69 墳墓
「おかわりをしてもいい?」
「もちろん!」
アルビーの声に僕は弾かれたように立ち上がった。ティーポットを掴むと台所へ走った。
怖かった。あのアルビーと向かい合うことが。でも、初めてじゃない。あんな彼を見るのは、初めてじゃないんだ。いつだった? いつの記憶だ?
同じように思ったはず。怖いって。
頭の中で、目まぐるしく記憶がうねる。機械的にやかんに水を入れ火にかける。コンロの青い小さな焔を覗き込むように見つめていた。
パタンッと、ドアの閉まる音が聞こえたような気がして、ザワッと神経が波立った。慌てて居間を覘くとアルビーがいない。
出掛けたのだ。マリーの言ったように。
追い掛けようと玄関のドアを開けたところで、はっと我に返ってキッチンに戻り、コンロの火を消した。それに、鍵。鍵を取って来なければ。
三階の自室に戻って鍵を握り締め、ダウンを羽織って家を出た時にはもう、アルビーの姿はどこにもない。
でも、行き先は判っている。マリーの言う通り、ハムステッド・ヒースに違いないもの。そこに何があるのか、何をするのかまでは判らないけれど。
走ればきっと追いつける。
そう信じて追い掛けた。
息を切らして走り続け、ハムステッド・ヒースの入り口でやっと、冬枯れた樹々の細い枝が互い違いに絡み合う狭間に、見え隠れするアルビーの背中を見出した。
それなのに、声を掛けることが躊躇われて……。
つかず離れず彼の後をつけながら、その背中を見つめていた。
このままアルビーがどこへ向かうのか、何をするつもりなのか、見届けたい気持ちがむくむくと湧き上がっていたのだ。その前に、こんな遊歩道を歩いていれば、彼に気づかれる方が先だろうという気もしていたが……。
彼の歩調に合わせて距離を取った。この時期にしては珍しく、青みの強い空が広がっている。すっきりとした晴天、という訳にはいかないけれど。
アルビーは急いでいる訳でもなく、かといってだらだらとしたふうでもなく、淡々と歩いている。後ろを振り返ることもなく。ただ真っ直ぐに。一瞬彼の中に垣間見たあの虚無が嘘のような、しっかりとした足取りで。
単に散歩に出ただけなのだ。と、思い出しさえしなければ、きっと僕はそう思ったに違いない。
今日のようなアルビーを見たのは、確かに二度目。一度目は、あの時。カーテンを付け替えた日だ。
――相手してあげようか?
そう言った彼は、意味を解さなかった僕を見切って部屋を出て行った。その翌日だ。あの時もマリーは怒って、その晩帰って来なかったアルビーを酷く心配していたんだ。
記憶の欠片を寄せ集めながらアルビーを追うことに気を取られていた僕は、木立に沿った遊歩道を外れ、広々とした芝地に出てからやっと、ここがどこだか気がついた。
ケルトの女王ブーディカの塚……。
足が止まっていた。崩れるようにその場にしゃがみ込んでいた。込み上げる吐き気に、両手で口を覆う。胃が捩じ切られるように痛い。
恐る恐る見上げていた。見たくなんてないのに。両手で口を押さえたまま。こんもりと盛り上がる小塚を囲む常緑の松。葉の落ち切った落葉樹の尖った枝。そして、痛ましく焼け焦げた幾本もの樹々。その影絵のような黒い枝が薄く広がる金色に浮かび上がる。朧な斜光がチリチリと樹々を燃やしている。あの日のように……。
あれが全ての間違いの始まりだったのかも知れない。あるいは、神聖な墳墓を荒らされた女王の呪いか。僕は呼び戻されて来たのか。この地へ……。
「コウ」
差し伸ばされた手に、しがみついていた。そのまま抱き抱えてくれたアルビーにしがみついて震えていた。その一点に吸い寄せられ、縫い留められていた瞼を引き千切るようにぎゅっと瞑る。
「コウ」
返事をしたかった。
僕はここだよって。
「コウ」
「諦めないよ。信じているんだ」
喉の奥から掠れるように出て来たのは、思いがけず、そんな言葉だった。




