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異世界は思ったよりも……

男爵令嬢は振り向かない

作者: 大川雅臣

□ レティシア

□ 近付くならともかく、遠ざかるとか絶対に嫌です!


 長閑な陵丘に囲まれた草原で私――レティシア・ブラウディはリーゼロット様と二人でのんびりとお茶をしていました。

 開放感に満ち溢れたここは余りにも気分が良くて、ちょっと昼食を食べ過ぎたのは仕方のないことでしょう。


「ありがとう」


 私は紅茶を入れてくれたケット・シーにお礼をいいます。

 ケット・シーは知らない人が見れば猫人族かと思う容姿ですが、本当のところは精霊です。

 リーゼロット様の召喚魔法により現世に顕現化した姿は、まるでバトラーの様な装いで、甲斐甲斐しく私たちの世話をしてくれました。


 簡単に召喚魔法といいましたが、この国でこれほどの魔力を秘めた精霊を召喚出来るのは、リーゼロット様だけだと思います。

 それくらい召喚魔法は珍しく、私にも使えません。

 その代わり、リーゼロット様には使えない精霊魔法を使うことが出来ます。

 でも、出来れば私も召喚魔法を使えるようになりたいです。


 そんなことを考えていると、まるでエメラルドの宝石で出来たような、鳥の姿をした精霊ピクシルが偵察を終えて戻ってきました。


「そろそろですね。

 少し予定とは違うようですが、手こずっているようでしたら仕留めてしまいましょう。

 獲物をそのまま置いておけば文句も出ないと思います」


 ピクシルは懐いた様子で、リーゼロット様の肩に止まり羽を休めています。

 毛繕いをする姿が可愛らしく、つい手を触れたくなります。


 あぁ、もぉ、どうして私は召喚魔法が使えないのですか!?


 そんな気持ちを表情には出さないように留めます。

 だって私は貴族ですから、表情を読まれないようにするのは基本なのです。


「顔が緩んでいますよ、それでは怪我の元ですね」

「準備します」


 私は気が逸れたことを誤魔化すように準備に取りかかります。


 片手持ちのワンドを手に席を立ち南を向き、軽く深呼吸。

 トレントと呼ばれる魔樹を素材として作られたこのワンドは、王都学園の最優秀生のお祝いとして、お父様とお兄様にプレゼントして頂きました。

 美しい銀細工で飾られたロッド部分の先端には、同じく銀細工で水竜の頭部が彫られ、咥えるようにして青い魔魂で出来た水晶が嵌められています。


 こうした魔法の補助具がなくても魔法は使えますが、あればあったで苦手な魔法の制御を補助してくれますし、そのまま武器として用いることも出来ます。

 私の場合は、どちらかというと武器として使用することになります。


 魔法の杖は高価な物ではありますが、私が必要とするレベルでは物足りず、自分で制御した方が早く正確でした。

 それでも苦手な土と風の属性魔法を使うときには助かるのですが、実は殆ど覚えていないので……


「レティシア様、使うのは下級魔法までとします。

 代わりに数は出来るだけ多く、最低でも一〇はクリアしてくださいね。

 九割ほど当たれば十分です。

 それで仕留められなければ、もう一度基礎からやり直しましょう」

「うっ!?」


 冷や汗が零れます。


 リーゼロット様は私より二歳年上の一七歳ですが、凄みのある綺麗な人です。

 その綺麗な顔で淡々と出される指示は、今の私に必要な能力を鍛える為のものですが、その課題の設定レベルが高いのです。

 何時もヘロヘロになるまで渾身の力を振り絞って、それでもようやく達成出来るかどうかという絶妙な課題で、手を抜いたら直ぐにわかります。


「行って参ります」


 自分で歩いて帰れるといいな……

 そんなことを考える私の前に、地響きのような音を立ててそれは現れました。


 まず見えたのは、白銀の鎧に身を包む騎士の乗った騎馬が五頭。

 先頭を走る騎馬に乗っているのは、一際豪奢な鎧に身を包んだ騎士であることから、高貴な身分の方だとわかります。


 続いて、それを追うように地響きを起こしている元凶の魔物バシリスクです。

 予定と違うというのは、バシリスクが戦闘状態に入っていたことでしょう。

 尾まで含めると全長一〇メートル近いバシリスクは、一見するとドラゴンのようにも見えますが、蜥蜴の一種らしいです。

 意外と愛嬌のある顔立ちですが、魔物らしい凶暴さと硬い皮膚を持ち、近接戦は難しいと聞いています。


「大丈夫かな……」


 私はリーゼロット様に視線だけでお伺いを立てます。

 高貴な方を前に、安易に魔法を唱えては大事になりかねないからです。

 そんな私の心配も何処吹く風か、リーゼロット様は頷きました。

 どうやらやるしかないようです。


 何か問題があるのか騎馬の動きは遅いようで、今にもバシリスクに咥えられそうな騎士もいました。

 確かに様子を見ている場合ではないようです。


 やる以上は誤射なんて絶対に出来ません。

 何時もより高いプレッシャーの中で私は確実に魔法を組み立てていきます。

 途中で先頭の騎士が、私たちに逃げるよう叫んでいるのがわかりましたが、もう今更です。


 まず下級魔法の『火矢』(ファイア・アロー)を唱え、次いで複写魔法。

 意識下に展開された一〇個の魔法陣に魔力が満たされると同時に、私の前面にも同じ魔法陣が展開し、そこから同じく一〇個の『火矢』がバシリスクに向かって飛び去っていきます。


 我ながら下級魔法とは思えない大きさの『火矢』は、矢というより巨大な槍といった感じで、空気を焼き上げる音と共にかなりのスピードで飛んでいきます。


 ごっそりと減る魔力に立ちくらみを覚えますが、直ぐに第二射の準備に入ります。

 こういう状態異常の時に敵が迫っている状況でこそ、正確かつ的確に魔法を唱えられるようになるのが目的なのです。

 それには常に実戦で鍛え上げるしかありません――と、リーゼロット様はいっておりました。


 土煙を上げて迫ってくる巨大なバシリスクは、八個ほどの『火矢』を受けて、わずかな間ですが火だるまになります。

 ですが、巨大な爬虫類の目がその燃える炎の中で、はっきりと私を捕らえるのがわかりました。


「こ、こっちに来ました!?」

「認知されています。躱せませんよ」

「こ、怖いです……」


 まだ五〇メートルはあるのに、既に地響きが体を揺らします。


「彼の元へ送るのは時期尚早でしょうか?」

「や、やります!」


 近付くならともかく、遠ざかるとか絶対に嫌です!


 ふん!


 再び『火矢』を唱え、続けて複写魔法。

 展開される一二個の魔法陣から飛び立つ『火矢』は、第一射で目標を私に変えて迫っていたバシリスクに、全段が命中しました。

 バシリスクは頭部を炭化させ、(つまづ)くようにしてしばらく進み、大地を削ってその動きを止めます。


「やった! 初めて全部当たった!」


 私は意識が暗闇に落ちていく中で、とても爽やかな笑顔だったらしいです。

 後日、私はリーゼロット様に「戦場で気を失うという、一番最悪な結果でしたと」不合格を頂きました。


 ですよねぇ。


 私は肩を落として再試験の申し込みをします。




■ カイウス

■ 一声掛ければ容易くついてくるだろう


「差し出がましい真似を致しました。リーゼロットと申します」


 俺の前で、膝を折り頭を垂れるのは黒髪の美しい女性だった。

 何度か見たことのあるその女性の名前はリーゼロット・エルヴィス・フォン・ウェンハイム。

 今は家名を名乗ってこそいないが、ここエルドリア王国南部の大領地を治めるウェンハイム辺境伯爵の長女であり、兄の命を救った一人でもある。


「いや、構わぬ。それより礼をいわねばならぬな」

「カイウス殿下の為ならば礼に及びません」

「そうはいくまい。

 命を賭して魔法を使い倒れたとあらば、いくら王族とて恩は感じる。

 そちらの令嬢の様子はどうだ?」


 貴族に身を置く者が、王族の為にその命を掛けるのは当然だ。

 だが、それが出来る者は多くないし、当然だからといって感謝の気持ちがないわけではない。


 俺はリーゼロットの膝に頭を乗せ、気を失っている令嬢の様子を窺う。

 さぞ決死の覚悟だったのだろうと思ったが、その令嬢はにまりと幸せそうに笑って気を失っていた。


 なんともいいようのない気持ちになるが、命に別状はなさそうで安心した。

 あのバシリスクを一人で仕留めるほどの魔術師を、そう簡単に失うわけにはいかない。

 今は素直に命があることを喜ぶべきであろう。


「令嬢の名は何という?」

「レティシア・ブラウディでござます、殿下」

「後で見舞おう。悪いが後始末が残っているのでここまでだ」

「殿下、御令嬢方をここに残されるのですか?」


 部下の一人が苦言を上げるが、知らぬならば無理もない。


「我々がいては返って動きが取れぬであろう?」

「お気遣い感謝いたします」

「そういうことだ、行くぞ」

「ハッ」


 例え理解出来なくても、二度同じ苦言を上げる者はいなかった。

 俺はひたすら走り続けて弱っている馬を労り、その場を後にする。


 リーゼロットは禁呪ともいえる『空間転移』(テレポート)の使い手だ。

 当然、誰にでもその能力を明かしているわけではない。

 暗殺すら容易になるであろうその魔法は、自らをも暗殺の対象とする諸刃の剣だった。

 誰もが脅威を放置出来るとは限らないのだ。

 故に、無闇に人前で使うものではなかった。


 俺は馬を走らせながら、先程の幸せそうな顔で寝ているレティシアを思い出す。

 権謀術数渦巻く貴族社会において、あれほど無邪気な笑顔を見る機会は少ない。

 人前では明るい妹でさえ、部屋では眉間に皺を寄せていることが多いくらいだ。


 兄が上位魔人討伐において大怪我を負い生死を彷徨った時は、王宮内も大いに荒れたものだった。

 俺を次期王にと、担ぎ上げようとする者をあしらうのは面倒以外の何物でもなかった。


 俺は権力も金も自由も全部ある今の立場が気に入っている。

 好き好んで王になる理由なぞ何もない。

 こうして気のあう騎士団とともに国を回り、珍しい物を見て旨い物を食べ、魔物退治をして感謝されているくらいが丁度良い。


「大物は片付けた。今夜は眠っている暇はないぞ!」

「おおっ!」


 俺は騎士たちに発破を掛ける。

 大量発生した暴れ猿の討伐中、突如として現れたバシリスクによって散々な目に遭った。

 だが、何とかバシリスクを引き離したことで、暴れ猿を討伐していた騎士団から戦死した者は出なかった。


 総勢五〇人からなる直轄の騎士団は、エルドリア王国でも実戦経験豊富な部隊となっている。

 騎士団なだけあり魔術師がいない為、バシリスクのように近接戦が厳しい相手には苦戦することもあるが、最悪の場合でも貴重な魔術具を使って倒すという手があった。


 魔術具は補填が簡単にきかない為、安易に使える物ではないが、命に代えられる物でもない。

 ある程度視界の良いところで使おうと思った矢先に、常識外の魔法が飛んできたのを見て刺客かと焦りもしたが、それは全てバシリスクに向かい、一瞬でその命を刈り取っていた。


