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霧のはし 虹のたもとで  作者: 萩尾雅縁
Ⅱ.冬の静寂(しじま)
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36 夢現

 目が覚めるとベッドの中だった。窓の外はまだ昏い。

 やたらと喉が渇いていた。

 起き上がろうと頭を起こすと、くらくらと眩暈がする。頭が重い。

 パタンと枕に頭を戻し寝返りを打つ。ぎょっと眼を瞠った。眼の前に流れる柔らかな髪。仄かに浮かび上がる白い顔――。


 アルビーが――、僕の横で寝ている。


 思わず凍りついて息を止め、次におそるおそるちゃんと服を着ているか確かめた。アルビーは?


 大丈夫だった……。


 ほっとしても、一気に暴走しだした心臓のバクバクは止まらない。何だって僕はこんな馬鹿な心配をしているんだと、かえって恥ずかしい。この状況を理解しようと必死に記憶を探るのに、頭はぼんやりとして上手く働かない。

 それより、喉が渇いているんだ。何か飲まなきゃ。考えるのはそれからでいい。


 アルビーにぶつからないように躰をずらして、今度こそ起き上がろうと肘を立てる。


「水、サイドボードにあるから」


 その声に、また心臓が止まりそうになる。慌ててくるりと背中を向けて、言われた通りに目を凝らした。薄闇の中にぼんやりとペットボトルらしきものが見える。手を伸ばして掴むと、頭だけ起こして一気に飲んだ。深く、息を吐く。


「コウ、」


 躰がびくりと震えた。


「エール、どのくらい飲んだの? いきなりひっくり返るから心配したんだよ」


 穴があったら入りたい。なんて思っても、隠れる場所も、逃げ込める場所もないので、僕は上掛けを巻き込むように胸元で握りしめ、小さな声で「パイントグラス二杯」と答えた。


 アルビーの声で、何となく思いだしたのだ。おそらく、僕は酔っ払っていて、上手く立つこともできなくて、それから……。気持ちが良くなって眠っていた気がする。


「気分は? 頭痛はない? 吐き気はもう収まってる?」

「吐き気?」

「聞こえないよ、こっちを向いて、コウ」


 アルビーの優しい声音に、身がすくむ。アルビーの指が僕の肩にかかる。首筋に滑る。


「コウ」


 ドクドクと脈打つ血管の音が聴こえる。


「薬を飲んでおく? あれだけ吐いたから、もうアルコールは残ってないかと思ったけど。コウは特別アルコールに弱いみたいだ」


 吐いた?


 思わず、アルビーの側に顔を向けた。首筋に当ててあった彼の手を下にして。アルビーはその手で僕の後頭部を支え、反対の手で額にかかる髪をかきあげる。薄闇の中じっと僕を見つめている。

 僕は反射的にぎゅっと目を瞑って眉を寄せていた。


「薬はいらない、と思う。……頭は重いけどそこまで痛くはないし、むかむかしているけど、吐くほどじゃない」

「ん」

「大丈夫だよ」

「良かった。じゃ、おやすみ」


 アルビーは、そのまま僕の頭を抱え込んで、自分の方がすーと寝入ってしまった。僕は目を瞑ったまま。



 バクバクしていた心臓もその内静まってくると、僕は、自分でも信じられないことに、僕を包むこの温かさに身を浸しきって心地良ささえ感じていた。


 どこか懐かしさを感じるこの香り。アルビーの体温に包まれた僕は、赤ん坊だ。羊膜に包まれ、何にも傷つけられることのない――。


 赤ちゃん、と言われることがあんなに嫌だったのに、今の僕はそれを自ら望んでいた。きっと酔っ払っているからだ。これはきっと、酔っ払いの僕が見る夢。朝になれば、覚めてしまう短い夢。だからいいのだ。今はただこの羊水の中に漂っていても……。




 酔いから醒めた自分が赤ちゃんではいられないことを、僕はどこかで知っていたのかも知れない。

 現実は容赦なく、人はいつまでも幼いままではいられない。


 だからアルビーは、ほんのひと時の安らぎを、僕にくれたのかもしれない。



 後にこの一夜(ひとよ)のことを思い返す度、そう思わずにはいられなかった。



 




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