もしカップ麺を異世界の人(王様)が見たら
ズルズル、ズルズル、ズル。
北の魔女ラクトアの居城の奥の奥。ラクトアのプライベートエリアにある食堂で麺を啜り上げる音がしていた。
辺りには強烈に食欲を刺激するスパイスの香りが漂う。
「ラクトア様、まだ召し上がるんですか?」
頭上の羽冠を揺らしながら、ラクトアの使い魔ルーが食堂に入ってくる。
まるでヒレのような翼は、人間の手のように器用におぼんを捧げ持っていた。その上には四角い白い発泡スチロールの箱が乗っている。
ラクトアはちゅるん、と麺を口の中に吸い込むと、手に持った二本の木の棒、つまり箸をルーに向け、手に持ったものを持ってくるよう指示しながらモゴモゴと咀嚼した。
「はぁ、箸で指さないでもらえます? なんだかボク、そのまま摘ままれて食べられそうで怖いんですけど。ああ、はいはい。分かってますって。このカップ焼きそば、案外作るの難しいんですねぇ。これ『お湯を入れて3分』って書いてあるんです。ボク、ラクトア様のむちゃぶりのおかげでなんとか異世界語を読めるようになりましたけど、あちらの常識? とかさっぱりなんですよね。たぶん、お湯を入れたあと、どのくらいふやかすかってことなんでしょうけど、3分って時間の概念が分からなくて、ちょこちょこ味見して、ラクトア様が好きそうな固さになるのを確かめたんですよ。ああ、疲れた。しかも『お湯きり』っていう作業は神経を使いますね。ところでそのカップラーメンとかいう麺、いかがですか? 城内に凶悪なほど匂いが漂ってますよ。カレー味というのは匂いが強烈なんですね。え? なんですか? 『ここに積んでいるラーメンとカップ焼きそばの箱を理沙さんと例の王様に届けて来い』……? はぁー、本当に使い魔遣いの荒い……いえいえ、行って参ります。不満なんてございません。あ、ラクトア様、次のラーメンが食べたいからって、そのまま魔法瓶のお湯を中に転移させちゃダメですよ。ちゃーんとスープの小袋を出して中身の粉を乾燥麺の上に乗せて、調味油の袋は出してくださいね。調味油は食べる直前ですからね。スープも液体のやつは後入れのもあるみたいですからお気をつけて。もー、ボクがいなくて大丈夫かなぁ。それでは行って参ります」
ルーはおぼんをラクトアが食べているラーメンカップのそばに置くと、ラクトアの後ろに積んである箱を四箱持ち上げた。
「理沙さんのところには転移魔法でお部屋まで行けるとして、お城は最近セキュリティが厳しいんですよね。裏口から入れなくなっちゃったんですよ。魚はもらえないし、ペンギンだと誤解されて騒がれちゃうし、本当に大変なんですよね」
ルーはぶつぶつと呟きながら、ペタペタと食堂を出ていった。
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「このところラクトアからオチュウゲンが来んな」
王様は玉座に腰掛け、肘掛けに肘をついて嘆息した。
「おお、王よ。おいたわしや。ラクトアめ、安穏と生き長らえていられるのは、どなたのおかげか忘れてはいまいか。一度使いを差し向けましょう。それでもオチュウゲンとやらを怠った場合は出兵もやむを得ず!」
「その方の気持ちは嬉しいがな、そこまでせずともよいよい。オチュウゲンはこちらから催促する類いのものではないと思う」
「しかし……」
側近と王がそうこそこそと話していると、侍従がそそとやって来て耳打ちをした。
「なに。ラクトアからの使いが来たと?」
「はい、そのものが申すにはオスソワケだそうでございます。大きさの割には存外に軽い紙箱を二つ持って参りました」
「ほれ、果報は寝て待てとはよく言ったものだ」
「はっ、まことにその通りで」
「よし、今日の謁見はこれまでとする。待っておる客人には明日出直せと伝えよ。ラクトアからの献上品オスソワケを持て」
「はっ」