 あのバシリスクを、二度の攻撃で倒せる魔術師が宮廷魔術師団の中に何人いるだろうか。

 今日みたいなことの為に、魔術師も必要かと思っていたところで、良い者を見付けた。

 さて、どう口説き落としたものかと思ったが、年頃の令嬢であれば生真面目な兄上より俺の方が人気がある。

 だから、一声掛ければ容易(たやす)くついてくるだろう。


「ごめんなさい、無理です」


 後日、約束どおり見舞いに行った先で、俺は人生で初めて誘いを断られるという貴重な体験をした。




□ レティシア

□ 不名誉なことじゃなければ良いのです


「ここにレティシア・ブラウディはおりませんか?」

「ふぁい!」


 突然名前を呼ばれた私は、野菜を突いたフォークを口にしたまま立ち上がってしまいました。

 そんな私の姿を見た副園長のサンドラ女史が、額に片手を当てて溜息をつくのは仕方のないことかも知れません。


 でも違うんです。ちょっと考えごとをしている時に呼ばれたので、条件反射だったのです……駄目ですかね。


「とにかく、午後の講義が終わりましたら必ず園長室に来ますように」

「はい、承知いたしました……」


 副園長が去ると、周りからは声を殺した笑い声が聞こえてきますが、昼時の食堂では仕方がありません。


 ここエルドリア王国の首都にある王都学園は、総勢七〇〇名近い貴族のご子息やご息女が集まる巨大学園です。

 その食堂にはおよそ一〇〇人ほどがいて、私の淑女らしからぬ行為を見ていたことでしょう。


「災難だったね」


 そんな私に声を掛けてきたのは、入学当初からの男友達であるタイラスです。

 貴族の多い王都学園ですが、豪商の跡継ぎや優秀な成績の特待生といった平民も数多くいました。

 なんでも、今の生徒会長が三年前に力ある人材の発掘という名目で、貴族一辺倒だった王都学園の改革を行ったそうです。

 タイラスはその恩恵を受ける特待生でした。


「やってしまいました」

「お兄さんの耳に届かないと良いね」

「はい……」


 お兄様は一年前に男爵位を叙爵し、つい先日聖騎士の称号を得ました。

 早すぎる出世に妬みも多く、私の行動一つが汚点となりかねません。


「呼ばれた理由がわかりません……」

「時期的に園外演習の選抜メンバーに選ばれたのだと思うよ」


 園外演習は成績優秀者を対象とした実戦経験の場です。

 将来進む道を決める前に本当の戦いを経験し、そのまま武官になるか文官として身を立てていくのかを、自分で決めることになります。


 園外演習の候補生に選ばれるのは文武において成績の優秀な者で、当然名誉なことであり、そのまま将来の役職にも影響を及ぼすほどです。

 平民では一人タイラスが選ばれています。

 それにふさわしい実力の持ち主ですが、抜けきらない選民思想を持つ方々には、疎ましく思われているのも事実でした。


「鍛錬する時間が減りそうですね」

「普通は名誉なことと喜ぶところなんだけれど」

「私は不名誉なことじゃなければ良いのです」


 私は分家して男爵家を興した兄に付いて男爵家の一員となりましたが、身の振り方については私の自由にといわれています。

 それでも、家を出たいと伝えた時に了承して貰えるとは、思っていませんでしたが。


 だって普通に考えれば私の身は政略結婚以外の選択肢がないはずですし、それが目的で兄の元に付いてきたのですから。

 でも願いは許されました。

 そんな私が今更名誉を得たところで何にもなりません。

 そんなことより、今は力を付ける為に魔法の鍛錬の時間を出来るだけ作りたいのです。


「実戦経験は、これからのレティシア様に必要なことではありませんか?」

「そうですよね!」


 私は少し伏せていた体を起こします。


 派手で強力な魔法は鍛錬棟で石壁に向かって練習も出来ますが、動く相手に手早く的確な魔法を当てる練習は、実戦でしか得られません。

 実戦で役に立てれば、もっと自信が持てるはずです。


「俄然やる気が湧いてきました!」


 私は胸の前で両手の拳を握りしめて立ち上がります。

 周りで食事をしていた同級生が何事かと、こちらに視線を向けてくるのが恥ずかしかったです。




■ アロンド

■ それはまた随分と変わった子だな


 ここはエルドリア王国、王都トリスティアの王城。

 その騎士の詰め所にある執務室であり、たいていの場合は二人で過ごす部屋でもある。


 相方は少し横柄な態度で執務机に座っているカイウス殿下だ。

 ロイヤルブロンドの髪にターコイズブルーの瞳といった、現王族の特色を強く持つ第二王子であり、今年で一七歳。

 少女の夢が具現化したような容姿を持つカイウスは、自分でも正しく認識しているとおり、多くの女性の気を惹いていた。


 本来であれば既に結婚していてもおかしくない歳だが、当の本人が添い遂げる者は自分で選ぶといい現在に至る。

 あわよくば王位を狙える位置にいるカイウスに、政略の為と自分の娘を押しつけてくる上級貴族に嫌気がさし、今は自軍を持って国防という建前の元、国中を駆け回っていた。


「アロンド、一人口説いて欲しい女性がいるのだが」


 そのカイウスが、私に声を掛ける。

 分厚い本を抱えて書棚に向かっていた私は、ロイヤルウエディングの到来を告げる言葉に振り返る。

 傍から見れば銀色の腰まである髪が舞い、濃紺の瞳を持つ目が見開かれていただろう。


「カイウスもいよいよその気になったか。これで国王様も一安心だな。

 だがマリウス殿下より先に婚姻を済ますのはまずいな」

「そうではない。

 俺の騎士団に魔術師を入れたいと話していたであろう。

 丁度良い使い手が見付かった。

 まだ学生なので、宮廷魔術師団に取られる前にと思ってな」


 私は深く溜息をつき、この場にいるのが自分だけで良かったと独りごちる。


 カイウスは物事を単刀直入にいいすぎる嫌いがあり、誤解を生みやすかった。

 そして、再び自分の婚姻も遠のくことを改めて感じる。

 主君との距離が近いがゆえに、流石に主君よりも先に婚姻は難しかった為だ。


「女は面倒だといっていなかったか?」

「あぁ。今でも面倒だと思うが、多少の面倒は将来性をみて我慢するつもりだ」


 家督に多大なプレッシャーを与えられ、カイウスに近寄ってきた様々な女性の起こした問題を思い出し、今少し時間が必要かと改めて思い知らされた。


「カイウスの口から我慢という言葉が出るとはな。

 ならば私も面倒とはいわず口説いてくるか。

 しかし、何時もなら自分で行くのに何故今回は私に?」

「…………だ」

「は? 良く聞こえなかったが?」


 執務机に頬杖をつき視線を逸らして答える声は小さく、アロンドは今一度聞き直す。


「断られたからだ!!」

「お前が断られたのか……それはまた随分と変わった子だな」


 中身を別とするなら、見目麗しく最高位に近い権力を持つカイウスは、夢見る年頃の少女にとって崇敬にも近い思いを起こさせる。

 そんなカイウスが直に声を掛け、その願いを断る少女がいるとは思わず、私は半ば声を失っていた。


「そうだ。俺に落ち度があったわけではない。

 遠慮ではなく本気で断ったのを見て、園長と副園長が固まっていたぞ。

 あの後は日が暮れるまで雷を落とされていたと思えば、断られたのも一興だ」


 カイウスがその様子を思い浮かべたのか、無邪気な笑みを浮かべる。

 そんな表情を見るのも久しぶりだと私は思った。

 本人が思っている以上に気に入った様子を見せるカイウスを見て、私もまたその少女に興味が沸く。


「とはいえ、俺の方から二度も誘うのはプライドが許さない……が、手放すには惜しい才能だ。

 俺が駄目ならお前が誘えばいい」

「それほどカイウスが拘るのであれば、私も興味が沸いてきた。

 結果は保証できないが、会いに行ってみよう」


 私は目を細めて優しい笑みを浮かべる。

 主君であり友であるカイウスが珍しく自分から声を掛け、それを断った少女。

 カイウスのトラウマともいえる感情を一度壊すには、型にはまらない子の方が良いのだろう。

 そう考え、カイウスの願いを今後の予定に書き加えた。




□ レティシア

□ 嬉しさを噛みしめる時間はまだまだあります


「アロンド様がこちらにいらっしゃっているようです。

 先程、園長と中庭を歩いている姿をお見受けいたしました」

「アロンド様!?」

「うそ? きゃあ、本当ですか!?」

「こうしてはいられないわ、私化粧を直してきます」

「私も行きますわ」


 突然、構内が騒がしくなりました。

 でも私の頭の中にあるのは――


 アロンド様ってどなたでしたっけ?


 もともと社交界に出ることを自粛していた私は、こうした事情に疎いのです。

 わかっては居るのですが、学校を出れば平民として生きていく私にとっては今更覚えたところで、といった感じです。


「レティは行かなくても良いのかい?」


 タイラスが、次々と鍛錬棟から出て行くご令嬢方を目にして、気遣い半分で話し掛けてきました。

 半分なのは、私が興味を示さないことを知っているからでしょう。


「知らない人より、今はこの魔法陣が上手く構築出来ないことの方が気になります」


 私はリーゼロット様からの課題を熟すのに精一杯です。

 次は合格を頂く為に、限られた時間を有効に使わなければならないのですから。


 腕を組み片手のひらを頬に首を傾げて、思わず唸ります。

 魔法陣構築の過程で問題となっているところがわかりません。


「そこは水属性魔法の応用だから、先に『水矢』(ウォーター・アロー)の魔法陣を意識下に構築してから、古代魔法の『硬化魔法』を使うのはどうだろうか」

「そうすると、『水矢』の後に『並列魔法』を使わないといけないでしょうか」

「そうだね。でも三つの魔法を同時に使うのはかなり困難だね」


 二つまでは自信がありますが、三つとなると流石に厳しいです。

 とはいえ、悩んでいても仕方がありません。

 まずはタイラスのアドバイスに従いやってみましょう――と気合いを入れたところで背後から声が掛かりました。


「使う魔法は間違っていないけれど、そこは先に『並列魔法』を使ってから始めるとロスがなくて良い。

 間に使うなら『直列魔法』にすべきだね」

「なるほど……何方か存じませんが、アドバイスありがとうございます。

 それでやってみます!」

「ははは、頑張ってくれたまえ」


 タイラスがびっくりしていますが、背後から声を掛けられたくらいで大袈裟だと思います。


「まずは『並列魔法』……次いで『水矢』……。

 そして…………『硬化魔法』」


 あぁ、混乱しそう!!

 三つ目の魔法陣を意識すると、前の二つの魔法陣が今にも霧散しそうになります。


「じっくりと構築していくより、一気に構築してしまった方が簡単だよ」


 私は名無しさんのアドバイスの元、今一度初めから、今度は一気に魔法陣を構築していきます。

 ようは、前の魔法陣が霧散して効力を失う前に全部構築すれば良いのです!


「『並列魔法』『水矢』『硬化魔法』――『氷矢』(アイス・アロー)


 精霊魔法を示す有機的な模倣の魔法陣が眼前に現れ、次いでその先に古代魔法を示す幾何学的な模様の魔法陣が浮かび上がると、射出された『水矢』が『氷矢』に変換されて五〇メートル先の岩盤に向かって飛んでいきました。

 それは岩盤を僅かに抉って砕け散ると、辺りをキラキラと輝く霧で覆います。


「やったぁ!!」

「レティ、落ち着いて。それから畏まるんだ」


 嬉しさに両手を挙げて飛び上がった私をタイラスが制します。

 でも、喜びを抑えるなんてもったいない!


