38 ツリー
この頃アルビーは機嫌がいい。アルビーだけじゃない。街中がどこかうきうきとしている。クリスマス休暇が近づいているからだ。逆にマリーは、そわそわと落ち着かない。忙しさにかまけて、クリスマスの準備を何もしていなかったからだ。「パパとママががっがりする!」と言って、今頃になって慌てふためいている。
マリーのご両親が帰ってくると聞いて、僕は少しづつ家全体の掃除に励んだ。あまりに伸び放題になっている庭木にも手を入れた。今までマリーのお母さんが手入れをしていたらしく、庭の片隅にある倉庫にはガーデニングの道具が揃っていた。
僕はきっと、アルビーやマリーよりもずっと、この家のどこに何があるかを把握しているに違いない。
大学が休暇に入るとすぐに、マリーに頼まれて一緒にクリスマスの飾りつけをした。玄関のドアを開けて届いたツリーを見たときには、びっくりしすぎてぽかんと見あげてしまったよ。一般家庭でこんな大きな、本物のモミの木のツリーを飾るなんて思ってもみなかったんだ。マリーは、買いにいくのが遅すぎて、枝ぶりが今一つだし、色も良くないのしか残っていなかったとブツブツ言っているけれど。
家のことは何もしないマリーも、ツリーの飾りつけだけは別だ。倉庫から大きな段ボール箱に入った飾りを出してきて、一つ、一つ僕に説明してくれながらツリーに吊るしていく。金や銀、透明に透かし模様の入ったガラスボールや、可愛いミニチュア。レースで出来た雪の結晶。ツリーの周囲を嬉々として動き回っている彼女は、いつもの威圧的で高ぴしゃなところがなくて、何だか可愛い。
「この星もアルが作ったの。綺麗でしょ」
最後にツリーのてっぺんに、しなやかなマリーの手が繊細なレース細工のような銀色の星を飾る。
僕は少し離れたソファーに腰かけ、完成したツリーの全体像に悦に入って見とれた。
マリーも一、二歩下がってうっとりと星を見あげ、誇らしげに微笑んでいる。
その姿に、やはりマリーはアルビーのことが好きなんじゃないのかな、って思った。それとも、兄妹みたいな間柄でもこんな顔をするものなのだろうか? 一人っ子の僕にはよく判らない。
マリーも、アルビーも、いつもごく当たり前にハグして、互いにキスし合う。僕が驚いて固まっていると、「アルは家族だもの。イギリスではこれが普通なの」と、ふんっと鼻で笑われた。でも唇にしているのを見たのは、あの一回きりだ。やっぱりあの時のキスは特別だったのだと思う。
こういう過剰なスキンシップに慣れていないから、僕は彼らから見て赤ちゃんって言われるのかな、って気もするけれど、こんな事で精神年齢を測られるのも、なんだか理不尽だ。
僕からすると、日常生活に無頓着で勝手気ままな二人の方が、よほど我儘な子どもに思えるもの。毎日耳にタコが出来るくらい、サーモンおにぎりを連呼されたり……。アルビーのピアスを借りて、もうたくさん、って暗黙の抗議をしたいくらいだ。通じないだろうけど……。
とは言え、マリーにはずいぶんとお世話になっているのは確かだから、できるだけ彼女が満足できるクリスマスを迎えられるように手伝いたい。
アルビーにも――。
パブで酩酊して迷惑をかけたことを謝り、もう絶対にお酒は飲まないと彼に誓った。アルビーはなんだか優しかった。マリーみたいなキツイ嫌味も言わなくて。平謝りに謝る僕に、「うん。まぁ、酷いことにならなくて良かったよ」とさらりと言うだけで終わらせてくれた。ちょっと拍子抜けするほどだ。
念のため、僕はどれほど酷い醜態を晒してしまったのか尋ねたのだけれど、彼は、「普通の酔っ払いがすることと変わらないよ」と笑うだけで、詳しいことは教えてくれなかった。
ショーンの話では、アルビーは僕をトイレに連れていって、意識の朦朧としていた僕の口に自分の指を入れて、まず吐かせたらしい。急性アルコール中毒かもしれないからって。それにタクシーに乗ってから吐くと困るから。僕は素直にアルビーに従っていて、ちゃんと返事もしていたらしい。
タクシーを待つ間、ペットボトルの水を買ってきてくれたのはショーンだ。その間、泥酔状態の僕の体温の低下を防ぐために、アルビーはずっと抱き抱えてくれていたって。彼が僕のベッドで寝ていた理由も、これで合点がいった。僕を温めてくれていたんだ。朝起きた時には、朧な夢のような記憶しか残っていなかったけれど。なんだろう――。意識ではなく、皮膚がその温もりを覚えている。どこかふわふわとした、心地良い……。
「コウ」
消えかかっていた記憶の残滓がちりちりと浮かびあがってきていたのに、マリーの明るく弾んだ声にかき散らされる。
「次はファブリックよ。クッションカバーもクリスマスカラーに変えるの」
楽しそうに別の段ボール箱を開けている彼女に、「OK」と返事をし、僕はあちこちに散らばっているクッションを集めるために立ちあがった。




