007、脱出先での出会い~巨獣変化~
(くそったれ……)
手にへばりついた血を壁になすり付けながら、どうにか僕は立ち上がった。
まだ眩暈がしたけど、グズグズしていればスライムにやられる。
でも、立ち上がっては見たものの――
(一体どうすりゃいいんだよお……)
どこにも逃げ場はないし、あったとしても逃げ切れるだけの体力はない、と思う。
何か考えようとしても、頭が痛むばかりで思考はまともに働かない。
「くそっ……!!」
ふらつきながら部屋をうろつき、僕は悔しまぎれに壁を蹴りつけた。
と。
ボコンと音がして、足が壁の中にめり込んだ。
「な……」
こけそうになりながら足を引き抜き、空いた穴を見つめる。
壁の向こうは微かに発光するものがある。
(隠し部屋……? けど……)
何があるわからないし、安全だったとしても行き止まりならスライムの餌食だ。
けれど、もう迷ってる暇はない。
ドアがいよいよ大きく軋み始め、スライムの触手も大きくなっている。
「……勝手にしろ!」
僕は本能的に壁を蹴りつけ、穴をさらに広げた。
そして、目をつぶって隠し部屋へと飛び込んでいく。
途端に何かを踏みつけたような気がした。
それと同時に踏みしめていた床が消え、僕はストンと落下していく。
それは何だか、水中に沈む感覚に似ていたような。
(やっぱり、罠かよ……!!)
僕は目を閉じたまま、紫に輝く光の中に吸い込まれていく。
その後、本当に何もかもわからなくなって…………。
――。
「うぎゃあーーーーーーーーー…………!」
僕は悲鳴をあげつつ投げ出され、地面を二、三回転した。
しばらくは動けなかったが、
「…………。……?」
スライムの追撃はない。というか、さっきまでいた小部屋じゃない。
上を見ると、とてつもなく高くて広い天井が見える。
周囲の様子などからして、どうもここもダンジョン内らしい。
しかし、どうもデザインや構造が違うようだった。
より深いところに来たのか、それとも……。
「別のダンジョン?」
何となく、そのほうがしっくりと来るような気がした。
雰囲気というか、空気がまるで違うのだから。
「……また、えらいことになったな」
どうやらさっきの部屋も罠だったらしい。
侵入者をどこかに飛ばしてしまうトラップだろうか。
一難去って、また一難。
「やれやれ……」
一応このダンジョンにも照明はあるけど、まるきり勝手の知らない場所。
迂闊に動き回る気にもなれず、僕は近くの物陰に移動して、ため息。
さっきまでのドタバタで、武器も小盾も失くした。
一応小型のナイフはあるけど、これは武器というより作業道具だ。
水もない。
残っているのは、小さな携帯食料の干し肉くらい。
この状態で魔物に襲われたら、ひとたまりもないだろう。
(かんぜんにぜつぼうだなあ…………)
結局、死が多少引き延ばされただけである。
僕が絶望的状況下の自分を、どこか他人事のように感じている時――
ゴオ、と鈍く腹に響く音が轟いた。
ハッとすると、広いダンジョンの廊下を巨大な何が動いていた。
間違って、スライムじゃない。
ごふう、ごふう、ごふう。
凄まじい呼吸音をたてながら、影を引いて動くもの。
(熊……?)
よくはわからないが、巨大な動物であることは確かっぽい。
ギョロリとした赤い眼が、僕を目ざとく捉える。
逃げようとする前に、巨獣が僕の前を躍り出てきた。
(…………でかい!)
正確なサイズはわからないが、僕には山のように巨大に感じた。
こいつにほんの少しつつかれただけでも、即死ものだろう。
万事休す、と僕が目を閉じた瞬間、地響きがする。
目を開けると、巨獣がだらしなく倒れ伏していた。
まだ呼吸をしているから、死んではいないようだ。
よく見ると、巨獣はあちこち傷を負い、血を流しているようだった。
他の魔物と戦ったせいか、人間の冒険者にやられたのかはわからないが。
(死にかけか……)
自分と同じだな、と僕は自嘲気味に思った。
そう思うと、妙にこの獣に親近感と同情を感じてしまう。
(はぁ……。僕には何もしてやれないけど……)
僕は動かない巨獣に近づき、そっと回復魔法をかけてやった。
人間を少し治すのにも足りない魔法だが、痛みを緩和する効果くらいはある。
(せめて、楽に死にたいだろう。まあ、出来れば死にたくないだろうけどな……)
そう思っていると。
魔法をかけた瞬間、巨獣は赤い眼を開いた。
途端に全身の傷が光の粒子を放って消え去り、カッと熱気が全身からあふれ出す。
「え?」
事態を把握できない僕を、巨獣はぐいと巨大な頭を動かして見つめる。
そして。
獣の巨体が見る見るうちに縮んでいった。
あっという間に、1メートルに満たないサイズにまでなると、
(……あれ? この生き物って)
巨体であった時はわからなかったが、この生き物は――
「タヌキ?」
絵本のカチカチ山でもおなじみの、あの哺乳類だった。
(まさか、化かされたのか? いやでも、ファンタジー世界だから、あり?)
見ていると、タヌキはピョンとその場で一つとんぼ返りをして見せる。
着地した瞬間、1メートル半ほどの背丈となり、全く別の姿に変わっていた。
「どうも、あぶねえところを助けていただき、申し訳ねえ」
妙な口調で話すのは、赤いメッシュの入ったこげ茶髪の、ボーイッシュな美少女。
年齢は多分僕より下っぽい感じに見える。そんな容姿。
どこか着物っぽい、格好だけなら男のような服。
三度笠にマントと刀がプラスされれば、股旅物の時代劇だ。
「あっしゃあ、東の大八島よりめえりやした、赤星の十三郎ってもんです」
「……え? はあ……」
「こうして出会ったのも何かのご縁。一つ、旅は道づれといきましょうや」