「なるほど。アドバイスだけで実際に使って見せるか……彼が欲しがるわけだ」

「ありがとうございます。とても素敵なアドバイスでした!」

「どういたしまして」


 思わず名無しさんの手を取って踊り出したい気分でしたが、流石にそれははしたないので自粛しましょう。

 どうせ今夜は嬉しさの余り寝付けないのだから、嬉しさを噛みしめる時間はまだまだあります。




■ アロンド

■ この子の言っていることがわからない


 美しい艶を持つ黒髪を腰の辺りまで伸ばした少女が、印象的な黒い瞳で明るい笑顔を見せていた。

 この国では、かつて厄災をもたらした上位魔人族の髪の色が黒かったことで、黒い髪を持つ者を忌み嫌う傾向がある。

 特に、古い歴史を知識として継承する貴族においてはその傾向が強く、逆に市井においてはほとんど残っていない風習だ。


 貴族の子女であるこの少女は、当然そうした中身のない忌避に満ちた視線に晒され、悪意を受けてきただろう。

 それがわかっている為、家族は社交の場から隠すように、あるいは貴族と縁を結びたい大商人の元へ嫁がせることが多かった。


 だがこの少女は、そんな黒い髪を持つことになんら思う様子がないようだ。

 それが証拠に、こうして王都学園という貴族の集まる場所に身を寄せている。


「魔法陣構築速度をただ上げるだけでは魔力を込める時間が取れないので、威力が小さくなりますね」


 少女は既に私から視線を外し、ノートに向かって考えをまとめ始めていた。


 なるほど、私のことは眼中にないか。

 カイウスが誘いを断られたというのもわかる気がする。


 だが一つの目標をクリアし、その幸せを体全体で表現する様は、こちらまで幸せな気分をわけて貰っているような気持ちになってくる。

 そして忠告を即座に受け入れ、実現する実力を持っていることに驚きを隠せない。


 一五歳といっていたか。

 天賦の才能かそれとも師が良かったか、そのどちらもか。


「いっそうのこと、魔力も圧縮して送り込むのはどうでしょう?」

「理論上は可能だろうけれど、実現は難しいだろうね」


 まさに閃いたという感じで振り向き、独学とは思えない意見を述べてくる。

 私は苦笑しつつそれに答えた。

 もし実現できるならそれは唯一無二ともいえる能力となるだろう。


 例え実現が無理でも、カイウスの騎士団に魔術師をというなら地力に不足はない。

 だが本人の希望は宮廷魔術師団と思える。

 カイウスの申し込みを断る理由があるとすれば、それくらいしか思い当たらない。


「レティシア嬢が目指しているのは宮廷魔術師団かい?」

「私の名前をご存じ――し、失礼いたしました。

 レティシア・ブラウディです――あ……う?」

「アロンド・ベイロードだ。

 こちらこそ失礼、自分では結構有名だと思っていたので名乗るのが遅れた」

「いえ、とんでもありません!

 私こそ勉強不足で申し訳ありません」


 シュンとする姿はどこか小動物的で、ついからかいたくなる。


 続けて挨拶をしたタイラスという青年は平民の出ながら、魔法実技の成績上位に名を連ねる実力者だ。

 残念ながら騎士団には貴族でなければ入れない。


 それは宮廷魔術師団も一緒であり、その才能が埋もれていくことは実に残念だ。

 何かしらの社会貢献に繋がる実績があれば、下級貴族の爵位を与えることも可能だが、学生ではそれも難しいだろう。


「質問に対する回答ですが、私は宮廷魔術師団には入りません」

「おや?

 随分と身の入った練習をしていると思ったけれど、それではなんの為に?」


 踏み込みすぎかとも思ったが、それを訊かなければ誘いようがない。


「もちろん冒険者になる為です!」

「は?」


 この子の言っていることがわからない。


 まずどの辺に「もちろん」が掛かっているのか。

 そして次に、貴族の子女が冒険者とは、余程のことがなければあり得ない。

 男であれば爵位を継げない者が功績を挙げる為に、あるいは生活の為にと冒険者になることもあるが、女性となれば別だ。


 そして、それがさも当然とばかりに言い切ったことも理解不可能だ。

 市井では戦いに身を置く女性がいることは知っているし、この国にも女性だけの王国騎士団がある。

 魔法の鍛錬の為に魔物と戦う女性がいるのも知っている。


 だが、冒険者だと?

 そもそも冒険者とは生活の手段であり、目的ではない。

 だが彼女は目的として明確に冒険者といった。


「わからない……」


 思わず零した言葉を拾い、タイラスが無言で頷く。


「そうでしょうか……」

「カイウス殿下の誘いを断ったのもそれが理由か?」

「はい……不味かったですよね」

「レティシア様、何ってことを……」


 タイラスも頭を抱える様子を見せる。

 一刻の王子の誘いを冒険者になりたいからといって断るなど、前代未聞過ぎて本人には説明できない。

 一応本人も断ったこと自体は気にしているようだが、気持ちは変わっていないと見えた。


 だが、わかったこともある。

 レティシアには絶対に叶えたい大きな目標であり、今はその為に他の全てを(なげう)って取り組んでいるということだ。

 色恋に掛ける時間も惜しいのだろう。


「アロンド様、こちらにいらっしゃったのですか?」

「まぁ、アロンド様。

 このような場所では素敵な洋服を汚されましてよ」

「テラスの方にお茶を用意いたしましたので如何ですか。

 ここでは汚らしい髪の色が目に入りますわ」


 汚らわしいか。


 輝かしいばかりの艶を持つ黒い髪。

 相反する二面性を持つこの髪が汚らしいか。

 ならばそなたらの髪の色は見るにも値しないな。


「レティシア様。

 ここにはアロンド様がいらっしゃるのですよ。

 自らを恥じるならば、速やかに立ち去るべきではありませんの」


 声を掛けてきたのはエルドリア王国の西に領を持つオルロンド公爵家の長女であり、父親は第二王子派。

 つまりカイウス殿下の後ろ盾だと勝手に思っている貴族の、その中でも筆頭だった。

 当然その娘となれば、カイウス殿下の婚約者として一番近い位置にいると自負しており、事実、その資格としてならば申し分ないだろう。


 裏付けのある自信が高慢な態度となって現れるのは仕方のないことか。

 恐らく、その様に教育もされているのであろう。

 その様な態度を好まないカイウス殿下が、彼女を避けているのは皮肉だが。


 手入れの行き届いた豪奢な金髪を持つ令嬢が、自らの髪を誇るように手で払い、蔑むような目でレティシアを見ていた。


「パメラ様、何もその様な言い方は――」

「まぁ、みなさん。平民が何かいいましてよ」


 タイラスの言葉を別の子女が遮る。


「それは空耳でございますはパメラ様。

 平民が言葉を話すなど、ましてや貴族相手にその様なことありませんから」


 選民思想に染まった典型的な貴族子女だった。

 エルドリア王国の歴史は隣国となるザインバッハ帝国や神聖エリンハイム王国ほど長くはない。

 勇者の末裔とはなるが、少し歴史を戻れば平民であることに違いはなかった。

 だが、人が奢るのにそれほどの時間は必要ないということだろう。


「タイラスさん、ありがとうございます。

 でも、丁度引き上げようと思ったところですから。

 パメラ様――」

「いや、私が行こう」

「アロンド様、テラスからは素敵な花が見えますのよ」


 彼女が引く必要はない。

 私がこの場を後にすればすべては収まる。

 くだらない戯れ言ではあるが、これ以上の言葉をレティシアの耳に入れたくなかった。

 先程まで屈託のない笑顔を見せていたレティシアの、その笑顔の中に陰りを感じた。

 いままで、どれほどの中傷を受け、耐え忍んできたのか。

 言葉は心を抉るものだ。

 知識としては知っていながら、事実、そうしたことが行われていることに今間まで気付かなかった自分を恥じた。




□ レティシア

□ 今の台詞には私の意思が介在していません


 あの日、園外演習の候補生に選ばれたことを伝えられるのだと思って、校長室へ向かった私を待っていたのは、ここエルドリア王国の第二王子カイウス殿下でした。


 わたしは思わぬ人物の登場に「失礼いたしました!」と謝罪をし、扉を閉めます。

 殿下が王都学園に来るとなれば、相応のお話があってのことでしょう。

 いくら呼ばれて参上したとはいえ、あの様な場に割り込めるような身分ではありません。


「どうしようぉ、また失敗しちゃった。

 まさかお家取りつぶしとか……」

「そんなことで有能な者を潰していたら、この国が立ち行かなくなる」

「そ、そうですよね、よか――!?」


 私が振り返ると、そこには開いた扉に背を預けて立つカイウス殿下がおられました。

 まばゆいばかりに光り輝く黄金の髪は、通路の窓を抜ける風を受けて流れるように揺蕩(たゆた)い、印象的な空のように青い瞳は何故か私を捕らえて放しません。

 端整な顔立ちは完成された彫刻のような美しさを持ちながら、それでいてしっかりと人の温かみを感じさせます。

 周りの御令嬢方が歌い上げる、まさにお伽噺の王子様がそこにいました。


 なんで!?

 わたしは思わぬことに足より先に体が動き、体が後ろに倒れます。


「わっ!?」


 衝撃に身構え、同時にカイウス殿下の前で転倒するという無様に、いっそうのこと気を失いたくなりました。

 でも、覚悟した衝撃はふわっとした浮遊感に代わり、次いで上品な香りに包まれるようにして私は立っていました。


「怪我はないな?」

「あ、あの、はい! ありません! 申し訳ございません!」


 私は今度こそ転ばないように数歩下がり、膝を突いて頭を垂れます。


 なんてことでしょう。

 仮にもカイウス殿下に支えられそのお体に手を触れるなど、不敬にも程があります。


「構わぬ。今日はそなたに礼をいいに来たのだ。まずは顔を上げよ」

「お、お礼ですか?」


 私は覚えのないことに、顔を少しだけ上げ、上目使いになりつつ疑問を呈します。

 カイウス殿下にお礼を受けるようなことはした記憶がありません。


「あの、どなた様かとお間違いではないでしょうか。

 私はお礼を頂けるようなことをした覚えがありませんが」

「ふっ、間違いではない。その顔は良く覚えている」

「はぁ……」


 覚えているといわれても、私は本当に記憶にないのですが。


「立ち話もなんだ、まずは部屋に入ったらどうだ。

 そなたを呼んだのは私だ、遠慮することはない」

「は、はい」


 もうダメです。自分の意思で選択できるとは思えません。

 部屋に入った私は、呆れた様子を見せる園長と、こめかみを押さえて溜息をつく副園長に迎えられ、勧められるままにソファに座りました。


「そんな緊張をすることではない。

 先程もいったが、私はお礼を言いに来たのだ」

「身に覚えのないことなのですが」

「バシリスクに追われていた私たち騎士団を助けてくれた。

 そういえばわかるか?」

「バシリスク……あっ!」


 思わす大きな声を上げた私を副園長の視線が咎めます。


「思い出してくれたようで助かる。

 これでようやく礼がいえるな。あの時は助かった、ありがとう」

「そんな、もったいないお言葉ですカイウス殿下」


 頭こそ下げるようなことはありませんが、それがカイウス殿下にとって最上の礼であることは疑いようもありません。

 本来であればとても光栄なことなのでしょうけれど、私にはそれを受け止めるだけの余裕がありません。

 ただただ恐縮するばかりで、早くこの時間が過ぎ去ることだけを祈っていました。


「家に寄ったら既に回復して王都学園にいるというではないか。

 元気そうで何よりだ」

「お恥ずかしながら魔力切れを起こしただけですので、ご心配をお掛けしたこと誠に恐縮です」

「魔力切れは時に生命に関わる。

 それを賭して何人もの騎士を救ったのだ、言葉だけでは足りまい。

 そなたを我が騎士団に迎え入れたい」


 騎士団!? 魔術師の私が騎士団!?


