な話に少し驚いたけど、やはり話の内容には共感しかない。
彼女は僅かな自由すら奪われそうになっていたのだから、勇一さんが怒った気持ちもわかる。
だから、彼がああして獅子王さんって人と大喧嘩をしたことについてはバカだと思ったりはしない。
むしろ英雄みたいで、私はその行為にカッコいいと思ったよ。
「だからさ、百合香」
「うん」
「今ある自由にありがたみを込めて、楽しもっか」
「……うん、そうしよ」
と、私たちは朝からなのにこんなシリアスな話をしながら朝食をとったのだった。
……鞘華の料理が、お母さんの料理よりも美味しく感じて脱帽した。
数時間後、着替えてからあれやこれやと準備した私たちは勇一さんのいる病室へ来た。
彼の寝ているベッドの隣にいる獅子王さんは、何もない所をじっと見つめていた。
「こんにちは、勇一さん」
「おうこんにちは、相も変わらず妹と仲が良さそうで何よりだ。百合香」
左手と右足を吊られ、自由な右手でARデバイスをいじる勇一さんには覇気みたいなものがなかった。
こう、いつもの勇一さんは相対したら『マズい』と人に感じさせる覇気のようなものがあったんだけど。
今の彼はすっかりと腑抜けたというか、電池の切れた玩具のようにぐでっとしている。
「兄さん、なんか意気消沈してない?」
「するよ。折角VRなら先輩とまた戦えると思ったのに、挑めなかったのは辛ェよ」
「あー、N・ウィークさんですか」
N・ウィークさんも暫くSBOから離れる……とか言い出したんだよね。
だから、現在集う勇者もあまり勢いがない状態で第四回イベントについては不安だ。
勇一さんことブレイブさんはまだ、今の体とアバターの感覚が妙にズレてるみたいだし。
N・ウィークさんがいないと勝利を得るのだってきっと難しいだろうし、私は心配だ。
「ほら兄さん、剥けたよ」
「おう、サンキュ」
勇一さんと話しながらリンゴを剥いていた鞘華は、剥き終えたリンゴを勇一さんに渡した。
丁寧にカットされていて、とても綺麗な形に切れていて美味しそうだ。
私がやったら実も一緒に剥けちゃうだろうし、鞘華みたいに皮を一つに繋いだまま剥けないだろう。
「はいあーん」
「自分で食えるよ」
鞘華はわざわざ爪楊枝に刺してからそれを口元に近づけるけど、勇一さんは右手で受け取って食べた。
シャクシャクとしばらく咀嚼してから飲み込んで、勇一さんはふぅ、と息をついた。
「……久しぶりにまともなもん食った気がする」
「病院じゃ果物も出ないの?」
「あぁ、残念なことに出て来なくてな……ペースト状の何かばっか食わされた」
勇一さんの表情からは、その何かとやらは全然美味しくないものだったんだと伺える。
同時に、勇一さんの視線は鞘華でも私でもなく何もない空中にあるということにも。
「あの、勇一さん。ネット記事見ながら返答するのはどうかと思いますよ」
「悪い悪い、どうしても見ておきたかった記事だからな」
勇一さんはそう言いながらARデバイスの電源を切って、頭から外した。
筋骨隆々としていた彼の体も、こうして病院で見ると割と普通に見える。
髪も朝とかに見る時と同じで、昼間とかに見るオールバックじゃあない。
「それにしても兄さん、入院着が絶望的なまでに似合わないね」
「そうか、お前には似合いそうだから今すぐ代わってやってもいいぞ」
鞘華の唐突かつ辛辣な一言に、勇一さんは右手をバキリバキリと鳴らす。
あれ、片手なのにどうやってやるんだろう……マジックかなんかなのかな?
「……病院内だ、少し静かにしてくれ」
「あぁすみません、獅子王さん。妹とそのダチが来てて」
私たちがキャッキャキャッキャとやっていたら、獅子王さんが起き上がった。
彼を見るのは初めてじゃないけど、勇一さんがボコボコにしたせいでミイラ男みたいだ。
全身包帯まみれだし、肌が見える箇所がほとんどない。
春さん曰く『狂っているみたいだった』らしいけど一体何をしたんだろう、勇一さん。
「それで、鞘華。今日ここに来たのは俺にリンゴを食わせるためか? それとも別の用件があるのか?」
「うん、あるよ」
獅子王さんに軽く謝ったあと、勇一さんは鞘華の方に向き直った。
鞘華は少し真剣な顔つきで勇一さんを見るので、私は部屋の隅にある車椅子を持ってくる。
看護婦さんには『車椅子を使うならちょっとの外出は許す』と言われているらしい。
ので、私は鞘華と協力して勇一さんを車椅子へと乗せる。
「っと、悪いなわざわざ」
「いいですよ、剣道教えて貰ってるお礼です」
私は勇一さんの座る車椅子をグッと力を込めて押して、外へと出る。
勇一さんは左手が使えないので、車椅子を動かすのも私と鞘華の役目だ。
「で、わざわざ外で話すってことは……病院内じゃ言えねえことか」
「うん」
勇一さんは既にどれくらい重要な話かわかっているみたいだ。
……鞘華が、何の話をするかは私にはわからないけど、鞘華の目がとても真剣なのが伝わってくる。
だからきっと、これから鞘華のする話はちゃんと聞いておかなきゃいけないことなのだろう。
「春さんがね」
「盾塚のことか」
「兄さんのことが心配で心配で、つい食べ過ぎて5kgも太ったんだって」
驚くほどどうでもいい話! わざわざ車椅子に乗せて外まで来たのに! と、私が言う前に目にも止まらぬ早さで勇一さんが立ち上がった。
左足だけで、そして左足だけで重心を取って。
「どぉぉぉでもええわああああああッ!」
「へぶっ!」
鞘華の頭頂部に、ゴツゥンッ! と凄まじい音が鳴るような拳骨を落とした。
これは、鞘華が悪い……ってことでいいんだろうか。
「お前! この数秒くらい前までバリッバリにシリアスムードだったじゃねえか! それを? 盾塚が? 太ったって? 果てしなくどうでもいい話で済ますなやゴルァァァ!」
「勇一さんキャラブレてます! って言うか片足立ちは危ないからやめてください!」
ここ最近で溜まっていたストレスからか、勇一さんは鬼の如く叫んだ。
……拳骨を落とされた鞘華は痛そうに頭をさするけど、何も言わない。
って言うか、手足折れたり肋骨とかにヒビ入ってるくせに勇一さんの力が強すぎる!
「離せ百合香テメェ! もう限界だ! 溜めたストレス放出させろやゴルァァァァァ!」
「お、ち、つ、い、てッ!」
「がふ」
「あっ」
勇一さんはこのままじゃとっても後悔することになる、ので私は勇一さんを突き飛ばした。
……しかし、そこは丁度勇一さんが骨折していた肋骨の位置だった。
「ゆ、り……か……テメェ……」
この後、看護婦さんやお医者さんたちに二時間ほど説教をされたのは言うまでもなかった。
勇一はなんだかんだ食事にうるさい方なので、看護師さんたちは常に勇一の残念そうな表情と目線とため息を毎日聞いています。
彼がしっかりとした固形物を食べられるようになるのはいつの話でしょうか。