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かさりという葉を踏む音がしてケイキは目を向けると、そこにはセイショウが立っていた。
「ケイキ様、出過ぎたことをしてしまい申し訳ありませんでした」
セイショウは謝った。
「いや……私の方が言いすぎたんだ。私はいくつかのことに……つい感情的になってしまうところがある。自分でもそれはよくわかっているのにどうにもできない。精神が幼いのかな。時々、自分はどうして皇太子の地位にいるのだろうと思う時があるくらいだよ。はっきり言って私は兄弟の中で最も皇太子に向いていないんだ」
「……」
ケイキは木に寄りかかったまま、セイショウの方に顔を向け掠れた声で言った。
「セイショウ、君も皇太子妃候補としてこの後宮に来て、がっかりしただろう。私が皇太子だったのを知って」
「そんな……」
「いいんだ。わかっている。ここにいる妃候補達は皆、皇太子妃にはなりたくても、私の妻になりたいと思っている者はいないということはね。だから、まぁ、私が人間的に出来ていなくても、まして皇太子向いていなくてもそう気にする者はいない。でも君は他の妃候補達とは少し違うみたいだから。セイショウ、君くらいはっきりと後宮から出たいと私に意志を示した人間はそういないよ」
ケイキは前にセイショウと以前話をした時のことを思い出しているのか、口角を少し上げてそう言った。
「いいえ、私はそういう意味で申し上げた訳では……」
「本当にさっきは感情的に話してしまって申し訳なかった。大丈夫。キリンの所には折をみて様子を見に行ってみるから。思えば彼女だってかわいそうな境遇だね。無理やりこの後宮に入れられて、頼りの皇太子の訪問もないのだから」
「……キリンのことはわかりません。でも私は無理やり後宮に入れられたわけではありません。私はこの後宮に入る話をいただいた時、自分から行くとお答えしました」
ケイキはすこし戸惑ったような様子でセイショウを見た。
「どういうつもりでそう答えた? セイショウ、まさか後宮で皇太子妃になって優雅な生活を送ることを夢見て来たわけではないだろう? 君ならここはそんな夢のような所ではないことくらい想像できたはずなのだから」
「ええ、正直に申し上げますとある意味では覚悟して参りました」
「どうせ断れないなら、自分から行くと答えたということか」
「いえ、そうではありません」
セイショウはこの先をどう説明しようか少し迷っているようだった。しかし意を決して話を進めた。
「後宮へのお話をいただく少し前まで、私は自分の住んでいる小さな街が世界の全てでした。何の確証もありませんでしたが、たぶん一生をその街で暮らすのだろうと思っていました。でもその頃ある人に出会って広い世界の話を聞いたんです。私にはあまりに遠い存在だった都の話もその人から聞きました。その人の話では都はとても魅力的なところだったんです。そして本の中でしか知らなかった世界が私の中で現実に存在する場所になっていきました」
「それで?」
「すごく世界を広く感じました。そしていつか機会があったら、自分の住む街以外の場所に行ってみたいと思いました。自分の目で見て確かめてみたかったんです。もちろん都も含めて色々な場所を」
「それなら、その人に案内してもらえばよかっただろう。何も後宮に来ることはなかったんだ。後宮は都にあるが、一度入れば自由には出られない」
「……ええ、でも……その人は……亡くなってしまいました」
二人の間に少し沈黙の時が流れた。そしてセイショウは話をさらに続けた。
「それで、もし広い世界を見るなら、自分の力で街から出なければならなくなりました。現実的はとても無理なことのように思えました。そんな時に後宮の話をいただいたのです。確かに都にあるとは言え、後宮は全くの別世界です。それでも、小さな街からは一歩踏み出せる機会と考えることもできました」
「でも実際に来てみたら、一刻も早く後宮から出たいと思ったと?」
「いえ、私は後宮の生活自体はそれほど辛いと思ったことはありません。前に後宮を出る覚悟はできていると申し上げたのは私が『青琴の君』であると改めて自覚したからです。まだ半年ほどしかいませんが、後宮は何もかも新鮮で学ぶことも多いです。もちろん自分には場違いの場所であったことは痛感しています。でも元々私は一人で静かに時間を過ごすのが好きなので。案外自分は後宮で暮らすのも向いているかもしれないと思う時もあるほどです。それに今は小さい頃から一緒に育った二人の女官とも暮らせていますし」
ケイキはそれを聞いて小さく笑った。
「つまり、セイショウは皇太子の寵愛というものは求めてないから、後宮で問題なく安寧に暮らせていると」
「それは……」
「いいんだ。私としては少しほっとするところもある。普通、皇太子妃候補達は自分で思っているのか家族の期待が大きいのか、何としても皇太子妃になることを目指すからね。文字通り皇太子妃という地位がほしい場合は私自身はまだ少し気が楽だよ。でも私の妻という座が欲しいと言う時はもっと複雑で難しい。このことについては、正直に言えば今は考えたくない」
「……」
セイショウはさきほどヤオから聞いたアンジュのことが頭に浮かんだ。セイショウはアンジュには会ったことがない。話だけで実際にアンジュが皇太子妃の座と妻の座、どちらを強く欲していたのかわからない。でも恐らくそのどちらも望んでいたのではないかと思う。ケイキが言うほど単純に二つことは切り離すことはできない性質のものである。
「さて、もっと話をしていたいけどそろそろ宮殿に戻らないと。何しろ公務を放ったらかしにして、ここに来てしまったからね。皇后から指示されている着物を作り上げたら話の続きをしよう。着物は順調に仕上がっている?」
「ええ、あと少しで出来上がる予定です。ただ……」
「その髪では皇后の前に行けないか」
「……はい」
ケイキはセイショウを改めてまじまじと見て笑った。外の光ではさきほどよりも斑の染まり具合がさらに目立った。
「変な髪」
「……」
セイショウは目を伏せた。
「いや、悪い意味だけで言っているわけでもない。そんな変な髪のセイショウを見れたのは貴重だって言いたかっただけだから。やってしまったことは、もう仕方がない。何とか少しでも早く青く戻して皇后の所に着物を持って行って」
「……はい」
「それじゃ、もう行くよ」
ケイキは立ち去ろうとした。すると突然セイショウが声をかけた。
「髪が青く戻るまでに……。私が後宮でどう過ごしたらいいのか、もっとよく考えてみます。ただ、自分の住む街以外に行ってみたかったなんて、あまりにも身勝手な希望でケイキ様にもご迷惑をかけただけでした。もしもう少しこの後宮にいられるなら……その間にケイキ様のために少しでもできることを考えます。ずいぶんおこがましいことを申し上げているのはわかっています。それでも次にお会い出来る時までに自分自身をもう少し見直します」
ケイキはセイショウの話したことを少し考えてみた。
「そんなことを言う妃候補は初めてだよ。いつか後宮を出て行くことを前提に話をする妃候補なんてそうそういないだろう。でもそれはいい。ここで話したことだってセイショウ、君以外とはしたことがない。……そうだな。私も次に会うまでに自分のことを考えてみるよ。皇太子という立場から逃げたいと思っているだけでなくもう少し前向きな考えをね。セイショウと次に会うまでにまだ時間がありそうだし」
ケイキはそう頬笑みながらそう答えた。そして宮殿に向かって歩いて行った。