 カイウス殿下のお考えは良くわかりません。

 でも、一つだけわかることがあります。

 もし騎士団に入るようなことになれば、私はもうあの人の元にはいけないでしょう。


「既に園長には許可を取ってある。

 成績も優秀で、既に履修は規定に達していると聞いた。特例で卒業の資格も出る。

 どうだ、来てくれるか?」

「ごめんなさい、無理です」


 私はとっさに自分の口を両手で押さえます。


 今の台詞には私の意思が介在していません。

 思わず無意識に本音が零れたのだと思いますが、よりによってカイウス殿下を相手になんという物言いでしょう。


 私の返事を受けたカイウス殿下はしばし凍り付き、園長や副園長までもが絶句という様子を見せていました。


「そうか、わかった。

 もし気が変わったなら連絡が欲しい」


 短くも長い沈黙を破ったのはカイウス殿下でした。


「……はい、申し訳ございませんでした」


 その後のことは良く覚えていません。

 気が付けばお兄様に叱られ、リゼット様にも叱られていました。


 園外演習の候補生には選ばれたようですので、そこで挽回するしかありませんね。




■ カイウス

■ 彼女の心が折れなかったのは幸いだろう


「駄目だった、とはどういうことだ」


 俺はすました顔で報告を入れるアロンドに、つい声を荒げていた。

 しかしアロンドはそんなこともどこ吹く風といった雰囲気だ。


「まさかお前まで断られた訳でもあるまい?」

「結果は保証できないといいましたが」

「確かにそうはいったが、お前でも駄目なのか。

 あの娘はいったい何を望んでいるんだ?」

「……それを私の口からいうのは憚ります」


 アロンドが答えを渋るとなれば、それを俺に伝えることで彼女に不利益があるということだ。

 必然的にそれは不敬ともいえる内容なのだろう。

 俺はそれ以上理由を聞くことは止めた。

 聞けば、場合によっては罰する必要も出てくるからだ。


「まぁ、理由はいい。それでアロンドから見てどうだった?」


 俺は姿勢を崩し、アロンドにも友人としての対応を望む。


「魔法に関してはカイウスが目を付けるだけあって、とても優秀な子だ。

 師も優秀なのだろうけど、王都学園の教師ではないな。

 私はそちらにも興味がある」

「師は恐らくウェンハイム伯爵令嬢だ。

 共に行動しているところを見ているし、二人の経歴を探ればそれ以外にはいない。

 出来るなら二人とも手に入れたいところだが、ウェンハイム伯爵令嬢には嫌われているからな」


 俺を王に、と担ぎ上げようと下らぬ策略を巡らせた者たちを思い出し、不愉快な気分になった。


 兄マリウスが上位魔人の刃に倒れ、その命が潰えようとした時のことだ。

 勝手に俺の後ろ盾と思い込んでいた者たちが、俺の意思も問わず兄を救おうとしたリーゼロットの仲間を手に掛けようとした。


 結果的にその戦いの中で多くの騎士が亡くなった。

 リーゼロットの仲間が身を守る為に戦ったのは仕方のないことだ。

 だが、策略に嵌められて動いた騎士たちとはいえ、リーゼロットの仲間が平民だったことが問題だった。


 理由がどうであれ、貴族殺しとなれば禍根は残る。

 結果としてリーゼロットの仲間は、国を追われる形で出て行くこととなった。

 国としての損失も計り知れない。

 ドラゴンを倒せるほどの実力を持ち、本来であれば英雄として迎えるのが当たり前であり、国を支えていく者たちを失うことになったのだから。


「彼女の立場からすれば、俺は仲間を引き裂いた原因であろう」

「彼女は聡明ですから、その様には捉えてはいないと思うがね。

 ついでに面白い情報も仕入れた」

「続けろ」

「ご期待のレティシア嬢は思った以上の実力者だ。

 しかもあの歳でかなりの実戦を熟している。

 先のオーガ討伐戦での活躍はご存じで?」

「……あぁ、知っている」


 顔と名前を聞いてもぴんとこなかったが、オーガ族の討伐戦と聞いて思い出す。

 エルドリアに住まう魔人族の総決起といってもいい戦いが起きた時、騎士団の一部隊がオーガ族の捕虜となった。

 その中には彼女の兄もいたと聞いている。

 調査隊に加わった彼女は重要な情報を持ち帰り、オーガ族と同時に襲ってきた王鷲を退けて、見事に兄を救い出したと聞いている。


 学生上がりの魔術師が、実戦では使いものにならないというのは大方の意見だ。

 明確な殺意を持った敵を前にして魔力を制御し、呪文を唱えることができる者は少ない。

 動かない岩を相手にするのとは違った経験が必要なのだ。


 その為に成績優秀者には、園外演習といった実戦訓練が設けられている。

 そこで現実を見つめ、魔術師への道を諦める者は多い。

 特に昨年は事故もあったことで多くの生徒が亡くなり、宮廷魔術師団へ進んだ者は皆無だと聞く。


 そして彼女はその演習を生き残った一人だ。

 今でも魔法の鍛錬を続けているところを見るに、あの事故で彼女の心が折れなかったのは幸いだろう。


「これは口外禁止でお願いしますが、レティシア嬢は先のドラゴン討伐戦にも参加し、非公式の為に称号はありませんが竜殺し(ドラゴンスレイヤー)の一人でした」

「なに!?」

「惜しいですね。

 殿下に好意を持っていない以上、強引に迫っても逆効果です。

 どうされます? 王権をかざしてでも仲間に引き入れますか?」

「持っていなければ持たせればいいだろう」

「そんな単純なものではないのですが……」


 俺は呆れる様子を見せたアロンドから視線を外す。

 難しいことではない。

 彼女が喜びそうなことを一つ一つ上げ、過去の経験から適切と思うものを実行に移す。

 それで済むはずだ。




□ レティシア

□ 私は憤然としたことを体中でアピールします


 王都学園の屋外鍛錬場。

 そこで私は五人の騎士に囲まれる形で対峙していました。


「直ぐに動け! 挟まれるぞ!」

「は、はい!」


 ほとんど無詠唱で放つことができるレベルに達した『水弾』(ウォーター・ブリット)を周囲に撃ち放ち、それを盾で防いだ騎士の死角から囲いを抜け出します。


「お前ら、簡単に囲いを突破されてどうする! 直ぐに包囲を組み直せ!」

「了解であります!」


 騎士たちの声が上がり、再び私を囲うようにして移動を始めますが、少しだけ余裕のできた私は、詠唱付きで水壁(ウォーター・ウォール)を展開し三人の騎士を阻みます。


「えいっ!」


 振り向き際に振り回したスタッフが、背後に回ろうとした騎士の盾を打ちますが、牽制にもなりません。

 反撃とばかりに振られる剣をなんとかスタッフで受け止め、もう一人の騎士に向かって『水弾』を放ち、なんとか一対一の状況を作り上げます。


「遠慮はできない!」

「い、いりません!」


 再び横合いから振られる剣をスタッフで受けますが、次いで突いてくる剣を私は交わしきれず腹部に受け、おおよそ淑女らしからぬ声を上げて(うずくま)ります。

 相手は刃先の丸めた木剣で、私はきちんと革の防具を身につけていますが、衝撃だけで息が止まりました。


「すいません! お怪我はありませんか!?」


 余りの苦しさに身動きできないでいる私に、剣を当てた騎士が狼狽しています。

 それはそうでしょう、私も一応は女性なので。

 私はその騎士に対して頷くことで大丈夫だと伝えます。

 もし声を出そうとしたら、出してはいけないものまで出そうで、尊厳を守る為にもギリギリそれが限度でした。


 そんな戦いもなんとか収まりまるころ、質問を受けました。


「レティ。一応希望だから訊いてみたが、五人は無茶だろう。

 なんで五人なんだ?」


 私に声を掛け来たのは、指導する形で戦いを見ていた騎士隊長のバルカスさんで、私の知人でもあります。


「え、えっと。五人いたから?」

「馬鹿かお前は?」

「それは酷いです……」


 私は憤然としたことを体中でアピールしますが、軽くスルーされました。


 バルカスさんは、私の髪の色が黒いことなどまったく気にしない珍しい貴族です。

 そんなバルカスさんの元で指導を受ける騎士の方々には余り良く思われていませんが、一人だけ、最後に私の相手をしてくれた騎士さんだけは、私の髪の色を忌避する様なこともなく話し掛けてくれました。


「本当にお怪我はありませんか?」

「はい、もう治まりましたので。ご心配お掛けいたしました」

「ライオット、レティの相手を頼む」

「はい、隊長」


 バルカスさんは少し離れたところで四人の騎士と鍛錬を始めます。

 ライオットさんはそこから外され、私の相手となってしまいました。


「貴重なお時間をすみません」

「いえ、お気になさらないでください。

 私も魔法を受ける練習になりますので、決して無駄ではありませんから」


 明るい緑色の髪を持つライオットさんは伯爵家の嫡男の方で、爵位を継ぐまでの間になりますが、国防の為に騎士団へ入隊したと聞いています。


「戦場に出たら敵の数なんて選べないんですけどね……」

「レティシア様は既に何度か戦場に出ているのですよね」

「足を引っ張るばかりでしたが」

「それでも立派なことだと思います」

「そうでしょうか。

 みんなに着いていくのに必死で、普段なら出来ることさえ出来ませんでした」


 思い出して少し落ち込みます。


「僕はまだ戦場を経験したことがありません。

 きっと同じことを僕も経験するのでしょうね」

「それじゃそれに備えて、もう少しお相手頂いても宜しいですか?」

「もちろんです」


 汚れのない綺麗な笑顔を見せるライオットさんは、王都学園でも人気のある騎士様です。

 王国騎士団から戦闘実技科の訓練に来てくれる六人の内の一人で、訓練が始まると直ぐに女性方の申し込みが殺到するほど人気のある方でした。

 何処か女性的な面のライオットさんは物腰の柔らかい紳士で、人気があるのもわかります。


 私は魔法実技を専攻していますので、戦闘実技の方は放課後の空き時間を利用してバルカスさんに稽古を付けて頂いています……最近のお相手はバルカスさんからライオットさんに変わりつつありますが。


 その後も何度かライオットさんに稽古を頂き、私の体力が尽きところで訓練は終了となりました。

 壁に背を預けて肩で息をする私と比べ、ライオットさんは軽く息を乱している程度です。

 正直、自分が不甲斐なく悔しい限りです。


「レティシア様は何故近接戦闘の練習をされるのですか?

 魔術師なのですから、魔法実技の方に時間を割かれた方が有意義ではありませんか?」

「私の尊敬する人にいわれました。

 最低限で良い、身を守る為の動きが出来るようになれと。

 何度も防ぐ必要はありません、初撃だけで良いんです。

 そうすれば後は仲間が助けてくれますから」

「随分と実践的なのですね」

「そうでしょうか?

 身を守るのは最も基本的なことだと思いますけれど。

 私が自分の身を守れることで、仲間も思いきって戦えるのですから、私は辛くても頑張ります」


 足を引っ張るのだけは嫌なのです。

 共に戦いたいのであって、守って貰いたい訳じゃありません。

 そうでなければ強力なライバルを差し置いてあの人の隣には立てません。


「良い心構えだ」

「バルカスさんも息が上がるんですね」

「おいおい、若い奴らと一緒にやっているこっちの身にもなってくれ。

 彼奴ら四人を相手にするだけでどんだけ疲れると思っているんだ」

「さぁ?」

「まったく、年寄り使いが荒いな」


 バルカスさんは私の隣に腰を下ろすと、珍しく真面目な顔をします。


「レティ、目先の派手な効果や威力に惑わされず、基本をきちんと練り上げていくやり方は正しい。

 学校では初級魔法や下級魔法と馬鹿にする者も多いだろうが、そんな奴等もナイフで刺されれば死ぬ。

 まずはしっかりと身を守り、ダメージは弱くても素早く発動出来る初級魔法で牽制しろ。

 そして時が来たら強力な奴をお見舞いしてやれば良い」

「はい」

「良いかレティ、今のは思いを伝える時も一緒だ」

「そ、それは今は関係ありませんよね!?」


 最後はおちゃらけた感じになりましたが、体力が回復した後は、もう何回かライオットさんに手伝って貰い、身を守る鍛錬をして一日を終えました。




■ ライオット

■ 彼女を振り向かせる時間はまだある


 聞き捨てならないことを聞いてしまった。

 思いを伝える時も?