やがて王の前に紙箱が置かれた。近衛騎士たちが白銅の盾で紙箱の周りを取り囲む。王宮魔術師たちがいつでも障壁魔法を唱えられるよう待機をする。みなが固唾を飲み見守る中で、盾の壁の隙間から長剣の切っ先を使い、そろそろと紙箱を開封した。
オスソワケは爆発することもなく、また擬態生物のように噛みつくこともなく、また呪いも発動しなかった。
はたして中には、平皿型、お椀型、先の切れた円柱型、平角皿型の密閉された容器が現れた。
どれも薄い膜に包まれ、赤や黄色など派手な色使いで異国の文字が書かれ、また食べ物らしき細長い線状の絵が書かれているのもあった。
王はその中から角皿型の容器のものを手に取った。
「ほう、これはまた見たことがない器だな。薄い膜に包まれたこの白い容器。蓋には異国言葉で呪いが施してあるようだが」
「この薄い膜。特殊な封印の魔法がかけられているのではないでしょうか。なにやら異なる言語でびっしりと呪文を書いてあるようです。中には相当な呪いが封じ込められているのでしょう。やや、これは……この小さな紋様をご覧下さい。悪しき魔法陣かもしれません。とうとう牙を剥いたかラクトアめ」
「ふぅむ。このままワシが何の警戒もせず開封し、呪いを受けるよう仕向けたということか。ふん、面白い。何の呪いを送ってきたか見届けてやろうではないか」
「王、危険でございます! 王にもしものことがありましたら国民が哀しみます。これらは王立魔法科学研究所にて開封してまいりますので、しばしの猶予を頂きたく」
「うむ。そういうことなら仕方がない。その方に指揮を任せる。だが、ワシも気の長い方ではないゆえ」
「心得てございます」
「王! 王!」
「待ちかねたぞ、ようやく開封出来たか!」
「はい。3日かけて魔術師が構築した呪いを封じ込める魔法陣の中で慎重に慎重を期し開封させましたところ、このようなものが入っておりました。現在悪しき呪いは確認されておりません。食べ物だとは思いますが、この薄緑色の欠片は干からびているようです」
「なんじゃ、この銀の袋は、この前の果実の粉ではないのか?」
「同様の容器から取り出した中身を前回同様水に溶き、前回果汁を飲ませた罪人に飲ませましたところ、味が違うとのこと。しかも今回は粉ではなく、禍々しい黒いドロリとした液体でございました。罪人は喉を掻きむしり、水を激しく求めたとのこと」
「して、その者は死んだのか」
「いえ、生きております。大量の水を飲んだあと、その者はこの黒い液体からスパイスの香りと果実の甘さ、旨味も感じたと申しております」
「ほう。で、この緑色の藻のようなものの正体は分かったか」
「かすかに潮の香りがいたしました。おそらく塩水の中で育つ植物のたぐいを干からびさせたものかと思われます」
「しかし、この白い紐状の塊といい、干からびた欠片といい、ドロリとした黒い液体といい、本当にこれは食べ物だと思うか」
以前入浴剤を謝って少し口にしてしまった王は慎重になっていた。
しげしげと白い容器の中を観察する。
「紐状のものから微かに古い食用油のような香りがいたしますゆえ、食べ物で間違いないかと」
「ふむ……。では、これをどうして食せばよいのか、分かる者はいるか。どのような考えでもよい、申せ」
王の間に控えていた大臣、宰相、近侍たちは互いに顔を見合わせた。
「ラクトアの使いの者は何も言い残していかなかったのか」
宰相は荷物を持ってきた侍従に問うた。
「ペンギンマークのコールド急便と名乗る使者は正面玄関横の来客受付業務中の騎士に荷物を渡し、引き換えにハンコとやらを求めたそうですが、あいにく騎士は持ち合わせておらず、デンピョウという紙へ直筆サインをしたと報告しておりました。その際、使者は食べ方については何も語っておりません」
「そうか。それは遺憾であるが、試しにちょっと齧ってみるか」
「王! それはなりません。王立科学捜査班と王宮調理師たちに意見を出させてまいりますので、もうしばしお時間をいただけませんか」
「う、うむ。早い知らせを待っておる」
「はは~」
