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霧のはし 虹のたもとで  作者: 萩尾雅縁
Ⅰ.秋の始まり
21/193

19 ハムステッド・ヒース1

 アルビーは本当に解らない。

 揶揄われているんだか、挑発されているんだか。僕が赤くなったり蒼くなったりするのを、楽しんでいるとしか思えない。そんなアルビーは意地悪だ。


 ポケットに手を突っこんで歩いているアルビーの背中を、僕は恨めしく睨めつける。とたんに青灰色の薄手のコートが翻る。やっぱり彼には背中に目があるんだ。


「ここの店でいい?」


 道向かいのベーカリーを指差している。でも僕の返事を待つこともなく車道をつっきっている。僕は慌てて彼の後を追いかける。イギリスの横断歩道はあってないようなものだ。赤だろうと車との距離を見計らって道路を渡る。こういう車道でもそう。タイミングを逃してはいけない。




 アルビーは歩くのが速い。コンパスの違いだなんて思いたくないけれど。彼に歩調を合わせていたら息が切れてくる。おまけに、歩きながら彼は僕にいろいろ話しかけてくる。だから遅れないように僕も早足。珍しく、僕のことを訊いてくれているんだ。家にいるときはこんなに話なんてしないのに。


 ハムステッド・ヒースの入り口で、アルビーは僕に来たことがあるか、と訊ねた。僕は頷いた。いつも家にいると思っていた、と言うので、引っ越してくるまえに友人と何度も来たのだ、と答えた。



「あの、サラマンダーを買った友人?」

「え!」


 僕は驚いて止まっていた。あの時、そんな詳しい話をしたっけ? 急いで一言一句、何度も頭の中で繰り返したあの日の記憶をもう一度再生し始める。あるわけがない記憶を探す。


「赤毛の男の子の人形だろ? 彼の作った男の子の人形は二体しかない。一体がきみの友人の買ったサラマンダー。もう一体はグノーム。もともとあれは、ウンディーネとシルフの少女人形を加えた四大精霊のセット人形なんだ」


 振り向いたアルビーは、なぜか怪訝そうに眉根をひそめている。


「もう疲れたの?」


 僕は慌てて息をついだ。貧血を起こしたときみたいに頭がグラグラしていたのだ。顔色も悪いのかもしれない。深く息を吸いこんで頭を振る。


「まさか。こんなの歩いたうちに入らない」



 その枝にわずかばかりの葉を残すだけの寒々しい樹々の沿った、緑の芝生をつきぬける舗道に足を進めた。樹々の狭間には背の低い常緑樹の濃い緑がそこかしこにのぞき、目に優しい柔らかな風景が広がっている。最後に来たときのような、初夏の眩しい煌めきはすっかり鎮まってはいるけれど――。


 ハムステッド・ヒースは、とても公園なんて言葉からは想像できない、広大な自然が広がる自然保護区域なのだ。その東南にあるパーラメント・ヒルは市内で一番標高の高い丘で、ロンドン市街地が一望できる。

 マリーはそこで待っているという。午前中、友だちと公園内のテニスコートでゲームをするので、その後で落ちあおうということだった。



 僕は人形から話題を逸らせようと気が急いていたせいか、声が大きくなってわざとらしく笑っていた。


「きみの友人を紹介してもらえないかな? その人形を見てみたいんだ」


 今度こそ、全身の血がぬけるような気がした。


「無理。もう友人じゃないんだ。元友人。どこにいるかも知らない」

「――元、友人。ずいぶん簡単だね」


 アルビーの冷めた口調に、心臓が凍りついた。


「そうだよ、簡単だよ」



 きっと、このとき僕は、今までずっと認めたくなかった事実を突然はっきりと突きつけられて、認めさせられたのだ、と思う。


 ――ああ、僕は、なんて簡単に、捨てられたのだろう。


 友だちだって信じていたのは、僕だけだったんだなって。


 心が痛すぎて、泣きだしてしまいそうだった。だから僕は俯いたまま歩く速度を速めた。今度はアルビーの方が一歩遅れて僕に続いた。



 いつしか道を逸れ、濃い緑に覆われた芝の緩やかな傾斜をのぼっていた。アルビーはもう話しかけてこない。きっと僕に呆れてるんだ。

 ずいぶん簡単に友人を切り捨てる冷たい奴。

 きっと、僕のことをそんなふうに思っているに違いない。


 怖くて面があげられない。彼の方を振り向けない。そんな意識していたわけではないけれど、僕は彼から離れたかったのかもしれない。どんどん足を速めていた。アルビーの気配は感じるのに、彼がどこにいるのか判らない。



「アル! コウ! ここよ!」


 マリーの声に反射的に顔をあげる。気づかないほどの霧雨が降っている。涙雨だ。空が僕のために泣いてくれている。


 ぼんやりと空を仰いだまま立ち止まっていた僕の許へ、マリーが駆けよってきた。

 





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