 レティシア様にはその相手が既にいるということだろうか。


 戦闘実技科の生徒に訓練を行う為、王都学園には週に何度か足を運んでいる。

 僕も鈍感ではない。生徒の中からは明らかな好意の視線を感じることも多かった。

 自分が女性に好かれる容姿をしていることも認識している。

 だから、御令嬢の中にこの人と思う人がいれば、思いを伝えるだけでうまく話も纏まるだろうと勝手に思っていた。


 レティシア様と過ごすこの訓練の時間を、楽しみにするようになったのはいつ頃からだろう。

 失敗はするけれど、めげず、何時も明るく元気に取り組む彼女を見続けている内に、いつしか僕の心は彼女を求めるようになっていた。

 そして、そんな気持ちに気付いたのは、レティシア様には想い人がいると気付いた時だった。

 他の御令嬢方とは違って、意中の人を視線で追う様子も見られなかったことで、僕は時間はいくらでもあると思っていたが、そんな思いも瓦解する。


 もし初めて出会った時に、思いを伝えていれば間に合ったのだろうか。

 僕は彼女の持つ黒い髪に対して、他の貴族が思い持つような忌み嫌う感情はなかった。

 だけど、世間体を気にしたのは確かだ。

 僕が気にしなくても僕を見る周りの目は、そして僕たち家族を見る目は気になった。

 それが、彼女に想い人がいると知った途端、信じられないほどの焦燥感に(さいな)まれた。


 だが、冷静に考えれば彼女に想い人がいると決まった訳ではないし、仮にいたとしても成就するとは限らない。

 その前に振り向かせる時間はまだあるだろう。


 そして園外演習の当日が来た。

 昨年の事故を踏まえ、今年の園外演習では現役の騎士が緊急事態に備える為に待機することになっている。

 あくまでも例外的措置であり、通常の戦闘において負傷者が出たとしても助けることは出来ない。

 その役目は戦闘実技科の講師が行うことになっていた。


 意識して探していた訳ではないけど、直ぐに彼女の姿が目に止まる。

 今日は長い髪をまとめ上げ、革製の動きやすそうな服に身を包み、短めのローブを羽織っていた。

 ぱっと見は軽装の前衛といった感じで、魔術師らしい様子が窺えるのは、武器として使うことも想定されたロッドくらいだろう。


 他の魔法実技科の生徒が布製の軽めの防具と軽めのロッド姿ということからも、彼女の異質さが伝わってくる。

 同じパーティーの他の二人の魔術師もローブをベースとした身軽な装備だ。


「ライオットさん、本日はよろしくお願いいたします」


 そんな彼女を見ていると、僕に気付いたのか小走りで駆け寄り、挨拶をしてきた。

 どこか小動物的な動きを見せる彼女に、思わず笑みがこぼれる。


「レティシア様の実力でしたら問題ないと思いますが、何かあった時はご無理はなさらず、我々を呼んでください」

「ありがとうございます。

 その際はよろしくお願いしますね」


 うやうやしくお辞儀をし、去って行く彼女を見送ると、今日の予定を改めて確認する。


 ここは王都の東にある迷宮都市ルミナス。

 その大部分を水中に沈めているこの都市は、元々は地上にあったといわれている。


 この都市は前時代でも技術の粋を集めたと思えるほど精巧な造りをしていた。

 現在の技術では再現が不可能なほどきめ細やかな装飾は都市全体に行き渡り、壮麗にして美麗。

 都市が湖に自身を写す姿は、水上都市とも水に飲まれた街ともいわれている。

 そんな二つ名を差し置いて迷宮都市として有名なここルミナスは、その名の通り内部が迷宮と呼ぶに相応しい構造となっていた。


 ある日、その都市の内部に魔物が侵入し、水をせき止めていた魔道具が破壊されて、一夜のうちに沈んだという。

 水に沈んでなお都市としての機能は残っており、その地下空間は魔物の住む、まさに迷宮といって良かった。


 園外演習はその迷宮都市の高層部で行われる。

 魔物は強くてもDランク程度であり、Eランクの魔物を狩るのが大半だ。

 しっかりと戦闘技術を学んできた生徒が、実力を出し切れば危なげなく倒せるだろう。


 彼女のパーティーは男女あわせて五人、内三人が魔術師と若干後衛よりだが、前衛の二人が上手く立ち回るなら攻撃力は高いだろう。

 その前衛の二人も成長著しい逸材で、騎士団でも有望視している。

 パーティーの仲も良い様で、懸念されていた爪弾きということもない。

 恐らく今回組まれたパーティーの中でも最優秀賞に最も近いと思われる。


「まぁ、ライオット様。

 本日はよろしくお願いいたしますわ」

「ライオット様、是非私のパーティーをご紹介いたしますのでこちらにお越しください」

「あら、それでしたら私の方もご紹介させて頂きますわ」


 僕は心で溜息をし、順番に挨拶をして廻る。

 自分の不満を悟られる様では駄目だ。

 顔にだけは出さないよう、当たり障りのない笑顔で対応していく。


「ライオット様。

 何故あの様な者とお話をされるのですか?」

「もし付きまとわれている様でしたら、お父様にお話しして距離を置いて貰いますが」

「僕が望んでいることだよ」

「まぁ、ライオット様ったらお優しいですわ」

「あの様な気味の悪い子にまで御心を配われるなんって、誰にでも出来ることではありませんわ」

「ライナス様やルーファス様も同じパーティーだからといって、あそこまで気に掛ける必要はないと思うのですが」


 彼女たちにとって黒い髪とは忌避するものであり、人として接することすら考えられないのだろう。

 本心からそう思っていることが残念だ。

 もし僕がレティシア様に惹かれていると知ったら、彼女たちはどの様な反応を見せるだろうか。

 それを見たいと思うのは、この様な不快なことを聞かせられることに対しての、ちょっとした憂さ晴らしでしかない。


 園外演習が開始され、それぞれのパーティーが戦闘実技科の講師の元、迷宮都市の内部へと転移門を通っていく。

 そのまま上層をしばらく進んだ場所にある広間が目的地だ。

 広間は二〇メートル刻みに立てられた石柱によって天井が支えられた、おおよそ一〇〇メートル四方はある巨大な空間になっている。

 お互いのパーティーが干渉しない程度に距離を置きつつ、全体を監視出来るこの場所は、演習の場として適していた。


 水中に沈んだ都市だが、一部の魔道具は未だに稼働を続け、密閉された空間には弱いながらも空気の流があった。

 所々で点灯したままの魔道ランプも、都市の機能が一部が生きていることを示している。


 そして最初の戦闘が始まる。

 まずは広間に住むFランクが中心の魔物の掃討だ。

 その後、この広間に通じる複数の通路からやって来るEランクの魔物を相手にする。

 もしDランクの魔物が現れた時は、状況次第ということになるだろう。


 Dランクの魔物ともなれば生徒たちの実力的には厳しいといえるが、きちんとパーティーとして機能していれば倒せるはずだ。

 その辺の見極めは、同行している戦闘実技科の講師が行うことで、私たち騎士団は基本的に手を貸すことはない。

 あくまでも非常事態に備えるだけだ。


 園外演習は順調に進み、何度かDランクの魔物も現れてレティシア様のいるパーティーも戦闘に入ったが、無難に討伐している。

 しかし、他のパーティーでは抑えきれず、講師が参戦してなんとか討伐といったところだ。実力が一ランク違う印象を受けた。


 Dランクの魔物が若干多い気もしたが、ほぼ想定内で午前の実技を終え、続く休憩後にそれは起きた。


 激しい衝撃に続き、瓦解する振動と音が広間に響く。

 音の出た方向では埃が舞い上がり何が起きたのかわからない。


「馬鹿共が!? 行くぞ、仕事だ!」


 バルカス隊長がそう零し、駆け出す。

 状況を理解出来ぬまま僕はバルカス隊長に続く。

 そして埃の晴れた先に目にしたのは、体長五メートルはあろうかという巨大な蠍だった。




□ レティシア

□ わたしも成長したのです


「今日はよろしくお願いします」

「こちらこそ、レティシア様がいてくれるのは心強い。

 もちろんタイラスも歓迎だ。

 今回はリーダーをやらせて貰うが、何かあれば意見はどんどんいってくれ」


 リーダーのライナス様は戦闘実技科の主席です。

 騎士団を目指す方で、装備もそれに準じて剣と盾を持ちます。


「あの方に貴方の面倒を頼まれていますから、当然ですわ」


 私の面倒を頼まれたと仰るのは、ライナス様の妹君でリニア様です。

 その内容から、お兄様が頼んでくださったのでしょう。

 私と同じく魔術師になります。

 ライナス様の隣には、同じく騎士団を目指すルーファス様がいらっしゃいますが、私は余り好まれていませんので特に挨拶もないようです。


「レティシア様、今日もよろしくお願いいたします」

「タイラスさん、無事に乗り切りましょう」


 園外演習に参加するのは私を含めて五人になります。

 貴族以外、所謂一般生徒からの参加者はタイラスさんだけですが、一番気心が知れているのも彼ですので、正直同じパーティーになれたことは嬉しいです。


 園外演習は、私たちを含めて生徒が六〇名。

 各パーティーには戦闘実技科の講師の方が付き、離れた場所には救護班、そして騎士団の方々と、総勢で一〇〇名近い人数になっています。

 その全員が入ってなお広さを感じる広間は、地下空間とは思えないほどの物です。

 それが実は水の中にあるとは、さらに信じられないことですよね。


 その広間に点在する魔物はFランク、あるいはEランクといった魔物が中心で、今までの訓練の内容をしっかりと発揮出来れば、問題なく討伐出来るはずです。

 私は既に何度もこの迷宮に来ていますので、見慣れた魔物ばかりですし、その動きも全部わかります。

 気を付けるべきなのはEランクの魔物の黒豹で、その動きの速さは前衛を躱して一気に私たち後衛にまで攻撃が届くほどです。

 対策は素早く発動出来る魔法で牽制することになります。

 間違っても発動に時間の掛かる中級魔法や上級魔法を使う訳にはいきません。


「まずは広間の掃討から始める。

 各パーティーは所定の位置を確保することを意識して進むように。

 もし手が空いたとしても、安易にその場を離れるな。

 他のパーティーが魔物に背後を取られることになる。

 そういうことも意識して戦うように」


 改めて幾つかの注意事項が告げられ、いよいよ園外演習の開始が宣言されました。

 私たちはライナス様を先頭に中央付近を拠点とすべく進みますが、同時に出るはずの幾つかのパーティーが既に出遅れています。


「何かあったのでしょうか?」

「……怯えている者がいるようだな」

「早速かよ」


 ライナス様の言葉にルーファス様が少し呆れた様子を見せます。

 ですが、魔物を見るのは今日が初めてという生徒もいるのですから、自分のことを思い起こせば無理もないと思いました。


「ライナス! 何かおびき寄せて近くで倒してみろ!」

「了解です!」


 園外演習のまとめ役となるローレンス先生が声を掛けてきます。

 一度、軽めの戦闘を見せて慣れさせるということでしょう。


「怯えているのは魔法科の子だな。

 適当に魔物を引いてくるから、レティシアとタイラスで仕留めてくれ。

 基本的な魔法をしっかりと詠唱すれば、怖い相手じゃないと見せつけるぞ」

「わかりました」

「はい」


 ライナス様が走り、引き寄せてきた魔物をルーファス様が『敵愾向上』アナマーサティ・アップを使って自身に引きつけます。

 引き寄せてきた魔物はEランクの噛切虫で、強靱な顎に付いたハサミの様な牙は鉄をも断つといわれています。