王は非常に残念そうだったが、室内にいた臣下は低頭していたため、その表情には気づかなかった。
「王! お待たせいたしました」
「うむ、出来たか」
「はは。生で齧らせてみましたところ、味はなく、数名頬の内側と顎関節を負傷いたしました」
「う、うむ」
「水を入れてふやかそうと試みましたが、紐状の食物は硬く、消化不良で胃を病みました。しかし、そこへ件の黒い液体を混ぜましたところ、味だけは美味であるとの声がありました」
「ふむふむ、それでどうした?」
「はい。次は熱した水、つまりお湯を注ぎふやかしましたところ、紐状の食物も柔らかくほぐれ、フォークで食べややすく、味も上々」
「ほう! して、そのふやかした紐状の食物はどこにある」
「申し訳ございません。度重なる試行錯誤の末、あの角皿型のものと平皿型のものはなくなってしまいました。しかし! 筒状の容器のものが一つ残りました。さっそくそれを王宮料理人に調理させております」
「うむ、たのしみじゃ」
「で、その円筒の容器に入ったものはまだか」
「申し訳ございません。大変熱くなっておりますので、毒見が難航しております。もうしばらく時間の猶予を」
「うむ、毒見中であるなら致し方ない」
「まだか」
「いましばらく」
「うむ」
「お待たせいたしました」
「待っておった! 早うこれに」
「はは」
王の前に静々と置かれた銀のお盆の上に鎮座する円筒型の容器からは湯気はもう立っていなかった。
容器の半分のところまで薄茶色いスープがはいっており、緑色や黄色、オレンジ色の具材のようなものがぷかりと浮かんでいる。
「例の紐状の食物はいずこか」
「は、底に沈んでいるのでございましょう」
「う、うむ。そうか」
添えられたフォークで底を掻きまわすと、ようやく四、五本の紐状の麺が引っかかって上がってきた。
「ずいぶんスープを吸ったのではないか」
「毒見に時間がかかりましたので、そのようなこともあるかとは存じますが、支障はございません」
「そうか……」
王はフォークに引っかかったその数本の麺を大事そうに啜った。フネフネと噛みごたえのない触感に「そんなものか」と納得する。
スープをスプーンで掬い、ごくんと飲みこむ。スープはちょうど人肌の飲みやすい温度だった。
「うむ、このスープは少々塩気が強いが旨味が溶け込んでいて非常にうまい」
どれ、もう一口とさじを取るまえに、それは侍従によって下げられた。
「王立医療院によりますと、このスープには塩分が多く含まれており、たくさんお飲みになりますと、王の御尊体に悪しき影響があるとのことでしたので、これにて下げさせていただきます」
「う、うむ。ご苦労であった」
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「今回もカップ麺喜んでくださったようですね。あ、ラクトア様一人で何飲んでるんです? ズルい!」
「ギャーギャー騒ぐのはおよし。あたしがお取り寄せしたんだから、ルーにズルいって言われる謂れはないよ。あー、頭が痛いったら」
「ん? 『シジミ1億個分のお味噌汁』……?」
「昨日コガネが来てさ、しこたま飲んだだろ?」
「えー、えー、存じ上げておりますよ。異界からお取り寄せしたウォッカ、ウイスキー、ワイン、どぶろく、焼酎、老酒、ジン、ラム、ブランデー等々全てお二人で飲み干されましたよね。嫌だって言ってるのにボクになんですか? バーテン? とかいいました? 黒いスーツを着させて、赤い首輪まで着けさせて。黒い格好ならこの姿でも一緒なのに、どうしてお姉さま方はボクに人形をさせたがるんでしょうね。それで甘いお酒を作れってむちゃぶりした挙げ句に悪酔いしてあちこちに魔法弾飛ばしまくって、後片付けどれだけ大変だったかわかります? コガネ様方のシャムさんもお手伝いしてくれましたけど、あの方ずいぶん気分屋のようで、すぐにクッションの上で寝ちゃって……あわわっ。ええと、ウコンの煎じ薬作って参ります」