15 人形
マリーが人気のデリで買ってきてくれたラザニアをメインにして、久しぶりに三人揃って食卓についた。彼女はサラダまで買っていたから、僕は缶詰のスープを温めるだけでよかった。
あんな葉っぱが詰まっているだけのお惣菜を買わなくたって、自分でサラダくらい作ればいいのに。なんて、マリーの発想にはないらしい。もっとも僕だって日本にいる時は、そんなことは考えもしなかったけれど。
家事なんて、一人暮らしをするようになれば自然に身につくものだと思っていたのだが、決してそうではないということが、この二人を見ていてつくづく解った。
マリーも、アルビーも、自分のしたいことしかしない。それに、したいようにしかしないんだ。でも、家の掃除や洗い物等、誰かがしなきゃ困るってことも、ちゃんと判っている。
だからマリーは、今日みたいに、時どき御馳走を買ってきては僕を労ってくれる。そしてそれにかこつけて、アルビーを部屋から引っ張りだして、僕という他人と会話するように仕向けている。
だけど今晩の食卓は静かだった。マリーが喋らないからだ。今までも、たまにそんなことがあった。感情の起伏が激しいマリーは、怒るとずっとダンマリを続けるんだ。自分はいったん口を開けば溶岩が吹きだす活火山だってこと、ちゃんと自覚があるのだと思う。
静まりかえった空気の中、不機嫌なカトラリーの音ばかりが耳につく。
これまで僕は、こんな重たい空気の日には、なんとか取り繕おうと話題を探して喋っていた。けれど、今日ばかりはそんな気分になれなかった。
せっかくのラザニアの味も、なんだかよく分からないまま食べ終えて、早々に食器を片づけた。マリーも、アルビーも、今日は食べ終えた皿をちゃんとシンクまで持ってきてくれた。
これは僕が決めたルール。
使い終わったらシンクへ!
そうしないと、とんでもないところから、とんでもないものが出てくるんだ。カーペットの下からナイフとか。飾り棚に飾ってあるのかと思ったら、カビの生えた食器だったり。アルビーのマグカップなんて、しょっちゅうクッションの下に転がっているんだから。
次こそ、寝転んでの飲食禁止って言わなくちゃ。
だけど僕は洗い物をするのが嫌いじゃない。ずっと部屋に籠って勉強だけしているせいか、単純で頭を使わない作業がいい気分転換になっている気がする。
わざとゆっくりと食器を洗った。僕はアルビーとマリーがデザートを食べ終えて二階へあがるのを待っているのだ。いつもなら、みんなが食べ終えるまで洗い物は始めない。マリーがデリカシーがない、って怒るから。でも今日はやることがたくさんあるから、って前もって断っている。僕の分のデザートは部屋で食べるって。だからといって、忙しい僕に合わせて急いで食べてくれるような二人ではない。
すべて食器を洗い終えた頃、二人はようやく二階へあがってくれた。僕はほっと息をつく。
足音を忍ばせて隣の居間へ入る。きらきらしたシャンデリアをつけると、窓を占領する蔓薔薇のカーテンがとてもゴージャスに見えた。
この前にアルビーが立つと、とたんに絡みつくような閉塞感を覚えるのに……。
でも、今はそれどころじゃないんだ。
僕は息を殺して飾り棚を開けた。
そっと人形を持ちあげる。意外にずっしりと重量がある。落とさないようにと手に力が入った。首に指を沿わせて、ふわふわの髪の毛を掻きあげた。
あった。首の後ろの刻印。アビゲイル・アスター。
イニシャルは、A.A。――あの万年筆と同じだ。
僕が閉鎖的で、他人に興味を示さず、ちっとも歩みよろうとしないって言うのなら、僕にだって考えがある。だいたい、ここに地雷があるって教えられているのに、歩みよれるわけがないじゃないか!
マリーは肝心なことはぼかして教えてくれないし、アルビーは……、まるで宇宙人だし。
せめて地雷に触れないように。また三人で美味しくご飯が食べられるように。情がないように思われていても、僕だってそれくらいの想いは抱いているんだ。
なんだか泣きだしたいような気分で、そっと人形を棚に戻した。
人形は「赤ちゃんだね」と言ったときのアルビーのように、少し揶揄うように微笑んでいるようだった。