 ルーファス様はその噛切虫を誘導し、魔法攻撃に対する射線を空けてくれました。

 既に発動の準備を整えていた私とタイラスの初級魔法が、狙い違わず噛切虫に命中し、その体を焼き上げます。

 動きの弱った噛切虫の頭を狙い、ライナス様が剣を突き刺し、あっさりと倒します。


「見事だライナス。ルーファスも基本に則った動き、大変結構。

 レティシアとタイラスも魔法の選択、詠唱から命中まで問題ない。

 見ていてわかったと思うが、この程度の魔物を倒すのに特別なことは何も必要はない。

 訓練を思いだし、習ったことをこなせ」


 実際、あっさりと倒したのを目にしてか、出遅れていたパーティーも歩調を合わせてきました。

 先程の戦闘で、少なからず私の緊張もほぐれた感じです。

 ライナス様が引いてくる魔物を、先程と同じ様にタイラスと魔法を合わせて倒して行きます。


「私の出番がありませんわ」

「リニア様は回復系魔法が中心ですから、出番がない方が良いのかも知れませんが、練習にはならないですね」

「それでしたら『魔法障壁』(マジック・バリア)の強度を確認する為に、ルーファス様にご協力頂くのは如何でしょうか」

「そうですわね、試してみましょう」


 リニア様はタイラスの提案を試してみるようです。

 早速ライナス様の引いてきた魔物をリニア様が『魔法障壁』で牽制しますが、何度目かの攻撃でガラスが割れる様な音と共に『魔法障壁』が破られました。


 直ぐにルーファス様が『敵愾向上』を使い、ライナス様が仕留めます。

 奥の通路から時折やって来る魔物を私とタイラスで牽制しながら、周りのパーティーの様子も窺い、接戦であればその手助けをします。


 順調に演習をこなし、引き続き午後の演習に入った時です。

 広間に入って右側、南の方角で大きな音が鳴り響きました。

 続けて二度同じ様な音と振動が広間に響き、炎が暗めの広間を赤く染めています。


「上級魔法の『火砲』(ファイア・カノン)だな。

 いったい何と戦うつもりなんだ」

「大技を見せれば評価が上がるとでも思ったんだろう」

「まったく、これですから実戦経験の少ない者は困るのですわ」


 ライナス様やルーファス様そしてリニア様が仰るように、魔物を倒す為に必要以上に強力な魔法を使うことは、評価を上げるどころか下げる結果にしかなりません。

 威力が高いということは、結果的に魔力を多く使用することになります。

 戦闘状態がどれほど続くかわからない状況において、それは無駄でしょう。


「実技試験であれば評価も上がるのでしょうが」


 タイラスも少し呆れているようです。


 もちろん気持ちはわかります。

 上級魔法の威力は鬱憤を晴らすには丁度良いですからね。


 迷宮という区切られた空間の中で一日中、それが二日も続くとなれば、強力な魔法も使いたくなると思います。

 でも、この園外演習はそうした気持ちを抑制する力も評価の対象です。

 無駄を省き、和を乱さない。

 組織として動ける力を求められているのです。

 そして、自分を抑えられるようになったわたしも成長したのです。


 そんな時です、一際大きな轟音と共に地面が揺れたのは。




■ カイウス

■ 持って回った言い方をするな


 騎士の詰め所。その奥にある執務室に、俺とアロンドはいた。

 久しく開けていた為にたまっていた決済が山のようにあり、元々書類仕事が好きではない俺は、遅々として進まぬ作業に閉口していた。


「今日は彼女が園外演習に参加している日ですね」

「……そうか」


 アロンドの言葉に素っ気ない態度で答える。

 気になる様子など見せようものなら、どのようにからかわれるかわかったものではない。

 それくらいならば、好きでもない書類でさえ目を通す価値があると思っていた。


「お気になりませんか?」

「彼女の実力なら問題となることはないだろ」


 実際、多くの実戦経験を積みドラゴンとまで戦ったレティシアが、希にランクDの魔物が混じる程度の狩り場で問題となるはずがない。

 あるとすればやり過ぎくらいだが、暴れるバシリスクにさえ、落ち着いて下級魔法で対処した彼女のことを考えれば事故は起きないと、俺は知り得る情報から判断していた。


「そうですね。実力の出せる環境にあれば問題ないでしょう」

「持って回った言い方をするな」

「先日、王都学園に彼女を見に行った時、彼女を取り巻く環境の悪さに辟易してきたところです」


 貴族を狙い撃ちするように暴れ回った厄災の魔人。

 その魔人が討ち倒されるまでに貴族の二割が減ったという。

 畏怖を忌避という形で消化した貴族は、厄災の魔人を思い起こさせる黒い髪を忌み嫌っていた。


 だが、それにより優秀な人材が、力を振うことも叶わず埋もれていく現状を国王陛下は良しとしない。

 だから王都学園には王命にて意識改革が求められていた。


「人のことはいえないが、貴族はプライドが高い。

 隙を見せれば足を掬われる政界において、自らの信じてきてものが誤りだったと認めるのは、難しいことなのだろう。

 理解は出来ているはずだ。

 だが受け入れられるかどうかはプライドが左右する」

「プライドとは形が見えないだけに扱いが難しいですね」


 アロンドは溜息とともに言葉にした。


「今の生徒会長は、改革者であるウィンドベル家の者だったな」

「粛清のマリアベルと呼ばれるほどには、徹底した意識改革が行われたはずですが、凝り固まった価値観という者は一代で変わるものではないのでしょう」


 現生徒会長はその難しい問題に強権を持って対応し、不名誉な二つ名まで広まっている。

 王命とはいえ、そこまで尽くしてくれたことに王族として報いる必要があると、俺は考えていた。


「レティシア嬢のように優秀な者を、髪の色が黒いというだけで失うのは愚かしいことだ」

「王族が率先して意識改革を進めるという手もありますが」

「やっているではないか」

「もっと具体的にです」

「簡単に言う。それほど簡単に思い付くなら案を上げてみろ」

「レティシア嬢を妃にというのは如何ですか?」

「ありえん!?」


 俺は思わずといった感じで、立ち上がる。

 勢い書類が数枚ほど執務机から舞い落ち、アロンドは気にした様子もなくそれを拾い上げた。


「いくら魔術師としての能力に長けていようと、なんの――」


 魔人族の総決起戦において捕らわれた騎士団一〇〇余名の救出に携わり、公に出来ないまでも隣国ヴィルヘルムの独立に貢献し、ドラゴンスレイヤーの一員でもある。

 そしてヴィルヘイムの元女王とも親しく、現国王とも懇意だという。

 それを功績がないと言葉にするのは、さすがに俺も思い止まる。


 だが、ありえぬ。


「男爵家の令嬢では王妃としての教育を受けていないはずだ。

 貴族としての教育と、王妃としての教育はまったく別物であり、その心構えも出来ていないだろう」

「お忘れですか、彼女は優秀ですよ。

 王妃教育もその気になれば数年で身に付くでしょう」


 確かに優秀なのだろう。

 師が良ければ誰でも優れた魔術師になれるわけではない。

 その為には素質であり地力が必要なのだ。

 少なくても俺はそう考えている。


「何より、そうした貴族の常識を変えてでも、ということに説得力があると思いませんか」

「彼女をプロパガンダに使おうというのか」


 アロンドが息を止めるのがわかった。

 物事を効率的に考えればアロンドのいうことは正しい。

 元々、気があいさえすれば相手は平民でも構わない、といっていたのは俺自身だった。


 何に苛立ったのか、殺気立つとは俺もどうかしている。


「すまない、言い過ぎた」

「いいえ、こちらこそ出すぎた意見を」

「いや、冷静に考えれば悪くない。

 最終的な決断は別とし、可能性としては継続的に様子を見ても良いだろう」

「結婚に向けて前向きになられたこと、国王陛下もお喜びになるでしょう」

「まだ決めたわけではない」


 だが、不思議なもので、一度受け入れてしまえばそれも悪くないと、俺は思うようになっていた。

 そんな甘い思いに悩むことが、まさか自分の身に起こるとは思ってもいなかった俺が、緩くなった頬を引き締めようとした時、執務室の扉がノックされた。


「殿下、王都学園の野外演習で事故が起きたようです」


 伝令の言葉を受けたアロンドが俺に伝えた内容は、浮かれた気分を一気に冷めさせるに十分だった。


「騎士団の者を付けていたはずだがどうなっている!?」

「現状ではなんとも」

「転移門の用意を!」


 俺の様子を見たアロンドは「思ったよりも春は近いかも知れない」という。

 ならば、レティシア嬢には無事でいてもらう必要がある。

 他人から見れば、いつも冷静沈着なアロンドも焦りを隠せていなかった。




□ レティシア

□ 良かった……私にも出来ることがあって


 気が付いた時には、地面にうつ伏せで倒れていました。

 意識を失う直前、辛うじて顔を打つのは避けたつもりですが、おでこと鼻に感じる痛みに涙目になってしまったのは仕方がないでしょう。


「いたぁ……」

「無理に動かぬ方が良い、治癒術士が来るまで楽な体勢で横になっていなさい」


 喧騒の中、なんとか聞き取れた声に顔を上げると、騎士団と思われる格好をした男性が膝を折り、私の顔を覗き込んでいました。

 埃でも入ったのか、涙で視界が霞み誰とはわかりませんでしたが、今日園外演習に付いてきてくださった騎士団の内の何方かでしょう。


 私は目を擦らないように閉じたまま、体を返します。

 さすがにうつ伏せで、地面に顔を付けていたくはありません。

 騎士様が力の入らない私を助け、体を起こして頭の下に何か柔らかいものをあてがってくれました。

 体が地面に冷やされていたのか、柔らかいそれは暖かみがあり、上質な布の肌触りに頬も緩みます。


 園外演習の最中、突如崩れ落ちた床から魔物が溢れ出し、広間は瞬く間に恐慌に陥った生徒で混乱を極めました。

 大穴から這い出てくるのは体長五メートルはありそうな巨大(さそり)と、それに付き従う無数の小さな蠍でした。


 逃げ惑う生徒と、生徒の上げる阿鼻叫喚とも思える声は、大惨事となった一年前の園外演習を思い起こさせました。

 ですが、いち早く事態に気付いたバルカスさんが他の騎士様を連れ、最前線で巨大蠍を迎え撃つ体勢をとると、同じパーティーのライナス様もそれをフォローする形で小さな蠍を倒す為に動き始めました。


 いくら騎士団でも、巨大蠍を相手にしている中で足下から子蠍に襲われては崩れる可能性もあります。

 ライナス様とルーファス様はそれを見越してか、騎士団に纏わり付こうとする子蠍を一匹ずつ確実に仕留めていきます。


 子蠍は、大きさこそ五〇センチほどの魔物ですが、尾に持つ毒は時に人の命を奪うほどのもので、それが地面を埋め尽くす勢いで迫ってくるのは脅威でした。

 一匹一匹は剣の一突きで倒せる程度の魔物ですが、剣での攻撃では手数が足りていませんでした。


 私はライナス様と騎士団を挟んで反対側に向かい、そちらから迫ってくる子蠍に『火弾』(ファイア・ブリット)を撃ち込んでいきます。

 一発一発は何匹かの子蠍をまとめて焼き上げていきますが、恐れることなく次から次へと這い出て来ます。


 タイラスはライナス様の援護に周り、『火壁』(ファイア・ウォール)を唱えました。

 火の壁は子蠍を焼き上げるだけではなく、文字通り壁としての役割を果たし、ライナス様とルーファス様は一度に多くの子蠍を相手にしなくてすみ、動きに余裕が見えるようになりました。


