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霧のはし 虹のたもとで  作者: 萩尾雅縁
Ⅲ.春の足音
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104 旅22 王の城跡

 アーサー王の誕生した城と伝わるティンタジェル城は、広大な大西洋を見下ろす、吹き上がる風と打ち寄せる荒波を受ける断崖の上に、廃墟と化して佇んでいた。

 正しく(つわもの)どもの夢の跡、といった風情だ。

 緻密に積み上げられた石塀が、丈の低い牧草に覆われた岸壁の至る所に散見でき、かなりの急勾配の階段で繋がれている。


「まずは、ケルトの僧院跡からね。城跡まではかなりキツイわよ。あなた、大丈夫?」

 僕の体力を気にしているらしいコリーヌに、ショーンは、

「なぁに、ゆっくり行けばいいさ」

 と、のんきに笑っている。


 その心配はもっともだ。二つの断崖を繋ぐ手摺り付きの階段は、時に垂直に切り立った断崖絶壁の辺を沿い、果てしなく遠く見える城跡へと続いている。


 行くけどね。ここまで来て無理だなんて言わない。


 強風に煽られる度、身を竦ませながら階段を進んだ。ショーンが心配そうに時折振り返り声をかけてくれる。

「ちゃんと手摺りを掴んでおけよ」

 吹き飛ばされる。なんてことが冗談にならない。



 九十メートルにも及ぶ石段を下りて、上って、息を弾ませ汗まみれになって、無事城跡の地面に降り立ち崩れた石壁の上に腰を下ろした時には、皆、大きく吐息を漏らしていた。


「こんなに緊張したのは久しぶりだよ。コウが風に攫われるんじゃないかと本気で怖かった」

「見るからに軽そうだものな」

 大袈裟にため息を吐くショーンに、ミシェルまでもが頷いている。


 ここは、女の子を心配するものじゃないの? レディファーストだろ、普通は。


「全くねぇ。体力もないし」

 当の本人が平気な顔で、ずけずけと言ってくれる。


 僕はどうも、こういう場所が駄目みたいだ。高所恐怖症だと思ったことはなかったのだけど。断崖は駄目だ。脚が竦んでしまう。だからどうしても皆よりもペースが遅れてしまって、心配かけてしまったみたいだ。





「危ないぞ! あまり岩壁の端に寄るなよ!」


 ショーンに腕を掴まれ、我に返って後退る。

 叩きつける波音が響いている。風がうなりを上げている。甲高い海鳥の声が交ざり合う。


「ありがとう。助かったよ」


 気が抜けて、剥き出しの岩肌にぺたりと膝を崩した。ショーンは僕から目を逸らすことなく、心配そうに腰を落とした。


 僕は愛想笑いを浮かべ、肩をすくめてみせた。

「トラウマなのかな? ここに来るまではそんなふうに思ったことはなかったんだけどね、」

 ショーンが軽く頷く。

「こんな断崖から落ちたことがあるんだ。海じゃなくて、滝壺にだけどね。その時は怖いなんてそんな、思わなかったのにな。ここに来てなんだか足元が覚束ないんだ」


 波の音が、僕を呼ぶ声に聞こえて。僕を急かし駆り立てるように、風に、この袖を引かれているような気がして。


「でも、大丈夫だよ。風は僕の味方だから。飛ばされたりしないよ」

「四大精霊の一つだから?」

 ショーンの頬が緩む。僕も負けじと微笑み返す。

「いい風だよ。ここの風は」


 自由で。


「不思議な国だね、きみたちの国は。自然が生きている」


 それは日本だって変わらないはずなのに。

 この地の風はずっと自由で、たくましい。そんな気がして。



「ここはイングランドだけど、イングランドじゃないからな」

「コーンウォールだ。ケルト、……太古の民の末裔の地だね」


 

 黄泉の国の物話は、様々な神話で語られている。多く、それは地下にある常闇の国であり、生者が訪れると容易には帰って来ることのできない国でもある。

 だがケルト神話の死者の国は異なる。後に天国のイメージのひな型になる楽園だ。重傷を負ったアーサー王は、生きたままその世界、アヴァロン島にたどり着く。その地は、僕たちも訪れたグラストンベリー、トーの丘だと言われている。

 老いも病もない死者の国(マグ・メル)は、いつかアルビーが話してくれた虹の橋のたもとに広がる草原と重なる。


 ケルト神話の世界では、神々、妖精、死者の世界は現実の世界に重なっている。選ばれた者ならば、生者でも自由にその世界を行き来することができたのだ。

 曖昧に重なり合うこの世界を分断し、明確に棲み分けさせたのはキリスト教だ。楽園への入り口を塞ぎ、巧妙に隠した。


 そのはずなのにこの地は、それにグラストンベリーにしろ、その支配から解放されているんだ。



 その事実が、僕には不思議でならなかった。


 





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