 残念ながら私は『火壁』を使いこなせていません。

 意外と難しいのですよあの魔法は。

『水壁』(ウォーター・ウォール)でしたら私も使えますが、『火壁』と違って殺傷能力が低いんですよね。

 代わりに物理的な障壁としての能力は高いのですが。


 そこで私は火属性魔法の初級魔法、最初に覚えると言われる超初級魔法の『火弾』を唱えます。

 ただそれだけではなく、リーゼロット様に叩き込まれた複写魔法を駆使し、小さな魔法陣を二〇個ほど展開させました。

 以前バシリスクを倒した時に使った『火矢』(ファイア・アロー)とは違い、魔力消費量も低いので、以前のように倒れ込むことはないはずです。


「馬鹿なっ! あの魔法陣の数はいったい!?」

「そんな!? どうやったらあれだけの魔法を同時に制御出来るんだ!」

「悪夢でも見ているのか」


 驚きの声が聞こえてきますが、上級魔法を覚えようと切磋琢磨する時間を初級魔法や下級魔法の練度向上に当てれば、五個くらいなら直ぐに使えるようになると思います。

 ですが、それ以上は師であるリーゼロット様のお力添えがなくては難しいでしょうか。


 魔法陣が弾けるように消えるのと同時に拳ほどの大きさの火の玉が現れ、次いで大穴から這い上がってくる子蠍に向かっていきます。

 子蠍は幸いにしてそれほど動きが速くない為、火の玉が子蠍に当たり、その部分を甲殻ごと焼き上げました。

 その数は一五匹。


 うえっ!? 五匹も外しました!

 もしこれがリーゼロット様に知られたら……


「すみません、もう一度やらせてください!」


 私はここにいないはずのリーゼロット様に再試験を申し込みます。


「え?」

「今のをもう一度!?」

「あり得ないだろあの魔法は……」


 私は再び二〇個の魔法陣を展開し、子蠍に向けて放ちます。

 一つ一つは赤ちゃんの拳程度の大きさですが、きちんと魔力を込めればそれでもFランク程度の子蠍には十分な殺傷力がありました。

 放たれた魔法はすべてが子蠍に着弾し、私はご褒美を期待します。


 騎士団が巨大な蠍に対して絶対的な壁となり、ライナス様とルーファス様そしてタイラスさんが子蠍を完全に抑えます。

 こちらも私とリニア様の『魔法障壁』で抑え、騎士団の方々が十分に巨大蠍と戦える状況を維持できるようになると、生徒の方にも余裕が出来てきたのか、先程までの混乱が収まり始めました。


 ですが、私の中で警鐘が鳴り響きます。

『魔力感知』(センス・マジック)が新たな敵の出現を感じさせました。


 魔物は突如現れた蠍だけではありません。

 もともと討伐の対象としていたEランクあるいはDランクといった魔物が、通路からしきりなしに向かって来ます。

 それらは戦闘講師の方々が抑えてくれていましたが、余裕が出来たのであればそのサポートをするのが求められることです。


「まだ何か来ます!

 手の空いている方は戦闘講師の方々に合流してください!」


 ですが、私の声は届きません。


 まるで演劇でも見るかのように、騎士団と巨大蠍の戦いを魅入る生徒たちを見て歯がゆく思いつつも、次いで現れるそれ(・・)に備え、持てうる最大の攻撃魔法を準備します。

 見えない敵を説明して、納得してもらうだけの時間はありませんから。


「リニア様、強めの魔法を使いますので、少しだけこの場をお願いできますか」

「……何を考えておりますの?

 まぁ、良いですわ。この程度の魔物でしたら私一人でも抑えて見せますわ」

「ありがとうございます」


 私は戦闘で高ぶっていた気持ちを抑えます。

 精神の高揚はそのまま魔力制御に影響を与えるので、強めの魔法を使う時には十分な心構えが必要でした。

 少なくても私には勢いで撃つような真似は出来ません。


 それが姿を現すまでおよそ一〇秒。

 バルカスさんはもう気付いたようですが、目の前の巨大蠍を倒すまでは身動きが取れないでしょう。


「なんですの!?」


 ガラスの割れるような音が鳴り響き『魔法障壁』が突然消え失せると、リニア様が驚きの声を上げます。

 次いで、魔力の残滓を打ち消すようにして現れた、二匹目の巨大蠍を見て顔を蒼白にしました。


 それはリニア様だけでなく、身の安全を感じて安心していた生徒たちも一緒です。

 新たに現れた巨大蠍は騒ぎ立てる生徒を目指して進行します。

 それを止められる騎士も戦闘講師もいません。


「嫌だ! 死にたくない!」

「だ、誰でも良いから助けて!」

「騎士団は何してるんだ!」


 再びパニックが生徒たちを襲い、むやみやたらと逃げ惑い始めます。

 ですが、そんな無秩序な動きはかえって守ろうとする戦闘講師の邪魔になるばかりです。


「何をしていますの!?

 誰でも良いから私を守りなさい!」


 一際高い声を上げるのは、公爵家の御令嬢パメラ様でした。

 守られて当然という(いさぎよ)いほど堂々とした物言いは、ある意味、恐怖で混乱して逃げ惑う生徒にくらべてとてもましだといえましょう。


 ですが巨大蠍は、動くことなく佇むパメラ様に向かっていきます。


 間に合わない!?


 私の魔法は具現化するまでにまだ掛かりますが、巨大蠍がパメラ様に襲い掛かる方がきっと早いでしょう。


 誰か!? お願い!!


 身の丈を超す黒い蠍は巨大なハサミ状の腕を振り上げ、人の走るほどの速さで迫るその様子は、慣れない者の魂を凍らせるほどの恐怖でしょう。

 そんな恐怖の中でも、パメラ様は『土矢』(アース・アロー)の魔法を具現化し、それをしっかりと巨大蠍に放ちました。


 正直驚きました。

 今でこそ慣れてきた私ですが、もし同じ魔物を相手にするのが初めての状況にあれば、私はきっと魔法を具現化することが出来なかったでしょう。

 しっかりと魔力を練り上げ、具現化し、命中させる。

 パメラ様の胆力には目を見張るものがあります。


 しかし、『土矢』では巨大蠍の甲殻を貫くことは出来ず、僅かな傷を付けて砕け散りました。

 いつも自信に満ち溢れているパメラ様の表情に、初めて恐怖と絶望の色が浮かび上がります。


 ですが、攻撃を受けた巨大蠍は警戒の為かその動きを緩めました。

 それは僅かな時間かも知れませんが、パメラ様の稼いだ時間で私の魔法は完成します。


 即座にはなった魔法は、まばゆい光を放つ青く小さな光球となり、巨大蠍の胴体に突き刺さります。

 光球は甲殻を解かすように焼き上げ、次いで巨大蠍の内面で激しいほどの炎を撒き散らしました。

 巨大蠍は苦悶に満ちた甲高い鳴き声を上げながら、崩れるようにして倒れます。


「良かった……私にも出来ることがあって……」


 急に体の芯から凍り付くような寒気を感じ、身に起きた異変に戸惑います。

 魔法を圧縮する時間が足りず、威力を稼ぐ為に込める魔力を多めにしたせいかもしれません。

 いつもとは違う、まるで暗闇に落ちていくような感覚が急に怖くなり、魔力を使いすぎれば命を失うという言葉を思い出しました。


 心臓が凍ったような感覚、そして胸を中心に苦しみと痛みが沸き起こり、私の意識は閉ざされていきます。


「えっ……い……や、しに……たく……な……」


 いやっ!?

 死にたくない!

 たすけて、たす……け、ア……さ……


 それが意識を失う前の最後の記憶でした。




■ カイウス

■ 自らの命を大切に出来ぬ者


 王都学園の園外演習で事故が発生したとの一報を受けた俺は、直ぐに転移門を使って水上都市ルミナスへと転移した。


 俺が向かうのは一人の生徒の為ではない。

 園外演習には騎士団を派遣している。

 この様に、事故を想定して騎士団を派遣するのは初めてのことだった。


 園外演習自体に危険は付きものだが、それでも教師の指示に従い無理をしなければ危険も最小限に抑えられる。

 誰もが怪我や、ましては命を失うことなど望んでいない。


 去年は一人の生徒の暴走により王都学園始まっていらの大事故となっていた。

 此度の騎士団派遣はそれを踏まえてのことであり、そうまでして事故が起きたとなっては良い恥だ。


 だが、現場は昨年よりも酷い状況だった。

 広間の中央付近には一〇メートルほどの大穴が開き、そこから湧き上がる蠍を騎士団と生徒の何人かで抑えている。

 騎士団はその中でも巨大な蠍を相手にする必要があり、それをサポートするかたちで数人の生徒が戦っていた。


 そして、その巨大な蠍はもう一体いた。

 今まさに、一人の女子生徒に襲い掛からんと迫る巨大蠍が目に止まる。


 ここからでは誰も間に合わぬ!


 魔物に立ち向かう気概のある者は既に戦いの中にあり、その女子生徒だけが取り残されるかたちだった。


 あれはオルロンド公爵家のパメラ御令嬢か!?


 既に俺の婚約者のように振る舞う彼女を、俺は煩わしいとさえ感じているが、だからといって見殺しには出来ない。


 一撃を耐えてくれれば命が繋がる。

 二度の攻撃は俺が許さない。


 だが、叶うならば誰か、間に合ってくれ!!


 そう願った瞬間、膨大な魔力が収束し、その光りは青き輝きを伴って巨大蠍に突き刺さり、一瞬のうちに荒れ狂う炎で焼き上げた。

 まさに奇跡の一撃だった。


 俺は身を守る為の手段として、魔力を感じ取る訓練を続けている。

 その経験から、生命力を削るほどの魔力を費やしたと思われる魔法はCランクに当たる巨大蠍を一撃で仕留めていた。


 パメラ嬢はその場に座り込んでいたが、命に別状はないだろう。

 次に気になったのは、その魔法を使ったと思われる魔術師だ。

 場合によっては命すら危うい状況と考えられた。


 そして、俺が魔法を使った魔術師を見付けたのと、その魔術師が倒れるのは同時だった。


「アロンド!

 穴から這い上がってくる魔物を掃討しろ!」

「御意!」


 俺は倒れた魔術師の元に向かう。

 倒れる前に意識を失ったようで、受け身も取れずに倒れていた。

 もし頭を強く打っていれば、それだけでも生死に関わる。


「あそこにいらっしゃるのはカイウス殿下ではありませんか?」

「まぁ、本当ですわ!?」

「わたくしを助けに来てくださったに違いありません!」


 人の気持ちとは、良くもまぁころころと変わるものだ。

 たった今まで魔物の影に怯えて逃げ惑っていたというのに。


「さがれ! 手が空いているものは怪我人を連れて救護班の元へ!」


 俺は声を上げ、するべきことを思い出させる。

 こんな時ばかりは強制力のある立場に有り難みを感じた。


「は、はい! カイウス殿下!」

「だれかこっちに手を貸してくれ!」

「わかった!」


 なんとか動き出して生徒たちを見て出かかる溜息を殺し、俺は伏せて倒れている魔術師の肩をそっと引く。

 手に伝わってくるのは想像していたより華奢な体だった。

 その柔らかく軽い身体に思わず手を引く。

 まるで、壊れ物にでも触れたかのような反応をする自分に驚く。

 

 どちらかといえば軽装備の前衛が良くする装備だった為、勝手に男だと思っていたが、それはどうやら間違いだったらしい。

 改めて抱え上げたその顔を見て息を飲んだ。

 白い肌に光り輝く黒髪の少女、レティシアだった。

 学生とは思えない魔力反応と思っていたが、彼女であればそれも可能なのだろう。


 幸いにして頭に大きな怪我はないようだが、以前のように緩んだ表情でないことがかえって心配を呼び起こす。

 流した涙は何を思ってか。


「馬鹿者め。

 自らの命を大切に出来ぬ者が、人を助けようとするな」

「カイウス殿下、レティシア嬢の様子は如何ですか?」

「わからぬ。

 見た限りでは大分魔力を使ったようだ。

 このまま意識が戻らねば、あるいは……」


 アロンドの問いに答え、思わぬ言葉を口にしそうになり留まる。


「救護班は何をしている!?」

「あちらも気を失った生徒や混乱で怪我をした生徒で手がいっぱいの様です」


 この者ほど命に関わるほどの者がいるとは思えぬが、ここでも優先されるべきは高位の貴族と髪が黒くない者か。

 体を張って誰かの為に戦った者の姿は見えないと思える。

 感情の高ぶりを抑え、アロンドの言葉を思い出す。

 王族である俺が進んで変えていく未来。


「それもわるくない」


 俺はレティシアを抱え上げ、迷宮の外へと向かう。

 ここに看る者がいないならいる場所まで連れて行くだけだ。


「えっ、嘘ですわ!?」

「カイウス様がその様な汚れごとをされなくとも、誰か変わる者はおりませんの?」

「カイウス殿下、私が運びます」


 今だ戦闘の続く最中、目先のことしか見えていない生徒と、その生徒を守る為に最前線で戦う生徒。

 成績優秀者だけが参加しているはずの園外演習においても、これほど気持ちの持ちようにバラツキがあるとは。

 根本的な改革はまだ始まったばかりと、改めて思い知らされる。


「いらぬ! 戦いはまだ終わっていない!

 そなたたちは講師の言葉に従いすべきことを果たせ」

「は、はっ!」

「承知いたしました、殿下」

「アロンド!」

「ここはお任せを」


 俺は可能な限り揺らすことなく、そして可能な限り早く、地を駆け王都へと向かう。




□ レティシア

□ 溜息が聞こえたのは気のせいでしょう


 霞む世界の中で、私はあの人の温もりを感じた気がします。


「レティ、もう大丈夫だ。

 ゆっくり休むといい」


 優しい声……大好きな声……大切な声……

 暖かい、凍えていた気がするのに、今はまるで春の日差しの中にいるみたい……


 夢……


「素敵な天蓋(てんがい)……」


 穏やかな風が部屋を抜け、赤く輝くビロードの天蓋を優しく揺らしているのが、最初に気付いた光景でした。

 キラキラと光るそれはとても上質な物で、いくらお兄様のお給金が良いといっても簡単に手が出るものではありません。

 私はビロードを手に取り、頬でその肌触りを楽しみます。


「食べ物ではありませんよ」

「た、食べたりしません!?」


 ――って、あれ?


「リーゼロット様?」

「具合はよろしいようですね。

 何があったか覚えていますか?」

「え? っと……」


 私は身を起こし、人差し指を顎にあてて最後の記憶を思い出します。

 最後の記憶といえば……


「柔らかくて肌触りが良かったような……」

「その後のことは思い出さないように」

「うっ。その前だと、巨大蠍がパメラ様に向かっていって……それを倒す為に魔法を使ったような?」

「そこまで覚えていれば記憶の欠損は大丈夫でしょう」


 記憶の欠損と聞いて焦りました。

 大切なことまで忘れてしまっていたらと思い、血が引きます。


「レティシア様。

 魔力の欠乏が即、死に繋がるとはいいませんが、完全に枯渇すれば話は別です。

 私たちの体は魔力によって支えられている部分が多々あります。

 生きてこそ出来ることもあると理解しなさい」


 淡々とした言葉の中に、優しい怒りが感じられました。

 知識としては知っていても、魔力不足が死に繋がるという実感までは得られず、そうは思っていなくても軽く考えていたのかも知れません。


 リーゼロット様のお顔に隠しきれない涙の痕がありました。

 目にも少し赤みがあり、僅かに腫れています。

 貴族らしく弱みを見せることのないリーゼロット様に、ご心配をお掛けしたことが心苦しく、とても軽率な行いだったと改めて認識しました。


 今思えばあれが最善の策だったとは思えません。

 私になら倒せるという考えが、実戦において無駄に威力が高い魔法を選択に至りました。

 これじゃ無茶をして大穴を開けた人を非難するどころか、私も同罪です。

 園外演習の前、バルカスさんに正しい魔術師のあり方を教わっていたのに、台無しでした。

 反省し、同じことを繰り返さないことで謝罪としたいと思います。


「何より戦場で気を失うことが続くようであれば、とてもではありませんが合格は出せません」

「ええっ、折角個別の敵に全弾命中させたのにですか!?」

「なんのことですか……」


 私は頭を抱えて布団に伏します。

 なんとなく、リーゼロット様ならなんでもお見通しという気がしていましたが、そんなことはあるはずもなく……


「絶望しました」

「絶望するのはこれからですよ」

「へ?」


 リーゼロット様の仰る言葉の意味がわからず、淑女らしからぬ顔をしてしまいました。

 私は顔をぺちぺちと叩き、平静を装います。

 リーゼロット様の溜息が聞こえたのは気のせいでしょう。


「何処でこの様な話になったのか……はぁ。

 レティシア様。カイウス殿下が重要なお話があるとのことです」

「殿下が私ごときに重要な話しですか……それは、聞かなくては駄目でしょうか……」

「駄目に決まっております」

「ですよねぇ……なんか、とても嫌な予感しかしないのですけれど」

「同感です。

 後期よりカイウス殿下とアロンド様も王都学園に通われると聞いております。

 それに護衛騎士としてライオット様もいらっしゃるとか。

 残念ですが問題は起こるでしょう」

「そうですよねぇ」

「何を他人事のように。

 問題が起こるとしたらレティシア様の周りでとなりますよ」

「ふえっ!?」


 思わず口を塞ぎます。

 リーゼロット様のジト目が恐いですが、それは内緒にしておきましょう。


 私は再び溜息をつきます。

 問題が減るどころは増えるばかりで、全然前に進めません。


「早くそばに行きたいです……」

「一度、会いに行きますか?」


 私は少しだけ考え、首を振ります。

 会えばきっと、全部中途半端に投げ出すでしょう。

 いつか後悔するとわかっていても、きっと私は甘い思いに溺れてしまいます。


「そうですか。

 まだ会いたくないようですよ、どうしますか?」

「それは困ったな。

 俺はレティの元気な姿を見ないと心が安まらないな」


 えっ……。


 懐かしいのに良く覚えているその声はリーゼロット様の奥、赤いビロードの裏から聞こえてきました。


「ア……キトさん?」

「無事で良かった。

 リゼットが真っ青な顔で飛び込んできた時は、何事かと凄い動揺したぞ」


 姿を現したのは、ここにいるはずのないアキトさんでした。

 どうしてここに!?

 あぁ、でも変わってない、アキトさんだ。


 夢だと思ったけど、本当にいた……私の為に来てくれた……


「ご、ごめんなさい、アキトさん……ごめんなさい」


 迷惑を掛けたことが辛くて、あんなに会いたかったアキトさんの顔を正面から見られません。

 自分が情けなくて涙が流れ、少しも近付けていないことを実感させられました。


「いいんだ。でも、無茶は控えめにな」


 アキトさんは、ベッドで俯いて泣く私を抱き寄せ、昔のように頭を撫でてくれました。

 久しいその感覚に、ともに過ごした日々を思い出します。


「わたし、失敗ばかりです……」

「頑張っているからだろ」


 そうでしょうか。

 頑張ってはいますが、結果がまったく付いてこないんです。


「ずいぶんと凄い魔法が使えるようになったらしいじゃないか。

 よく頑張っているな、いつか俺たちの元へ来てくれる日が楽しみだ」


 私はその言葉に、思わず顔を上げます。

 涙でくしゃくしゃな顔など、この際、見せてしまいましょう。


「楽しみですか?」

「あぁ、楽しみだ」

「私、行ってもいいんですか?」

「歓迎する」


 私はアキトさんの胸で声を抑えて泣きました。

 アキトさんのいない王都学園で、私はいつも忌み嫌われていました。

 庇ってくれる人はいます。

 本心から傍にいてくれる人もいました。


 しかし、悪意ある感情は周りに溢れ、堂々とあろうとしても心が少しずつ削られていくのがわかっていました。

 必要とされていないと、望まれていないと、でも仕方がないと受け入れていました。


 でもアキトさんは変わらず、そのままの私を受け入れてくれます。

 居心地が良くて、ずっと傍にいたくなります。


「す、直ぐに課題をクリアしますから」


 私は一通り思いを晴らしたところで、笑顔で宣言します。

 もう大丈夫だと、態度で伝えます。


「待っている」


 不器用だけど、優しい人。


「それから、リゼットは上手く隠しているかも知れないけど、レティのことが心配で仕方がないんだ。あまり泣かすなよ」


 リーゼロット様が?

 時には国王様にも堂々と意見を述べるほど気丈な方が?

 でも、泣きはらしたような目は、鏡越しに良く見た自分の顔と重なります。


「アキト、私にも威厳というものがあるのですからね」

「リゼットはもう少し弱さを見せた方が良い。

 少しは助け合うくらいの方が丁度良いさ」


 リーゼロット様は不満を言葉にしていますが、その表情はとても柔らかいものでした。

 アキトさんとリーゼロット様はとても不思議な関係です。

 周りのご令嬢方がいう恋とか愛とかとは違った、深く静かな関係で、時の流れすらも止まるような錯覚を覚えます。


「リーゼロット様、ご忠告が理解出来ず申し訳ありませんでした」

「いいえ、私こそ急ぎすぎていました。

 レティシア様に必要なのは、信頼する仲間とともに戦う経験かも知れません」

「レティ、一緒に来るか?」


 魅力的な言葉に、思わず頷きたくなります。

 ですが、きっとわたしはまだ足を引っ張るでしょう。


 気持ちを否定するように首を振ります。


「まだ教わりたいことがあります」


 アキトさんの少し硬い手が私の頬に当てられます。

 少しでもその温もりを強く感じたく、私は首を傾げました。


 夢じゃない……ここにいる……

 私の好きな人。


 いつかの様に、みんなで過ごせる日は夢なんかじゃないから。

 だから、今必要なことを頑張ろう。


 リーゼロット様は王都学園の方も色々とことがありそうだといいますが、私に出来ることはそう多くありません。


 王都学園、後期。

 まずは課題をこなし、最優秀生として卒業して見せますから。

 逃げられませんよ、アキトさん。

 約束しましたからね!





投稿を臭わせておいて、大分遅くなりました。

文字数が4万字なので短編にしては長いかと思ったのですが、分割するには短い気もするし、そもそも分割した時の文字数にバラツキが多かったので、このまま載せました。


レティ、頑張れ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 久し振りに再読しましたが、やはりこのシリーズは良いですね〜。別作品で詰まり気味なら是非こちらの新作を!
[一言] 誤字報告です。 「彼の元へ送るのは時期早々でしょうか?」 →時期尚早
[一言] 誤字報告です ×思い人 ○想い人 ×足下を掬われる ○足を掬われる ×もっとも最初に ○最初に
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